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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!





なぬ。。。。三嶋大明神、白濱大明神 [第六天魔王]

2014-12-05 10:10:02のブログです。
更新しました。

夕べふと思ったんだけど、

**じなんさん、消えてしまったんだね、、、、、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




舞楽「白濱」 Bugaku Houhin
http://www.eonet.ne.jp/~ja3ocb/gagaku/bugaku/u2/Index.html




白浜(ほうひん)

 一名栄円楽とも呼ばれ、

白浜の名は朝鮮の地名から起こったものらしい。

舞人は右方の蛮絵装束を用いる。
楽は最初高麗笛と篳篥の主管だけによる「序吹」と呼ばれる無拍節の部分から始まる。
合奏になると四人の舞人が舞台に上がり舞が始まる。
中程になると舞人が左右に向き合って跪き片肩袒となり、
今度は四人が輪を作って舞う。
この辺が一番華やかな手振りで美麗な袖を翻しながら
舞台の四面四隅を背合わせに、あるいは向き合って一周する態は
殊に趣が深く、
栄円楽の名は恐らくこの輪を作って舞う華やかな姿から起こったものではないだろうか

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白浜神社 ー 伊古奈比咩命神社

静岡県下田市白浜にある神社。式内社(名神大社)で、
旧社格は県社。現在は神社本庁の別表神社。
通称は「白濱神社(白浜神社)」。

伝承では、主祭神の「伊古奈比咩命」は、

伊豆諸島開拓神の「三嶋神」の后神であるという。



白濱神社の御祭神、三嶋大明神は

今から2400年前、南方から黒潮に乗り、伊豆の地に着きました。

大明神は富士の大神様のお許しをいただき、伊豆の土地を譲っていただきました。

大明神は賀茂族のの姫神、伊古奈比咩命様を后として迎え、白浜に宮を造り、

さらに土地を広くする為に伊豆の沖合に島を造る事にしました。

見目・若宮・剣の御子は龍神・海神・雷神等の神々を集め島を造る事にしました。

最初に小さな島を造り、初めての島なので初島

次に、神々が集まって相談する島の神津島

次に、大きな島の大島

次に、海の塩を盛って白く造った新島

次に、お供の見目・若宮・剣の御子の家を造る島の三宅島

次に、三嶋大明神の蔵を置くための御蔵島

次に、沖の方に沖の島

次に、小さな島の小島

次に、天狗の鼻の様な大野原島

最後に10番目の島の十島を造りました。

7日で10の島を造り上げた三嶋大明神は。

各島々に后を置き、御子神達をおつくりになられ、

その后神、御子神達を祭る神社は現在でも各島々に祭られています。

三嶋大明神はその後、お供の見目・若宮・剣の御子と白浜に帰って来られました。






伊豆版

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古事記の記述

天地が初めてできたとき、

高天原に現れた神の名は

天之御中主神

次に高御産巣日神

次に神産巣日神

この三柱の神は、みんな独神で、身を隠された。



ん?



祭神は次の5柱[8]。神体は5柱とも神鏡である[9]。

主祭神
伊古奈比咩命 (いこなひめのみこと) 三嶋大明神の后神。

相殿神
三嶋大明神 (みしまだいみょうじん) 伊豆国一宮の三嶋大社(静岡県三島市)祭神。別名を事代主命(ことしろぬしのみこと)とする。
見目 (みめ、見目大神) 女神。三嶋大明神の随神。
若宮 (わかみや、若宮大神) 男神。三嶋大明神の随神。
剣の御子 (つるぎのみこ、劔御子大神) 男神。三嶋大明神の随神。



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阿波命神社(あわのみことじんじゃ)は、東京都神津島村長浜にある神社。

祭神は次の1柱。
阿波咩命 (あわのめのみこと、阿波命・阿波比咩命)
神津島の開拓神であると伝えられる[1]。
『続日本後紀』[原 1]によると、三嶋神(伊豆国一宮・三嶋大社祭神)[注 1]の本后であるといい、
物忌奈命(物忌奈命神社祭神)はその御子神であるという[2]。




続日本後紀?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%9A%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BE%8C%E7%B4%80


