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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!





円空 [調べなさいアプローチ]




こないだ行ってきたときに回ったところがほとんど出ている動画を十津川に住み、
玉置で働いてた子がUPしていたので、

おお~と思って見てみたら



おおおおおおおおおおおおおおおおおお、、、



でも、なぜ、ここに?



円空の里
円空仏(栃尾観音堂)


shigeru.kommy.com/enkuu15.htm

 天川村に円空さんがおられるというのはつい最近知ったことです。
 「円空を旅する」(産経新聞ニュースサービス・2005・冨野治彦)は、編年体で円空ゆかりの場所を追っている本です。この本で、天川村栃尾観音堂にある円空仏を強く意識しました。その第2章は「大峯山修行」です。ちなみに第一章は「みちのくへ」、第三章は「弥勒の浄土へ」です。つまり、大峯山へ円空が訪ねたことの持つ意味は重要で、円空の思想や信仰を知る上で大きな意味を持っているということだと思われます。
 
 1663年美濃美並村で仏像を彫り始めた円空は、突然1666年東北北海道の旅へ出かけます。そして1669年美濃へ戻り、1669年、名古屋鉈薬師で造仏活動をした後、美濃の関、郡上市で活動します。その後、1671年彼は突然奈良法隆寺で「法相中宗血脈」を受けます。彼が近畿へ足を運んだ最初のことではないでしょうか。なぜ法隆寺なのか…私はぜひ法隆寺の大日如来座像を拝観したいと願っていますが、叶う夢なのかどうかと思っています。
 奈良県に円空仏は19体あります。法隆寺に智拳印を結んだ大日如来座像(79cm)1体、松尾寺に役行者像。
 そして何と天川村には16体あるのだそうです。天河大弁財天社の大黒天像、大峯山寺の阿弥陀如来像そして、この栃尾観音堂に4体だそうです。私の分かることはそれだけです。その中で、公開されているのはどうもここ栃尾観音堂だけのようなのでぜひ拝観したいものだと出かけたというわけです。
 




円空さんとはあの両面宿儺を彫った方


両面宿儺(りょうめんすくな)は上古、仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人、鬼神である。

『日本書紀』において武振熊命に討たれた凶賊とされる一方で、

岐阜県の在地伝承では毒龍退治や寺院の開基となった逸話ものこされている。

両面宿儺は、計八本の手足に首のない二つの顔という奇怪な姿で描写される。神功皇后に滅ぼされたとされる羽白熊鷲[1]や、『日本書紀』『風土記』にしばしば現れる土蜘蛛と同様、その異形は、王化に服さない勢力に対する蔑視を込めた形容とも考えられる。仁徳記の記述は一般に、大和王権の勢力が飛騨地方の豪族と接触した、5世紀における征服の事実の反映とされている[2]。また、「ひかがみ」「かかと」が無いという描写から、脛当てを着け、つまがけを履いた飛騨の山岳民が想像されることもある[3]。


元和7年(1621年)の奥書を持つ『千光寺記』には、高山市丹生川町下保にある袈裟山千光寺 (高山市)の縁起が記されている。これによれば、仁徳帝のころ飛騨国に宿儺という者があり、八賀郷日面(ひよも)出羽ヶ平(でわがひら)の岩窟中より出現した。身のたけは十八丈、一頭に両面四肘両脚を有する救世観音の化身であり、千光寺を開いた。このとき山頂の土中に石棺があり、法華経一部・袈裟一帖・千手観音の像一躯を得たという[4]。同じく丹生川町日面の善久寺の創建も両面宿儺大士と伝え、本尊釈迦如来のほかに両面宿儺の木像を安置する[5]。また、位山(高山市一宮町)の鬼「七儺」を、両面宿儺が天皇の命により討ったともされる[6]。位山の付近には飛騨一宮水無神社があるが、享保年間に編纂された『飛州志』では神宝の一つとして「七難の頭髪」を挙げ、神主家の説として鬼神七難が神威により誅伐された伝承を記す[7]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E9%9D%A2%E5%AE%BF%E5%84%BA




ほほほーーーう。

思ったとおりだな。

宿儺はマンセーさんたちの飛騨王朝とは関係はない

もしくわ


そのマンセーさんたちの言う飛騨王朝ですら

王朝内部は渡来系ですよーってこと。

それは飛騨マンセーさんたちが言ってる事なのですよ、結局のところね。

たぶん、飛騨を人類発祥の地と思いたいあまりに

あるところから先を見ずに、そのあるところより下の部分を渡来系としてしまうから

いろんなところでつじつまが合わなくなって

つじつま合わないものはすべて渡来系で

あの人もこの人もその人もすべて同一人物で、、、、と

もうなんだか読んでるほうまで支離滅裂にさせられてしまう

”人” として見ちゃいけないもんまで ”人”にして

もう笑うしかない状況



宗教とか信仰とか

そういう風に言う前に


どの時代を生きていた人だって

常にたくさんのことを願う心がある



火が消えませんように。。。。

環境がよくなりますように。。。。

親兄弟、子供が無事でありますように。

豊作でありますように。。。

そういう願いは自然と祈りとなる

すべてのものに願いをこめる

そういう気持ちを持たない人には理解できないんだろう

円空が仏像を彫るのも

願いや祈りを形にするためだ。。。。




円空


円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日(1695年8月24日))は、江戸時代前期の木食僧(廻国僧)・仏師・歌人。特に、全国に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。

