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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!





目の裏の神様 ブログトップ

目の裏の神様の声だったのか否か、、、 [目の裏の神様]

知れば知るほど困ったなー。

デビルマンが大好きだった小さな頃の自分

今、すごく納得しちゃう自分がここにいる。


そして昨日のクリスの記事にも同じようなものを感じる
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3

不動明は、居候先の牧村家の娘、美樹と仲良く学校に通う大人しい少年であったが、

ある日親友の飛鳥了から、

地球の先住人類「デーモン(悪魔)」が復活し、地球を人類から奪い返そうとしていることを知らされる。

デーモンを研究していた了の父は、デーモンに合体されたため、心を支配される前に自殺したのだ。

了は明に、デーモンの超能力を取り入れて戦わなくては人類に勝ち目はないと、

デーモンと合体する話を持ちかけてくる。


人間の正義の心がまさればデーモンに心を支配されることはないというのだ。

合体能力を持つデーモンだが、
人間と合体するには人間が理性を捨て去ったときという難しい条件があった。


しかし、明は悪魔の力と人間の心を持つデビルマンとなることに成功する。

デーモンたちは、デビルマンを倒すために次々と刺客を送ってくるが、明はそれらを倒していく。

しかしやがてデーモンは人類すべてに宣戦布告し、総攻撃を仕掛けてくる。

デーモンによる無差別合体という自爆攻撃に人類がパニック状態となる中、

明は了の制止を振り払い、単身、デーモンとの戦いに赴くものの、力尽き倒れる。

しかしなぜか、とどめを刺されようとした時、

デーモンの神、大魔神サタンの「デビルマンを殺すな」という意思がデーモンたちに伝えられ、

明は解放される。

一人の力では戦えないと悟った明は、無差別合体で死なずにデビルマン化した者たちを集め、

デビルマン軍団を組織しようと考える。


しかし「悪魔の正体は現代生活に不満を持つ人間である」と高名な科学者が発表したため、

悪魔狩りの名の下、罪のない人々が政府により殺戮されていく事態となる。



一方、

自分の恐れた通りに事が進みすぎることに不審を抱いた了は、

自宅に戻り、事の発端を再確認しようとする。

そこで了が知ったのは、飛鳥了という少年はすでに死んでいるということだった。


数日後、了はテレビで、明がデーモンと合体した瞬間の映像を公開し、

無数の悪魔が人間になりすましているので、殺せと人々を扇動する。

正体がばれ、牧村の家を出ざるを得なくなった明は、裏切った了を問い詰めるが、

了が、明とデーモンを合体させたのは、人類を守らせるためでなく、

次のデーモンの時代に共に生きたかったためだと答えたので、

明は了が大魔神サタンであることを悟る。

サタンは自らの記憶を消し、人間になりきることによって人間の弱点をつかみ、

デーモンたちに作戦立案の材料を与えていたのだ。

ただひとつの誤算は両性具有のサタンが明を愛したことで、

その結果、デーモンの敵となるデビルマンが誕生してしまったことだった。

牧村夫妻は、悪魔特捜隊による拷問で惨殺され、美樹も暴徒と化した町の住人たちに惨殺される。

最後の希望だった恋人も奪われ、人間に失望した明は、

デビルマン軍団を率い、地上の覇権を賭け、サタン率いるデーモン軍団との決戦を決意する。

サタンもまた、明との決戦は避けられないことを分かっていた。

20年ののち、人類は滅亡し、デビルマン軍団とデーモン軍団との最終決戦・アーマゲドンが始まる。

やがて戦いは終わり、半身を失った明に[2]、サタンは語る。

かつて地球を支配していたデーモンは創造主たる神に滅ぼされようとしたが、

それに反発したサタンがデーモン側について戦い、勝ち、次の神との戦いのために永い眠りについたこと。

目覚めたとき、人類が地球を荒らしていたので許せず、それを滅ぼそうと決めたこと。

しかしそれは、神が行おうとした愚考と同じことでしかなかったこと。

サタンは明に謝罪する。

そのとき、まさに「天使の軍団」がそこに迫りきていたが、

サタンはただ明の死に静かに涙する。





サタンの「親たち」に当たる存在。
作中には姿が登場しない。
太古、サタンを含めた多数の天使を率いて地球に飛来し、生命を創造した。
地球生物から派生したデーモンを失敗作として地球ごと滅ぼそうとしたが、
サタンの反感を買い、地球から追い返される。


デーモン(悪魔)

人類出現以前、先史時代に地球を支配していた知的生物。
闘争本能と殺戮本能を満足させる事が生き甲斐であるとされ、
恐竜などの当時の生物やデーモン同士で弱肉強食の殺し合いを展開していた。
デーモンの能力で特筆すべきは合体能力である。

これは他の生物・無生物と合体する事でその能力を獲得する物で、

元々は人間と同じような姿だったデーモンは
合体を繰り返す事で異様な姿と数々の超能力を持つ超生物へと変化していった。

また細胞の配列を変化させる変身能力も備えており、
現代では人間に擬態して人間社会に潜伏する者もいた。

男女の性も存在するが、生殖については不明。

なおデーモン同士や人間と合体した際は、より強い意志を持つ者の意識が肉体を支配する事となる。

また人間との合体には後述のように難しい条件が存在する。

氷河期の到来によって氷の中に閉じこめられ、
一部の個体は氷河期の終わりと共に復活して世界各地に悪魔・怪物の伝承を生む事となった。

大部分は極地にて現代まで眠りについていたが復活、

地球の覇者の座を奪回すべく人類滅亡を図る。

現代においては大魔王ゼノンおよび百の魔将軍の下に組織化されており、

デーモン全体の勝利のために多くの個体の死をもいとわない攻撃を行うまでになっている。

ただし、関連作品では、アモンが「ゼノンに従わない戦士」として描かれたり、

それに匹敵する戦士が「王」を名乗っていたりと、完全に統一された勢力、という訳ではないらしい。

なお劇中にて、デーモンは本来人類の天敵であり、

デーモンが氷に閉じこめられたために人類が自然の摂理を越えて繁殖し、

地球環境を破壊するまでになった事が示されている。



デビルマン(悪魔人間)

人間がデーモンと戦う唯一の手段として、デーモンと合体してその能力を獲得し、
かつ人間としての意志を失わなかった者を指す。

人間とデーモンの合体は、
通常は人間の持つ理性(本能を否定して人間らしく生きようとする心理)に対してデーモン側が拒絶反応を示すため困難であり、明も合体のため麻薬などで理性を失おうとしたが失敗、
直後に他のデーモンに襲われた恐怖で理性を失った際に合体を果たした。

また合体しても意志の弱い人間ではたちまち精神も支配されて
「人間の知識を持つデーモン」になってしまうため、デビルマンになるには強い意志と善良な心が必要とされる。

それでも合体したデーモンの精神の影響は避けられず、
合体後の明は以前とは打って変わって好戦的な性格となり、
また次第に合体したデーモン(アモン)の過去の記憶も獲得していった。

デーモンの変身能力により、普段は元の人間の姿を取る事ができる。
やがてデーモン達が人類を恐怖に陥れるために実行した「無差別合体」
(通常は理性に対する拒絶反応により怪物化して死亡する)により、

偶然前述の条件がそろった事でデビルマンとなった者が世界中に出現、
明はデーモンに対抗すべく彼らを集めてデビルマン軍団を結成した。

原作漫画では不動明を総大将とし、プフールが側近、ボンズ・オブ・ヒンズーが連絡役を務めているが、
指揮系統は明確に描かれていない。

小説版では、統率力にたけた山野博士(戦闘能力は低い部類)が組織全体のリーダーを務め、古参かつ組織随一の戦闘員である不動明が戦闘指揮をとる。

他にも、全国の支部や、人間によるシンパ団体が存在している。

OVA版『AMON デビルマン黙示録』では、

人間社会にて存在を認識されているが、「デーモンと対立する悪魔」として嫌悪の対象にされている。

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ココへ来て、ハリウッドの様子がもろになってる

リアーナも

Yayo





"Bitch Better Have My Money"


Yayo, yayo
Moo-la-lah
Yayo

Bitch better have my money!
Y'all should know me well enough
Bitch better have my money!
Please don't call me on my bluff
Pay me what you owe me
Ballin' bigger than LeBron
Bitch, give me your money
Who y'all think y'all frontin' on?
Like brrap, brrap, brrap

Louis 13 and it's all on me, nigga you just bought a shot
Kamikaze if you think that you gon' knock me off the top
Shit, your wife in the backseat of my brand new foreign car
Don't act like you forgot, I call the shots, shots, shots
Like blah, brrap, brrap
Pay me what you owe me, don't act like you forgot

Bitch better have my money!
Bitch better have my money!
Pay me what you owe me
Bitch better have my (bitch better have my)
Bitch better have my (bitch better have my)
Bitch better have my money!

Turn up to Rihanna while the whole club fuckin' wasted
Every time I drop I am the only thing you're playin'
In a drop top, doin' hundred, y'all in my rearview mirror racin'
Where y'all at? Where y'all at? Where y'all at?
Like brrap, brrap, brrap

Louis 13 and it's all on me, nigga you just bought a shot
Kamikaze if you think that you gon' knock me off the top
Shit, your wife in the backseat of my brand new foreign car
Don't act like you forgot, I call the shots, shots, shots
Like blah, brrap, brrap
Pay me what you owe me, don't act like you forgot

Bitch better have my money!
Bitch better have my money!
Pay me what you owe me
Bitch better have my (bitch better have my)
Bitch better have my (bitch better have my)
Bitch better have my money!

Bitch better have my money!
Bitch better have my money!
Pay me what you owe me
Bitch better have my (bitch better have my)
Bitch better have my (bitch better have my)
Bitch better have my money!

Bitch better have my money!
Bitch better have my money!
Bitch, bitch, bitch better have my money!
Yo, that bitch better have my money!
Hold up
My money!
Yo, my money!
That bitch better have my money!
Bitch better have my money!




http://songsintojapanese.hatenadiary.jp/entry/Rihanna/BBHMM

海外ドラマの「ハンニバル」や今公開中の「悪党に静粛を」に出演している

マッツ・ミケルセンが会計士役(別名:ビッチ)として出演しています。

おそらく、この会計士に金を横領されたため妻を誘拐したと思われます。

また、リアーナ自身が以前の会計士を、不当な処置で何百万ドルも払わされたとして、

2012年に訴えています。

この訴訟はおよそ一千万ドルで和解しています。




Yayo, yayo

Mula-la*1

Yayo



Bitch better have my money*2

ビッチ 私の金を返しな

Y'all should know me well enough

あんたら しっかり 私のことを分かっときな

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Please don't call me on my bluff

私を見くびるんじゃないよ

Pay me what you owe me

私への貸しを払いな

Ballin' bigger than LeBron*3

レブロンより 金はあるんだよ

Bitch, give me your money

ビッチ お前の金を渡しな

Who y'all think y'all frontin' on?

あんたら 誰に 歯向かっていると思ってんの

Like brrap, brrap, brrap*4

バン バン バン



Louis 13*5 and it's all on me, nigga you just bought a shot

高級ブランデーは私の驕り あんたは一杯買っただけ

Kamikaze*6if you think that you gon' knock me off the top

私をトップから落とそうと思うのは 自殺行為よ

Shit, your wife in the backseat of my brand new foreign car

あんたの妻は 私の新品外車のバックシートにいるな

Don't act like you forgot, I call the shots, shots, shots*7

忘れたふりるするんじゃないよ 私が仕切ってんの

Like blah, brrap, brrap

バン バン バン

Pay me what you owe me, don't act like you forgot

私への貸しを払いな 忘れたふりするんじゃないよ



Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Pay me what you owe me

私への貸しを払いな

Bitch better have my

ビッチ 私の金を

Bitch better have my

ビッチ 私の金を

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな



Turn up to Rihanna while the whole club fuckin' wasted*8

私の曲の音量上げな クラブ中が酔っぱらっている

Every time I drive by I am the only thing you're playin'

ドライブする時に聞こえるのは 私の曲だけ

In a drop top, doin' hundred, y'all in my rearview mirror racin'

オープンカーを100キロで飛ばす あんたらは私のバックミラーでレースしてるわね

Where y'all at? Where y'all at? Where y'all at?

あれ あんたら何処にいるの

Like brrap, brrap, brrap

バン バン バン



Louis 13 and it's all on me, nigga you just bought a shot

高級ブランデーは私の驕り あんたは一杯買っただけ

Kamikaze if you think that you gon' knock me off the top

私をトップから落とそうと思うのは 自殺行為よ

Shit, your wife in the backseat of my brand new foreign car

あんたの妻は 私の新品外車のバックシートにいるな

Don't act like you forgot, I call the shots, shots, shots

忘れたふりるするんじゃないよ 私が仕切ってんの

Like blah, brrap, brrap

バン バン バン

Pay me what you owe me, don't act like you forgot

私への貸しを払いな 忘れたふりするんじゃないよ



Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Pay me what you owe me

私への貸しを払いな

Bitch better have my

ビッチ 私の金を

Bitch better have my

ビッチ 私の金を

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Pay me what you owe me

私への貸しを払いな

Bitch better have my

ビッチ 私の金を

Bitch better have my

ビッチ 私の金を

Bitch better have my

ビッチ 私の金を返しな



Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Bitch, bitch ,bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Yo, that bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Hold up

待ちな

My money

私の金を

Yo, my money

私の金を

That bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

Bitch better have my money

ビッチ 私の金を返しな

クンダリーニ [目の裏の神様]














オレグの声






真夜中の富士山須走口7合目





流星群



で、






simages.jpg

クンダリーニ





























あああ。。。。




ひさしぶりに



やんわり




眠れそう。。。。






5116.jpg


5115.jpg



エタ、部落、部落跡 [目の裏の神様]

2015-01-26 02:44:55のブログです
更新中
:::::::::::::::::::::::::::::::::









中学の時にはじめて知って、ショックだったけど

それは戦後に引っ越してそこにってあとから聞いて、少しホッとした、、

のに、

18歳くらいの時に

え?同じ響きじゃんって思って、なんとなくうっすらショックで

でも、まあ、両親ともにそこの生まれじゃないし、別にね、、って少しホッとした、、、

のに、


一人暮らしして住んだところの裏手がまたそんな場所だったり


たぶんその後に何年も住んでたところも、同じようなとこかも、、、、



父の墓のある一体が



それはそれは


それはそれはそれは、、、、な場所で


それを知ったのは去年で


でもその場所に行くだけで、なんとなく感じ取れるものがあって


あ、なるほどね、、って思って

あちゃーーーー、、これはやっぱ呪いだなって思って


かなりショックだった、、、、けど


”****さん(私の父方おじいちゃん)は” 

この辺の人じゃないんだよねって聞いて

ホッとしたのもつかの間


私の父方のおばあちゃんが

もろにそこの出の人で


もうーーーーーあら~~~~~~~~って感じで


かなりショックだったけど



エタにも部落にもいろいろあるのは知ってるし、


そもそも私はそこで生まれ育ってもいないし




だけど






父から受け継いだ意識は大きくて



今はその意識と格闘中。。。




今、、一人暮らししてた横浜の1軒目2軒目の両方の場所がそういうところかどうか調べ中


あの雰囲気、、


あれは同じもの感じるんだよね、、、






はははははははは

はははははははは


はははははははは


はははははははは


は。



やっぱ呪いかな。



このブログじゃないブログには横浜のことも少し書いたけど

住んでたのも6年位か

あまり気にしてなかったから、そのとき調べても深くはほじくらなかったし、

その時は、その名前を調べてなかった


”本家”といっても誰の本家なのか、はっきりしなかったからね、、、

はっきりした今、同じ地図を見ても違う世界に見える。。。



1軒目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%BA_(%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%B8%82)

私は浦舟町というところにいたけど、

大きな道路を挟んだ後ろ側に

”中村(本家の名前)” ”山谷 (サンヤ、三谷-地元)”

1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、久良岐郡戸太村(太田村、吉田新田と戸部村、平沼新田、尾張屋新田)、中村、大岡川村(井土ヶ谷村、蒔田村、弘明寺村、堀之内村、下大岡村、永田村、引越村、中里村、別所村と上大岡村、最戸村、久保村)が誕生。



久良岐郡中村

現在の町名
中村町、唐沢、平楽、八幡町、山谷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91_(%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E4%B9%85%E8%89%AF%E5%B2%90%E9%83%A1)


2軒目
磯子区岡村

三殿台遺跡(さんとのだいいせき)は、神奈川県横浜市磯子区岡村にある、縄文時代から古墳時代にわたる大規模な集落遺跡である。 約250軒の竪穴式住居跡があり、その大部分が弥生時代のものである。 三殿台考古館として、復元住居、出土品などが保存・展示されている。

標高約55mの小高い住宅街の一角にあり、広さ約10,000平方メートル。 この周辺の丘の斜面に貝塚が点在していたことから、明治30年代に「屏風ヶ浦岡村貝塚」として学会誌に紹介され[1]、小規模な発掘調査が何度か行われた。 1961年(昭和36年)に、隣地の滝頭小学校岡村分校(現・岡村小学校)校地拡張予定地となって大規模な発掘調査が行われ、遺跡全体が発掘され、縄文・弥生・古墳の3時代に亘る集落跡が確認された。1966年(昭和41年)国の史跡に指定され、翌1967年、三殿台考古館が開館し遺跡とともに公開された。

住居跡は252軒が確認され、うち8軒が縄文時代、43軒が古墳時代、残余の大部分が弥生時代のものである。[2]


岡村のそばには若宮もあった


岡村のマンションは、あれも不思議だった

すっごい広くて6階の角部屋なのに家賃が53000円だったかな

1DK(6,6、洗面所(朝シャン付き洗面台、洗濯機置き場)風呂トイレ別、システムキッチン、クローゼット)
Lバルコニー

不動産屋さん、鍵を開けて部屋にはいったのに、

ええええ????

あれれれ??