なんか時代が近づくにつれ、そのでたらめぶりも増してるとかいうにほひ。


鎌倉時代末期の成立とされる『三宅記』

伊豆国賀茂郡に「阿波神社 名神大」


ツイッター見てたりすると

賀茂族レビ族マンセーの人が多くて、それ見てるだけでもなぜかげんなりして拒絶反応が出る

伊勢出雲に関しても同じ

なので、白浜からむけど、この調べたくないなーと思いつつ
ここらもごちゃごちゃ、、、暴かないといけないんだろうね~~~~~~


 この三・三島社について、三島鴨神社由緒には
 「当社から御魂が遷されて、伊与の“大山祇神社”、伊豆の“三島神社”がつくられ、“日本三『三島』”として崇拝されるようになり、三社の根源社として、当社は格別に崇められている」
とあり、鴨神社由緒には
 「当社・オオヤマツミを守護神とする百済系の三島氏が百済との海上交易を深めるため、当摂津国から愛媛県の伊与大三島に“三島大社”を勧請し、後の三島水軍・村上水軍の守護社となった。また、伊豆にも東上し、伊豆の“三島大社”を起こすなど、当社は全国千数百の三島神社発祥の大本の地である」
と記し、両社とも三島社発祥の地は当社だと主張している。

http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/hokusetu-mishimakamo.html




現在の三島大社の御祭神は、

もともと白浜神社の御祭神だった三島大明神を引っこ抜いて祀っているという訳で、

3万年以上の歴史を持つ伊豆半島の古代海人たちの祈り神を、

時の政権が勝手にひょいと移してしまった・・・ということだそうです。

まあ、横暴というか、浅計というか。
http://www.beachside-log.com/blog/%E5%8D%97%E4%BC%8A%E8%B1%86%E3%80%81%E5%BC%93%E3%83%B6%E6%B5%9C%E5%91%A8%E8%BE%BA%E3%81%AE%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B%E6%97%85%EF%BC%93%EF%BC%88%E6%97%A5%E9%87%8E/


だめだ、、睡魔が、、、

あ、これはめんどくさい病の方の、、、ネ、、、

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調べなくても私の細胞の記憶的には

白浜大明神=アメノミナカヌシ=第六天魔王なのだ。

どうしても消したい存在なんだね

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愛媛県東伊予市桑村の三島神社。

祭神:大山祇神

配祀:高竈神・雷神


由緒:和銅四年(711)八月大山祇神を斎祀し、一の宮三嶋大明神と称した。

和銅五年(712)八月三日勅命によって越智郡大三島より雷・高竈の二神を勧請合祀して・・

これを見ると、和銅五年(712)に勅令によって、

総本山の大山祇神社へ「高竈神・雷神」が合祀され、
オオヤマツミを祀る全国の神社に対し本社に倣うよう布令が出されたようだ。

和銅五年は元明天皇の時代で、古事記が成立した年である。

この八年後に日本書紀が完成している。

記紀の成立前後には神社に対していろんな勅令が出されている。

この高竈神・雷神の合祀も、正史編纂に合わせてなされた策動の一つだったようだ。

和銅五年(712)といえば、藤原不比等の絶頂期。記紀編纂での最重要人物。



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 Q4 : 事代主命(ことしろぬしのみこと)は、どのような神さまですか?

 A : 七福神の中で、大鯛を抱かれたお姿で、「えびす様」の名で親しまれる神さまです。

神話の「イナバの白ウサギ」に登場する大國主命(オオクニヌシノミコト・通称「だいこく様」)の
ご子息になります。

 豊漁、豊作、商売繁盛を導き、人々に福徳円満をもたらすといわれる神さまです。


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 Q5 : おまつりされている神さまと、皇室の関係を教えてください?

 A  :  大山祇命(おおやまづみのみこと)の娘、
木花開耶姫(このはなさくやひめ)の神さまは天孫であるニニギノミコトのお后様です。

 また、事代主命(ことしろぬしのみこと)の娘、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は、初代・神武天皇のお后さまで す。2代・綏靖天皇(すいぜいてんのう)、3代・安寧天皇(あんねいてんのう)も、えびすさまの娘、孫娘がお后さまです。


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オオヤマツミ=三嶋大明神=高竈神=スサノオ
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しかも貴船神社も行きましたよ

はじめからいかなくてもいいか、、、ぐらいの感じだった

時間が合ってそう回るのに時間もかからなければ寄ってみようか、、的な。

で、実際は時間は余裕も余裕だったから寄ってみたけど

あそこには神様はいないわってくらいなもんだった


なんだかこれ見よがしな作り物の巨石、、、みたいに感じるもの

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期待して見に行こうと思ってた天磐船

あーーなんかもう早くおうどん食べに行こうーー!!って感じだった。

おおお、、なんだ、、こんなだったのか!!!来ておいてよかったね!!!