円空は生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5300体以上の像が発見されている。円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶ。多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。その内愛知県内で3000体以上、岐阜県内で1000体以上を数える。また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。円空仏以外にも、多くの和歌や大般若経の扉絵なども残されている。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%A9%BA

この円空さん

私がブログに書くことと同じ流れを歩いてきた人だと
今知ったのだ~~


生地にはいろんな説があれど


壬午年=寛永9年(1632年)の出生

*美濃国(現岐阜県羽島市または郡上市美並町)

*岐阜県羽島市竹鼻町

*西濃安八郡中村

*中島郡中村


2014年時点で最初の円空仏郡上市美並町の神明神社の諸像であるが、
初期の円空仏は郡上市美並町や郡上市八幡町、関市、岐阜市など岐阜県下に分布しているほか、
周辺の三重県、愛知県にも分布している

(1663年)1月、津軽藩の弘前城下を追われる。
『津軽藩日記』寛文6年正月29日条や北海道に分布する円空仏の背銘に拠れば、
同年春には円空は

青森(青森県青森市)経由で蝦夷地(北海道)の松前にへ渡っている。

北海道の円空仏は道南地方に多く分布し、同一形式の観音像が多い。
2014年時点で45体が確認され、現存像はこれに移入仏6体が加わる
寛政元年(1789年)の菅江真澄『蝦夷喧辞辯』(えみしのさえぎ)に拠れば、
久遠郡せたな町の太田山神社(太田権現)には多数の円空仏が存在したと記しているが、
これは現存していない。
後に木喰の弟子・木食白道による『木食白導一代記』に拠れば安永7年(1778年)に
木喰とともに北海道へ渡った白道は同社で「多数の仏」を実見したという。
小島梯次は現存する北海道の円空仏は同一形式の観音像が多いのに対し、
菅江真澄も木食白道も太田山神社の像は多種類の仏であったと記されていることから、
太田山神社の像を円空仏であることを慎重視している



いわゆる

美濃の者だ。

この美濃の者が地元に伝わる土蜘蛛ー両面宿儺の像を彫り
青森~北海道の蝦夷地でも仏像を彫った

ごつごつとした面構えの仏像

それはまるでひだびとの顔を思わせるよう


そして伊吹山太平寺で修行を積んだといわれる。
また遊行僧として全国を巡り、山岳修験道の行者であった。
大峯山で修行したことをはじめ、北海道の有珠山、飛騨の御嶽山、乗鞍岳、穂高岳などにも登拝した。



両面宿儺とは仁徳天皇の時代に飛騨を支配していた人で、その姿かたちはひとつの胴体に前後ふたつの顔があり、手は四本という異形の人であった。

結合双生児のような表現である。

膝はあるが、ひかがみ(膝の裏)とかかとがなかったとも。これは飛騨の山の民のつける装束の様相ともいわれているそうだ。

両面宿儺は敏捷で武勇にすぐれていたが、天皇に従わなかったので、
都から武振熊が遣わされこれを滅ぼしたという。

異様な身体の人として記述されている。
飛騨の支配者であったようだが、皇命に従わないので賊徒として殺されたようである。
たとえば葛城の先住民の土蜘蛛が神武天皇の軍に抵抗したので殺された、とか、
崇神天皇の御代、吉備津の温羅(うら)が暴虐の王であったので、倭から来た皇子が討伐した、
などという話と同型のようである。
背いたほうは貶められて悪く表現されることが多いので、
実際に宿儺がそのような身体つきの人であったかどうかは疑問であるけれども、
ほかには宿儺は兄弟、双子の王であったとか、

統治者として一人で二人分の働きをしたため、など色々な解釈もされており、その存在は謎めいている。

調べてみると飛騨の伝承では、

両面宿儺は善政をしいた王とされていて、皇軍に滅ぼされたが、その勇敢な戦いぶりを賞賛されたとも。

また千光寺には宿儺は救世観音の化身という伝承があり、お寺を開いた人とも。
寺の開基とされるのには時代的に少し無理があるようだが、
それとは別に、水無神社の祭神という説もあるらしい。

 宿儺の地元での言い伝えをみていくと、そこには書紀の奇怪な鬼神であるかのような記述とは異なり、
飛騨地域の国造りの英雄としての像が浮かび上がってくる。

実際そうだったのではないだろうか。

逆らって皇軍に殺されは
したが、民を守ろうとした宿儺に飛騨の開拓者としての面影をみるほうが自然なのかもしれない。
後の時代になって、円空上人がこの地を訪れて両面宿儺像(坐像)を刻んでいるが、それを見ると、
正面の顔の表情は荒々しさの中にも柔和さがあり、
その右側についた顔は憤怒の相を表しているようにみえる。