っここでいいんですよね?って

また鍵を鍵穴にさしに行ってしまうくらいのお得物件。

呼ばれてたのかもね、、、、とかいいながら

周りを散策なんてほとんどしなかった

でも今でもたくさん思い出のある場所で、時々夢にも出てくる。

泣きたくなるんだよね~~~

なぜか。。。


エタとか部落とかいうといやな感じにしか受け取れない、受け取らない人が多いだろうけど

自分のこと、自分の身の回り調べてごらん


そこから見えてくるものって大きいと思うよ。


しかし、横浜に引っ越すことになって

1軒目は知り合いの部屋を、自分の部屋が見つかる2,3ヶ月いていいよ~って言ってもらえたので、

そこへ行ったんだけど、毎日見つめて歩いた目の先に中村の町があったとはね、、、

2本か3本横並びの道は、3大ドヤ街といわれる”寿町”




kuraki

クラキ公園のあたりは、ほんとに何か重たい感じのする場所だった

当時あのあたりはなんとかなのよって聞いたけど、なんていわれたか忘れてしまった

でも、重たい場所だったのは今でも覚えてる

きれいな場所になってたけど思い

だからバスで通るだけで降りてみようと思ったことはなかった

公園の先に大き目のスーパーがあって、そこには何度か行った事があるくらい。

21歳から25か6までずっとそこに住んでて、何度かしか行ったことがない


でも、今では気になる響きだな、、なんとなく


クラキ


「久良岐」は以前武蔵野国にあった地名なのである。

多摩丘陵南部から、三浦丘陵の北端まで広がる大きな郡だったのだ。

現在の行政区画で言うなら、南区、中区、磯子区、西区、港南区、金沢区、鶴見区にまたがっていたその中に「横浜村」が存在していたという。

久良岐公園、掘割川の分岐点の久良岐橋、材木屋の久良岐屋、久良岐能舞台と「久良岐」の名を残している場所が点在しているのは、範囲の広さから来るものなのだろう。


郡衙(今で言う県庁所在地?)は明らかではないが弘明寺だったという説もあるのだ。

であるなら、久良岐の名を語るのは、うちの法人がベストである。

西暦700年頃の藤原京跡から出土した木簡に「久良岐郡」という文字があったというから歴史もある名前なのだ。



橘樹郡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E6%A8%B9%E9%83%A1

橘樹と書いてタチバナ郡だって。

こんな場所があったのはまったく聞いたこともない

WOW


1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。
横浜市 鶴見区、神奈川区の全域
西区の一部(同年に設置された横浜区に属した区域[1]を除く)
保土ケ谷区の一部(上星川、川島町以北および今井町を除く)
港北区の一部(新羽町、北新横浜、新吉田東、高田東、高田町以西を除く)

川崎市 川崎区、幸区、中原区、高津区、宮前区、多摩区の全域
麻生区の一部(金程、高石、百合丘、東百合丘以東)


隣接していた郡

行政区画として発足した当時に隣接していた郡は以下の通り。
東京府 : 荏原郡
神奈川県 : 南多摩郡、北多摩郡、荏原郡、都筑郡、久良岐郡、鎌倉郡

歴史
かつて郡衙が置かれたと推定される地域に建つ影向寺は、仏教伝来間近の7世紀頃まで遡る遺跡が見つかっている (2005年4月9日撮影)

郡名は、かつて橘樹郡内であった現在の川崎市高津区子母口富士見台に

弟橘媛の御陵とされる富士見台古墳があることによると伝えられる。

その近くの高津区子母口には日本武尊・弟橘媛を祀る橘樹神社がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E6%A8%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%B8%82)



昔の地名を意図的にどんどん消していってるわけですよ。

でもその土地の意識・エネルギーって変わらないからね

名前を変えられたりしたら、余計にそれは違和感となって渦巻くんだろうね。。。

廃仏毀釈も同じ。

神社に行ったときの違和感とかはそれだろう

神社の名前や神様の名前を切り張りしたり変えちゃったり隠したり

でも実際行ってみれば、本物はこっちじゃね?って感じることができる

本当に消されてしまうくらいなら、自ら隠して上手に生き残ったところもある


”残していくことの大切さ”


残していくことは本当に大事なことなんだ。

橘樹ー>たちばな

倉樹ー>くら


クラキに戻ろう


534年 - 武蔵国造の乱後に屯倉が置かれた武蔵国倉樔(くらす)が、
久良岐郡であるとする説が有力(倉樹の誤記とするなど)

700年頃 - 藤原京跡から出土した木簡に久良郡の文字

768年 - 続日本紀に「武蔵国橘樹郡人飛鳥部吉志五百国於同国久良郡獲白雉献焉」の記述


【参考資料:磯子の史話/武州久良岐郷地名考/小千谷市史/平子氏の西遷・北遷 ほか】

おっとっと、、、↑

出てきちゃったね、、小千谷市

このブログでも何度も登場しているんだけど

私自身、私の記憶の中に、なんでこの”小千谷”があるのかわからない

だけど、なぜかこの響きをよく知っているんだ。



小千谷市(おぢやし)は、新潟県中越地方に位置する市である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%8D%83%E8%B0%B7%E5%B8%82

新潟県のほぼ中央、越後平野の南端にあり、中越地方に属している。隣接する十日町市とともに、魚沼地域の中ではいち早く市制施行し(昭和の大合併時)、国や県の出先機関が置かれるなど、主に北魚沼地域の行政・経済の中心として発展してきた。現在、都市圏では長岡都市圏に属しており、長岡市のベッドタウンの機能も有している。

信濃川の河岸段丘上(特に旭橋を中心とした信濃川両岸)に中心市街地が発達してきたほか、北部の片貝地区においても小規模な市街地が形成されている。 1990年代に入ってからは店舗の郊外化が顕著となり、2000年代以降は信濃川を挟んで西側地域の郊外が商業地域として機能しつつある。

市名の「小千谷」は、千谷郷の中にある小千谷に由来する説や、沢の落ち合う所や低湿地という意味の「落ち」が転じて「おぢ」となった説がある。


クラキの平子氏と小千谷
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tairako.html

 平子氏は相模国の豪族三浦氏の一族で、平安後期に武蔵国久良岐郡に進出した三浦為長の子次長(通継?)が久良気(久良岐)三郎を称し、叔父の景通は平子民部大夫を号している。次長が久良気を称したことは、久良岐郡の大部分を治めていたことを想像させるものである。
 平子氏の名字の地となったのは久良岐郡内の平子郷で、久良岐郡衙の管轄地のひとであったようだ。 平子氏と関係の深い堀ノ内宝生寺に伝えられた文書によれば、郡内の地名には石川・禅馬(磯子)・ 戸部・永田・根岸・本牧・蒔田・横浜などの名があり、横浜の文字の初見は宝生寺文書の記述が最初である。
 治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げのとき、久良気三郎次長の曾孫にあたる平子弥平右馬允有長は宗家の三浦氏に加わって頼朝のもとに馳せ参じ、三浦氏の推挙を受けて御家人となった。以後、源平合戦に出陣し、平家追討に功があった。有長は出陣にあたって磯子の真照寺を再興して平子一族の菩提寺とし、毘沙門堂を建立した。毘沙門堂に祀られた毘沙門像は、有長の影像といわれ今も真照寺に安置されている。


中世戦国時代 - 上杉氏の所領となり、市内各城に上杉氏(長尾氏)家臣が居城していた。薭生城に平子氏、時水城に曽根氏、内ヶ巻城に田中氏、高梨城に長尾氏・高梨氏,片貝城に片貝氏などが居城していた。
1551年 - 薭生城の平子氏が上杉氏の命で時水城の曽根氏を攻め滅ぼした。
1553年 - 上杉謙信が朝廷にこの辺りで生産されている越後布を献上した。
1560年 - 魚沼地区が大洪水にあう。
1578年 - 御館の乱が起こり、平子氏は景虎方につき、薭生城は景勝方に攻め滅ぼされる。
このころ青苧などは、南魚沼地区や中魚沼地区から魚野川や信濃川で小千谷に下り、陸路で柏崎の港に運ばれていたとみられる。


新潟県上越市には榊神社
新潟県と榊はつながる




クラキに戻ろう!!!!

久良岐郡
大和朝廷の直轄だったという磯子区のルーツとは…

久良岐の名が歴史上に記されたのは、今から1500年ぐらいの昔、

大和朝廷が東方の武敵国へ支配を進めようとした頃です。

日本書紀によると、そのころ北武蔵に内乱が起こり、
大和朝廷はこれを機に朝廷の直轄地「屯倉(みやけ)」を4ヵ所設けたと書かれており、
その一つが後の久良岐郡(現在の磯子・中・港南・金沢区一帯)といわれています。

郡名について、
14世紀後半頃までの文書は「久良」と書いて「くらき」と読ませていましたが、
文明年間あたりから「久良岐」とするのが一般的となりました。

初めて久良岐郡と記された文献としては、文明5(1473)年、
真照寺に阿弥陀堂領の寄進をした際の文書に記述されています。

その語源を『武州久良岐郡地名考(抜粋)』によると

久良は古語の座≪くら≫で、

すべて人の、あるいは物の位置すべきところを≪くら≫と呼んだのであろう。

つぎに岐は城(き)で、城とは、

堀や柵を設け外敵から守るため内外を区切った一区域のことである。

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横浜近辺調べだしたら、またこれとんでもなくぐるぐるしそうだから

やっぱ今掘るのはやめとこう


ただ、、、


クラキ


この響きはとっても気になる

別の視点から調べよう


「久良」と書いて「くらき」と読ませていた



久良は古語の座≪くら≫で、

すべて人の、あるいは物の位置すべきところを≪くら≫と呼んだのであろう。

つぎに岐は城(き)で、城とは、

堀や柵を設け外敵から守るため内外を区切った一区域のことである。







あーーーまたココで堂々巡りが始まってしまったので中断

またあちこち寄り道しながらココへ戻ってこようと思います。




中村橋のおっちゃん

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私立探偵 濱マイク 第二話/歌姫 (オリジナルTV放映完全版 total 48 min... 投稿者 KumaRingo


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神奈川最古の古墳「三殿台遺跡」が大岡川の流域にある。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/shisetsu/sandd/

住所的には磯子区になるから「弘明寺」とは言わないかも知れないけど、

昔住んでいた原住民的には
「三殿台」は部落の外れ、そういう感覚が望郷っぽい。

http://nonbiri-tc.jugem.jp/?eid=41



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Q.三殿台遺跡はどういうところが重要なの?

①縄文時代、弥生時代、古墳時代という3つの時代のムラがひとつの場所にあること

②とくに弥生時代のムラは規模が大きくて、横浜で農業が始まった頃につくられたムラの様子がわかること



小学校の頃から好きだった縄文人の博物館、守屋教育委員会、郷土資料館

そういえば目黒区から代官山には縄文のあとがわりと多くあったと思う。


横浜で一人暮らしをはじめたマンションの直ぐそばの三殿台遺跡



母の田舎のまさに家があった場所も縄文の黒曜石が豊富にとれたところ。


そして今現在も歩いてすぐ行ける所に

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阪田山祭祀遺跡

1300年前の縄文の祭祀場だ



6 三軒茶屋 [目の裏の神様]

6 三軒茶屋


不思議といえば不思議なお話


いつも書いているけど

私は父からみんなと一緒になるなといって、ずっとそう育てられてきた


なので、小学校入学してしばらくの間続く集団登校、集団下校がたまらなくつらかった

登校はもうしょうがない、、これから学校だしね

しばらくは下校も我慢してみんなで帰っていたけど


ある日、ふっと抜けてしまった時がある

その時の記憶があまりなく

気がついたら大きな広い道路がある場所に。。。

急にその風景になったような気がする

そこへいくまでの風景や記憶が、今思い出そうとしてもまったくない


急に広い道路が目の前に現れた感じ

いままで見たことも来たこともない場所だった

広い広い通りを渡って




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ヤバイと思った

迷子になったのをその時になってわかった

どの道をどう歩いてそこへ行ったのかまったく覚えていないし

親とでも行った事もない


6歳の女の子が一人でテクテク


”三軒茶屋”に呼ばれた

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この地図のように歩いたとは限らないけど。
大体こんな距離
子供の足なら倍はかかるんじゃないか?



不思議なのは


ココ和歌山、熊野にも


同じなの場所があったこと

”三軒茶屋”
http://www.sangendyaya.com/pc/yurai.html

http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/kodou-1.html




なんだかとっても不思議奈気分になるのだ。








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三軒茶屋交差点にある大山道の道標。

江戸中期以降、社寺参詣ブームで賑わった大山道と登戸道の分岐(追分)付近に
信楽(後に石橋楼)、角屋、田中屋の三軒の茶屋が並んでいたことに由来する。
この呼び名は文化文政の時代には既に一般的なものとなっていたようである。

大山道(大山街道)は、現在のほぼ国道246号にあたり、瀬田、二子橋を渡り大山へ向かう。
登戸道は、井伊家知行地の世田谷代官屋敷(現在の世田谷区世田谷、ボロ市通り沿い)や
世田谷の上町(武家町)を通って登戸に向かう街道筋であり、現在の世田谷通りにあたる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E9%81%93


大山信仰[編集]

大山は雨乞いに霊験のある山として雨降山(あふりやま)とも呼ばれ、昔から農民たちの山岳信仰の対象とされてきた。そこにある大山阿夫利神社は、農民から五穀豊穣や雨乞いの神として信仰され、日照りや飢饉が続くと、多くの農民達が参詣に訪れた。江戸時代には関東地方各地で「大山講」が組織され、元禄以前からのしきたりで、江戸日本橋小伝馬町の大山講である「お花講」の人たちが夏山祭りの初日に大山頂上への中門を開くこととなっている。

道中の参詣者は、白の行衣、雨具、菅笠、白地の手っ甲、脚絆、着茣蓙という出で立ちで腰に鈴をつけ、「六根清浄」の掛念仏を唱えながら、5 - 6人、多い時には20 - 30人が一団となって、7 - 9月を中心に大山へと向かった。また、盆・暮れの借金の回収時期に「大山参り」をしていれば、借金は半年待ってくれるという恩典もあった。最盛期の宝暦年間には、年間約20万人の参詣者を数えている。

大山への参詣者が各地から通る道は「大山道」と呼ばれ、道標にも記載された。大山道は大山を中心に放射状に広がり、関東地方の四方八方の道がほぼ全て大山に通じる状況となった。大山道沿道や相模川の渡船場などでは、宿場として栄える所もあった。大山からの帰路には江ノ島、鎌倉などの観光も行われるなどし、大山参詣は一種のレジャーでもあった。古典落語の「大山詣り」もそうした背景から成立したものと考えられている。

また、富士講による富士山への参詣者も同じ道筋を通ったことから、一部の道には「ふじ大山道」という名称も見られた。富士山への参詣者も必ず大山にも参詣するのが通例となっていたという。

明治期に入って鉄道が開通すると、大山参詣への交通手段にも使用されるようになり、次第に「大山道」という呼称は衰退した。道そのものが部分的に消滅するケースもみられ、現在でも「大山街道」と呼ばれているものは矢倉沢往還などわずかであり、それも地元民にときおり別称として呼ばれる程度である。



大山といえば沖永良部にもあるねぃ~



大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社である。「阿武利」とも表記し、「あぶり」とも読む。相模国の式内社十三社の内の一社で、旧社格は県社(現・神社本庁の別表神社)。

本社に大山祇大神(オオヤマツミ)、
摂社奥社に大雷神(オオイカツチ)、前社に高龗神(タカオカミ)[注 1]を祀る。

ただし、これらは明治になってから神仏分離の際に祀られるようになったものであり、

江戸期以前の神仏習合時代には、
本社には本来の祭神である石尊大権現
(山頂で霊石が祀られていたことからこう呼ばれた)が祀られていた。

また、摂社には、奥社に大天狗、前社に小天狗が祀られていた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E9%98%BF%E5%A4%AB%E5%88%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE



国が踊るのをやめさせたいわけ。




玉置 橘



仏に身をおき、全てを捨てた「捨て聖」

一遍上人(ウド鈴木)は、「仏との結縁」を万人に教えるための、遊行を決意をする。その旨を妻の超一(宮下今日子)へ伝えると、超一は、自分も連れて欲しいと頼んだ。一遍は、超一との娘、超二(橘美緒)、念仏坊(スティーブエトウ)を引き連れ、


熊野、長野へと遊行の旅に出る。

 佐久の武家屋敷に寄った際、一遍の念仏に合わせ、突然、超一が踊り始めた。これが踊念仏の
始まりである。お銀(玉置成実)、清輝(松田洋治)、高僧(綾田俊樹)、旅人(吉田達也)らと出会い、教えを極めていく一遍聖。その教えを鎌倉で伝えようとするが、武士(KEN KEN)の邪魔が入りうまくいかない。僧医(剛州)から、これ以上の遊行を進めることは危険だと言われる一遍であったが、彼はその教えを聞かずさらなる遊行に出るのであった。

 三島に到着した一行―。いつものように「踊り念仏」の鐘の音が鳴り始めると念仏を唱え、リズムと共に仏との結縁に陶酔していく民衆のなか、ひとしきり大きな声が劈き、全てを諦めざる終えない悲しみの境地に立たされる―。



http://www.mikumano.net/setsuwa/ippen.html
http://blog.goo.ne.jp/mitsue172/e/1a1d4b009b6ab23d444177a79042ed64




物部のサグメ一族パート2としとこうか。。。 [目の裏の神様]

2015-01-10 01:26:13のブログです。
寝落ち明け更新
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物部のサグメ一族
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2014-12-21


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火の鳥人魚
海人族の火の鳥ってことですね。。。


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【エジプト神話】 フェニックス,不死鳥
《アラビア砂漠に 500 年または 600 年ごとに自ら香木を積み重ねて焼死し,
その灰の中から生まれ変わるという霊鳥; 不死の象徴》.

パブロはパブロよ!
マイケルの動き100000%
彼のアカウント名が sofurgofromashes
so fur go from ashes

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ちょっと前のブログに

こう書いたときがある


”母の田舎を突然聞かれたときに

飛騨のタカヤマ(鷹山)です、と答えて、
すぐに、あっ、ただのタカヤマ(鷹山)だ、
飛騨のタカヤマ(高山)じゃないとすぐにわかるんだけど
どうしてもいきなり聞かれるとそう答えてしまう

その理由がわからなかったんだけど
それがなんとなくわかりそうなので、確認中だ。

それと関係あるのかないのかだけど

高山>タカヤマ>コウヤマ>香山>カヤマ

あと、岡谷、茅野。

これも母から聞いた記憶はなくと思っていたら
母の弟がなくなる前に書いた手記を一昨日模様替え中に発見して
よくよく中を読んでみると、どのくらいの期間かはっきりしないけど
岡谷に住んでいた時期があった

たぶん戦前の話

戦後熊野の新宮の開拓団へ家族で行って、少しのあいだ新宮に住んでいて
それから戻ってすぐに大門鷹山の開拓に取り掛かったというような順だと思う。

家族が岡谷に住んでいた頃は母もまだとても小さい頃だったんだろうから
岡谷の話が少ないのも『ほとんどない』のもしかたがない。

だけど、私は岡谷、茅野、なぜか飛騨鷹山
この音はとても言い慣れた音のように感じられるんだ。



それにしても
昨日、今日は香山と山本DAYで
いろいろバラバラ見つかるので、まとめられないでなにをどこに書いたやら

愛ちゃんと山本のことも、ほんとになんで今なのかと思うけど

山本復帰に対する誰だかの批判的な記事は

”山本”のイメージを悪くするよな、、、、


そんなことにも一役買ってそうな。。。。。

それは良いとして


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鳩なのよね。

父から伝えられたことは昨日も書いたけど

どちらかというと聖書系予言者のこと

、、、、といっても、

父はクリスチャンじゃないし、隠れキリシタン系でもない

前にも書いたけど、良い参考書として伝えたんだと思う。

実際それは今でもいろいろな意味で使われている

信者じゃないものへの洗脳にも使われているしね。


だからこの神社でこの鳩のオブジェを見つけたとき

この風景もあいまって、シナイ山のてっぺんにあるノアの船からの風景のように思えた

そして鳩。

飛ばすよね~

陸があるか、上陸できそうか鳩、、、飛ばすよね~って
おお!!!鳩戻ってきたよね~~~~~!!
よし!ココだ!ココで暮らそう!ってね~~って

この神社を見つけて、一人で行ってみたときにそう思った

その後何度かの墓参りを経て、この土地のいろいろいろいろを知って

”またある別の神社の裏手のある一族の墓”

そこには玉置家のお地蔵さんやなんかもあるんだな

ま、あの場所の墓に眠っているのは一族だということを

腹違いのねーさんたちと墓参りに行った時に教えてもらった。

ねーさんたちと行ってももう65前後の姉二人

彼女たちは子供の頃少しその土地に住んでいた時期もあったらしい

榊一族についても私よりもっとよく知ってたしね。。

またいつかいろいろ話を聞いてみたい

そして今日見つけた山本の家紋のひとつ


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2羽の鳥が鳥居にとまってるわけですよ。

一時私が何かあれば載せてた作り話

アメノワカヒコの作り話ですよ。

あのままな感じ。

雉とサグメ

たぶんこれが私の”オト”へと繋がっていくんだと思います。

父方も母方も巻き込んで同族

あかさたなはまやらわ

同じ一族


不思議だな~
こういうのって

だってたぶん本人たちはそんなことを知ってて出会ったわけじゃないし


でも運命は不思議で

同じ一族の父と母は

きっとたぶん同じルートで

同じような時期に

四谷へ

母は長野(ナガ ノ)から父は和歌山(ワ カヤマ)からやってきて

これまた同じような時期に

三谷へ


そして二人は偶然出会うわけです。

因果ですか?


運命ですか?


運命のいたずらですか?