という風にはならなかった。。。。


”イミテーション”



とにかく魔王殿、貴船

本物を知らせて欲しいんだろうね。。。


こんなにいきなり知らない名前の神様たちが出てきちゃったよ

今までも調べてたはずなのに、気にもしなかったわけでもない

まあ、そこまで掘り下げてはいなかったけど、、、、


まあ、順序ってあるんだね。。。。

今までの調べた結果があるから、今それらについて

”ん???”って思えるのであって


さすが、、、

も一つかけたハマモトの、、、だな。。。



三島大明神=白浜大明神なんだけど

これが無理矢理抜き取られて

三島大明神=オオヤマツミ(スサノオ)にされてしまったわけですね。。。。



目黒不動の役の行者様を見て

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佐太大神、佐太雄神、高天山佐太雄神=第六天魔王(役の行者・サルタヒコ) =魔王=サナト・クマラ=アメノミナカヌシ


役の行者は一人じゃなく”役の行者族” ”役の行者一族”
血の者が”役の行者”と名乗った
名乗らなかった者もいたけど、働きは同じ。



そうはいっても役の行者も賀茂族、、、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B9%E5%B0%8F%E8%A7%92
出自

役氏(役君)は三輪氏族に属する地祇系氏族で、加茂氏(賀茂氏)から出た氏族であることから、加茂役君(賀茂役君)とも呼ばれる[1]。役民[注 1]を管掌した一族であったために、「役」の字をもって氏としたという[2]。また、この氏族は大和国・河内国に多く分布していたとされる[1]。

生涯

舒明天皇6年(634年)に大和国葛城上郡茅原(現在の奈良県御所市茅原)に生まれる。父は、出雲から入り婿した大角、母は白専女[3]。 生誕の地とされる場所には、吉祥草寺が建立されている。

17歳の時に元興寺で孔雀明王の呪法を学んだ。その後、葛城山(葛木山。現在の金剛山・大和葛城山)で山岳修行を行い、熊野や大峰(大峯)の山々で修行を重ね、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築いた。兵庫県西宮市甲山、六甲山系目神山で弁財天を感得したことと関連して、役行者は奈良の天河の洞川(どろかわ)に住む近縁者、四鬼氏に命じて、唐櫃に移住させ、吉祥院多聞寺奥の院とされる心経岩、六甲比命神社、雲が岩一帯を守護させた。(以後、四鬼氏は六甲修験の総元締めとして、六甲山西部を管理していた。) 20代の頃、藤原鎌足の病気を治癒したという伝説があるなど、呪術に優れ、神仏調和を唱えた。また、高弟にのちに国家の医療・呪禁を司る典薬寮の長官である典薬頭に任ぜられた韓国広足(からくに の ひろたり)がいる。

文武天皇3年(699年)5月24日[注 2]に、人々を言葉で惑わしていると讒言され、役小角は伊豆島に流罪となる。人々は、小角が鬼神を使役して水を汲み薪を採らせていると噂した。命令に従わないときには呪で鬼神を縛ったという[4]。

2年後の大宝元年(701年)1月に大赦があり、茅原に帰るが、同年6月7日に箕面の天上ヶ岳にて入寂したと伝わる。享年68。

中世、特に室町時代に入ると、金峰山、熊野山などの諸山では、役行者の伝承を含んだ縁起や教義書が成立した。金峰山、熊野山の縁起を合わせて作られた『両峰問答秘鈔』、『修験指南鈔』などがあり、『続日本紀』の記述とは桁違いに詳細な『役行者本記』という小角の伝記まで現れた。こうした書物の刊行と併せて種々の絵巻や役行者を象った彫像や画像も制作されるようになり、今日に伝わっている。[5]。

寛政11年(1799年)には、聖護院宮盈仁親王が光格天皇へ役行者御遠忌(没後)1100年を迎えることを上表した。同年、正月25日に光格天皇は、烏丸大納言を勅使として聖護院に遣わして神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡を贈った。

勅書は全文、光格天皇の御真筆による。聖護院に寺宝として残されている。
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この光格天皇もキーで鳥取とつながっていく。

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しかも626

文武天皇3年5月24日は、西暦699年6月26日(7月1日説もあり[7])。

(大意)文武天皇3年5月24日、役君小角を伊豆大島に配流した。
そもそも、小角は葛城山に住み、呪術で称賛されていた。
のちに外従五位下の韓国連広足が師と仰いでいたほどであった。
ところがその後、ある人が彼の能力を妬み[注 4]、妖惑のかどで讒言した。
それゆえ、彼を遠方に配流したのである。
世間は相伝えて、

「小角は鬼神を使役することができ、水を汲ませたり、薪を採らせたりした。
もし鬼神が彼の命令に従わなければ、彼らを呪縛した」という。


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大和葛城宝山記
イザナギ・イザナミは「第六天宮の主、大自在天王に坐します」とされ、
須弥山宇宙における欲界の支配者・第六天魔王と習合されております。