宿儺の中にある優しさと強さ、その二面を表現したのだろうか。


 別の伝承によると、位山には七儺(しちな)という別の鬼がいて、
それを両面宿儺が皇命を受けて退治したとされているそうである。

そしてその七儺の頭髪が水無神社におさめられているという伝えもあるそうだ。

おさめたのは宿儺であったのだろうか。

けれども結局はその宿儺自身も朝敵として滅ぼされ、
飛騨はこのときから朝廷の支配下に入ったのだと思われる。

そして討伐の逸話が日本書紀に記されていくのである。




松尾寺の役行者倚像






 円空さんは修験道の道を究めようとしておられました。修験の根本道場大峯山寺がある山上ケ岳(1716m)から東南4kmに笙ノ窟という洞窟があります。円空さんはここで寛文13年(1673)(9月に延宝と改元)冬籠もりをしました。9月9日から3月3日までの半年間命がけで行われる修行です。この笙ノ窟は弥勒浄土への入り口なのだそうです。幅12m高さ3.3mあちこちから音を立てて清水が流れ落ちる標高1450mにある笙ノ窟(しょうのいわや)。ここでの修行で円空さんは確信を持ったようです。自分の験力に対しても自信がもてたでしょうし、56億7千万年後、弥勒菩薩が如来となって釈迦の代わりをする時に役に立つため入定するという確信も高まったことが想像できます。熊野権現の修験者たちとの交流で白山権現の修験者である円空さんは一まわりも二まわりもの成長をしたことでしょう。
 この後、延宝2年(1674)には伊勢路三重の志摩半島から伊勢神宮まで巡ります。時に円空43歳。大般若経を修復したり、仏像を彫ったり精力的に伊勢路を巡ります。そして阿児町の立神薬師堂で大般若経を修復してその奥書に「歓喜沙門」と署名しています。自信満々の円空です。
 その次の年、延宝3年円空さんは再び大峯山へ戻ります。この時にこの役行者像は造られています。
 この役行者像の裏面に「延宝三乙卯九月於大峯円空造之 法印二之宿」とあります。私はこの「法印二之宿」の意味が分かりかねるのですが、延宝三年九月の大峯山のお戸閉に下山したことになるそうです。(図録『圓空』長谷川公茂論文)
 なぜ大峯山で造られた役行者像が松尾寺にあるのかは不明だそうです。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



こうして眺めているだけで


円空と葛城がダブってくる


葛城と言うんじゃなくて、葛城の土蜘蛛ね



そして青森、北海道

蝦夷の地。。。


円空も同じ裏見(恨み)に動かされていたかのよう。。。。。


それはその血を持つ者にしか感じ取れない悲しい恨みの念なのかもしれない


それは途切れることなく今も続いている

まるでゾンビのように眠っていた記憶が目覚めて動き出す


天の逆手を打って姿を消したもの



コトシロヌシはオオクニヌシの子供でもないし

一人称ではない

逸話に残るエピソードはこの一族が残したものだ

葛城一族

葛城一族と言うとすぐに鴨や三輪をイコールで結びつけるけど

それはイコールではない

葛城は葛城で、これが先住民の土蜘蛛だ。


この葛城も赤土を扱う一族

水銀を取り出す技術は持っていなかった一族

そこへやってきた丹生氏・大丹生氏の一族

ココまでは比較的柔軟に共存していた

土蜘蛛はこの丹生氏や大丹生氏とともに移動もしたか

もしくわ、
列島土蜘蛛ネットワークは丹生氏、大丹生氏がやってきた頃にはすでに確立されていて

そのネットワークを丹生氏、大丹生氏も仕様、移動したのかもしれない

その後やってきた秦氏一族から様子が変わってきたんだろう


さて、、、、


神武は秦氏か?
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E3%81%AF%E7%A7%A6%E6%B0%8F%E3%81%8B%EF%BC%9F&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl


もちろん

神武などと言う個人が存在していたわけではないと思う

神武と言うヒーローのモデルになった人物はいても

その神武と言ういち個人が九州から近畿まで戦いながらやってきたなんてこともなかったんだと思う


その土地土地に捨て駒を作った

蝦夷俘囚のようなものだ。

近畿で言えば
エウカシ(兄宇迦斯)とオトウカシ(弟宇迦斯)の土蜘蛛

https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%82%A8%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%80%80%E3%82%AA%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%82%B7&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl#lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&q=%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%82%B7+%E3%82%AA%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%AB%E3%82%B7

兄は一族を守ろうとしたけど、弟は神武軍団に寝返って兄を売った

トベの土蜘蛛にも寝返ったもの、殺されたものがいる

寝返ったものはその後皇族に嫁を出す

殺されたものは土蜘蛛と呼ばれた


ニシキトベ、ナグサトベは殺されたけど

アラカワトベなどがそれだ


神武天皇紀にヤマト王権に服従しない
紀ノ川河口のナグサトベ(名草戸畔)、
熊野地方のニシキトベ(丹敷戸畔)、
および大和国層富県(そほのあがた) のニキトベ(新城戸畔)という女性首長の名が残されている。


ヤマト王権の初期には木国造、
すなわち紀伊の首長であるアラカワトベ(荒河戸辨)は子女を崇神天皇の妃におくり、
豊城入彦命(上毛野氏および下毛野氏の祖)や豊鍬入姫命が生まれている。

同時代に丹波国氷上郡の女性首長にヒカトベ(氷香戸邊)、
垂仁天皇の妃にカリハタトベ(苅幡戸邊)
およびに山代国のカニハタトベ(綺戸邊)が見える。

ヤマトタケルの東征に仕えた尾張国のイナダネ(建稲種命)は
母にマシキトベ(眞敷刀俾、下知我麻神社の祭神)、
子にオツナマワカトベ(尾綱真若刀俾)、
別名シリツキトメ(志理都紀斗売)を伝えている。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



私が感じるのは殺されて土蜘蛛と呼ばれたものたちの恨みだ。。。。

きっとその恨みの呪術で動かされてしまう人も多いのだろう


動かされ方もいろいろあると思うけど


私だって動かされそうになるときがあるけど



そんな時には必ず、父の言葉を思い出す



”人と同じになるな”