神秘ですか?


it's Magic!!!! マイケル風



母(カヤマ) は長野(ナガ ノ)から父(ナカムラー本家の名前)は和歌山(ワ カヤマ)

カヤマはナガ ノから
ナカムラはワ カヤマから

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物部氏(もののべうじ)は、「物部」を氏の名とする氏族。

河内国の哮峰(現 大阪府交野市か)に神武天皇よりも前に天磐船により大和入りをした饒速日命を祖先と伝えられる氏族である。饒速日命は登美夜須毘売を妻とし物部氏の初代の宇摩志麻遅命(可美真手命)をもうけた。

穂積氏が本宗家とされ、熊野国造とは先祖を同じくする同族とされる。


特徴と歴史[編集]

元々は兵器の製造・管理を主に管掌していたが、しだいに大伴氏と並ぶ有力軍事氏族へと成長していった。5世紀代の皇位継承争いにおいて軍事的な活躍を見せ、雄略朝には最高執政官を輩出するようになった。物部氏は解部を配下とし、刑罰、警察、軍事、呪術、氏姓などの職務を担当し、盟神探湯の執行者ともなった[1]

物部氏は528年継体天皇22年に九州北部で起こった磐井の乱の鎮圧を命じられた。これを鎮圧した物部麁鹿火(あらかい)は宣化天皇の元年の7月に死去している。

蘇我氏との対立[編集]

宣化天皇の崩御後、欽明天皇の時代になると物部尾輿(生没年不詳)が大連になった。欽明天皇の時代百済から仏像が贈られた仏像を巡り、大臣・蘇我稲目を中心とする崇仏派と大連・物部尾興や中臣鎌子(中臣氏は神祇を祭る氏族)を中心とする排仏派が争った[2]。

稲目・尾興の死後は蘇我馬子、物部守屋に代替わりした。大臣・蘇我馬子は敏達天皇に奏上して仏法を信奉する許可を求めた。天皇は排仏派でありこれを許可したが、このころから疫病が流行しだした。大連・物部守屋と中臣勝海は蕃神(異国の神)を信奉したために疫病が起きたと奏上し、これの禁止を求めた。天皇は仏法を止めるよう詔した。守屋は自ら寺に赴き、胡床に座り、仏塔を破壊し、仏殿を焼き、仏像を海に投げ込ませ、馬子や司馬達等ら仏法信者を面罵した上で、達等の娘善信尼、およびその弟子の恵善尼・禅蔵尼ら3人の尼を捕らえ、衣をはぎとって全裸にして、海石榴市(つばいち、現在の奈良県桜井市)の駅舎へ連行し、群衆の目前で鞭打った。

こうした物部氏の排仏の動き以後も疫病は流行し続け、敏達天皇は崩御。崇仏・排仏の議論は次代の用明天皇に持ち越された。用明天皇は蘇我稲目の孫でもあり、敏達天皇とは異なり崇仏派であった。しかし依然として疫病の流行は続き、即位してわずか2年後の587年5月21日(用明天皇2年4月9日)に用明天皇は崩御した(死因は天然痘とされる)。守屋は次期天皇として穴穂部皇子を皇位につけようと図ったが、同年6月馬子は炊屋姫(用明天皇の妹で、敏達天皇の后。後に推古天皇となる)の詔を得て、穴穂部皇子の宮を包囲して誅殺した。同年7月、炊屋姫の命により蘇我氏及び連合軍は物部守屋に攻め込んだ。当初、守屋は有利であったが守屋は河内国渋川郡(現・大阪府東大阪市衣摺)の本拠地で戦死した(丁未の乱)。同年9月9日に蘇我氏の推薦する崇峻天皇が即位し、以降物部氏は没落する。

天武朝[編集]

連の姓(かばね)、684年天武天皇による八色の姓の改革の時に朝臣姓を賜る。




石上氏[編集]


石上氏


氏姓
石上朝臣

始祖
饒速日命

出自
物部朝臣

氏祖
石上麻呂

種別
神別(天神)

本貫
河内国哮峰

著名な人物
石上麻呂
石上宅嗣

後裔
石上神宮祠官家(社家)
上野長野氏(武家) など
凡例 / Category:氏

686年(朱鳥元年)までに物部氏から改めた石上氏(いそのかみうじ)が本宗家の地位を得た。石上の姓はもと物部守屋の弟である贄子が称していたが、のちに守屋の兄・大市御狩の曾孫とされる麻呂が石上の家を継いだとする説がある[3]。

石上麻呂は朝臣の姓が与えられて、708年(和銅元年)に左大臣。その死にあたっては廃朝の上、従一位の位階を贈られた。息子の石上乙麻呂は孝謙天皇の時代に中納言、乙麻呂の息子の石上宅嗣は桓武天皇の時代に大納言にまで昇った。また宅嗣は文人として淡海三船と並び称され、日本初の公開図書館・芸亭を創設した。

石上氏は宅嗣の死後公卿を出すことはなく、9世紀前半以降中央貴族としては衰退した。また、石上神宮祠官家の物部氏を枝族・末裔[編集]

物部氏の特徴のひとつに広範な地方分布が挙げられ、無姓の物部氏も含めるとその例は枚挙にいとまがない。長門守護の厚東氏、物部神社神主家の長田氏・金子氏(石見国造)、廣瀬大社神主家の曾禰氏の他、穂積氏、采女氏をはじめ、同族枝族が非常に多いことが特徴である。

江戸幕府の幕臣・荻生徂徠は子孫といわれる。

東国の物部氏[編集]

石上氏等中央の物部氏族とは別に、古代東国に物部氏を名乗る人物が地方官に任ぜられている記録がある。扶桑略記、陸奥話記などには陸奥大目として物部長頼という人物が記載されている。いわゆる「古史古伝」のひとつである物部文書に拠ると出羽物部氏は物部守屋の子孫と称しているが証拠はない。一方で六国史に散見する俘囚への賜姓例の中には、吉弥候氏が物部斯波連を賜ったという記録も見える。

下総物部氏[編集]

下総国匝瑳郡に本拠を持つ物部匝瑳連の祖先伝承に、布都久留 の子で木蓮子の弟の物部小事が坂東に進出し征圧したというものがある。また平安中期に作られた和名類聚抄には下総国千葉郡物部郷〈四街道市物井〉の記述があり[5]、これらについては常陸国信太郡との関連を指摘する説があり、香取神宮と物部氏の関連も指摘されている。

尾張物部氏[編集]

古代尾張の東部に物部氏の集落があり、現在は物部神社と、武器庫であったと伝えられる高牟神社が残っている。

石見物部氏[編集]

石見国の一の宮「物部神社」(島根県大田市)は、部民設置地説以外に出雲勢力に対する鎮めとして創建されたとする説もあり、社家の長田家・金子家は「石見国造」と呼ばれ、この地の物部氏の長とされた。金子家は、戦前は社家華族として男爵に列している。

備前物部氏[編集]

岡山県には備前一宮として知られる石上布都御魂神社がある。縁起によると、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した「十握劒」(あるいは「韓鋤(からさひ)の剣)を山上の磐座に納めたのが始まりといわれる。江戸期には岡山藩の池田家から尊崇を受け「物部」姓を名乗ることを許されたといい、今の宮司も物部氏をついでいる。大和の石上神宮の本社ともいわれているが、神宮側は公認していない。

史料[編集]
先代旧事本紀 - 江戸時代の国学によって偽書であることが解明されたが、その頃からすでに内容の一部には独自の史料価値があるとも評価されている[6]。

考古学[編集]

1935年に八尾市渋川町にある渋川天神社操車場を工事した際に、この場所から仏教施設に用いられた塔の基礎や多数の忍冬唐草紋の瓦が出土している。この遺構は物部氏の居住跡である渋川廃寺址とされることから、物部氏を単純な廃仏派として分類することは難しく、個々の氏族の崇拝の問題でなく、国家祭祀の対立であったとする見方もある。
宅嗣の弟・息嗣の子孫とする近世の系図がある

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E6%B0%8F


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石上神宮の神使、鶏

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古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する。非常に歴史の古い神社で、『古事記』・『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述がある。古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。古くは斎宮が居たという。その中で、本当に斎宮であったかどうか議論が多いが、布都姫という名が知られている。また、神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称しており、伊勢神宮の古名とされる「磯宮(いそのみや)」と「いそのかみ」とに何らかの関係があるのかが興味深い。

社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(夢に天照大神、高木神、建御雷神が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡った。その後物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E5%AE%AE

http://shukyo-kataru.com/archives/49



*佐々木も榊

サカキの語源は、神と人との境であることから「境木(さかき)」の意であるとされる。

常緑樹であり、さかえる(繁)ことから「繁木(さかき)」とする説もあるが、
多くの学者は後世の附会であるとして否定している[要出典]。

混同されやすいので、

榊は「本榊(ホンサカキ)」とも呼ばれ、

ヒサカキについては、
「シャシャキ」「シャカキ」「下草」「ビシャコ」「仏さん柴(しば)」「栄柴(サカシバ)」などと
地方名で呼ばれることもある。

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寝落ちしてしまっていた、、、、


起きがけのお知らせ。

寝落ちする直前に調べてたことの中で


苗字を無理矢理返させられてしまった人がいたことを知った

その片は出雲系の口伝を伝え残してる人で”富氏”

こういう口伝とか予言のこととかは詳しく載せるのはやめておく

みんなそれぞれだから

みんなそれぞれいろいろな立ち居地があって

それそれがみんな同じような内容の”正”を自分たちに当てはめて都合のいいように語ってるわけだから

どれが正しい説かなんて、誰にもわからない

だからそういう内容が知りたければ検索すればすぐに見つかると思うので、内容はカット

ただ、両方を知ってすり合わせていけば矛盾してる部分などは少しはすっきりして来るだろうなと思う

こっちで意味不明だった部分があっちでは、おおお~と思ったり

またその逆もあり。

でも今回はそれは置いといて、

都合のいいように作られたのは神様の名前だけじゃなく

摩り替えられたのはその都合よく作られた神様の名前だけじゃなく

そこに存在する人の名前も負けた方だろうね

負けたほうが勝ったほうに

苗字を無理矢理変えさせられたようなこともあった。

まあ”卑弥呼”がいい例かも知れないけど

”卑弥呼”という個人は存在しないって思ってたから、

苗字を変えられた人がいるっていうのはちょっと考えなかった

あえて自ら苗字を変えた人がいるのはまあ例はたくさんある

養子になって名を変えるとか

婿になって名を変えるとか

サンカのようなやり方もある

家紋や苗字を無理矢理かえるということは

時が経つにつれて、その家の歴史が見えなくなるように、

後の人々にわからなくなるようにという意味しかないだろうよね


母にもう一度聞いてみないとわからないけど

我が家の会話の中には

私から見ての
”ひいじーちゃん、ひーばーちゃん”の話がほんとにないに近い。

父、母両家とも父、母が小さい頃に亡くなってしまってる

なら墓に入っていてもおかしくないのに

父方の墓には入っていないし

母方のは聞かないととわからない


両家ともあやしい単語満載なのだ。

ただ母のほうがまだ辿れる

まだ年寄りの親戚も若干健在だ

父の名に関しては

はっきり言ってあやしい(>_<)

同じ名にはいろいろとすごい人が多いけど

やってることははっきり言ってあやしい(>_<)

だからだんだんに書きづらくなってきたわけだ。(>_<)


おきぬけのお知らせは

"( ) amamoto"

”アマモト”

その名が出てきた

おお!と思った

けど


調べてみて、ありゃりゃりゃ。。。。



天本
福岡県、佐賀県に多数みられる。 関連姓は天元。
語源は海部で多くは海洋漁撈民族といわれる。

アマモト 天本 福岡県、佐賀県。
①福岡県久留米市に江戸時代にあった。佐賀県三養基郡基山町宮浦に江戸時代にあった。
同地に高木天神、荒穂神社あり。「天」の字を含む姓あり。
②コリア系。大韓民国忠清南道天安(チョナン)市発祥。「天安が本貫」の意。
大阪府大阪市西成区で1974年1月12日に帰化の記録あり。本姓は全。

アマモト 天元 北海道、岡山県倉敷市。
①天本の異形。
②コリア系。天本の異形。兵庫県神戸市兵庫区で1960年9月3日に帰化の記録あり。本姓は全。
アマモト 尼本 山口県防府市、広島県福山市。山口県防府市田島に分布あり。
瀬戸内海に面した土地。尼子姓あり。

アマモト 尼元 福井県福井市、兵庫県・山口県長門市。福井県福井市尼ケ谷(アマガタニ)町に分布あり。
アマモト 甘本 長崎県・兵庫県。
アマモト 海士元



海本
はっきりとした出自は不明。三重県鈴鹿市に海本町がみられる。
近年、大阪府に多数みられる。







あららら
あらあら

なんとなく ”天”のイメージが、、、、、


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%92%E3%82%B3


まあよい,,,,,,

富氏はアメノホヒはスパイだったといっているところも面白い

アメノワカヒコの話は創作だけど

ほんとにあったことを題材にはしている

アメノホヒは殺されたり罪になったりしていないのに
アメノワカヒコは意味不明のストーリーのナカで返り矢で死んだ
死んだ理由はスパイかもしれないサグメのせいだ
サグメの存在もまたあやしく
そういってそのあとすっかりストーリーから消えている
ストーリーからすっかり消えているのはアメノホヒも同じ

アメノホヒがスパイだったとみると
サグメの登場でそれを知らせたととれる



サンカ(山窩)は出雲神族の諜報機関という説もあるけど

アメノホヒもまたサンカだったということなのでしょうかね?

まあ、、アメノホヒもサンカもおいといて、、、、

おいとくわけにも行かないのはサンカの方なんだけど

まあそれもとりあえずこっちへおいといて


そういうことですね。
そういうことなんですよ


今日の起抜けのお知らせは

”もうわかってるだろ。

いい加減認めなさい。”

、、、、と、こんなとこでしょう。。。


はい。。。

確かに調べて見つけた同じなの人はみなほぼ”スパイ”です。

その土地に入り込んで、その土地を調べ、その土地の者を知り、

必要事項を伝える

その土地の連絡役

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お上(天・アマ・アメ)の意志を読み伝える

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神託を受けて吉凶を判断する巫女を神格化した存在が
ここではアメノサグメ

天からこちらへ

こちらから天へ


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そういう役割

オモイカネが送った雉もまた同じ





:::::::::::::::::::::::::::::

ヤマモト 山本 
大阪府、兵庫県、愛知県。

①滋賀県長浜市湖北町山本発祥。
②静岡県富士宮市山本発祥。
③越前国今立郡山本庄発祥。

④地形。大阪府貝塚市水間では山のふもとの土地による明治新姓。ほか。
大阪府堺市堺区山本町は経由地。江戸時代から記録のある地名。
山本姓の住民が開発したことからと伝える。
摂津国川辺郡山本発祥。
常陸国那珂郡山本発祥。

⑤鳥取県鳥取市では山名氏の後裔が創姓したと伝える。「山名が本姓」の意。

⑥コリア系。東京都北区で1956年4月7日に帰化の記録あり。
崔が含む「山」の字を使用したもの。他の本姓もあり。

ヤマモト 山元 
鹿児島県、宮崎県。創賜。
江戸時代にあった門割制度の山元門から。
位置の例。
鹿児島県薩摩川内市樋脇町市比野、鹿児島県姶良市西餅田、鹿児島県鹿屋市大姶良町、
鹿児島県肝属郡肝付町後田、宮崎県宮崎市高岡町浦之名。
鹿児島県志布志市有明町野井倉では山元屋敷。ほか。
山本の異形。

ヤマモト 山許 宮崎県都城市。
ヤマモト 山夲 長野県。

ヤマモト 山基 
兵庫県美方郡新温泉町。
兵庫県美方郡新温泉町田井にある臨済宗の自得寺の僧侶による明治新姓。



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”( ) amamoto”



3.png 兵


= 物部のサグメ一族

武族集団であり連絡役(スパイ)でもある=

いわゆる


忍者じゃないですか。


まあまあ、、、

って言うか、

ほんとに忍者と出てきた人も実は同じ名で二人見つけてる



。。。。。。。。。




人間が生まれて

欲が生まれて

そのせいで金が生み出されて

そして

欲の塊の人間は勝手に地球に線を引き

人々をばらばらに分けてしまった

それぞれがぞれぞれの都合のいい事をいい

それぞれがぞれぞれの都合のいい事を正義といい

それぞれがぞれぞれの都合のわるい事を悪といい

たくさんの憎しみの鎖でがんじがらめになった

今その鎖のせいで

どこもかしこも自由に身動きが取れない








次は


出石か。。。。


はあああああ。。。。。。
ここの所よく目に入る。。。。




古代姓氏の分類(神別)

●天降った神々の姓
物部氏
饒速日(nigihayahi)命の子孫。モノノフの語が物部よりおこったとされるように、武勇をもってしられる氏族。
石上・穂積・弓削・葛野・高橋・額田・長谷部・日下部・今木・内田など。
中臣氏
祖・天児屋根(amenokoyane)命は祭祀をあづかり、神と人の中をとりもつ意からこの名が出た。
大中臣・津島・中村・村山・平岡・藤原など。
大伴氏
高皇産霊(takamimusubi)神を祖とする。
佐伯・大伴大田・大伴山前・榎本・林・神松・家内・高志など。
日奉氏
大伴氏と同じ高皇産霊神の末。天照大神を祭るための氏族。
小山・久米・弓削・斎部・玉祖・玉作・伊与部・恩智・荒田・畝尾・飛鳥など。
県犬養氏
神皇産霊(lkamimimusubi)神の末。犬を飼育し狩猟にあたる。
竹田・間人・矢田部・巨椋・丈部・祝部・犬養・田辺・多米・今木・爪工・川瀬・高野など。

●土着の神々の姓
大国主命(出雲族)の末--石辺・宗形・賀茂・長柄など。
綿積命の末----------安曇・海犬養・安曇犬養・凡海・八太など。
椎根津彦命の末-------青海・倭太・大和・物忌・等禰など。

●天孫族の姓氏
神武天皇以前に皇族から分かれたとされるもの。
火明(hoakari)命
天忍穂耳(amenoosihomimi)命の子で、瓊々杵(ninigi)尊の兄。
尾張・伊福部・湯母竹田・石作・檜前舎人・榎室・丹比須布・但馬海・大炊刑部・坂合部・丹比・伊与部・六人部・朝来・津守・笛吹・次田など。
天穂日(amenohohi)命
天忍穂耳命の弟。出雲に国土奉献を勧告に出向いたまま、大国主命の女下照姫と結婚、出雲に土着した神。 出雲・入間・神門・土師・菅原・秋篠・大枝・凡河内・石津など。
天津彦根(amatuhikone)命
天穂日命の弟。各地国造の祖。
額田部湯巫・三枝部・奄地・高市・桑名・山背・額田部河田・山代・津夫江・大県など。
火須勢理(hosuseri)命
瓊々杵尊の子。母は木之花佐久夜卑売。日子穂穂出命の兄。
阿多御手犬養・阿多隼人・二見・大角隼人・日下部・坂合部。
天道根(amenomitine)命
神魂命の五世の孫。
滋野・大村・大家・大坂・伊蘇路。

[資料:日本姓氏事典(新人物往来社刊)]



出石を掘り下げる気にはなれそうもないな、、、


出石(いずし)は
兵庫県豊岡市にある地区で、かつての出石城の城下町。
城下町として整備された町割が碁盤の目状であることなどから、

但馬の小京都と呼ばれている。

豊岡市出石伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。


▲△ 4 折口信夫 花の話 (www.aozora.gr.jp)

榊と称する木にも、沢山の種類がある。

小山田与清の「三樹考」を見れば、榊に属する木の名は皆、挙げられてゐる。

三河の花祭りの鬼も、榊で打つと物を語り出し、それから榊を中心として、問答をする。

榊によつて、言葉が伝はつて来るのである。

換言すれば、榊はもどきの木、説明役の木である。


橘はまた違うて、生命を祝福する木に相違ない。橘の実を「ときじくの香の木の実」と言うた。

たぢまもりは、但馬の人 私は出石人と名をつけて置く で、考古学者は漢人種の古く移民して来たものだと言うて居る。

此人々の、祖先の中の一人であつた彼が、垂仁天皇の仰せにより、常世へ行つて、ときじくのかぐの木の実を将来した。ときじくは、常にある意で、かぐはよい香のある意である。

たぢまもりが帰つて見ると、天皇はもう崩くなつて居られた為に、哭いて天皇の御陵の前に奉つた事は名高い伝へである。

日本紀には、縵四縵・矛四矛を大后に奉り、縵四縵・矛四矛を御陵に奉つたとある。桙と言うても、棒のみを斥すものではなく、かげは冑をまで称せられた。橘の細い杖を撓めて鬘にし、八つの縵と八つの矛とを造つて、奉つたのである。


但馬の出石の出石人。。。。


今日はこれにてタイムアウト


どこまで隠しているんだ。。。 [目の裏の神様]


マイケルも裏で絶賛活動中でしょ


2014-12-24 15:46:26のブログです。
謎々更新中
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アメノ

マンナカ

ミナカヌシ


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名前や地名からいろいろ調べ始めてもう何年たつと思ってんだ?