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平安末期頃作られたという『中臣祓訓解』。

大神(天照大神)は大日(如来)と同体とされ、

国を治める証文を魔王から請い受けたとされている。

この説話は、その後、新たな解釈や注釈がつけられて、

『高野物語』(十三世紀中頃成立)では
「大日が魔王の子となり、わが国を受継ぎ、子孫を国王とした。」という話になる。

また、『通海参詣記』(十三世紀末頃)には、

「イザナギ・イザナミの二尊がこの国を創ろうとして、

第六天魔王に国を譲り受けたとき、仏法を忌むと申し出た。』とされる。

国譲りと仏法忌避の誓約が、
室町期に作られた『神道集』や『太平記』や幸若舞『百合若大臣』などに語り継がれて、広く流布した。

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沙石集

伊勢神宮と第六天魔王

  尾張の僧・無住が民間説法のマニュアルとして造った「沙石集」には弘長年間に
 自ら伊勢神宮におもむいた際に神主から聞いた話が記載されています。
 ・・それには伊勢神宮が仏法を口に出さず社殿に僧が詣でないのには深い訳がある。
  太古の昔、この国がまだ無かった頃アマテラス大神は大海の底に自分の印である
 大日如来の印文があるのを発見し鉾を下して探り上げられた。
  その鉾の滴りが露を結んで国土を造ろうとしたのを、密教第六天魔王が遥か彼方
 から見て「これはいかん。この滴りは国土となって、そこに仏法が流布し、人々は
 みな来世を求めるようになるだろう」と憂慮して、これを潰そうとして第六天より
 下ってきた。

アマテラス大神はこの魔王のたくらみを抑え、
国土を創造しようと魔王に会い自分が三宝の名を口に出さない、近づけないと約束し魔王を帰した。

故に伊勢神宮には僧が参らず社壇で経を持ち歩かない・・

もう一つは熱田神宮で造られた「神祇官私記」では
第六天魔王が仏教が流布するのを危惧して六万五千年統治し、
アマテラス大神との(上記と同様の)約束と神璽を得たとしています。


これらの事は伊勢神宮と云う天皇家に直結する神社に関しても
本地垂迹説、中世日本紀が中世13~15世紀中に定着し、
解釈を越えて神話創造をした事を示しています。




イザナギ・イザナミが

三嶋大明神・伊古奈比咩命

ではなんではないかと。。。

すると、第六天魔王もすんなり。


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伊古奈比咩命神社
ひとこと:気になるのは、見目の神というお名前です。

       この神を祀る小さな祠には、「見目弁才天の由来」という看板がありました。
       ここに転載しましょう。

      「見目弁才天の由緒
       当社御祭神、伊古名比咩命をお守りする神として、見目、若宮、剣の御子の
       中の一柱の神様であり、その本地仏とされているのが、弁財天となっていま
       す。古来より縁結び、子授け、性病除け、夫婦円満の御利益をもつ神として
       霊験あらたかな神社です。」

       そして、祠の中には、性器をかたどったものや、女性の下着などが奉納され
       ていました。

       神職さんに、
      「海辺には、性病除けの女神がよく鎮座なさりますね」
       とお尋ねしましたら、非常に分かりやすい回答をくださいました。

      「海辺には船がやってきますから、どうしても色街が出来てしまうのです。そ
       れだから、性病も流行するのでしょう」

       なるほどね。

       ただ、それだけではないかも、とも思っているんです。

       淡島様のお話のように。

       病の女性が流され、はまべに辿り着く。
       そして、その地で、世の女性の幸を祈る。
       病の女神が、すべての女性の守り神となる。
       しかも、見目の神の本地仏は弁財天・・・芸術の女神です。

       河原に住んだ人々は、傀儡子や琵琶法師など、芸術の民が多かったと思われ
       ますから。

       このパターンである可能性もある、と思うのですが。

       そして、なによりも、見目大神・・・「みるめ」というお名前です。

      「みるめ」という音から素直に何かを連想してください。

      「海松布」ではありませんか?