これでいったんとまって考えることができる



ふうむ。


生き残るためには一族を欺くこともしょうがないと言うのも理解はできる

でもそうしなかった者たちがいる

そうしなかった者たちは最後まで朝廷にはむかったんだ

一族すべてを守るために

そして討たれたリーダー

わずかながら生き残った一族の者たち


そんな記憶が残る土地は重い

押し黙った土地というか


事前に情報を入れないで行くのは、そういうのちゃんと感じ取るためだ


山にも町にも田園にもなんかしらのこってる



祭神名のない神社


そこは大体が巨石か山か森・杉林、竹林をご神体としている

この森って言うのは、

こんなかんじ。

大小いろいろある。

nitirin1.jpg


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この二つはわかりやすいけど


思い切り引きで見ると、あ、ココもちょっとしか森の丘みたいになってるんだなとわかるところも多い


まるで、お墓かなんかでしたか?と思わせる風だ


ちょっといったんUP。






私の一族も


美濃から来た者なのだ






縄文人「土蜘蛛」の怨念とその現代的意味 - LIFEHACK STREET 小山龍介ブログ
www.lifehack-street.com/entry/2015/08/20/184918


弥生人はやはり神武東征と関係あり?




神武に率いられた天孫一族の東征のたどった道と、弥生人となった渡来人のたどった道は、
面白いほど重なってくることが考古学によって明らかにされてきたようです。
cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-e752.html


https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%EF%BC%9D%E5%9C%9F%E8%9C%98%E8%9B%9B&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl#lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&q=%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E3%80%80%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA


https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E3%80%80%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA&hl=ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&biw=1280&bih=890&source=lnms&sa=X&ved=0ahUKEwi-09vGuurLAhWI3KYKHe_ABAQQ_AUIBigA&dpr=1

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* Exclusive * [View from THE 6]






BABYMETAL - THE ONE Exclusive Event “Only THE ONE Knows” Digest


2016/03/17 に公開


4月1日 - FOX DAYのNEWアルバム発売日に先駆け行われた、
キツネ様のお告げとともに誰よりも早­くNEWアルバムの全貌を知ることができる

エクスクルーシブ イベント「Only THE ONE Knows」のダイジェストを公開!!

選ばれし者の中の選ばれし者<THE ONE OF THE ONE>、
1名の為だけに、執り行われた聖なる儀式の様子をお届けする。










THE ONE


* Exclusive *


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尻切れトンボ記事ですみませんね [Jama]

ぜーーんぶぶっちぶちの尻切れトンボ記事ですみませんね


もーーーほんとにお疲れちゃんで、それどころじゃないんですわ。。。

これから先のことも考えていかなくちゃいけないし

そのために自分も少し変わらなくちゃいけないし



この世はそう簡単に変わってくれないし


この世はそう簡単に終わってくれないからね


もうじき変わるか終わるかするかと思っていたけど

変わりも終わりもしないみたい


それは私にとってはなんだかとても残念に感じる


それならそれで目線を変えないと

つらくなってしまうからね、、、、



そのうち終わると思ってたので

すっかり未来への希望も夢もなくなってしまったので


また

夢や希望に満ちて生きていけるようにしないといけない

そうじゃなかったら生きていくのってつまらないし、大変よ


あれもしたいこれもしたいそれもしたいもっともっとしたい~~~~~~♪








やっぱりココは欲望の世界ですからね



第六天魔王って


己の中にいたんですね、、、、























でも




そういう生き方からは




卒業もしたいんだよね







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ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった [View from THE 6]

参考になる部分はある



ヒューマン なぜ人間になれたのか 第1集 旅はアフリカからはじまった



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I Am - Somebody [hoax~from the other side]





I Am - Somebody


I Am
Somebody
I Am
Somebody
I May Be Poor
But I Am
Somebody
I May Be Young
But I Am
Somebody
I May Be On Welfare
But I Am
Somebody
I May Be Small
But I Am
Somebody
I May Make A Mistake
But I Am
Somebody
My Clothes Are Different
My Face Is Different
My Hair Is Different
But I Am
Somebody
I Am Black
Brown
White
I Speak A Different Language
But I Must Be Respected
Protected
Never Rejected
I Am
God's Child
I Am
Somebody












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FEEL LIKE PABLO [hoax~from the other side]









I
FEEL LIKE THIS PABLO

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なんだ、、なんだ、、、なんなんだ


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事ちゃんこと、スヌーティーワイルドもエスコバルを使ってる曲がある
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2016-03-27-2





エグザイルアキラのことも時々載せている
スヌーティーと同じ系って書いてね

そして今ツイッターで流れてきた、これ↓
赤いパーカーに ” FEEL LIKE PABLO"
これはヘッドフォンのCMらしいけどね、、、、

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こちらのFEEL LIKE PABLOは
メデジン・カルテル麻薬王のパブロエスコバルのことなんだけど

世界で7番目の大富豪でもあった「麻薬王」が凄い【国会議員も】 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2134698546972459701

麻薬密売で得た大金を惜しみなく慈善事業につぎ込んだエスコバルを
篤志家だとみなす人はいまだに多く、特に貧困層や労働者層では人気が高い


デルタフォースがエスコバルを仕留めた」と信じる者や、「自殺した」と信じる者、
さらには、「射殺されたのは別人」と信じる者がいる

死によって伝説化され、今でも英雄として信望する者が多い





この動画ブログに載せたのいつだろう?