どうしてこうとことん出てこないんだ?

これって言う正体が見つからない

でもとことん調べようと思ったら、私も父もその”オト”の血をひいているわけじゃない

父が子供の頃父の母が再婚してその”オト”の家にはいった

大正時代の戦前のことだから

離婚も今のような意味とは違うだろう

再婚も今の様子とは違うだろう


父は大正生まれだからその親は幕末~明治の人だろうから

戦で死んだとかもありえるだろう


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB


そしたら子供を抱えた女は、受け入れてくれる他人か遠い親戚に入るだろう

きっと遠い親戚の筋がありがちなことだろう

今の時代よりも

国内での敵味方もあからさまな時代

同じ血筋の遠い親戚に嫁にもらってもらうだろう

今みたいに”自由に”誰とでも恋愛したり結婚したりというわけにはいかなかっただろう

どこからこの和歌山にやってきたかもわからない

父の両親は父が19歳のときに亡くなってる

妹を抱えた父の面倒を見てくれたのは、

本家の中村家や一族の榊家


生きていくためには、そこにいるしかなかっただろう

他に誰も頼る人はいなかったんだろう

父方も母方も私から見たら祖父母以上の家族、親戚の話を聞いたことがない

ひいじいちゃん、ひいばあちゃん

私にはいないといっていいくらいだ。

もちろんいないはずはないんだけど、、、


”生きていくために”

そういう選択を強いられた時。

誰かに心底よくしてもらった時、親以上にとか。

そういう状況になった時



あああああ、、、、


モーセの話がいいたとえ話だね


ちょっと中断中



まあ、というように

自分がそこに生まれ育ったからとか自分がそれに関連する名前だからとかで

決め付けられるほど単純には行かないって事だ。


長野もそうだけど徳島も孤立してる

意味深なところばかり、、、、

っそれから

秋月がやっぱりなんかきてるな、、、

秋津も来てるし、秋月もきてる。

今日も秋月さんという人がお店の前を通った。

たまたまうちに来たお客さんの知り合いで

しかもその人、金屋あたりの人らしい、、、


徳島も高山も関連ありありなので、オエッと来るね、、、


しかも私から見たら大きな共通点がいくつもある

秘密の玉手箱だ。

高山にもまたひとつ印を見つけたしね。。。



でも今日はこれから出かけなくちゃだから調べられない~~~


と、言いながらちょっと高山のもうひとつの共通点付近をしらべようとして、

また”秋津”が出てきた、、、、


でてくるよね~~~



なんで、秋津で秋月なのかわかった


速秋津日命
はやあきつひのみこと

別名
速秋津日子神:はやあきつひこのかみ
速秋津日売神:はやあきつひめのかみ
速開津比咩/速開都比咩:はやあきつひめ
水戸神/水門神/湊神:みなとのかみ
……

『延喜式』大祓詞に速開津比咩と記される。祓戸四柱の神の一神。


『古事記』では、伊邪那岐命・伊邪那美命が家に関連する神々を生んだのち、
海神・大綿津見神、水戸神・速秋津日子神、速秋津日売神を生んだとある。
『日本書紀』一書には「水門神等を速秋津日命と号す」。
川と海の接する河口部の神。


大祓詞によれば、
「荒塩の塩の八百道の、八塩路の塩の八百会に坐す速開都比咩といふ神、持ちかか呑みてむ」とあり、
海に流れ出た罪や穢れを勢いよく呑み込んでしまうという意である。

この神を、 月神とす説や、内宮別宮の瀧原宮の神とする説もある

また伊豆能売神と同神とする説もある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B1%86%E8%83%BD%E5%A3%B2


秋津という文字を見て、オトにしてみるとなぜか脳裏に”秋月”と出てきて、この1,2日調べてた

高山のある場所について調べててまた出てきた



伊豆能売神が出てくるということは

”「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」 (つきさかき・いつのみたま・あまさかる・むかひつ・ひめのみこと)は
天照大神の 別名と考えられています”


タイムアウト!

また戻ってきたら続きを。。。。


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銅像役の行者(えんのぎょうじゃ)倚像:

江戸時代(1796)太田駿河守藤原正義作で、カラス銅の表面は黒光り。
頭巾を山高に、木の葉の肩衣、右手には錫杖、左手には巻子(目黒区指定文化財)。

役の行者小角は神変大菩薩

『足腰健全』、修験道の開祖ででもある


いまさらながら気づいてしまった、、、

思い込んでいたことがあると、、、


こういうのが自己洗脳という落とし穴なんだよね、、

前にも書いたけど

”思い込みって怖い”

恐ろしいほどに何重にも仕掛けが施されてるんだよね


どこのどの部分を自分に都合よく解釈してしまうかで

何通りもの結果が得られる

誰も真実を知らないのだから右往左往するのは当たり前で仕方がないとして

だからこそ、慎重にならなくちゃいけないと思う

自分がどこに属するかで贔屓目に見てしまうわけだ。


これが真実だ!!ってでかい声で表に出そうとする人は、

それだけ知ってるってことにう優越感を感じたいわけだし

それを材料に他人を誘導して思い込ませて、本でも出して

誰かさんみたいにちょっと目立った存在になってあわよくばちょっと金儲けでもしたい

そんな目論見のある人のほうが多いだろうよ

仮にどこかに真実があったとしても、その人の都合のいいような見方と、

より人をひきつけるようなプラスアルファで、結局はまた話が捻じ曲がっていってしまう

どこを見てもそんな人だらけだ。

本当の真実なんて、地球上すべての人間が知る必要もないこと

知ったところで何も変わらないし

その本当の真実に関係するものなんて、ほんの極わずかな一部分だろう

そんな大それた真実を探す前にまずは自分の出自を明らかにしてみたらいいよ

それすら難しい

表面上のことはわかるかもしれないけど、掘り下げていくと

ええええ???

えええええええええええ????

どういうこと???

って事に出くわしていく


私も夕べふと思った役の行者像謎

考え出したらまた眠れなくなってしまったけど、

いくら探しても肝心なことがまた実は書かれていなかった

私はそれはそこだと思い込んだだけ

一度電話して確かめてみようと思う


ただそれで改めて調べてみて、やはりそこにも念仏講のものも存在してたみたいな。

富士講と称した念仏講だったかもしれない

”隠し”の方であれば考えられる

”隠れ”でもありえるかもしれない

そんなの調べてて


役行者像(えんのぎょうじゃぞう、香美町香住区安木)

縦98cm、横39cmで、約600年前の室町時代の作品といわれている掛軸には、

修験道の開祖として伝説化され、

人々に信仰された7世紀末(奈良時代)の山岳修行者「役行者(えんのぎょうじゃ)」が描かれている。

この掛軸は、江戸時代末期、同地区に疫病が流行したため、

地区住民が大和国(奈良県)から持ち帰ったと伝えられる。

以降、地区で大切に保管・崇拝されてきた。

毎年夏には、

掛軸を本尊にして念仏を唱える「行者念仏講」が行われている。

室町時代の作品にしては保存状態が良好であるが、傷みも目立つため修復し、

のりや色が落ち着くまでの間、姫路市の県立歴史博物館に寄託し、専用施設で現在保管されている。


「行者念仏講」

講碑=富士講だとばかり思い込んだ

その講のマークのついた場所は富士のエネルギーが届くところでもあったから



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今もそうだけど

同じひとつの好きでも、個人レベルで分けると、またちょっと違ってきて

またちょっと違ってきたもの同士がくっついたりして、別の動きを起こすって

これ普通のことだよね

宗教に関してはすぐにこれをカルトとか言う人がいるんだけど

人が何を信じようと勝手だと思うんだ

それが現在言われてるあまりよろしくない宗教だとしても



ちょっと、まって、、


え?


今お店で使う袋とかタグとか運送会社が持ってきたんだけど

わざわざ小牧店からじかに持ってきたみたい


いや、ついた車が青い軽で、なんだ?と思ったので、今伝票をまじまじと見ていたところ


その伝票には気になるものばかり

小牧

沖村権現


浦島というハンコ

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はふはふはふはふ



わたしはね

小牧といえば ”尾張小牧”

沖村権現

さんずいついた中村

権現さん


3.png
別表記:三水
漢字の部首の一種で、水や液体に関する字に付く偏。
さんずいがつく漢字の例として、池、沼、河、湖、港などがある。

3.png中村
水に関係する中村=海人族の中村



で、浦島といったらもう浦島太郎の桃太郎しかないよね

吉備真備もでちゃう?




、、ちょっといったんUPお店開けなくちゃ、、、


「仲村」です。「中村」と書かれることが多いのですがそんなに気にしてません。でも、これからつきあいがありそうな場合は「にんべんのね」と付け加えたりもします。先日、写真屋で現像頼んだときは、ちと迷ったあげく「ナカムラです。あ、ごんべんのね」と言ってしまいました。店員さん、動きが止まりました。あわてて言い直したのが「ごめんなさい。さんずいでした」。沖村になってました。(にんべんです)
http://www.1101.com/m/iimatugai/732.html

現愛媛県である伊予国宇和郡沖村が発祥といわれる。富山県南砺市沖起源もある。近年、山口県や中国地方に多数みられる。「村」は村(邑)を表す。関連姓は沖氏、隠岐氏。




今時代は世界共通で

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これ意味わかる人は同じものを調べている人だろう

世界共通なんですよ

日本だけのことじゃない

=この世のこと。


日本という狭い地域でしかものを考えられないのはもったいない


もしも、人間は日本から生まれ、世界に散っていったという五色人説を信じるなら


日本とか、現日本人とか、朝鮮人とかなんだとかかんだとかっていう

ちっこいとこでいつまでも争うのはどうかと思うね


もちろん今世界は、そこを利用されて、

憎み合わされて、争わされて、奪い合わされて、戦い合わされて、殺しあわされてる

同じニンゲンでも欲の深いモノ達

あまりにも欲深いから、もう同じ人間とは思いたくはないよね

だから宇宙人説とか出るし、そう思っている人もいるよね

神のように振る舞う者たち


でもきっと神でもないし宇宙人でもないさ

ウォークインされてるとか

シェイプシフトとか

シェイプシフトの動画とかに関しても、馬鹿じゃないの?っておもうものが多いね

全部全部思い込みが仕掛けるマジックと自己洗脳

私もマイケルのHOAXでそれを体験し理解できた

理解できたというとこがポイントだと思うんだけどね。

これはじめから追ってない人にはもう説明の仕様がないほど時間が経ってしまったのよ。

マイケルが生きているといったとき、必ずみんなが言う言葉は

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

え、、そんな馬鹿な、、だってTVであんだけ放送してたじゃん

え、だって追悼式や葬式まで全世界放送でテレビでやったじゃん

え??だって、あのマイケルを殺したって言う医者だって逮捕されたし、裁判がTVでやってたじゃん

マイケルが生きてるって言うなら家族も誰も知らないのはおかしい

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



これは2009年のお話


さあ、今2014年

顎がはずれるっようなやらせばかりが巻き起こる現代でも

上と同じ事をいえますか?


ちょっと話がそれたけど

マイケルはそれを知らせるために、この世の中がそんな風になってしまう前に実行したんです。


”一度死んでくだされや”

これは日月神示の中の一文なんだけど

でも世界中の予定書『予言』で書かれていることだよね

死んだことにして次の時代が来るのを待てばいいわけよ

こんな風に言ったらあれだけど

311以降死んだことにした人も結構いると思うよ

もちろんその前から死んだことにした人はいると思うよ

前者と後者は理由は違うけどね



後者は賢いわ。。。





でもそろそろその者たちが呼び戻される時代ですよ



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サイン



合図


かもしれないし、



その意識を強めるための催眠術かもしれないし











今急に昔見た番組を思い出した

あとでYTにあるか探してみよう


三内丸山遺跡とそこにいた縄文人のドキュメンタリー”?”番組
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/

縄文土器の模様が世界各地で発見されている
それは三内の縄文人たちが船で世界をめぐり、
土器の技術と伝えたり、山に住むものに海草を食べるといい事を伝えたりして
現地に残るものもいただろうし、
また逆に三内の縄文人について船の旅に出た現地の者もいただろうって言う番組

面白かったな~~~


http://www18.ocn.ne.jp/~tugaru/minamitaiheiyou.html

http://www18.ocn.ne.jp/~tugaru/index.html

たしかYTでも見た気がするんだけど、ちょっとすぐに見つからないから、他のイメージ的なのを。











実はヤマモトだったという可能性もある

実田 実 they know all truth風に言うとね、、、

もしくわヤマモトと同族



浜は海岸や河岸のだけでなく堤や急斜面のふちの意味もある。

傾斜の急な斜面。


四国山地東部にある徳島県祖谷(いや)山は日本を代表する秘境として知られている。

ここを流れる吉野川上流域の本流支流は深い谷を刻み込み、その谷の両側には山上に形成された山

岳集落「天界の村」がかなりの数点在する。

東祖谷落合集落は祖谷地方のほぼ中央、高知県との県境険しい山間の急斜面に沿って位置する代

表的「天界の村」集落である。

落合集落横位置

急斜面に畑地が耕されその中におおよそ70軒の民家が張り付くように造られている。
集落内の高低差は約380m。
集落の起源は明らかではないが、平家の落人伝説や開拓伝承が残っており、民家は江戸の中期から

末期に建てられた主屋が多く残されている。

敷地は急傾斜地の為等高線に沿って切り盛りして前後に石垣を積み作られており、奥行きは浅く、細

長い。

祖谷地方では伝統的に家主は長男が結婚すると隠居し母屋の横に隠居屋を建てて住むという習俗が

あり、母屋、隠居屋それに納屋などが土地の形状に沿って横に並ぶ配置をしているのが特徴である。
建物は必然的に奥行きの浅い間取りとなり、山を背に谷に正面を向けて建てられている。

こうした敷地形状、建物配置の伝統的民家と石垣や畑などで構成される独特の景観が、2005年、重

要伝統的建造群保存地区に指定された。






堤防のこと。


https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E7%9C%8C

%E5%85%AB%E6%88%B8%E5%B8%82/@40.4586105,141.4852472,14z/data=!

4m2!3m1!1s0x5f9b4d6d1a08926b:0x5de124698da3784?hl=ja

https://www.google.co.jp/maps/search/%E5%85%AB%E6%88%B8%E5%B8%82+

%E5%A0%A4/@40.4586105,141.4852472,14z/data=!3m1!4b1?hl=ja


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4


堤家 - 公家。
堤氏 - 信濃源氏や大井氏、大友氏、品川氏、春日部氏の一氏族。







さんずい 賓







ひん【賓】

敬ってもてなすべき客人。また、訪れて来た人。
「仙宮の―と携はり」〈霊異記・上〉


ひん【賓】[漢字項目]

[常用漢字] [音]ヒン(呉)(漢) [訓]まろうど
1 大切に扱われる客。「賓客/貴賓・迎賓・国賓・主賓・来賓」
2 主に対するもの。「賓辞」
[名のり]うら・つら
[難読]賓頭盧(びんずる)



まろうど〔まらうど〕【▽客/▽賓/▽客▽人】.

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《「まらひと」の音変化。古くは「まろうと」》訪ねて来た人。きゃく。きゃくじん。
「観兵の間に設けたる夕餉に急ぐ―、群立ちてここを過ぎぬ」〈鴎外・文づかひ〉



まろうどい【客居/賓居】

客を通す座敷。客間。応接間。
「例の―の方におはするにつけても」〈源・早蕨〉


まろうどがみ【客神/客人神】

他の地域から来訪し、その土地で信仰されるようになった神。きゃくじん。


まろうどざね【客実/賓実】

主たる客。正客。主賓。
「左中弁藤原の良近といふをなむ―にて、その日はあるじまうけしたりける」〈伊勢・一〇一〉



狗賓


十返舎一九画『列国怪談聞書帖』より「ぐひん」
狗賓(ぐひん)は、天狗の一種。狼の姿をしており、犬の口を持つとされる[1]。

概要

著名な霊山を拠点とする大天狗や小天狗に対し、狗賓は日本全国各地の名もない山奥に棲むといわ

れる。また大天狗や烏天狗が修験道や密教などの仏教的な性格を持つのに対し、狗賓は山岳信仰の

土俗的な神に近い。天狗としての地位は最下位だが、それだけに人間の生活にとって身近な存在であり

、特に山仕事をする人々は、山で木を切ったりするために狗賓と密接に交流し、狗賓の信頼を受けるこ

とが最も重要とされていた[1]。

狗賓は山の神の使者ともいえ、人間に山への畏怖感を与えることが第一の仕事とも考えられている。山

の中で木の切り倒される音が響く怪異・天狗倒しは狗賓倒しとも呼ばれるほか、天狗笑い、天狗礫、天

狗火なども狗賓の仕業といわれる。このように、山仕事をする人々の身近な存在のはずの狗賓が怪異を

起こすのは、人々が自然との共存と山の神との信頼関係を続けるようにとの一種の警告といわれているが

、あくまで警告のみであるため、狗賓が人間に直接的な危害を加える話は少なく、人間を地獄へ落とす

ような強い力も狗賓にはない[1]。

しかし人間にとって身近といっても、異質な存在であることは変わりなく、度が過ぎた自然破壊などで狗

賓の怒りを買うと人間たちに災いを振りかかる結果になると信じられており、そうした怒りを鎮めるために岐

阜県や長野県で山の神に餅を供える狗賓餅など、日本各地で天狗・狗賓に関する祭りを見ることがで

きる[1]。

また、愛知県、岡山県、香川県琴平地方では、一般的な天狗の呼称として狗賓の名が用いられてい

る[2]。

ちなみに広島県西部では、他の土地での低級な扱いと異なり、狗賓は天狗の中で最も位の高い存在と

して人々から畏怖されていた。広島市の元宇品に伝わる伝説では、狗賓は宮島の弥山に住んでいると

言われ、狗賓がよく遊びに来るという元宇品の山林には、枯れた木以外は枝一本、葉っぱ一枚も取って

はならない掟があったという[3]。

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http://www.shurakumachinami.natsu.gs/04rensai-page/rensai_shikokueast.htm


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上に紹介した場所は今まさに孤立している三好

徳島県祖谷


阿波国(あわのくに)

古代、現在の徳島県の北の地域は粟の生産地だったために「粟国(あわのくに)」、
南の地域は「長国(ながのくに)」と呼ばれていたが、大化の改新の後に「粟国」に統一された。
和銅6年(713年)、元明天皇の命により地名を二字で表記するため粟は「阿波」に変更された。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E5%9B%BD


http://www.awanavi.jp/docs/2013031201825/








”イヤ”を広めたね。。。。




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:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