      「海松」とは、海草の名。

       関係ない話のようですが、海草が髪生やしに良いというのは迷信だそうです。
       いや、少なくとも、海草に髪を増やす薬効があるという化学的根拠はないそ
       うな。

       海草が波に揺れている姿が、「ふさふさとした髪」を連想させるため、そう
       思われ続けてきたのだとか。

       そう。
       海草は、「毛」を連想させる。
       つまり、いわゆる、アンダーヘアをも。

       つまり、私には、「見目大神」は、春を売る女性を連想させる名を持つ神と
       思えてならぬわけなんですよ。

       春を売る女性にまつわるイメージは、現在と古代ではまったく違ったのでは
       ないかと思っています。

       女はみな、「神の嫁」であったのならば、春を売る女性達は、客を「神」と
       して接待したわけですね。

       古代において、春を売る女性達は、ただの快楽だけを売ったわけではないで
       しょう。
       また、一方的に売ったというわけではないでしょう。

       客人婚という言葉があります。
       集落にやってきた旅人に、一夜の伽をし、もてなしたのです。

       それは、旅人にとっては、旅の夜の慰めとなったかもしれませんが、接待す
       る側も、集落外からやってきた、稀なる精子を受け取る意味で、プラスとな
       ったわけです。

       つまり、春宿とは、「神」と「神女」の結婚の場でもあったはず。

       そう考えたとき、見目大神は、ただの「性病よけ」の神ではないと思えてき
       ますね。

       そして・・・。
       その神をお供とした三島大神と、伊古奈姫とは。
       神と神女。
       言い換えれば、神と巫女そのものではなかったのでしょうか。

       巫女とは、神の神託を預かる女性。
       この神社こそは、そのような女性の鎮座する神社ではなかろうか、と、そう
       思うのです。
http://www.norichan.jp/jinja/renai2/ikonahime.htm





【三島大社】

祭神は大山祇命(おおやまずみのかみ)と事代主命(ことしろぬしのかみ)であるが、

大山祇命は、瀬戸内海の大三島に鎮座し、伊予国一の宮である大山祇神社の祭神であり、

三島の社名の類似から、この大三島から勧請されたという説が古くからあるようだ。

ここ三島大社の遷座に関して、以下のような伝説がある。

遷座に際して、当時、ここに鎮座していた若宮八幡の神に対し、

三嶋大神は

「藁ひとつかみ分だけの土地を譲って欲しい」と頼み、承諾された。ところが、三嶋大神は、その藁を解き、一本に長く繋ぎ合わせて、広大な社地としてしまったのだ。その後、若宮八幡は境内摂社に祭られたが、唯一、三嶋大社に対して背を向けているという。
http://inoues.net/club/ohmishima_shrine.html

どこかの神様とどこかの神社の話と同じだな



高良大社(福岡県久留米市御井町1番地)
 式内社・名神大社で筑後国一宮である。福岡県久留米市の高良山にある。古くは高良玉垂命神社、高良玉垂宮などとも呼ばれた。主祭神の高良玉垂命は、武内宿禰説や藤大臣説、月神説など諸説あるが、古えより筑紫の国魂と仰がれていることから饒速日尊と思われる。筑後一円はもとより、肥前にも有明海に近い地域を中心に信仰圏を持つ。高良山にはもともと高皇産霊神(高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。高牟礼から音が転じ、「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。現在もともとの氏神だった高木神は麓の二の鳥居の手前の高樹神社に鎮座する。


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鳥取の賀露神社が迎えたのもオオヤマツミ=スサノオなのか?


それともダイロクテンマオウ=アメノミナカヌシなのか



三島大神といわずオオヤマツミといっているということは。。。。





賀露は鳥取県の中でも大きな港町の1ツである。

そんな賀露にある神社なのだから、当然祭神は海や漁に関する神に違いないと思うのが当然だろう。

しかし、

賀露神社の謂われ書きには

「山林田畑の守護神として、大山祇命を伊豆国三島神社より」

迎え、創建されたとある。

港町の神社の御祭神が山の神とは面白いではないか。

ところが、海から寄り来る漂着神の信仰があったらしく、

御祭神五柱の中の吉備真吉備がその信仰と結びついている。


;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;


こういうことらしいが、、、

 祭神は『浜松神社名鑑』(のp43)によれば「大山祇命(おおやまずみのみこと)」です。

 『浜松神社名鑑』によれば「古き神主の記録によれば、当社は康正元年【注 西暦1455年】、当村の開郷の際伊豆の国三島大明神より、当所産土神として御分霊を勤請し三島大明神と称したれど、社名は別宮は相成らずとの事にて浜松大明神と改称し明治元年維新の際大明神の御神号を廃して以来浜松神社と称す。」とあります。


違う気がする。


しかし、、忘れてた、、、


このあたりもこちらと同じように複雑だったんだ、、、、、


ちょっともう休憩しよ、、、







"Lovers in Japan"

Lovers keep on the road you're on
Runners until the race is run
Soldiers you've got to soldier on
Sometimes even right is wrong