ナルコスって映画だけど、赤、白、黒だったので載せたのだよね



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:::
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あの曲に似ている~~~ [hoax~from the other side]





あの曲に似ている~~~

そう思ったけど、まったく思い出せないのだ、、、

i don't wanna go i don't wanna goって歌ってる

鉛筆で書いたマイケルのアニメーションPV

当時、マイケルの声の一音一音をサンプリングして合成して作ったって言われてたやつ

探したけど出てこない、、、



"The Great Forever"


Not too pleased with what you're diggin'
I'm just busy livin' my life
Sources say but where ya gettin' it
Don't create the truth you like

It might sound strange to you
What you think it don't mean nothing at all
Doesn't change who I am
Doesn't change who I love

Living my life
The way that I hope
Is leading me to
The great forever
Forever I will choose
Watch what I'm doing
Watch where I'm going
Tryin' to get to
The great forever
Forever is the truth

If you wrong would you admit it?
And take the heat up under the lights
Use your expert criticism
Then maybe you could get a life
Don't like seeing people happy
Is it jealousy or personal?
Cause I don't see why loving someone
Or what I do seem so radical to you

Still it might sound strange to you
But what you think it don't mean nothing at all
Doesn't change who I am
Doesn't change who I love

Living my life
The way that I hope
Is leading me to
The great forever
Forever I will choose
Watch what I'm doing
Watch where I'm going
Tryin' to get to
The great forever
Forever is the truth

Once you know why you're here
It becomes crystal clear
To love someone is divine
That empty hole in your heart
It will tear you apart
Because hate will only divide
(Bless you)

Hey hey hey hey
Nah nah nah nah nah
Hey
Nah nah
It's sad when you take such a beautiful thing
Blow it up and call it the news
It's not ok still I hope that one day
You'll find the great forever too
(L.U.T.F.A.)

Living my life
The way that I hope
Is leading me to
The great forever
Forever I will choose
Watch what I'm doing
Watch where I'm going
Tryin' to get to
The great forever
Forever is the truth










2014/10/25 に公開




2011/07/17 にアップロード







2011/06/28 にアップロード
Drake - Marvins Room




2011/06/28 にアップロード






2011/06/14 にアップロード
JoJo remixes Drake's song "Marvin's Room."
Download here: http://goo.gl/LzIXA





2011/07/02 にアップロード














whoisit-1 https://youtu.be/0nPVEflkkeI
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じわりじわり~やはり土蜘蛛からのサインだった [Jama]







いろんなワードがじわりじわり来るんだけど

それを調べようとすると、猛烈な睡魔に襲われて調べるどころじゃない



今朝は鈴木

昨日の朝は田中


目が醒める一息前に声が言った




もう、ほんと


意味不明



鈴木、中村馬の糞と言われるほど数が多い

田中なんて気にしたこともないけど、これも馬の糞並みにいるだろう


すみませんね、、、、

とはいっても、私が言ってる訳じゃないんでね、、、


はい、これ


ドン!



【名字】田中

【読み】たなか,だなか,でんちゅう

【全国順位】 4位
【全国人数】 およそ1,349,000人









あら



あらあら




蘇我氏族の田中臣、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、
桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)、
中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)、古代氏族であり、
美努(みの)王の妻県犬養(あがたのいぬかい)三千代が橘宿禰(すくね)の氏姓を与えられることに始まる
橘氏などの様々な流派がみられる。

大和国高市郡発祥は田中直の末裔、近江国高島郡発祥の族は佐々木氏流愛知族、
甲斐国山梨郡発祥の族は清和源氏安田氏族、伊豆国田方郡発祥の族は桓武平氏北条氏族、
上野国新田郡発祥の族は清和源氏、
ほか赤松氏族、海部姓田中氏、宇都宮氏族、肝付氏族、河野氏族など様々みられる。
家紋はかたばみ、木瓜など。
語源は、田の中、耕作のための田居の語から発生したとされる。


■ 田中(たなか)