以下丸ごと転載させていただきます


http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=188775

縄文と弥生と古墳時代の境目

188775 アラハバキ(土着の神)と客人神(まろうどがみ)=融合支配の一例
 
丸一浩 HP ( 知命 滋賀 農業 ) 08/10/03 AM10 【印刷用へ】


■縄文時代から弥生時代、そして大和朝廷成立(=国家の成立)の歴史には日本特有の状況があります。
 その中の一つに【融合】或いは【取り込み】と言うような共認原理に基づいた支配様式、集団統合の様式があると思います。
 その象徴的な事例として、東北・関東の〈荒脛巾(あらはばき)神〉,南九州の〈門守(かどもり)神〉などと客人神の存在を紹介します。
 支配者側が元々の【精霊信仰】の対象であった被支配者側の【土着神=アラハバキ】を【客人神=まろうどがみ】としてそのまま取り入れ、これが現在にまで脈々と残っている(この逆もあるようですが)と言う事例です。
 以下【縄文の風】リンクの記事です。
●アラハバキ
~以下抜粋して引用~
 今回の記事は、武蔵国一宮・氷川神社の片隅にある小さな祠である「門客人神社」についての考察です。
 氷川神社の歴史は古く、神社の看板などによれば2400年ほどの歴史を誇るそうです。
 氷川神社の主祭神は須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命。この三柱の神々は、氷川神社でも最も目立つ、緑と朱が美しい楼門のさらに奥にある社殿に祭られています。
 しかし氷川神社には、これらの主祭神以外にも、多くの神々が祭られています。もっとも彼らは、それぞれ主祭神の社殿と比べると、ずいぶん小さな祠に祭られているのですが。
 こうした祠の中でも、特にわかりづらい場所にあるものの一つが「門客人神社」。
 この門客人神社に祭られているのは「足摩乳命・手摩乳命」という神様。

日本神話では、スサノオのヤマタノオロチ退治の話に登場する「アシナヅチ・テナヅチ」として知られています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%85%E3%83%81%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%8A%E3%83%85%E3%83%81

 なお、門客人神社、元は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたとのこと。ちなみに「アラハバキ」とは土着の神のことで、ウィキペディアでもこのような記述があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%90%E3%82%AD

 さらに言うなら、縄文時代には蛇信仰がありました。
これらのことを考え合わせると、この門客人神社の神々こそが、元々この土地で信仰されていた神々であり、時代が下るにしたがって、他からやってきた神(この場合は主にスサノオ)と立場が逆転して、現代に至っているという見方をするのが自然でしょう。
 このことを日本史に照らし合わせると――縄文時代以前から続く土着の信仰が、弥生文化およびそれに続く大和朝廷の影響を受けて変貌・弱体化し、「門客人」「アラハバキ」という形に変わっていったというところでしょうか。
 また、前述の「蛇」に関してさらに言及するならば、縄文人は蛇、特にその生命力を信仰の対象としていたということが、縄文関連の多くの書籍で指摘されています。
 氷川神社の主祭神が、これまた蛇神であるヤマタノオロチを退治したスサノオであることを考えると、この神社の存在は、蛇に象徴される自然の力が、スサノオに象徴される人間および智慧の力に征服されたということを示すものとも言えます。
 重ねて、アラハバキおよび門客人、そしてスサノオや大己貴命(オオクニヌシ)とのつながりの深い出雲は、製鉄と密接な関係があるともいわれています。ヤマタノオロチリンクの尾から出た天叢雲剣リンクもまた、製鉄技術の象徴でしょう。
 こう考えると、氷川神社の歴史は、人間と自然、そして資源や技術を巡る、人類の歴史の縮図ともとれます。
 ただし、ここでのポイントは、単純に「スサノオ=悪」「アラハバキ=善」(もしくはその逆)といったものではなく、スサノオが主神となった後も、アラハバキが完全に闇に葬り去られることはなかったということです。
わたしが思うに、このアラハバキ(=古代の信仰・叡智・価値観)の存在は、スサノオ(=現代文明)の暴走の際のストッパーとして、あえて残されているのかもしれません。


●客人神(まろうどがみ)
~以下抜粋して引用~
まずは平凡社の『世界大百科事典』からの引用です。
客神∥客人神 まろうどがみ
神社の主神に対して,ほぼ対等か,やや低い地位にあり,しかしまだ完全に従属はしていないという,あいまいな関係にある神格で,その土地に定着してから,比較的時間の浅い段階の状況を示している。ふつう神社の境内にまつられている境内社には,摂社(せつしや)と末社(まつしや)とがある。摂社には,主神と縁故関係が深い神がまつられており,末社は,主神に従属する小祠である場合が多い。客神の場合は,この両者とも異なり,主神のまつられている拝殿の一隅にまつられたり,〈門(かど)客神〉と称され随神のような所にまつられ,まだ独立の祠をもっていないことが特徴である。東北・関東の〈荒脛巾(あらはばき)神〉,南九州の〈門守(かどもり)神〉などはその一例だが,なかには普通の境内社より大きな一社を別個にたててまつる例もある。客神はちょうど人間社会における客人の扱いと同じで,外界からきた来訪神(らいほうしん)を,土地の神が招き入れて,丁重にもてなしている形である。客神が,けっして排除されることがないのは,外から来た神が霊力をもち,土地の氏神の力をいっそう強化してくれるという信仰があったためと考えられている。氷川神社の門客神神社,気比神宮の角鹿(つぬが)社,厳島神社の客神社,美保神社の客人神社などは,有名な大社にまつられた客神の代表例である。

 氷川神社の場合、前の記事でも書いたように、「客」はスサノオの方だったんですが。
 もっとも日本神話なんて、こんなことの繰り返しで、その最たるものが「国譲り」だったわけです。
 ちなみに「国譲り」に関しては、井沢元彦氏はその著書『逆説の日本史』の中で、「オオクニヌシは本当は処刑か自殺」という仮説を立てておられますが、この神話、たしかに普通に考えたらそう取れますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B9%B3%E5%AE%9A?



 ここで天津神がなした行為は、ぶっちゃけ侵略と略奪以外の何ものでもありません。記紀には比較的スムーズに(タケミナカタの反抗があったとはいえ)国譲りが行われたかのように書いてありますが、苦労して作った国を誰が「はい、どうぞ」なんて渡すでしょうか。
 しかし「征服者」たちの宗教は多神教だったので、キリスト教のような一神教とは違い、異教を徹底的に抹殺することはせずに「客人神」として取り込んだのでした。
本来ならばとうに滅びていてもおかしくはない縄文時代の信仰が、現代まで細々と受け継がれてきたのは、こうした背景が大きいのです。
~引用終わり~


いろんな見方ができるね

あちらをたてればこちらがたたずだね(>_<)



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ナナオサカキ

榊 七夫
鹿児島県薩摩川内市東郷町

ナナオについて少し触れておきたい。ナナオは、大正12年(1923)生まれの日本のビートニックの草分けとされる人物である(当時、ヒッピーという呼称はない)。ナナオは、鹿児島東郷町の生まれだが、京大に通っていた兄の関係で、小学校時代、左右両翼の反体制運動に関わる多くの大学生(居候)に囲まれて育った(居候の中には二二六事件の直接の関与者もいたそうである)。ナナオ自身、マルクス主義は河上肇を経由して予科練(乙)以前に消化していたという

戦後、2年ほどして上京、山谷に住み、

定職に就かず、たまにアルバイトをしながら暮らしていた。施盤工や写植等、様々な職を転々としたが、
主収入源はパチンコであったという。しかし、ある日、パチンコをしていることにバカらしくなり、「こんなことに時間を使うくらいだったら泥棒の方がいい」と考えるようになるが、「泥棒になったら、捕まったりしたとき牢屋に入ったり面倒くさい」ので、「泥棒よりは乞食がいいや」と思い立ち、乞食生活を始めた(昭和28年頃)。

以来、絵や詩を書きながら(書くだけで売らない)、日本中を放浪して歩く生活に入る。ただし、彼の強烈な文化的カリスマ性を理解する上で重要であるのは、ある期間、雑誌『改造』の私設社長秘書を務めた経験をもつことである(公職を追放されていた山本実彦の指示を受け、彼が実務に当たった時期があった)。

『改造』の看板によって、若いナナオは、高松宮、渋沢敬三、斉藤茂吉、大宅壮一、柳田国男、草野心平等、多くの文化人と接し、交際を得ている。

なお、放浪生活に入ったナナオは、三省に会う以前の昭和38年、既にゲーリー・スナイダー(1930年生まれ、昭和31年に来日、昭和42年まで京都大徳寺を拠点に生活)、アレン・ギンズバーグ(1926-1997、昭和38年に来日)とも交友を結んでいた。

そして、長沢哲夫(昭和17年生まれ、当時、既に「現代日本詩人会」に名を連ねた詩人だった)、秋庭健二(ナンダ)、山田塊也(ポン)等とバム・アカデミー(乞食学会)を名乗って、新宿「風月堂」等を溜まり場にして、一部の熱烈な信奉者を擁していた三省は、ナナオとナーガに会った時を以下のように回想している。
それは、僕が初めて出会った、本当に住む家を持たない放浪者であった。

…中略…その出会いは、僕にとっては、それまでの僕の人生の内で、最も新鮮で衝撃的な出来事であった。僕にとっては、それは僕の人生における詩の幕が切って落とされたことを意味していた。僕は生まれて初めて、自分の全肉体と全精神を傾けて対峙するべき存在に出会ったのだった。


やはり白浜町があった
https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E8%96%A9%E6%91%A9%E5%B7%9D%E5%86%85%E5%B8%82%E7%99%BD%E6%B5%9C%E7%94%BA/@31.8663189,130.3349897,15z/data=!4m2!3m1!1s0x353e483ef66aae7d:0x94ada75c292d9082?hl=ja


鵜鳥神楽「榊葉」白浜巡行


「座揃」で奏でられるお囃子が、お座敷を舞台に変えていきます。
スサノオノミコトに扮した舞手が桃の枝を持って四方を祓う「清祓」に続いて、「榊葉」が演じられます。




■義経ゆかりの鵜鳥神社
 鵜鳥神社は、海上安全、豊漁、縁結び、安産の神として古くからあがめられ、現在も例大祭(旧暦4月8日・現在の5月中旬)には各地から漁業に携る人が大勢訪れます。
 例大祭の始まりは、かつて源義経が、蝦夷地を目指す途中の建久2年(1190年)、卯子酉(うねとり)山で金色の鵜が子育てをしているのを見て、神鳥であると思い、鵜鳥神社で七日七夜、海上安全と武運長久を祈りました。すると、「汝の願いを聞きとどけよう」と神からのお告げがあり、義経は感謝して山頂に鵜鳥大明神をまつり、翌年から4月8日を祭典としたということです。




■古の伝え~鵜鳥神楽
 例大祭で激しく鮮やかに奉納される鵜鳥神楽は、全国的にも重要な伝統芸能であり、正月から2ヶ月以上かけて沿岸各地を巡業し舞を披露します。平成7年には宮古市の黒森神楽とともに「陸中沿岸地方の廻り神楽」として、「記録作成等の措置を講ずべき無形民族文化財」に選択されました。

舞は「御神楽」「岩長姫」「斐の川」「榊葉」「松迎い」、

狂言の「小山の神」、呪舞の「山の神」そして「恵比須舞」「勢剣」「鬼神笠松山」があります。

 中でも山の神が降りて、厄難の祓いを行う「山の神」の舞は、鵜鳥神楽を代表する舞です。それは、太鼓が鳴り響く中、真っ赤な面を付けた「山の神」が全身のあらゆる筋肉を緊張させ、ひねり、跳ね、回る。まるで指先にまで神が宿っているかのごとく荘厳で勇ましい舞です。

 神を崇める舞と、民を楽しませる舞。鵜鳥神楽は神聖な伝統芸能だけでなく、今もなお愛され、地域の人々の生活の中に生き続ける神楽なのです。


http://asttr.jp/tag/%E9%87%9C%E7%9F%B3


鵜鳥神楽は、岩手県下閉伊郡普代村に鎮座する鵜鳥神社の獅子頭である「権現様」を奉じる、岩手県を代表する民俗芸能です。鵜鳥神楽は毎年1月から3月にかけて、一年おきに沿岸地方の北と南に点在する「宿」を訪ねて公演する「巡行」を行なってきました。鵜鳥神楽の巡行は沿岸地方に暮らす人々の願いにこたえるかたちで行なわれて、喜びと畏敬の念をもって迎えられて、今日まで連綿と続けられてきました。一年おきに訪れる鵜鳥神楽の祝福を、沿岸地方の人々は心待ちにしてきました。

この奇跡的とさえいえる公演の形態を支えているのは、巡業する鵜鳥神楽を迎える地域であり、舞を披露する鵜鳥神楽と、それを見に来る地域の人々を招いてもてなす場としての宿です。宿といっても旅館などではなく、伝統的には、驚くべきことに普通の民家です。自分の家に近所の人を入れて、遠くから訪れる神楽を舞ってもらうなどということが想像できるでしょうか。鵜鳥神楽の巡行は、沿岸地方の人々の大らかさと連帯感に支えられてきたのです。しかし東日本大震災における沿岸地域の壊滅的な被害によって、宿の多くが地域もろとも失われてしまいました。

しかし、人々の様々な葛藤や困難を経て、今年度も巡行が行なわれました。今回は岩手県釜石市箱崎町の白浜地区で行なわれた宿神楽の様子をお知らせします。箱崎半島の先端に位置する白浜地区は約120世帯のうち3分の2が津波の被害を受け、道路が分断されたために住民が孤立した地域です。大きな傷を負った地域で行なわれた今年の巡行はどのようなものだったのでしょうか。
http://asttr.jp/tag/%E9%87%9C%E7%9F%B3


あっちにもこっちにも白浜

https://www.google.co.jp/maps/search/%E9%87%9C%E7%9F%B3%E5%B8%82%E7%AE%B1%E5%B4%8E%E7%94%BA%E7%99%BD%E6%B5%9C/@39.2713111,141.9186724,12z?hl=ja

細胞の発熱と新月のせいで [目の裏の神様]

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2014-12-23 15:30:00のブログです。
更新中
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私にはまったく関係のない感情

”恋焦がれるような細胞の発熱”

そして新月

ダブルで来ると切なくてしょうがない、、、、

早く月よ満ちていっておくれ

見えない月を見上げて切なくなるなんて

あーた

かぐや姫と変わらないって


はああああ!!!!


私が結婚を望まないのも

結局誰ともくっつかないのも

まるっきり罪人のかぐや姫と同じじゃないのさああああ!!!!!

あああああああああ、、、、、


香具山

香山の香さん

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こっちにも呪いがかかってたの???





香山神社
かごやまじんじゃ
[福井旅行] 福井県大飯郡高浜町下車持44高森7-1
http://www.genbu.net/data/wakasa/kayama_title.htm


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式内社 若狭國大飯郡 香山神社
旧村社

御祭神 天香山命 
配祀 猿田彦命 蛭子命 事代主命



福井県の高浜町にある。
若狭本郷駅の西1Kmほどの高森に鎮座。
おおい町との境界近く、27号線の南の丘が境内。
27号線脇に当社駐車場があり、白い鳥居が建っているが
表参道は27号線に向って北向き。
駐車場からも境内に入れるが、
とりあえず、27号線から階段を上って参拝開始。

鳥居をくぐると参道が南へ続いていくが
参道は、JR線路を越える高架状態で面白い。
電車が来るのをしばらく待ってみたが、
さすがに本数は少ないようなので、あきらめて参拝再開。

参道の先に、石の垣に囲まれた東向きの境内はあり、
境内の社殿は東向き。
ちなみに、この石垣は
本郷小堀の山ノ神古墳群から搬出した石材を使用しているらしい。

境内に向って左右に、同規模の社殿があり、
本社香山神社は右手(北側)の社殿。
左手は、摂社・牛尾神社(天日槍命・八王子命)の社殿。
両社の間をつないだ渡り廊下のような場所に、
境内社が並んで祀られている。
祀られている境内社は、右(本社側)から、
夷(恵美須)神社、熊野神社、事平神社、
荒神神社、瘡神神社、稲荷神社。

香山神社・牛尾神社ともに拝殿は無く、
本殿の覆屋の庇が前に延びており、その場所で参拝をする。

創祀年代は不詳。
当社社号「香山」は「カグヤマ」とも「カゴヤマ」とも読まれるらしい。

社伝によると

神武天皇の功臣天香山命を当地方開拓の祖神と仰ぎ、

香山(加来)山の霊地に鎮め給うという。

また、天香山命の後裔・若犬養宿祢の氏人が
養老年間(717~723)、この地に氏神として奉祀したという。


若犬養宿禰とは後に橘性をもらっている県犬養宿禰 ということは、香山とも繋がってしまった。父も母も完全に同族だわ。なのにどうしてその”オト”だけは出てこないの、どこまで隠してるの????完全に消されている感満載、、、でもこれでなぜ母方のじいちゃんが熊野新宮に開拓でやってきてたかわかったな。。。。


【名字】加来
【読み】かく,かき,かこ,からい
http://www.kaku-net.jp/kakuh/
賀来氏は奈良の大神(おおみわ)氏からでており、大神氏は豊後に移ってからは多くの氏の祖先となっているので、次の姓の方も参考としていただきたい(豊後国誌)。高千穂、三田井、日田、阿南、松尾、小原、大都留、武富、橋爪、田尻、入倉、大神
野尻、稙田、吉藤、太田、野津原、麦生、田次、行弘、大野、緒方、臼杵、戸次、佐伯
堅田、高野、栄基、大津、大牟田、朽綱、敷方


式内社・香山神社に比定されている神社で
『若狭国神名帳』に「正五位 香子山明神」にある古社。
高森に鎮座しており、高森乃宮とも称される神社。

摂社・牛尾神社は、第十一代垂仁天皇の御代、
渡来帰化した新羅国王子の天日槍命の末裔が
始祖を氏神として、延暦十年(791)頃、当地に創祀したという。
こちらも『若狭国神名帳』に「正五位 杜本明神」にある古社。

暦応元年(1338)、神意によって
丹後国大川十六所大明神、天日八王子御前、
大和国吉野蔵王権現が高森に飛遷し給もうたので、
翌暦応二年、右衛門中尉助教が社殿を改築。
以後、香山神社を下社高森十六所明神社、
牛尾神社を上社高森天日八王子社と称するようになった。
後、明治五年、社号を現社号(香山神社、牛尾神社)に改称した。

ところで、
なぜ、本社・香山神社を下社と呼び、摂社・牛尾神社を上社と呼ぶのだろうか。
香山神社が海側に、牛尾神社が山側にあるからだろうか。

当社の神紋は、三巴紋。
ただし、社殿の屋根には桐紋も付けられていた。
桐紋は、崇敬者(社殿寄進者)の紋かもしれないが、
両紋を掲載しておいた。

ちなみに、摂社・牛尾神社の神紋は桔梗紋。

『平成祭データ』によると、
当社の末社に笠掛神社(手置帆負命・彦狹知命・大山祇神)があるようだが
境外社のようだ。
また、境内右手にも境内社が一つあるが、社号は未確認。

境内左手(南側、山側)に、二つの祠があり、
鎮守乃神・古奥宮後拝所、大山祇神・神奈備香具山拝所とある。
香具山および香具山に祀られていた奥宮を遥拝する祠だろう。


参拝中、見落としてしまったが 境内西側の林に「鶏塚」があるらしい。 配祀・事代主命の 「鶏ノ声聞ユル里ハ、我ガ縁ノ地」と仰られた伝承にちなみ、 当社の神使は鶏で、早朝に参詣して神鶏の声を聞くと「福が授かる」という。