恋人は君のいる道を歩き続ける
走者はレースの日まで走り続ける
君の兵士は兵士のまま
時に正しいものに誤りがある


They are turning my head out
To see what I'm all about
Keeping my head down
To see what it feels like now
But I have no doubt
One day, we're gonna get out

それは思考を開放させる
自分は何なのか知るために
それは思考を落ち着かせる
今何を感じるか知るために
疑いなんてないよ
いつか僕らは飛び出すんだ


Tonight, maybe we're gonna run
Dreamin' of the Osaka sun
Ohh, ohh, ohhh
Dreamin' of when the morning comes

今夜、僕たちは走っているかもしれない
大阪の日を夢見て
朝が来るのを夢見て


They are turning my head out
To see what I'm all about
Keeping my head down
To see what it feels like now
But I have no doubt
One day the sun will come out

それは思考を開放させる
自分は何なのか知るために
それは思考を落ち着かせる
今、どう感じるか知るために
疑いなんてないよ
いつか日は昇るんだ





ちょっとこの辺でいったん閉めて少し脳みそ休憩させます

私が違和感を感じるのは”カモ“

”オト”の問題


それからわたしが知らべてるなかに出てくるほかの”オト”と”カモ”系列で出てくる”オト”は

明らかにグループが違うんだな。。。


そこには共通点がある

”表にいないこと”


でも今までよりははっきりと出てるんだよね。。。

ココだけはね


隠れながら、また隠しながら

そのグループもその”オト”を伝えたんだろう


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”賀茂にも二つの賀茂がある”


それなら納得できる方もあるかも。


私は歴史の真実を探してるんじゃなくて

私の細胞の記憶が”これです。this is is"ということを探してる。


何が正しいとか、何が違うとか何が正統で何が乗っ取りで、、とかじゃなく

私はいったいどっちだ

私はいったい何者だ


それが知りたいだけだ

どの立ち居地で見るか

どの立ち居地からこれから先の自分の安全な道を探るか

それは自分が何者か知らなくては探せないからね


あまり、正統、正当”日本人”にこだわると

自分が行くべきところ間違ってしまう

そういう意味じゃ

”名前”って

あなたの持つ”オトダマ”って

本当に大事な、脈々と受け継がれている”しるし”なのよ

”しるし”を見せた瞬間やられる時代が来るかもしれないからね


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アメノミナカヌシ

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カミムスビ(カミムスヒ、カムムスビ)は、日本神話の神。

『古事記』では神産巣日神、『日本書紀』では神皇産霊尊、『出雲国風土記』では神魂命と書かれる。

天地開闢の時、天御中主神・高皇産霊神の次に高天原に出現し、造化の三神の一とされる。本来は性のない独神であるが、造化三神の中でこの神だけが女神であるともされる。また、先代旧事本紀においては、高皇産霊神の子であるとも言われる。

大国主が兄神らによって殺されたとき、大国主の母が神産巣日神に願い出、神皇産霊尊に遣わされた蚶貝姫と蛤貝姫の治療によって大己貴命は蘇生する。

『古事記』では、少彦名神は神産巣日神の子である。

「産霊」は生産・生成を意味する言葉で、高皇産霊神とともに「創造」を神格化した神であり、高皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神でもあると考えられる。




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祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神であり、
U2abb7_svg.pngU2ff0-u624c-u2ff1-u200cb-u53e3_svg.pngU2abb7_svg.pngU2ab87_svg.pngは三神の総称である。奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。

1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)にて旧い小さなほこらの荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして自主撤去を求められ、U2abb7.svgU2ff0-u624c-u2ff1-u200cb-u53e3.svgU2abb7.svgU2ab87.svg信光会は11月27日に解消し、撤去を行った[1][2]。戦後ほこらは再建され、神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で建立。1961年(昭和36年)に現在地へ移築遷宮された。隣接地に大阪府警察の機動警ら隊がいる。


植芝盛平 - 『武産合気』に 九鬼隆治と出会った記述がある。

その九鬼隆治は「九鬼武産」をサムハラと読むと言っていたという。

また、「天之村雲九鬼さむはら龍王大神」という書を書き、

「細矛 千足のくにの 生魂や 受霊に結ぶ 神のさむはら」という書も書いたという。



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「天之村雲九鬼さむはら龍王大神」

サムハラ神社

シャンバラ



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天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、三種の神器の一つ。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)、草那芸之大刀(くさなぎのたち)の異名である。


