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あなたへ続く”道”(84)通称“ドヘ言葉” [あなたへ続く”道”]

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落合三代次・谷島一馬さんの

『千葉県市原市 失われ行く浜言葉付編 浜の伝承と民俗』
(市原を知る会)に、
https://www.chibanippo.co.jp/culture/kyoudo/152

五大力船及び漁師言葉が収録されているが、
この佐倉さんの本にも記録が見られる。

その一部を紹介しよう。

 ごでき…五大力船。

「八幡にや浜本町にごできん湊があって、江戸じでーから市原郡下の中心としてさけーて来ただ。今でんごできんなめーを屋号として、生活していんだよ。そんほがどこんうちだか、すぐわかんだよ。また、うちを尋ねられたときも、屋号ならすぐ教えられんかんな」

※江戸時代より市原の各浦々には、五大力船の湊があった。

その中でも浜本町にあった湊は屈指であった。

したがって八幡は貿易港として栄えて来たのである。

東金の荷物を浜本町の湊から江戸へ運んだ江戸時代の書き付けも残っている、とある。

 

一方、落合・谷島さんが記録された

カキクケコがハヒフヘホになる、通称“ドヘ言葉”が

佐倉さんの本にはどこにもみつからないので、問いあわせてみると、

この八幡、五所では使われていないという。

同じ市原市の海辺でも違うのだ。





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五大力船(ごだいりきせん、ごだいりきぶね)とは、

江戸を中心に関東近辺の海運に用いられた海川両用の廻船の事。
五大力の語源は五大力菩薩からという説が有力である。






「八幡港」の繁栄はっきり 市原の研究会、記録集を出版
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201708/CK2017083102000206.html



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石橋
うちの屋号は大黒丸でした。
浜本は今でも五大力船の大力線の船名が屋号の家が多数ありますよ^^


方言・郷土誌研究に貴重な貢献 佐倉東雄
『市原八幡・五所地域の方言・田舎弁を散歩する』
 歌人の佐倉東雄さんが『市原八幡・五所地域の方言・田舎弁を散歩する』
(B5判、二六七ページ、二一〇〇円)
https://www.chibanippo.co.jp/culture/kyoudo/152



カキクケコがハヒフヘホになる、通称“ドヘ言葉”


おおおおお。。。


”カ”モノ

”ハ”モト





寄り道、、、、でもないんだろうな~


フィレンツェ人は、「カキクケコ」が「ハヒフヘホ」になる。

「ホハ ホーラ」は「コカ コーラ」




古代の地中海世界と言えば,私たちはギリシア,ローマを想起するが,

フェニキア人が重要な役割を果たしたことを忘れてはならない.

ヨーロッパの名祖とも言うべきエウロパ(エウローペー)は
フェニキアのテュロス王女で,ゼウスとの間にクレタ王ミノスを産んだとされ,
行方不明となった彼女を探しに
西進した兄カドモスがギリシアはボイオティアの地にテーバイを建都し,
オイディプス王の祖先となったとされる.

彼らの造船技術,航海術,通商慣習,植民都市建設が
地中海の多民族に大きく影響したことは間違いない.

http://www.f.waseda.jp/tokuyam/fir.343.htm



フェニキア人ですよ


https://www.google.com/search?q=%E5%9C%B0%E4%B8%AD%E6%B5%B7&gws_rd=ssl

こんな共通点もあるわね

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https://retrip.jp/articles/47383/

 
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雑賀衆の地

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E8%B3%80%E5%B4%8E

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E8%B3%80%E8%A1%86







セム族に属する一民族、カナーン人のギリシャ名。

前3000~前2000年ごろ、地中海東岸中部に多数の都市国家や植民市を建設。

航海に長じて海上交易に従事、その活動範囲は大西洋やインド洋に及び、

各地にオリエント文明を伝えた。



セムごぞく【セム語族 Semitic】


セム語ともいう。

このセムという名称は,《創世記》10~11章で,ハム,ヤペテとともにノアの息子であるセムが,いわゆるアッシリア人,アラム人,ヘブライ人,アラビア人等の先祖とされていることから,これら諸民族の総称として1781年にドイツの学者A.L.vonシュレーツァーが採用したものである。

それが語族名に転用され,上記諸民族の語った言語だけでなく,それらと同系と見られる言語をも含めることになった。

セム語族のうち現在も話されているのはヘブライ語,アラム語,エチオピア語,アラビア語であるが,過去5000年以上にもわたって粘土板,石,金属,パピルス,獣皮,紙等さまざまの素材に書かれた豊富な資料,とくに世界三大宗教発祥の地にふさわしく,多くの宗教文書が残っている。


ハム・セム語族
はむせむごぞく
Hamito-Semitic


西アジアから北部および東部アフリカにかけて話されてきた言語群の総称。
セム・ハム語族ともいわれる。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%A0%E8%AA%9E%E6%97%8F-861740#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29





千葉県は縄文時代の人口密集地

紀伊半島からも縄文系漁民が上総に入ってきた。

弥生人や渡来人が関東に入ってきてから千葉県人は差別される様になって

部落民扱いされて今日に至っている。

縄文人は弥生人の言葉がうまく話せなかったので

東北弁の様な母音が3つのピジン言語になった。

だから千葉県の方言も東北弁の一種で発音が汚い




●市原いちはら

平安期は市原郷、江戸期は市原村。

地名は櫟(いちい)の繁茂する原野の意味とする説もある。

「いつ(厳)・はら(原)」の転訛で

養老川により浸食された急崖を指したものか。


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