延喜式内社
若狭国正五位 香山神社 (通称 高森乃宮)福井県大飯郡高浜町高森七の一 高森(香具)山鎮座
祭 禮 春の宮当祭三月十三日 秋の同祭十月八日 例大祭 春季四月二十三日 秋季十月二十八日
祭 神 天香山神(開拓の神) 猿田彦命(道びきの神) 蛭子命(恵毘須の神) 事代主命(福徳の神)
神 徳 古くより高森十六所明神と尊称し「命の神」「福の神」と仰ぎ、交通、治病、招福、厄除、安産、幼児の守護神
由 緒 往昔第一代神武天皇の功臣天香山命を先人達が開拓の祖神と崇め祭祀せしか。又上古天香山命の後裔若犬養宿祢の氏人の 若狭(当地方)に在りて祖神を氏神として加来山(香具山)に創祀したものと推考される。 御鎮座は奈良朝の大宝二年(七〇二)の頃か、 少なくとも天平十三年(七四一)より延暦十二年(七九三)の間の年代と推定され、今より千二百五十年余前の創建ならん。降って平安朝の 延長五年(九二七)の延喜式神名帳に撰上ありしより、正に千五十年の古社なり。  中世暦応元年(一三三八)丹州丹後の 大川十六所明神が当地に飛遷(合祀)すと伝う。 鎌倉室町時代は社領も百五十石あり社運隆昌なりしと云う。 以降 幾度かの造営修補を経て、現在の社殿は江戸時代文化十年(一八一三)造営なり。
伴信友の詠歌 『こもまくら高森山の高々にあふぎて祝ふ神祭りかも』文化元年(一八〇三)の春祭りに参拝の折り詠める。



摂社 牛尾神社(別称 八王子乃宮)
御輿神社(末社)は両神社祭神の荒み魂を祀る(輿車の神)として崇拝す
古儀祭 春季三月十三日 秋季十月八日。 例大祭 春季四月二十三日 秋季十月二十八日。
祭 神 天照皇大神の八王子乃命 五男の命は天孫降臨の折り力を助け給う神、三女の命は世に云う海上全般の守護神
天日槍命を主神と仰ぎ奉る
由 緒 上古第十一代垂仁天皇の御宇に来朝帰化せる新羅国の皇子天日槍命の族及びその末葉達が当地に在りて祖神を 祭祀せるものならんとも推考され奈良朝の延暦十年(七九一)より以前の御鎮座と伝えられ 今より約千二百余年前と 推定される。其の後太政官符に依り、牛を殺して漢神を祭るを禁止せられしより衰微せしが、中世平安朝の暦応元年 (一三三八)丹州丹後大川天日八王子御前当地に飛遷す依って社殿造営の上遷宮(配祀)すと伝う。
又後世(戦国時代か)対岸の犬見の氏神を移座、即ち当社に合祀せりと伝う。区内の社壇零落し神格失脚の故ならんか、 今も尚犬見の白石に高森屋敷(小丘)有り。 鎌倉室町時代は本社と共に社領も有り隆昌なりしと伝う。
現社殿は本社を同期の江戸時代文化十年(一八一三)の造営なり。

-境内案内板より-

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参拝中、見落としてしまったが 境内西側の林に「鶏塚」があるらしい。 配祀・事代主命の 「鶏ノ声聞ユル里ハ、我ガ縁ノ地」と仰られた伝承にちなみ、 当社の神使は鶏で、早朝に参詣して神鶏の声を聞くと「福が授かる」という。



ひぃぃぃぃぃぃぃ、、、


また父と母の血と細胞の記憶内に共通するものが見つかった


さっぶっ!


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約五百年以前に農夫が参詣中に神鶏の声を聞き、

神の御声を聞き、

御姿を拝して賢き霊威を受けて

誠に有難く感謝報恩の念から

境内の森に「金鶏」を埋納して

「鶏塚」を創し祀ったと伝えられている。


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あっ!!!!

こっこれは、、、


旧地名 若狭国大飯郡和田村

和田村、、、


1時間前に調べてたこととシンクろった

けど、、それはちょっとやばいことなので、ブログには書けないな


調べは続けよう


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この場所の近くに天理教白濱分教会をみつけた

小浜に白浜だ。

しかしなんで白浜とこの天理教がつけているのか、不明

そういう場所ってあちこちにある。



しかし、、まあこの場所は、そうだよね、、、

例のあの十の地図にもあったしな、、

しかも311と小浜っていうのはむにゃむにゃむにゃ



あああ、、、、、

こういう謎ときって楽しいからやめられないんだよね

それも罠だったりするよな

これのせいで私はもう何年も無駄な生き方してるとつくづく思うもの

無駄な時間をドンだけ使い込むのってつくづく、常々思ってる


謎解きは楽しいけど、解いたところで幸せになれるわけでもない

気がついたら年を食ってしまってるだけ


あ、これが浦島太郎と玉手箱なのかしらね、、、

開けちゃったんだね。。。。

開けちゃったらもう、気がついたらおじいさんおばあさんだよね

あはは、、、ほんとだ。。。

私なんだかんだ2002年くらいに開けちゃったから

もう12年もたっちゃったもんね

もう12年前の私はいないもんね

気がついたら白髪も増えてたしね


私がひとつだけ、すごいなこの人と思ってるサイトがある

見ないようにしている

それでもたまたま見てしまうのは

自分がこうしていろいろ見つけたものの確認するときに検索かけると、

大体必ずといっていいほど、そのブログは出てくる

それでも、ほとんど見ない

だって出るということは、私が使ってキーワードのこと、その人は書いているということだから

あ、やっぱり書いてるんだ、、って、思って見ない様にしている

見るときは

何の気なしに検索したときに、出て来たとき

なんで出てきたんだろう?

そう思ってみてみる


今も何気に出てきたので見てみたら

私がこの頃ブログに載せてるキーワード全部使ってた(>_<)


ということはですよ



そういうエネルギーが確かにこの地上に渦巻いていることだと思うのですわ。


私はそれを ”神” とか ”神業” と感じるわけです。







封印を


解こうとしている


者は


世界中に


いる



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大好きだった


ナナオ



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サカキ


そう。、、、榊

鹿児島生まれ。


大好きなわけだよね。

わずかだけど同じ時を過ごせてよかった








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ヤベッ!

そうだ、、、忘れてた、、、

このメモ、、、


カヤマ 香山 

兵庫県、大阪府、岡山県。

①兵庫県たつの市新宮町香山(コウヤマ)発祥。
②筑後国上妻郡香山発祥。

③コリア系。愛知県春日井市で1982年8月4日に帰化の記録あり。
本姓は李。

※奈良県橿原市南浦町の天香久山(アマノカグヤマ)の付近から発祥。
香久山の地名は「香山」とも表記した。
香山真人の姓氏があった。
※百済系。同源。
香山連の姓氏があった。

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ひぃぃぃぃぃ、、、、、


尾張氏で繋がるかと思ってたら

尾張部 (長野市)
地名は平安時代にこの地にあったという尾張部郷がもとになっており、
郷名は大和国の高尾張氏が住んだことに由来するという。
名古屋市から続いてきた国道19号は、西尾張部地籍で終点となる。

っと、こっ、ココでまた、それってトンデモ説だろーーー的なものを発見したけど
どうも最近そこへ行くものがわらわら出てくる

今はまだあまり触れたくないし、書きたくはない

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紀伊尾張氏というのは見つかったので、父の墓の裏の神社の説明はつく



長野には香山は82人しかいない

小県郡長和町の一人が母方の実家だ
母の弟と奥さんがいたけど、弟は亡くなったので、奥さん一人がそこに残ってるって事。
娘たちはみんな他へ行ってるからね。。。

http://namaeranking.com/?search=%E5%90%8C%E5%A7%93%E5%90%8C%E5%90%8D&surname=%E9%A6%99%E5%B1%B1&tdfk=%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C


っていうか、、もうごちゃごちゃになってしまって

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おぼえといて [目の裏の神様]

更新中 12/23
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RBTL

READ BETWEEN THE LINE


見たもの、見たまま受け取って

見たもの、見たまま信じないで


聞いたもの、聞いたまま受け取って

聞いたもの、聞いたまま信じないで



私だって、すべて真っ正直に書いてるわけじゃない


書いてない部分だってたくさんあるし


ごまかしてる部分もたくさんある



アイタタタタタ、、、って思った部分は関係なしとしてるし(>_<)


誰が1から100までご丁寧に教えてやるかって気持ちもある


私は群れるのが嫌いだから

みんなでなかよしこよし、何でも教えてあげちゃうわって気持ちはない

私は人が嫌い

基本的にきっと人が嫌い

特に群れるのをよしとする人、つるむのがよいと思う人はほんと嫌い

だから、この先日本がおかしなことになっても

群れて村の仲間になんかならないよ


どうするか?


私には”その血”が流れてるから

きっと大丈夫。


鈴木中村馬の糞

あ、私は鈴木でも中村でもないよ



わたしの”オト”を持つ人が”ある場所”にいたのを知ったときに

それについてこういわれてた

”見張り役だ”と。。。。。


なるほどだ。




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アイコ今頃か、、、

今頃その動きか、、、

なんか聞いてるんだろうね。。。


そのイメージ

私からしたら、いまさら?だけど

今必要な人だっているからね


::::::::::::::::::::::::::::::::::


”日本人”

とか

”大和魂”

とか

”日本人”はどこから来たか?とか


そこにこだわっている人がすごく多いけど

そこにこだわる意味は何なんだろうかと考えたことはないんだろうか?

そして、まさか自分はその元からいた日本人だ!と思っているんだろうか?

そしてまた、もしそういう人が自分が実は外来種(渡来系)だと知ったらどうなるんだろうか?

そしてまた、あなたじゃないほかの人が渡来系だったらなんだって言うんだ?


まさかいまさら日本から出て行けとか言うんじゃないでしょうね?


そうだとしたらくだらなすぎる

馬鹿みたいにくだらなすぎる


そこで争いを起こそうとしていってるんだろうか?

そしてもし仮に純粋の元からいた日本人が、今現在もいたとして

だからなんだってんだ?

そして自分がそうですとでも言いたいんだろうか?


仮にそうだったとして、だったらなんなんだい?


えらいのかい?


まったく理解不能







ハローヒロシハヤシなんて、ますます理解不能

ハローヒロシハヤシは初めのころから見てるけど、

最近ではすっかり宇宙人に神経一本つかまれてるよな

いや、、私もいろいろ調べたからわかるっちゃーわかるけど

なんかもうちょっと違う気がするんだよな、、、

宇宙人、、、、

本当の高天原、、、、


仮にその真実がわかったとして、わかったらどうなると思うんだろうか?


わかったところで、きっとなーーーんもかわらないと思うわ。


ちょっとこの2点、気をつけようと思ったことだからね、、、私自身も。

どうもそう思い込まされてしまうことへの拒否反応が出てしまったから、

いったん私はそういう情報をよこす人をみんな切ったわけで。

なんかこの2点は危険だなと思う

いやいや、、、見間違いようのない状態でUFO見ましたよ

早朝、目の前、数十メートル先のほんとに少し顔を上げた高さに

それはいましたよ。

私と友達と二人で見ましたよ。

40年近く生きてきて、ああいったものは見たことがありませんでしたよ

未知との遭遇でしたよ

その後も何度か見ましたよ

だからこそ、、、、待ったがかかるんだと思います。





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クリスもなかなかいい表現方法だな。
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【中村天風】 名のつけ方はどう...

名のつけ方はどうつけてもいいけれども、

神、仏に、何か人間と同じような恰好をしたものが一人いて、

それが、人類のなし能わざる、すべての不思議な計画を実行に移している

と、

こう思ったところに、

大変な、ミス以上のネグレクトがあるわけですね。


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”中村”天風さんもまったく同じことを言っているではないか~~~~~~~







まあまあ、、確かに悪い奴って言うのはニンゲン離れした顔してるのは10000%事実だけどさ

BBC News - Hong Kong billionaire sentenced to five years jail
http://www.bbc.com/news/business-30584887

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物部のサグメ一族 [目の裏の神様]

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神まぎとは、神覔ぎ、神求ぎ、神招ぎなどと書き、神を探して迎えることをいいます。

もとより神は自然界のどこかに存在すると考えられており、
祭祀するにはまず神を見つけることが大切で、そのために神まぎをおこなうのです。

その行為を、おろす(降、下)、ふらす(降、振)、たらす(垂、帯、足)、よらす(寄、依、拠)、
いざなう(誘)などといいます。

行為をするのは巫(カムナギ)で、

一番古い例が卑弥呼(ヒミコ)であり日(霊)の巫女のことでしょう。

巫は女性である場合が多く、

フルヒメ、タラシヒメ、タマヨリヒメ、サグメの名前が残っています。

http://jinja88.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-f34c.html



物部のサグメ一族
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はじめ真ん中 ミナカヌシ[マキ]
タカキさん[マサキ/サカキ]に伝うて
カミムスヒ[クスノキ] 溢れ出る

ヌナカワ姫 http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2014-11-25


摂津国坐摩御巫家系図  凡河内宿禰

  吉備津宮検校大公文家系図  品遅君

  下総船橋神家冨氏系図  伴冨宿禰

  越後国沼名川社家榊氏系図  道公

  周防国玉祖神社家土屋氏系図  玉作部

  武蔵国阿伎留社神主阿留多伎氏系図  玉作部

  筑前国志加神社宮崎家系図  阿曇連

  美作国二宮神主家系図  漆部宿禰

  河内国枚岡神主家系図  中臣平岡連

  大和国春日梅木氏系図  釆女朝臣

  加賀白山神主家系図  上道朝臣

  能登一宮神主家系図  羽咋公

  熊野新宮三党系図  穂積臣、榎本連、丸子造

  香取大禰宜系図  中臣連、矢作連

  武蔵国氷川物部氏系図  物部直

  厳島社家棚守氏系図  佐伯朝臣

    など。



穂積氏(ほづみうじ/ほつみうじ)は、「穂積」を氏(ウジ)の名とする氏族。

古事記・日本書紀にも記される古代氏族で、大倭国の有力な中央豪族。
姓(かばね)は始め穂積臣、後に穂積朝臣。
天津神・饒速日命が祖先と伝えられる神別氏族で、嫡流は後に藤白鈴木氏を称した。
代表家紋は抱き稲。

物部氏、采女氏の本宗家とされ、熊野国造家とは先祖を同じくする同族とされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%82%E7%A9%8D%E6%B0%8F




ええ、、、、

ある名前とある名前のカタカナを一緒にググってみると、まったく何もヒットしない。

ひとつずつだとそれに関することだけはちゃんと検索できる。

二つをあわせたらまったく何も検索されない



今日はなかなか進まない。。。

いろいろな材料は揃いすぎるくらい揃ってるんだけど

今日はなんだかとっても疲れている、、、、、



”偶然”がたくさんすぎて、

すべて偶然に細胞の記憶が反応しまくる、、、、



”ありふれた名前”がどうしてありふれているか。。。


ああ、、、泳ぎに行きたい、、、、、

寒すぎて無理だけどね、、、、

夏終わりにはダイビングライセンスとろう。。。。

ダイビングスーツも買わなくちゃ

冬もちょっとでもいいから海の中へ行きたい





沼河比売への求婚

 八千矛(やちほこの)神は高志(こしの)国の沼河比売(ぬまかはひめ)求婚しようと出かけ、

その沼河比売の家に着いて、

     八千矛(やちほこ)の神様は大八島国中探しても妻を娶ることができず 

遠い遠い高志の国に賢しこい女性がいると聞いて麗しい女性がいると聞いて求婚しに出立し 
求婚しに通った大刀の下げ緒 いまだに解かず 襲(おすひ)をも いまだ解かないのに 
女性の寝ている家の戸板戸を激しく押し揺すぶった
私はたてば何度も引き

私がたてば青山に悲し気にぬえは鳴き

野の鳥 雉(きぎし)は鳴き叫び 

庭の鳥 鶏(かけ)が鳴く 

嘆かわしくも鳴くのか鳥よ

鳴くのをやめてくれ 

天駆ける使いよ 

これを事を伝える語り言としよう と歌った。

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幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)

 少名毘古那神を失った大国主神は嘆き悲しみました。

 「おお……。私一人で、これからどうやって国造りを進めていけばいいのだ。

誰か、私のパートナーになってくれる神はいないのか」

 一人って……。少名毘古那神と一緒に地を耕したり鉱山や温泉を開拓したり薬を作ったという八束水臣津野命(ヤツカミズオミズのミコト)は眼中外ですか。

 


そんな時でした。

かつて少名毘古那神がやって来たときのように、はるか海の彼方からやってくる者がありました。


それは全身が光っていて、海の面をまぶしく照り輝かせていました。



 「お前が私をよく祀ってくれるというのなら、私は共に国造りをしていこう。

でなければ、この国はとても作れまい」

 光り輝く神がこう言うので、大国主神は尋ねました。

 「では、どのようにお祀りすればいいでしょうか」

 「大和の国の、青々と連なる山々の東の山に祀れ」

  光る神はそう言い、御諸山(みもろやま)――今の三輪山に鎮座しました。

 この神は、実は大国主神自身の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)であったと言われます。

別の説では、大国主神は自分の和魂(にぎみたま)を鏡に入れて三輪山に置いたとされます。

幸魂とは愛、奇魂とは知恵、和魂は善の心です。

パートナーを失った大国主神は自分自身に自問し、愛と知恵をもって国造りを進めたのでした。


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とりあえず思いつくまま、見つけたままのっけている

自分のルーツと目の裏の神様

父の墓のある土地にまつわるいろいろなお話も織り交ぜ、父の戦後の動きを織り交ぜながら考えれば

なんとなくみえてくる。。。。


しかも上に書いたように

あるキーワードを二つ一緒に入れてもまったく何も検索されない

普通ならそうやって検索しても二つ一緒のページがなくてもどっちかのものが出てきたりするのに

まったく出ない

何で検索したかは教えたくないので、消してますが、こんな具合

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なんで教えたくないかっていったら、これは私のルーツであって、

私は別に神様の出所とか日本人のルーツを探しているわけじゃない

別に、そりゃそれがわかればいろいろな見方は変わるだろうけど、あなたには関係ない

関係があればいつか出会えるでしょうよ

ただ通りすがりにココを見てる人に、すべて教えてあげる必要もないし

検索もできないようになってるってことは、、、、、そういうことだろう。。。。

ぎりぎりな感じだな、、今の時点で。


きっと同じものを捜し求めている人なら、見ればわかるはず。

見てもわかんない人には、きっと何にも関係ないんじゃないかなと思う

自分でいろいろなサイト見ててもそう思うもん

まったく意味不明だったりするのは理解する段階じゃないか、まったく関係ないかのどちらか



また細胞の熱病が始まっているらしく、、、、

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恋じゃない

私がときめいている訳じゃない


だけど、これ、、細胞が発熱したらもうしばらくどうにもできない

今までにも何度も会った

実際に自分がする恋とはまったく違う感覚だ。

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いつも両性具有の男に対してだけの熱病みたいだ、、、、


自分でもよくわからない


白塗りフェチなのか?って思ってたけど

口紅つけてる男なんて私はやだしね、、、、、


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細胞のどなたかが発病中です、、、、、


しかも今回この方

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李でスモモ、桃、梅

しかも

”中村さん” ってニックネームで呼ばれてたって知って、さらに発熱、、、、、


これまでに共通しているのは

白塗り(女形、白塗り、おカマ)で憑依型俳優





しかもしかもしかも、、、

”Lee Joon”という名前に意識を向けさせたのは

TOY.......