【2016/02/13:改編】

# 4位【第一生命ランキング】

# 全国に約135万人

# 第4位 約134万人【明治安田生命ランキング2008】

# 第4位 約134万人【明治安田生命ランキング2013】

# 全国順位(森岡浩ランキング): 4位
# 全国密度順位(森岡浩ランキング): 鳥取県 > 佐賀県 > 滋賀県
# 全国人口順位(森岡浩ランキング): 大阪府 > 東京都 > 福岡県

# 古代氏族の田中氏。

# 代表家紋: 丸に違い鷹の羽、丸に釘貫、丸に剣片喰。

# 少ない方を上げると、~秋田県:23位、山形県:30位、福島県:32位、宮城県:49位、沖縄県:221位。

# 田に住む意で全国各地から興った古い地形姓。「田の中」というよりも、「田を所有している」という意味に近い。

# 田中姓は古事記や新撰姓氏録にも記載がある古代からの名字。「天津日根命(あまつひねのみこと)」。

# 田中姓は全国に分布する。これは、古来から日本経済の基本は米にあり、田んぼが全国まんべんなくあったためと言われる。そして、家の廻りに田んぼを作るというのが一般的なため、「田」のつく姓の中でも「田中」が多い所以と言われる。

# 田中姓は関西と日本海側に多いが、田中姓で有名なのは元総理大臣の田中角栄だが、彼の出身地は新潟県の現柏崎市であり、まさに日本海側にある。

# 古代豪族の田中氏は大和国高市郡田中(奈良県橿原市田中町)をルーツとし、武内_宿禰の子孫。

# 古事記に出てくる倭田中直(やまとたなかのあたえ)は大和国添下郡田中(奈良県大和郡山市田中町)をルーツとする。

# 常陸国田中郷(茨城県つくば市田中)をルーツとする田中氏は藤原北家小田流。

# 江戸初期の柳川藩主の田中家は近江国高島郡田中郷(滋賀県高島市安曇川町田中)をルーツとする。橘氏(朽木氏?)の出で、田中吉政が豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の合戦で石田三成を捕らえたので有名。江戸時代には筑後柳河32万5000石の藩主となったが、跡継ぎに恵まれず17年でお家断絶となった。末裔に加賀藩士がいる。

# 山城国綴喜郡田中(京都府八幡市)をルーツとする。

# 上野国新田郡田中(群馬県太田市新田)をルーツとする。清和源氏の新田氏流で里見義俊の子の義清が田中氏を称した。

# 伊豆国田方郡田中郷(静岡県伊豆の国市)をルーツとする。

# 戦国時代の武将「田中吉政」が有名。豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の合戦では「石田三成」を捕らえ、後に筑後柳川藩の初代藩主になる。近江国高島郡田中郷(滋賀県高島郡安曇川「あどがわ」町田中)をルーツとする。江戸時代には筑後柳川32万5千石の大名になったが1620年に跡継ぎがなく断絶した。
・ 近江国高島郡の田中吉政は豊臣秀次の家老的な立場で、近江国甲賀郡で3万石を領し、後には三河国岡崎で6万石を領した。秀次に疎んじられたため、秀次事件では連座せず、関ヶ原の戦いの後には領内に隠れていた石田三成を捕らえた。その後筑後国柳河32万石。しかし、1620年に跡継ぎがおらず断絶。

# 東京都港区下高輪の田中家は清和源氏新田氏の支流で、醸造業を営む。武蔵国南豊島郡上渋谷村(東京都渋谷区)の田中家は、室町時代に駿河国田中から移り住んだ。

# 山形県の田中家: 西田川郡大山村(山形県鶴岡市)で大屋を号した豪商。清和源氏の新田氏の末裔と言われる。戦国時代に上杉氏に仕えて庄内に移り住んだ。

# 福島県の田中家: 会津藩の家老。元々は武田氏の家臣で、後に保科家に仕えた。

# 群馬県の田中家: 上野国新田郡田中(群馬県太田市)をルーツとし、清和源氏の里見氏の一族。戦国時代には横瀬氏に仕え、江戸時代は高崎藩士。

# 群馬県の田中家: 甘楽町の旧家の田中家は清和源氏の新田氏の一族で上野国新田郡田中(群馬県太田市)をルーツとする。

# 群馬県の田中家: 上野国吾妻郡の中山道脇往還大戸宿(群馬県吾妻郡吾妻町大戸)の田中家は問屋と宿屋と名主を兼ねた。

# 群馬県の田中家: 群馬県渋川市南牧の旧家。三国街道杢ケ橋関所の番人を務めた。

# 新潟県の田中家: 下野国足利郡田中村をルーツとし、清和源氏の新田氏の支流の田中姓は越後に広まった。【苗字の歴史 豊田武 吉川弘文館】

# 富山県の田中家: 越中国婦負郡田中保(富山市八尾町)に、戦国時代に土豪の田中氏がいた。

# 石川県の田中家: 加賀藩士。筑後柳河藩主の田中吉政の末裔の田中家。田中吉政の長男の吉次は吉政と不仲で、柳河を離れて京で亡くなった。この吉次の末裔の一閑(いっかん)が前田家五代藩主の綱紀に仕えた。

# 長野県の田中家: 須坂市の豪商で、駿河国田中(静岡県)をルーツとする。川中島の合戦で功をあげ、須坂に住んだ。

# 滋賀県の田中家: 近江国伊香郡集福寺(滋賀県長浜市浅井町)の旧家で江戸時代には庄屋を務めた。

# 大阪府の田中家: 和泉国泉郡助松村(大阪市泉大津市)の旧家で、祖の田中遠江守は清和源氏の新田氏の出と言われる。元亀年間ころからこの地に住み、江戸時代には庄屋を務めた。

# 大阪府の田中家: 河内国茨田郡枚方村(大阪府枚方市)の旧家で鋳物師。

# 京都府の田中家: 石清水八幡宮の別当。紀行教が貞観2年(860年)に石清水八幡宮を勧請したのが祖。行教の甥の御豊が初代神主となった。

# 佐賀県の田中家: 唐津城下の豪商。筑前国怡土郡横浜村(福岡県福岡市)の出で、横浜屋を号し船問屋を営んだ。


【新編日本姓氏辞典】千葉琢穂編著 展望社 より
・ 古名姓という。
・ 田中直の裔は河内氏の族、田中臣の裔は蘇我氏族。
(1) 桓武平氏良文流千葉氏族相馬氏系。相馬盛胤三男郷胤が、岩代国行方郡田中に住んで家号とす。
(2) 橘氏族田中氏、近江国高島郡田中村発祥。
(3) 桓武平氏国香流北条氏族。
(4) 清和源氏義家流新田氏族。
(5) 清和源氏頼光流土岐氏族。
他多数。