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天叢雲剣
八俣遠呂智由来説
『日本書紀』の注記より。ヤマタノオロチの頭上にはいつも雲がかかっていたので「天叢雲剣」と名付けられた。 実際、山陰地方は曇り日が多く、安来地方の山奥、奥出雲町にある船通山(鳥髪峯)山頂には天叢雲剣出顕之地の碑があり、毎年7月28日に船通山記念碑祭・宣揚祭が開催される。 また、「天叢雲剣」の名の由来である、「大蛇の上に雲気有り」という表現に関して『史記』や『漢書』からの引用だと説かれることもある。



天の村雲九鬼さむはら竜王(天之叢雲九鬼さむはら竜王)一言で言えば、「気(エネルギー)の根源神」です。気によって、「いかなる業(ごう)をも、一瞬にして浄めてしまう神様」です。
植芝家の守護神で、合気道の守護神でもあります。天地の祖神(「主(ス)」の神、「ゝ(ポチ)」、皇大神即ち大天主太神、速武産の大神、 時として天之御中主神)又はその働きの現れです。
天地創造の力(エネルギー)の神です。「また天叢雲九鬼(あめのむらくもくき)さむはら竜王大神(亦の名を速武産大神)が降臨され『我は植芝の血脈にくい入りくい込んでいるぞ』と言われたのです。 そして合気道の守護神であると言われたのです」
「この意義をよく考え思うべし、この守護神によりて、汝に武産の使命を気結びされたるなり」「天の叢雲とは、宇宙の気、おのころ島の気、森羅万象の気を、つらぬいていぶくことをいう」「九鬼とは、おのころ島に発生したすべての物の原子。即ち造物主の使命達成のために現れた九星(一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫)の気である。 いざなぎの命、いざなみの命の島生み神生みの気も、すべてこの九鬼よりはじまる」「さむはらとは、宇宙森羅万象の気をととのえて、世のゆがみを正道にもどすことをいう。 日月星辰も、人体もことごとく気と気の交流の結果生まれたものであるから、世界の気、宇宙の気を調整しなければ、やがては邪気を発して、風害、 水害、火災、戦争、病気、飢餓がおこる。 このすべての邪気を、天授の真理によってみそぎして、地上天国の極楽浄土を建設することを、さむはらという」 ちなみに、開祖は、『武産合気』と書いて『さむはら』と読ませたそうです。『竜王』はこの神すべてにかかる名ですが、風水では竜は『気』を指し、龍神が雨乞いの神であることから、この神を「気(エネルギー)の根源神」として間違いないようです。『さむはら』は聞き慣れない神名ですが、福岡県前原市に聖武天皇の御世725年にインドから渡来した高僧、清賀上人(せいがしょうにん)が 開創したと伝えられる雷山(らいざん)千如寺があり、身代わりの御守り『サムハラ』を授けています。
御利益は、十転化の功徳(悪を転じて善と化す。邪を転じて正と化す。愚を転じて賢と化す。貧を転じて富と化す。賤を転じて貴と化す。乱を転じて治と化す。危を転じて安と化す。 禍を転じて福と化す。迷を転じて悟と化す。痴を転じて仏と化す)です。
「宇宙森羅万象の気をととのえて、世のゆがみを正道にもどす」と開祖が言われたことと符合します。『サムハラ』は、元はサンスクリット語の『シャンバラ(幸福を維持・用意・収集・養育するもの、静かで穏やかなこと、平和などの多くの意)』 ではなかったかという説もあります。
森信三先生は、「このサ・ム・ハ・ラは成熟を意味する梵語(サンスクリット語)のようです」と説明しています。大阪市にサムハラ神社があります。ご祭神はサムハラ大神(天御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神の三神の総称)です。
この三神は造化三神と呼ばれ、宇宙創造の根源であり生成力を表わしているので、開祖の説明とも一致します。加藤清正が、刀に『サムハラ』と彫りつけて朝鮮半島に出兵し、九死に一生を得たそうですが、日露戦争の頃にも『サムハラ』の護符は弾除けのご利益があるとして流行ったそうです。
開祖も『サムハラ』を身に着けていたお蔭で、日露戦争従軍時、奇跡的に何度も危機を逃れたそうです(「飛んでくる敵の弾丸がよう見えるようになった」と述懐)。
したがって、開祖には取り立てて説明の要らない身近な神様であったと思います。