イ・ジュンギダイレクトじゃなかったけど、

”イ・ジュン””Lee Joon”つながり。

”Lee Joon”つながりではいろいろ発見したからね、、、

まだ見てないけど、

”役の行者一族”とかさ、、、



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その他、人口の多い「中村」
中村市:高知県西部。「土佐中村」「高知県の中村」と呼んで区別する。
中村町 (福島県):福島県浜通り北部。「陸奥中村」「相馬市の中村」と呼んで区別する。

江南 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8D%97

大きな川の南側の地域を指すのに使われる地名。



ナカ族(ナーガ・ナガ)
高床式住居、千木・かつお木、鳥居、いれずみと断髪、歌垣、アニミズム、山岳信仰、赤米と穀霊信仰、そして農具や木・竹・わらの道具、数々の発酵食品などの稲作複合文化・・・・と、「倭人」の源流を求めてというこの本のタイトルからも伺えるように、著者は、雲南・アッサムの山岳少数民族の生活風俗と古代日本のそれとの共通項をもとに、両者のミッシング・リンクを埋める興味深い仮説を展開する。中国の江南地方に住んでいた倭人(江南人)と雲南山岳地帯の雲貴高原に住んでいた人々、そして日本列島の倭人と、古代の東アジア世界を思い描くことは、ワクワクさせられて本当に楽しいものだ。
http://www.mekong.ne.jp/books/explore/011101.htm

https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E6%B1%9F%E5%8D%97&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl#q=%E6%B1%9F%E5%8D%97+%E3%83%8A%E3%82%AC%E6%97%8F&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&start=10



江南スタイルだってスヌープとかハマーがコラボしたから聞いてみたようなもんだ

スヌープにはマイケルHOAXイライずっと注目しているし

ハマーはさ、、私がハマだから

わたしのback to roots計画では

いつか、私の苗字の黒人が誕生するわけよ。

日本の血が見た目から消えてしまって、見るからに黒人なんだけど名前は私の苗字


するとやっぱり発音的にもハマじゃなくてハマーになるんだろうなーっていうね。。


我が家の血の落ち着くところはどうもそこらへんなんだろうなと思う。

でも、そうなりそうもないけど、、、(>_<)

でも、まあ知らず知らずのうちに受け継いじゃうのが

”血”

”細胞の記憶”













私の”オト”はいまだ、これ!といって特定のものは見つからず、

だから一族から調べて洗っていくしかない

見つけた個人個人はみんなヤヴぁい人ばかり

まったく普通か、

まったくヤヴァいか


ヤヴァいとこにいる人はほんとにヤヴァい

調べるのやめたくなるもんね





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マイケルやジャクソンファミリー、その他、マイケルに絡みのあるアーティストたちも

この数年みな

日本とも共通するなというものをモチーフに使ってアピールしている

もうこれまでずっとブログにそれらの動画は貼ってるから、今はもう載せないけど

”蛇”を出してくることはとても多い


"naga"

そういいたいんだろう

”蜘蛛”もよく出してきたね

蜘蛛=土蜘蛛=ナガスネヒコとかね、、、


http://www5b.biglobe.ne.jp/~yokoyama/frm68.html
『川﨑真治氏は中村の「ナカ」が「蛇族」を表わすと述べております。
中国の江南語で「ナ」は蛇であり、インド語・マレー語で「ナガ」といえば「竜蛇」だそうでございます。』

奇遇にも、長井は山岳信仰の面が強く山の神として竜神を祀るところもあり、卯の花姫伝承では三淵で大蛇が祀られ、また長井の獅子舞は、全国的にメジャーな1~2人の獅子舞ではなく、大人数が幕に入って舞う「むかで獅子」というタイプであり、獅子頭の別名も「蛇頭」であったり、舞い方も一部の神社を除き上下運動が少なく水平に舞うなど、水面を泳ぐ蛇のように見えます。


”中村連”
「中村」という氏や姓で最も古いものは
中臣氏族の中村連(なかむらのむらじ)といわれ、
大和国忍海郡中村郷に発祥した連であることから
中村連とされています。
大和国忍海郡中村郷は現在の奈良県葛城市忍海付近で
古くから忍海郡の中央部に位置していたことから、
《郡の中ほどの村》ということで「中村」という郷名に
なったようです。

陸前国(宮城県)新田郡中村郷に興った上毛野氏族の
中村公もあります。
古代律令国家の国造りに於いて、《中心となる村》に
しばしば「中村」「仲村」の名が用いられていますが、
この新田郡の中村郷の場合もやはりこれと同様の由来が
あるようです。

桓武平氏良文流の中村氏は相模国(神奈川県)
余綾〈よろぎ〉郡(後の淘綾郡〈ゆるぎぐん〉)の
中村郷から発祥しており、
この中村郷は《相模国の中ほどに位置する村》であること
からの「中村」です。


詳しくは
http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/nakamura.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%B0%8F




https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=so+fur+go+from+ashes&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl


ミャンマー中国* The Rza- Samurai Showdown
http://michaelalive-jama.blog.so-net.ne.jp/2012-11-11-1" target="_blank">http://michaelalive-jama.blog.so-net.ne.jp/2012-11-11-1


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ほら、、、昨日だかおととい書いた地名がごっそり。

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中村発祥の地の地図を見て

あらほんとに、意味深な場所だこと。。。


https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%BF%8D%E6%B5%B7%E9%A7%85%EF%BC%88%E5%A5%88%E8%89%AF%EF%BC%89/@34.4706734,135.7388795,13z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0xab43e999a39a3249

”こもり” がいる意味もわかった

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E6%B0%B4%E5%88%86%E7%A5%9E%E7%A4%BE

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E5%AE%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE



”たじり”も

美濃、美濃口

大友、白幡

たつはな

東京にいたときに周りにいた名前ね

榊枝


::::::::::::::::::::::::::::::::::

夕べ、またなんかキタ。。。。。

なんかわかんないけど

同じ人物なのかなと思えてきた、、、


18歳の頃、一人暮らししてたとき
厄年はいる寸前に本当に悲惨なことに巻き込まれたとき
あの頃、夜道を帰るとき黒い影がいつもついてきてた

そんなある日、目を覚ますと青白い男が私に腕枕をして、寝顔を覗き込んでいた


それから何年もたって、父が亡くなってすぐの頃
私が明け方寝入った頃
私の両足を布団の舌から引っ張ってどこかへ連れて行こうとしてた人がいる
しばらく引っ張られ布団から出てしまったような感覚になったときに体を動かすことができて目が覚めた


お店を始めた頃
私は家の入り口にお店を自分で立てたのだけど
私が寝入ろうとすして、アーーーもう寝ちゃうな~って夢うつつのときに
だいたいいつもそのドアのドン!っと叩く音がする
それはいつものことなので、まったく気にならなくなってた

その頃、インディアンの夢見の技法にハマって、しばらくの期間いつも寝てた時がある
そのときに、
一度私のおでこにフーーーーとつめたい息を吹きかける人がいた
あと、もう一度は、まあ、瞑想して眠りに入っていくというやつなので、瞑想していると急に胸ぐらを捕まれて、上にぐわーーーと引っ張られて、おおおおーーーっと思ったけど眠りに落ちた。


そしてこっちに引っ越してきて、はじめの夏のある夜
ロフト2段ベットなんだけど、いちお。
何か気配がしてうっすら目が覚めてきた
その入り口から男の人がベットの方にやってこようとしているのがなんとなくわかったので
ベットのすぐ横の壁を叩いて脅かしてやった
そしてすぐ眠りに落ちた


夕べ、
あーーーーもう寝ちゃうよ~~~って時にまた
なんか来るぞ、、、と思った瞬間目が覚めたけど動けなくなっていたら
私の頭、髪の毛をぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃっと
かなり強引ないい子いい子をする人がいた
その髪の毛をぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃっとする音もはっきり聞こえて
あああああああああーーーーっ!もううううううう!!!と思った瞬間
からだが動けて目が覚めたけどすぐ眠りに落ちた。


それを考えていて、同じ人のような気がしてきた

わかんないけど。。。

なんか、パターンが同じというか、、、


それからなんとなく、来そうなときもわかるような感じになってるかもしれない


共通していることは

なんかされることがウザったい


(>_<)


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


探しているよ。

私の”オト”を


ここに天兒屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命、并せて五伴緒を支ち加へて、天降したまひき。ここにその招きし八尺勾璁、鏡、また草那藝劍、また常世思金神、手力男神、天石門別神を副へ賜ひて、詔りたまひしく、「これの鏡は、專ら我が御魂として、吾が前を拝くが如拜き奉れ。次に思金神は、前の事を取り持ちて、政せよ。」とのりたまひき。この二柱の神は、さくくしろ、五十鈴の宮に拜き祭る。次に登由宇氣神、こは外宮の度相に坐す神ぞ。次に天石戸別神、亦の名は櫛石窓神と謂ひ、亦の名は豐石窓神と謂ふ。この神は御門の神なり。次に手力男神者は佐那縣に坐す。故、その天兒屋命は、【中臣連等之祖】布刀玉命は【忌部首等之祖】天宇受賣命は【猿女君等之祖】伊斯許理度賣命は【鏡作連等之祖】玉祖命は【玉祖連等之祖】。故ここに天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、稜威の道別き道別きて、天の浮橋にうきまじり、そり立たして、竺紫の日向の高千穗のくじふる嶽に天降りまさめしき。故ここに天忍日命、天津久米命の二人、天の石靭を取り負ひ、頭椎の大刀を取り佩き、天の波士弓を取り持ち、天の眞鹿兒矢を手挾み、御前に立ちて仕へ奉りき。故、その天忍日命【此者大伴連等之祖】、天津久米命【此者久米直等之祖也】、ここに詔りたまひしく、「此地は韓國に向ひ、笠紗の御前を眞來通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」と詔りたまひて、底つ石根に宮柱ふとしり、高天の原に氷椽たかしりて坐しき。

(訳)講談社学術文庫版

こうしてアメノコヤネノ命・フトダマノ命・アメノウズメノ命・イシコリドメノ命・タマノオヤノ命の、合わせて五つに分かれた部族の首長を加えて、天降りしたもうた。

そのとき、あの天照大御神を石屋からお招きした八尺の勾璁と鏡、および草那藝劍、それに常世のオモヒカネノ神・タヂカラヲノ神、アメノイハトワケノ神をもお加えになって、

天照大御神は、「この鏡はひたすらに私の御魂として、私を拝むのと同じように敬ってお祭りしなさい。そしてオモヒカネノ神は、私の祭りに関することをとり扱って政事を行いなさい」と仰せになった。

この二柱の神(天照大御神とオモヒカネノ神)は、五十鈴宮に鄭重に祭ってある。

次にトユケノ神は、度会の外宮に鎮座されている神である。



次にアメノイハトワケノ神は、またの名をクシイハマトノ神といい、 今一つのまたの名をトヨイハマトノ神という。 この神は宮門を守護する神である。


次にタヂカラヲノ神は、伊勢の佐那県に鎮座しておられる。

そしてかのアメノコヤネノ命は、
中臣連らの祖神であり、フトダマノ命は忌部首らの祖神であり、

アメノウズメノ命は、
猿女君らの祖神であり、イシコリドメノ命は作鏡連らの祖神であり、

タマノオヤノ命は玉祖連らの祖神である。

さてそこで、天つ神はヒコホノニニギノ命に仰せ言を下され、
ニニギノ命は高天原の神座をつき離し、天空にいく重にもたなびく雲を押し分け、
神威をもって道をかき分けかき分けて、
途中、天の浮橋から浮島にお立ちになり、筑紫の日向の高千穂の霊峰に、天降りになった。

そのとき、アメノオシヒノ命・アマツクメノ命の二人は、
りっぱな靭を負い、頭椎の大刀を腰に着け、波士弓を手に執り、眞鹿兒矢を手挾み持って、
天孫の先に立ってお仕え申しあげた。

なおそのアメノオシヒノ命は、大伴連らの祖先、

アマツクメノ命は、久米直らの祖先である。

このときニニギノ命が仰せられるには、

「この地は朝鮮に相対しており、笠紗の美埼にまっすぐ道が通じていて、朝日のまともにさす国であり、
夕日の明るく照る国である。だから、ここはまことに吉い土地だ」と仰せられて、
地底の盤石に太い宮柱を立て、天空に千木を高くそびえさせた、壮大な宮殿にお住まいになった。

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次にアメノイハトワケノ神は、またの名をクシイハマトノ神といい、 今一つのまたの名をトヨイハマトノ神という。 この神は宮門を守護する神である。


きゅう‐もん【宮門】

1 宮殿・皇居の門。
2 内裏の外郭の門。


※境外末社

◎豊磐間戸・奇磐間戸神社--坐摩神社行宮
  大阪市中央区石町2丁目
  祭神--豊磐間戸命(トヨイワマト)・奇(櫛)磐間戸命(クシイワマト)

 京阪本線・天満橋駅の西約250n、ビルに挟まれた狭い谷間に位置する。
 貫1本を通しただけ簡単な鳥居をくぐった参道奥の、覆屋の中に小祠が鎮座し、その前に神功皇后が休まれたという“鎮座石”がある。神社移転の時、この石が大きすぎて動かせなかったので残したともいうが(浪華名所図会大成)、今、ステンレス製の枠に覆われていて石の全体は見えない。
 当地の辺りに、神功皇后が新羅より帰還の折に休まれたとの伝承があったのは確からしいが、それが当地だという確証はなく、
 「元禄年間、民地だったこの地で一石を発掘し、これを影向石または鎮座石と称し、ここに末社を建造し、菅田町すなわち徳井町の御旅所をこの地に移した」(大阪府史蹟名勝天然記念物資料)
ともいう。“元禄時代に発見された石を神功皇后が休まれた石だとして創建された”というもので、当地が旧坐摩神社だとの確証にはなり得ない。



坐摩神社・行宮/鳥居
同/社殿(祠)
同/鎮座石

祭神・トヨイワマト・クシイワマト
トヨイハマト・クシイハマト

両神は“門の守護神”で、イカスリ神と同じ宮中神で、延喜式には「御門巫祭神八座」とある。

八座とは、宮殿の四方の門それぞれに二座ずつ坐すことを意味する。

磐間戸は“石窓”(イワマト)とも書く。
 
古語拾遺に
 「(天の岩屋から出たアマテラスが、新殿に移られたあと)
トヨイワマト命・クシイワマト命の二柱の神をして、
(新殿の)殿門(ミカド)を守衛(マモ)らしむ。太玉命の子なり」
とあり
(フトタマ命とは、宮中の祭祀に係わる神で忌部氏の祖)、

祈年祭祝詞には
 「四方の宮門に立ち塞がって御門の開閉を掌り、

地下や上空から侵入しようとする邪なるものを遮る神」(大意)
とある。

 大宮地の守護神・イカスリ神を祀ったとされる旧社地に、

宮門を守るイワマト両神を祀るのは、いずれも宮地を守る神々ということからであろう。

ただ、坐摩神社が当地にあったとき、イワマト両神を祀っていたかどうかは不明。

 平安時代、当社の北を流れる旧淀川(現大川)の川辺には『窪津』(あるいは「渡辺の津」)と呼ばれる船着場があった。京から船で下ってきた熊野詣の人々はこの地に上陸し、すぐ南にあった『窪津王子』(熊野王子の第一王子)に参詣したのち、陸路紀州熊野を目指して南下したという。

 藤原定家の「熊野御幸記」(1201)に、後鳥羽上皇の一行が「申の刻(午後4時頃)にクボツに着き、幣帛を奉り、経典供養をなし、里神楽を見た・・・」(大意)と記されている。

 その窪津王子が、旧坐摩神社の附近(境内ともいう)にあったとされ、今、当行宮内に合祀されている。

 なお窪津の船着場は、江戸時代には“八軒家”と呼ばれて繁盛したといわれ、行宮東の道端に記念碑が立っている。今、新しい八軒家船着場が新設され、大川遊覧の基地となっている。

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次にアメノイハトワケノ神は、 またの名をクシイハマトノ神といい、 今一つのまたの名をトヨイハマトノ神という。 この神は宮門を守護する神である。


祭神・トヨイワマト・クシイワマト

トヨイハマト・クシイハマト

門の神

そうだと思った。。

これまで偶然見つけた私の”オト”の後ろにはかならず八坂神社がある

八坂神社でなくても、それに通じるものがある


とするとそれは”鳥居”であるともいえる


鳥居で浮かぶのは

やはりアメノワカヒコの物語で

そこに隠されてるのがやっぱりの”サグメ”


赤い鳥居


京都市伏見区御香宮門前町(ごこうぐうもんぜんちょう)

御香宮神社へのお参り途中の御香宮門前町に鳥居があります。・・・

参拝に限らず、国道へ出るためにこの鳥居を通る必要がありますので、

通勤する人や車、バイクなども頻繁に鳥居通りますが・・・。


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鳥居の北側に「御香宮門前町」の案内板があり、鳥居の由来が記載されていました。

「江戸時代は宮前町と称し、御香宮境内地として扱われていた。

西面して建つ木造の鳥居は、当初、石造鳥居が紀州徳川頼宣より寄進されたが、
寛文年間の地震により倒壊した。
その後これに替えて木造鳥居が先例に倣い紀州徳川家より寄進された。

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猿田毘古神を理解する上で重要な鍵となるのは、

《天の八衢に居て》という表現である。

この《ヤチマタ》と似た表現で思い出されるのは、

《ヤマタのオロチ》や

《ハヤマト神》であるが、うち《羽山戸神》は記述したように、
大宜都比賣との結合を語る神話とともに名称によって速文化域への正当な参入神格であることを示している。

この三表現の明確な共通点は

[ヤマ=西方および周辺外郭者]ということにあるが、

《ヤマト》は戸神として淡文化に承認内包された表現であり、

《ヤマタ》は渡来(垂下)の途中者の表現となり、

《オロチ》によってそれが中国大陸系であることを明かしている。

そこで《ヤチマタ》だあるが、これは周辺外郭域と連鎖集結(分岐)する場所を意味し、

沖縄の《アジマー(十字路・辻)》と同語であろうと思われる。

つまり《ヤマ・ト》とは別格で、

《ヤ・マタ》に近似する《ヤ・チマタ》であることが理解される。

しかも《天の》の表現は、私が便宜上《マ族》の三族として扱った《ヤマ》や《クマ(カマ・カモ)》とは別種で、

《アマ》に融合した外郭部族を表現し、

反スサノヲ文化質をもって天族と結合した《ヤマタのオロチ》の性格と近似するのである。

そこで《天の》を《アメ》と理解すると、

《ヤチマタ》は西方あるいは水平線上の彼方、現世と黄泉の連結分岐するところを表現する語となり、

「猿田毘古神、阿邪訶(あざか)に坐す時漁りして
比良夫貝にその手を咋ひ合さえて、海鹽(うしほ)に沈み溺れましき。」
という古事記の表現が俄に重要な意味を持つ。

すなわち《アサカ》とは、

天の大いなる境界域を表現し《ヤチマタ》が暗示する象徴性と一致するからである。

そして、この神は海に沈んで
[底どく御魂・つぶたつ御魂・あわさく御魂]の三体の御魂になって、

猿女君が斎祀するオリオン三星(宗像三女神)と等格になったと神話は語っているのである。

もうおわかりであろう。

冬を代表するオリオンに対立して夏の代表的な星座は、

古代バビロニア人によって《さそり》の名を付された星座スコルピオンである。

オリオンが東に上がる秋の終りに、このスコルピオは西の海に沈もうとするのである。
日本書紀は記す。

「また口尻明く耀(て)れり。眼は八咫鏡の如くにして、赩然(てりかがやけること)赤酸醤(あかがち)に似れり。」

ここに表現された赤光は、まごうことなくサソリ座の赤色巨星アンタレス(金星)に相違なく、

《淤岐の島》を《二柱の島》として《太白の島》と同原語とすることと一致するのである。

金星(太白)こそは、古来赤星(明星)と呼ばれ、明の明星、宵の明星として親しまれた星である。

「星」と呼ばれる神楽歌の第三部「神あがり」には、

《日孁女(ひるめ)歌》に先んじて《赤星》があるが、

これこそ「天降り文化」を語る動かし難い伝承形式だったのである。

つまり、西方の《宵の明星》としてオリオンの対立者となった太白(アンタレス)は、

再び《明の明星》となって出現し、新観念文化の太陽の《神あがり》を先導しようとするのである。

したがって猿田毘古神は阿波岐原を東方に見る対立神格、

すなわち筑紫神話圏の西方位からの東上者という結論になろう。

それゆえ神格を天忍穂耳命の《吾勝(あかつ)》と同じく《赤(あか)つ星(かみ)→上つ神》とされ

《白日別(スサノヲ筑紫文化)》の覇者として表現されたもので、

これを受けて立つ天宇受賣であるよえに《面勝つ》と表現されるのである。

つまり古事記が《八俣の大蛇》の目として表現した《赤酸醤(ホオズキ)》を、

日本書紀が《猿田毘古》の目としたのは、単なる形容ではなく、

動かすことのできない金星(赤星)固有の表現形式であったと理解しなければならないだろう。

なぜなら、西方に蛇体をくねらすように輝くS字形の《サソリ座》は《八俣の大蛇》と呼ぶにふさわしく、

主星を金星とする《オロチ》であればこそ、

古事記が《タツ(龍)=北極星》と表現しなかった最大の理由として理解され、

書紀が猿田毘古を《八達之衢》の神として
[ヤタツ=国外の龍信仰]を表現することと一致し、

また、出雲国風土記の

《八束水臣津野命(やつかみずおみずのみこと)》の名と一致するのである。

http://blog.zaq.ne.jp/soratobukujira/archive/201012/1
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塞ぐ神だね。