【知って楽しい「苗字」のウンチク 丹羽基二 PHP文庫】
# 田中(たなか)
・ 竹内宿禰を祖とし、田中直や田中臣などがいた。
・ 佐々木氏、九条氏、三浦氏、赤松氏、大伴氏などにみられる。
・ 田中氏は総じて、権力よりも生産を重視した日本文化の担い手として、高く評価すべき人たち。

【新説 日本人の苗字とその起源】 宮内則雄 著 → 「田中」の苗字の由来

【他のデータ】
・ 田中の地名は全国にあるが、特に奈良県に多く200カ所くらいあるそうだ。



ありゃりゃりゃりゃ




田中氏は日本の国土開発の中心的存在――。

★田中氏は日本の田を開発・管理してきた姓
★「田(タ)」という言葉は、稲作とともに南方からやって来た
★田中と中村は同義語?
★吉田、山田、池田、前田、藤田、岡田は田中の親類姓
★田中氏をたどると、蘇我氏、藤原氏、清和源氏にもつながる

「田中」とは、文字通り「田の中にいる状態」のこと。
日本の稲作の発展に深く関わってきた田中さんのルーツを、
日本の苗字研究の第一人者が歴史的文献からひもときます。

https://itunes.apple.com/jp/app/tian-zhong-xingnorutsu-ri/id462125102?mt=8


いったん、、、




ともかくなんだかじわりじわりすぎてよくわからないんだけど

わからないなりにいろいろ見つけたわよ

やはりまた土蜘蛛からのサインだった


たぶんね、、、



調べてみると丹波田中氏は足利尊氏の代に丹波(南丹)に領地を貰ってるのね
割と活躍してる部類には入ると思うが丹波の名だたる国人衆として名前が出てこない辺り
丹波の著名な国人衆では一段下の部類だろう。
で戦国期の田中氏は、田中佑仁は三好家の援軍として死亡と言う事は松永長頼の配下に居た事は確実で
1562年に死亡だと『教興寺の戦い』で死んだ臭いし。
松永長頼が死ぬまでの波多野は奥丹波と南丹で分裂してたし田中氏の活動範囲は
ネットで城まとめサイトを調べて田中氏の勢力図は
中丹綾部  志賀郷町 天王寺城  代官田中石見守家次 江戸~?
南丹園部  城南町  大村田中城 (丹波田中氏発祥地)室町~
中丹綾部  於与岐町 一之瀬城  田中平太郎 室町~?
中丹福知山 福知山市 土村城 室町~安土桃山期:田中宮内少輔の屋敷  

園部から綾部→福知山辺りが田中氏のテリトリーだな。
http://www2.harimaya.com/sengoku/sengokusi/tanba_05.html
八木城の北側周辺だね、ここで名前が出てこない辺りお察しだね。




田中は田の持ち主で中村とも同義

田んぼって事で穂積=鈴木



かなり前から”耳”は気になってたけど

玖賀耳之御笠

殺された土蜘蛛

土蜘蛛と落とされた地元のヒーローがここにもいたのね



日子坐王、玖賀耳之御笠を殺す

「又日子坐王をば、旦波国に遣はして、玖賀耳之御笠を殺さしめたまひき」

これは、
古事記の崇神天皇のところに書かれている文章です。

日子坐王は、古事記では開化天皇の子で崇神天皇の弟とされています。
日本書紀にも崇神天皇が、丹波に丹波道主命を派遣したとあります。

同じ崇神天皇の御世ですし、丹波のことですから、日子坐王と丹波道主命は同一人物のようです。

記紀では、どうしてこのように記事が少ないのでしょう。

同じ人物だから、丹波道主命も玖賀耳之御笠を退治しに行ったと考えては記紀の読み方を間違っています。

古事記ははっきりしています。

日子坐王は、開化天皇の子ですから、天孫系です。

それに対して、玖賀耳之御笠は誰か判らないのですが、

他の書物(丹後風土記残缺)に土蜘蛛を討伐するために、丹波に行ったとありますから、

玖賀耳之御笠は土蜘蛛の首領であったと考えられます。


少なくとも、天皇の部下であったのではなく、丹後の住んでいた人達でしょう。

天皇が従わそうとしたが、従わなかったと云えます。

ところが、日本書紀は丹波道主命を派遣しただけで、何のために派遣したのか、

派遣して様子を見に行ったのか、なにも判りません。

日本書紀の作者は、日本書紀より8年前に作られた古事記は見ていたはずです。

相手の名前も書かず、目的も書かないということは、書きたく無かったのです。

相手の名前や目的を知らなかったのではありません。

記紀を比べながら、読んでください。

記紀に書かれている事柄で、共通する地名や神の名前は、読み方は殆ど同じです。

ところが漢字は100パーセント異なります。

日子坐王と丹波道主命は同一人物であれば、

他のところと同じように、彦坐王とか彦坐君とか書かれていても良いのですが、

全く違う丹波道主命になっています。

日子坐王では、丹波道主命が天皇系であることと、

玖賀耳之御笠が天皇に歯向かった人たちであることは、書きたく無かったのです。


それは、日本書紀の作者が、玖賀耳之御笠の末裔だからです。

日本書紀の作者の総責任者は藤原不比等だったからです。

古事記にはもっと詳しいことが書かれていたと思われます。

その後に、中国人である人が古事記から削除したのだと思います。


なぜ そのように考えるかといいますと、丹波には、「玖賀耳之御笠の伝説」がいっぱい残っています。

古事記が編纂された後に、全国に各国の様子を報告するように命令が下ったと思われます。

出雲のそれを出雲風土記というように呼んでいます。


いったんUP


なぜか完全なものは、殆ど残っていません。

私は日本書紀の編纂後、処分されたのだと思っています。
この説は全く根拠はありません。
例えば、出雲風土記を提出したときに、必ず、出雲に原の風土記が残ったと思われます。
朝廷には全巻あったはずですが、日本書紀の編纂後処分されたと思われます。