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で、また鳥取に戻るんだけど

天湯河板挙 あめのゆかわたな

鳥取造の祖

天湯河桁命
あまのゆかわたなのみこと

別名
天湯河板拳命:あまのゆかわたなのみこと
天湯川田神:あまのゆかわたのかみ
山邊之大鶙:やまのべのおおたか
……

神魂命の子・角凝魂命十三世の孫。


『日本書紀』では、三十歳になってなお物言わぬ垂仁天皇の御子・誉津別命が、 鵠を見て物を言い始め、鳥取造の祖天湯河板挙がその鳥を出雲で捕らえ献上し、 誉津別命はその鳥を弄ぴ物言うことができるようになった。そこで湯河板挙を鳥取造とし、鳥取部・鳥養部・譽津部を定めたとある。


【三島氏】
神皇産霊尊四世孫の天湯河桁命を祖として
摂津三島県主、神護景雲3年(769)広嗣は三島宿禰を賜姓される。
広嗣の後裔久任に至り、御厨子所預紀頼任の養子となり紀姓に改姓する。


三島と鳥取とは祖を同じとしているんだ

それなら三島大明神が云々って言うのいもするりと解けるね



神直日神かむなおびのかみ
大直日神おおなおびのかみ

伊豆能売いづのめ




<字義及び別称>

神直日神
神直日神かむなおびのかみ 直は禍と対になる言葉であり、凶事を吉事に直すという意味がある。
神直毘神(かむなおびのかみ) 同上。

大直日神
大直日神おおなおびのかみ 大は強調、直は禍と対になる言葉であり、凶事を吉事に直すという意味がある。
大直毘神(おおなおびのかみ) 同上。

伊豆能売
伊豆能売いづのめ イヅは厳、つまり斎み清めることを表す。
伊都能売(いづのめ) 同上。
伊豆之賣(いづのめ) 同上。


<神格>

・禊祓の神


<系譜>
 伊弉諾尊が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊をした際に生まれた。


<神社>

直日神を祀る神社
伊蘇乃佐只神社 鳥取県八頭郡八束町


<解説>

 黄泉国から帰還した伊弉諾尊が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊をした際に、「上つ瀬は瀬速し。下つ瀬は瀬弱し」といい、中つ瀬に入って禊をした。すると伊弉諾尊の体についていた黄泉国の穢れから、八十禍日神、大禍日神が生まれ、続いてその穢れを祓うためにこれらの三柱の神々が生まれた。しかしながら伊豆能売の名は『日本書紀』には見られない。二柱の直日神は穢れを祓い、凶事を吉事に直す神々である。伊豆能売は穢れが清められたことを表すという。

 この伊豆能売に関してはよく分からないことが多い。その名が見られる『古事記』にしてもその記述は曖昧であり、正式にはこの神の名には“神”も“命”も付けられていない。また『延喜式神名帳』にはこの神を祀った神社として、神魂伊豆之賣神社(出雲国出雲郡)が記され、後に伊努神社に合祀されたとされるが、奇妙なことに伊努神社の祭神の中に伊豆能売は見られない。従って公にはこの神を祀っている神社は存在していない。

 後世、神道系の新興宗教でこの神は重要視され、大本教の出口王仁三郎は『伊都能売神論』を発表している。他にもこの神が中国経由でインドへ赴き、観世音菩薩となって釈迦に仏教を伝授した、というような突飛な説まである。

一方で、この神は琵琶湖に棲む金龍であるとも言われる。

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伊豆能売一言で言えば、「体主霊従(われよし、強い者勝ち)の世を霊主体従(ひのもと、霊の本。

陰陽が調和した正勝、吾勝)の世に建て替える神」です。「汝は伊豆能売となって、この世を禊がねばならぬ」伊豆能売は、『古事記』にのみ登場する神で、『霊界物語』には、「伊豆能売の身魂は、厳(いず)、瑞(みず)の身魂を相調和した完全無欠のものである」とあります。

「経魂(けいこん、たてのみたま)たる荒、和、二魂の主宰する神魂を厳の御魂といい、緯魂(いこん、よこのみたま)たる奇、 幸二魂の主宰する神魂を瑞の御魂といい、厳瑞合一したる至霊魂を伊豆能売の御魂というのです」伊豆能売の御魂は、火(霊、ひ。厳、いず)と水(身。瑞、みず)を統一して、自由自在の働きをする至粋至純の神霊の活用とされています。

伊都能売を速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)、速秋津姫神(はやあきつひめのかみ)ともいい、

また、木花佐久夜毘売命でもあるとされています。
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シシ

初めまして。
第六天と白濱、三嶋がバラバラできていたのですが繋がりました。
ありがとう。。
ありがとうといっても、私はこれを繋いで行ってなんになるのだろうと思っているのですが、とりあえず。。。
ブログは引っ越されてどちらかにあるのでしょうか・・・
by シシ (2017-06-19 10:05) 

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