勿論、各国には廃棄の命令が下ったと思われますが、
国の施設には置いておくことが出来ず、個人の手に残ったと思われます。

このように考えないと、すべての風土記が無くなったとは考えにくいです。 

o-mino.la.coocan.jp/page733.html





若狭にもミの付く地名はたくさんある。国道27号線を走ると、福井県三方郡美浜町の耳川とミばかりの所もある、同じミミ一派であろうが、抵抗しなかったのであろうか。懐柔されてしまったのだろうか。征服されたのだろうか。陸耳御笠の側には内乱か分裂か腐敗か暴政か何かスキがあったのだろうか、そこに巧妙な分断各個撃破作戦が取られたようである。

 分断して各個撃破して、傀儡政権を建て、侵略をごまかす。何かイラクにおける××軍のようだが、何時の世も同じ手口、やられる側も同じ手口でやられる。やられないためには、武力ではなく、文化の力にかかっている。ウソを見抜く文化力がその社会にあるかどうかである。人類発祥の地・人間文化発祥の地のイラクであるから、それくらいの力はある。問わけているのは、むしろ侵略する側にそれだけの文化力があるかどうかであろう。

私が特に大和が嫌いだというわけではない、先に述べた見方は、ちゃんと伝えられている。『舞鶴の民話4』に、

 若狭富士といわれる京都府と福井県にまたがる青葉山は、かつて活火山として、煙をはいていたが、若狭の島々は陸つづきであり、人も住んでいた。対馬海流に乗って百済の方から来たのか、現地に住んでいた原住民が勢力をはっていた。ある説によると出雲から北へ来た人たちともいう。
大和の勢力が勢力拡大のため、若狭の方へ攻めてきた、その騎兵隊の一行が、青葉山に住んでいる豪族を攻め現在の田井の方へ攻めていったとき,馬が一斉に立ちあがった。それでここを馬立と名づけた。何年前か分からないが青葉山が噴火し、それぞれの土地に海水が流れてきて、島となってしまったという。
馬立島(成生より) この話はずいぶんと前後関係が何百万年もずれているように思える、青葉山の噴火は何百万年の昔の話で、日子坐王の話は4世紀辺りのことである。
水ケ浦の沖に浮かぶ馬立島の伝説であるが、もう一つこれは馬立島沈島伝説ではないか、何か冠島の伝説と関係がありそうにも思える。古くは若狭湾全体の沈下伝説があったのかも知れない。上の写真の島が馬立島、背後のかすんでいる山は青葉山である。

 大和勢力も日子坐王の「丹後制圧」あたりから、ようやく全国統一国家の卵に成長していける。それ以前は数ある地方勢力の有望株の一に過ぎない。
 人道的動機で陸耳御笠の討伐に来たのではない、イラクと同じである、侵略者は普通はまずは自衛のためという、大量破壊兵器が隠されている、自衛のためにイラクへ攻撃をかける。
そもそも大量破壊兵器を一番多く持つ国はアメリカではないか、イラクの近くならイスラエルが大量破壊兵器を隠し持っている国であろう、その数は数百発といわれ西側世界第二位といわれる。どこかの国、あるいはどこかの「テロ集団」が自衛のためにアメリカやイスラエルに攻撃をしかけても文句は言えないわけである。
そんな軍事力のある国は地球上にはないからいいようなもので、アメリカ風の手前勝手な二重基準で攻撃されてはかなわない。
正当性なしとされるこの侵略戦争をまっ最初に支持したのは、いずこの国であっただろうか。この戦争ですでに一万のイラク民衆が殺されたという、ますます正当性は怪しくなる。「どっちがテロかわからんな」とはである、正当性のない戦争からは日本軍は引き上げねばならない。
すこし分析されて自衛がいえないとなれば、次は人民の保護のためという。1万もの罪無き民を殺す侵略者が、よくこんな事が言えたものとあきれるが、人民から見放されて人民の敵となっている政権はすぐに倒せるが、侵略者がその真のネライ通りにその国の人民大衆を敵にすると、もうどうにもならない。
日本帝国主義も負けたし、アメリカもベトナムで経験した通りである。武力で制圧をしようとすればするほどに相手は強くなっていく。それが今のイラクであろう。武力で何とかなるほど今の世界は甘くはない。しかし、イラクは置いておこう。


大和勢力は丹後で鉄と大陸への交易路を手にいれたのだろう。


www.geocities.jp/k_saito_site/kugamimi.html


熊野三党(くまのさんとう)は、
紀伊国熊野地方に強い勢力をもった豪族である榎本氏、宇井氏、穂積氏(藤白鈴木氏)の三氏。
熊野速玉大社の神職を世襲し、八咫烏の神紋を用いた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E%E4%B8%89%E5%85%9A



穂積氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%82%E7%A9%8D%E6%B0%8F


藤白鈴木氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%99%BD%E9%88%B4%E6%9C%A8%E6%B0%8F


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