ふ サグ 神

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今度は

羽山神社(はやまじんじゃ)
宮崎県都城市太郎坊町1727

御祭神
羽山戸神(はやまどのかみ)大宜都姫神(おおげつひめのかみ)


大淀川上流、高木町字中原に鎮座する。由緒不詳であるが、

羽山戸神は大年神の御子で、

羽山は端山の意で山に功徳あった神。

大宜都姫神は伊弉諾、伊弉冉二尊の御子で五穀の主宰神である。

上は端の山でハヤマだけど

麓山と書いてハヤマと読むらしい

ということは

葉山も同じハヤマだろうね

どおりで私は葉山や逗子が好きだったわけだ。。。。

海に行くといったら逗子しかいかなった。。。


ハヤマト

ハマ(ヤ)ト


ぷふふふふふ、、、、そういうことか。。。。


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阿賀が蛾が蛾が蛾蛾があっ蛾gggggggざあああああああ、、、、


http://www.koshikijima.net/history/yurai.html


甑島

こしきじま



たぶん、、昨日も今日もこの名前聞いてる


ただ何の気なしのおしゃべりのナカで、この島出身の人が、地元の話をするときにいつも

その場所と名前を言う

今日聞いたのでたぶん3回くらいは聞いてる
なぜ、あがあが言ってるかといったら



こしきはやとまひこ 
コシキハヤトマヒコ

八世紀の中ごろ、薩摩隼人・大隅隼人(おおすみはやと)・阿多隼人(あたはやと)などの小王と共に、
甑隼人の小王麻比古も、この小さい島から、宮門警護のために僅かばかりの兵を率い、
はるばる奈良の都まで上がって勤番し、その功によって、他の隼人の小王らと叙位(じょい)されたものである。

【島名の由来】
 古老は、太陽が海から出て海に入るこの島を古くは「五色島(ごしきじま)」とよんだと伝えるが、江戸時代の「三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)」には、「上甑に東西へ潮の通ふ海門(かいもん)あり、串瀬戸(くしのせど)といふ。そのうちに、甑形(米を蒸すせいろの形)の巨岩あり、島民これを甑島大明神(こしきじまだいみょうじん)と称す。甑島の名はこれによりて得たりとぞ。」とある。

 「甑(こしき)」の名が日本の歴史に記されたのは古く、
「続日本紀(しょくにほんぎ:797年撰)」の神護景雲(じんごけいうん)三年(769年)11月の条に

「天皇(称徳天皇:しょうとくてんのう)臨軒、薩摩国小六位、甑隼人麻比古(こしきはやとまひこ)、
授外従五位下」が初見である。

「古事記」や日本書紀」によれば、南九州の隼人は海幸彦(うみさちひこ:火照尊(ほでりのみこと))の子孫で、弟神山幸彦(やまさちひこ:彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))との争いに敗れたため、山幸彦の子孫である大和朝廷の宮門を警護することになったという。

八世紀の中ごろ、薩摩隼人・大隅隼人(おおすみはやと)・阿多隼人(あたはやと)などの小王と共に、
甑隼人の小王麻比古も、この小さい島から、宮門警護のために僅かばかりの兵を率い、
はるばる奈良の都まで上がって勤番し、その功によって、他の隼人の小王らと叙位(じょい)されたものである。

「外従五位下」という位は、けして低いくらいではない。

 「甑島」の名は、「続日本紀」の宝亀(ほうき)九年(778年)11月の条に初めて見え、「倭妙類じゅ抄(わみょうるいじゅしょう):和名抄:わみょうしょう):934年頃選」には、「甑島:古之木之万(こしきしま)」と読み方が注記されている。また古書には、「古敷島」「小敷島」「古志岐島」などと書かれ、歌人は「沖津島」とも詠んでいる。

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いろんな”神様”とか”神話”には
必ず実在する人物やストーリーがあると思っているので
神様云々とかじゃなくて、私は実在した人物や話を探し回っているわけです。

高木や榊や中村は結構セットであちこちに存在している

実際歩いてみればそこに私の”オト”も割りと散らばっているのに

こうした記録の中にはとことん出てこない

ある意味消された存在、隠された存在のように思える

近いものはぼんぼん出てくるのに

神様のお話見てると母の苗字がいっぱい出てくるから、ほんと焦る

父の名前に近いものは出てきても、そのものは出てこない


さすが、あのお方が

”解かねばならない”と書いただけある、、、、

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あいた多々タタアタタタタタタタアタタタ、、、


なんか、、、痛いの見つけちゃったな、、、

いや、、それは311の頃から知って気になってはいたけど

そこも触れずにいた、、、!!!!



上でちょっと触れたけど

名古屋とおんなじくらいナカ邑よ。


311の時は相当やられた

見つけたものは痛すぎてダメージでかくて、思考能力停止中なので

無心でカレー作ってこよう。。。

嗚呼、、、



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目の裏の神様 [目の裏の神様]



Speak of the devil

Look who just walked into the room

The guilt invaded

Notion of someone I once knew


All the perfects moments are wrong

All the precious pieces are gone

Everything that mattered is just

A city of dust

Covering both of us


Did you hide yourself away?

I can't see you anymore

Did you eclipse another day?

I used to wake up to the colour of your soul


Did you hide yourself away?

Are you leaving through the ghost?

Did you finally find a place

Above the shadows so the world will never know?

The world will never know you like I do


So many silent sorrows

You never hear from again

And now that you've lost tomorrow

Is yesterday still a friend?


All the bridges we built were burned

Not a single lesson was learned

Everything that mattered is just

A city of dust

Covering both of us


Did you hide yourself away?

I can't see you anymore

Did you eclipse another day?

I used to wake up to the colour of your soul


Did you hide yourself away?

Are you leaving through the ghost?

Did you finally find a place

Above the shadows so the world will never know?

The world will never know you like I do


Like I still do


Did you hide yourself away?

I can't see you anymore

Did you eclipse another day?

I used to wake up to the colour of your soul


Did you hide yourself away?

Are you leaving through the ghost?

Did you finally find a place

Above the shadows so the world will never know?

The world will never know you... 





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私が目の裏の神様を夢に見た頃は

神様の名前なんか知らない頃だった

もちろん神様由来の神話も知らない

まんが日本昔話で見た話くらいだ。

ただ小さい時から、そこに、目の裏にその存在があるのはうっすらと見えていた

かといって、私は神様の存在を信じているわけじゃない

それじゃあ、いったい何かといえば

どういったらいいのかわからない

その存在は ”大丈夫だ” といってくれる存在だった。




それと関連するのか、東京目黒区の家の近所の暗い細道を歩いていたときに

夜の8時とかそんなくらいの時間

人通りのいつもない道で

細くて暗い


そこを歩いていたときに

頭上を真っ白い大きな鳥が音もなく飛んでいったことがある

羽ばたく音も聞こえないし、風の音も聞こえない

頭の上を通り過ぎて、ハッとした

そのすぐ先がまがり角だけど、

その鳥が曲がったのかもっと高くに行ったのかわからない

ハッとした瞬間はもう見えなくなってた

白い鳥

しらとり

”白鳥”

これも今の私にはものすごく大きなキーワードなのだけど、、、、

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http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2014-12-19-1

私が両性具有的な人に過敏反応するのは、

私の好みじゃない

でも

”異常”に気になってしまう”

ほんとうに”異常”に。


それは、目の裏の神様かと思うからなんだろう

”目の裏の神様”

目を閉じた内側のまぶたに見える神様

第3の目に映る神様

この人が両性具有なのだ。


で、私がいろいろ調べるきっかけになった富士山に行くその日の朝の夢に出てきた神様が

真っ白でまぶしくやわらかく光り輝いているきれいな女の人のようだけど

どこかに男性的なものを感じる長い髪の人

その人を夢に見たときも

”同じ感覚”だった。。。。。。


異常に気になって、気になって彼からもう目が離せなくなる

他にもたくさんスーツ姿の男の人ばかりが目に入ったけど、とにかくたくさん人がいるのに、
みんな気がついていないのか?

たくさんの人で時々見失いそうになるけど

見失わないように一生懸命目で追っていると

突然、ぐるぐるぐるぐると、目の前が回りだし

雲を抜けて、ふっと雲の上に降ろされた

するとそこにその人がいて



”やっと人間に気づいてもらえたか。

これでようやく下界へ降りれる。”


そういって、私を雲の上に残したまま

龍のようにぐるぐると回りながらその人は下へ降りていってしまった


、、、、と。

こんな夢を見たんだ。

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一族の墓の裏にある神社には、一族のものがかかわっている


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その神社の主祭神が

(主祭神)天佐具女命 
(配祀神)大宮能売命 恵比須神
摂社 若宮神社、恵美須社


桃山時代の文禄2(1593)年3月28日、此の地に鎮座された。
天佐具女命を祭神として、又、摂社には家内安全の守護神である大宮能売神を祀り、更に昭和56年11月23日、商売繁盛の恵比須神を併せ祀る。
古くより地区民の信仰篤く、其の間、再三の御造営も行われ、殊に明治6年4月には、社格を村社に列せられて御神威益々輝いた。
処が近時、御社殿の荒廃も著しくなり、此れが御復興を望む声も次第に高まって来たので、昭和32年より10年継続事業として御修復に着手した。
先づ、御本殿の御造営を初めとして、鳥居、社務所の新造、燈篭、手水舎の新設、投餅場の整地、投餅台の設置、玉垣の築造、境内周囲の杉植林等々立派に完成した。
然るに、昭和30年代後半の国道改良工事に依り、境内地は国道より低下する状態となったので、兼てより将来の境内地にと確保していた投餅場を、昭和58年に埋立て造成し、引き続き本殿を遷座、両脇宮2社殿を御造営、更に拝殿の新築工事、内外の御整備も行って壮厳な神社が完工した。
即ち、現在の境内地並に社殿がそれで面目を一新した。
昭和59年5月27日、五月晴れにも恵まれ、区民挙げての盛大な社殿竣工祝祭が斎行された。
(例祭)
当神社では、頭屋(=当屋)の選定を毎年例祭当日の午後、神前に於て「くじ」引き決定する。
頭屋は、決定の翌日より翌年の例祭に至る向う1年間、各祭時には神饌を供え、或は神社内の清掃を家族ぐるみで奉仕する等、専ら神に仕えるのである。
古くは各地でも頭屋の事を神主と呼称した時代もあったが、今は殆どが頭屋、又は当屋と呼んでいる中にあって、当社は古い伝統を持ち続け、現在でも神主と呼称し、前年度の頭屋を裏神主と云っている。
例祭の1週間前には、各戸より奉仕に出て境内、社殿の清掃、神事の準備に当る。


天佐具女命は天探女と書かれ、『古事記』(岩波文庫本)では
「実相を探る女。巫女で鳥の鳴き声などを判断する。」と注記にある。

天若日子を大国主の下に遣わし国譲りの工作をさせようと高天原では構想されたのだが、大国主の娘の下照姫を娶って自分でこの国を獲ろうと考え、八年間も報告を怠った。その真意を探るために雉子名鳴女(きじしなきめ)が派遣されたが、その声を聞き、天若日子をそそのかして雉を射殺させた。

大阪の鶴橋付近にあった「味原池」は、天探女が天の磐船に乗って天降られた霊地とされている。

天探女を祭神とする神社は美濃国武儀郡に二社鎮座する。
これは天若日子の葬儀に現れた味耜高彦根命は天若日子とよく似ていたので間違われ、
死人に間違われて怒った味耜高彦根命は藻屋を切り伏せ、けっ飛ばした先が美濃国であり、
それゆえに祀られている。

平間神社の祭神が天佐具女命となっている理由は判らないが、
美濃からの移住者が祀ったのかと思わせる。




安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。
なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E6%A1%83%E5%B1%B1%E6%99%82%E4%BB%A3


紀伊續風土記 巻之七十一 牟婁郡 富田荘 十九淵村から


○若一王子権現社   境内山周十六町
 摂 社   住吉社
 末社三社  若宮 稲荷社 弁財天社  拝 殿

小名伊勢谷にあり 荘中朝来帰堅田の二村を除きて十二か村の産土神なり 
社殿壮麗にして境内も広し 相伝へて熊野本宮第四の宮天照大御神を勧請すといふ 
故に此の地の名を伊勢谷といふ 此の地古は熊野神領なりしならむ 
古は祭日に田楽毎流鏑馬等もありしに今は絶えたりと云ふ 
文亀三年(1503)文禄五年(1596)の棟札あり 
神主を吉田大和といひて吉田範秀の後なりと云ふ 
社僧一人禰宜二人あり
 別当    海門寺  倉谷山
 太子堂   鐘楼  僧坊
社の境内にあり 真言宗古義京仁和寺末なり 末寺三箇寺村中にあり



葦原中国を平定するに当たって、遣わされた天穂日命(あめのほひ)が3年たっても戻って来ないので、次にアメノワカヒコが遣わされた。

しかし、アメノワカヒコは大国主の娘下照姫命と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。そこで天照大神と高皇産霊神は雉の鳴女(なきめ)を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。

すると、その声を聴いた天探女(あめのさぐめ)が、不吉な鳥だから射殺すようにとアメノワカヒコに勧め、
彼は遣わされた時にタカミムスビから与えられた弓矢(天羽々矢と天鹿児弓)で雉を射抜いた。

その矢は高天原まで飛んで行った。
その為、タカミムスビは「アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とすと、矢は寝所で寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまった。

アメノワカヒコの死を嘆くシタテルヒメの泣き声が天まで届くと、アメノワカヒコの父のアマツクニタマは下界に降りて葬儀のため喪屋を建て殯をした。シタテルヒメの兄の味耜高彦根命も弔いに訪れたが、彼がアメノワカヒコに大変よく似ていたため、アメノワカヒコの父と妻が「アメノワカヒコは生きていた」と言って抱きついた。

するとアヂスキタカヒコネは「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。

喪屋が飛ばされた先は美濃の藍見の喪山だという。

シタテルヒメとの恋に溺れて使命を放棄しその罪によって亡くなるという悲劇的かつ反逆的な神として、
民間では人気があった。

平安時代の『うつほ物語』、『狭衣物語』などでは天若御子の名で、

室町時代の『御伽草子』では天稚彦の名で登場し、いずれも美男子として描かれている。


アメノワカヒコを唆したアメノサグメが「アマノジャク」の元となったとする説があるが、

アメノワカヒコの「天若」が「アマノジャク」とも読めることから、

天若日子がアマノジャクだとする説もある。


アメノワカヒコの父は鬼とする話

天稚彦草子[編集]

御伽草紙に収録されている物語。

ある長者が三人の美しい娘を持っていた。ある日長者の家に蛇がやってきて、娘を嫁にくれなければお前を食ってしまうと脅した。上の姉二人は拒み、心優しい末娘だけが了承する。蛇が指定した場所で娘が怯えながら待っていると、蛇がやってきて、自分の頭を切るように言う。言われたとおりに、娘が爪切りで蛇の頭を切ると、蛇は美しい男の姿になり「自分は天稚彦である」と名乗った。

娘と天稚彦は楽しい日々を送るが、ある日天稚彦は用事があって天に旅立ってしまう。その時に唐櫃を娘に渡して、これを開けたら帰ってこられなくなると告げた。あるとき末娘の裕福な暮らしを嫉んだ姉たちが押しかけ、妹の体をくすぐって鍵を奪い取り、唐櫃を力ずくで開けてしまった。やがて約束の日が過ぎても天稚彦が戻ってこないので、娘も天稚彦を探しに旅立つことになる。

天稚彦を探して天に昇った娘は、ゆうづつ、箒星、昴などの星たちから話を聞いて、遂に天稚彦と再会する。しかし天稚彦の父親は鬼であり、人間の娘を嫁として認めるはずがない。父鬼が部屋に来る気配を感じると、天稚彦は咄嗟に術を使って、娘を脇息に変えてしまった。しかしその脇息に父鬼が寄り掛かったので気が気ではない。やがて父鬼は「人間の香がする」と言って去って行った。それからも度々来るようになったので、その度に天稚彦は娘を扇子に変えたり、枕に変えたりして誤魔化していたが、ある日うっかり昼寝をしていて娘を見つけられてしまう。

父鬼は娘に、百足の蔵で一晩過ごすように、などと難問をつきつける。しかし娘が天稚彦から譲り受けた袖を「天稚彦の袖」と言いながら振ると、百足は刺すことをしない。そこで父鬼は次々と難問を出すが、それも娘は天稚彦の袖を使って突破する。とうとう娘を嫁として認めざるを得なくなった父鬼は、「月に一度だけなら会ってもよい」と告げるのだが、娘は「年に一度」と聞き間違えてしまう。そこで父鬼が「それでは年に一度だ」と、瓜を地面に打ち付けると、天の川となった。こうして、娘と天稚彦は年に一度、7月7日の晩だけ逢瀬を楽しむことができるようになった。






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大国主命と宗像三女神のタキリビメの間の子。同母の妹にタカヒメ(シタテルヒメ)がいる。農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されており、高鴨神社(奈良県御所市)、都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町)、鴨神社(岡山県玉野市長尾)などに祀られている。

別名は賀茂社の神の意味である。
すなわちこの神は大和国葛城の賀茂社の鴨氏が祭っていた大和の神であるが、
鴨氏は出雲から大和に移住したとする説もある。

『古事記』で最初から「大御神」と呼ばれているのは、天照大御神と迦毛大御神だけである。
神名の「スキ(シキ)」は鋤のことで、鋤を神格化した農耕神である。

『古事記伝』では「アヂ」は「可美(うまし)」と同義語であり、

「シキ」は磯城で石畳のことであるとしている。

他に、「シキ」は大和国の磯城(しき)のことであるとする説もある。

アメノワカヒコとそっくりであったとの記述から、

元々アメノワカヒコと同一の神で、穀物が秋に枯れて春に再生する、
または太陽が冬に力が弱まり春に復活する様子を表したものであるとする説もある。



”磯城氏”
こちらも最近よくお目にかかる
気になって調べてみて、昨日ちょっとひっくり返ったところ。、
引き続き調べ中






アヂスキタカヒコネ(アヂシキタカヒコネとも)
日本神話に登場する神。
『古事記』では阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神、
『出雲国風土記』では阿遅須枳高日子と表記する。
また、阿遅鋤高日子根神、味耜高彦根命とも表記される。
別名 迦毛大御神(かものおおみかみ)。


<古事記・歌謡6歌の解釈>
原文:(新編日本古典文学全集本「古事記」)
古事記歌謡・6歌:高比売命の歌

「阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜
美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦比古泥能 迦尾曾」

釈文:(同上)
古事記6歌:
「天なるや 弟棚機の 項がせる 玉の御統 御統に 足玉はや 
み谷 二渡らす 阿冶志貴高日子根の神そ」

訳文:(同上)
「天上の、機織り女が、首に懸けていらっしゃる緒で貫き通した玉、その連ねた玉よ、足玉よ、
その玉のように、谷を二つも輝き渡る、阿冶志貴高日子根神である」



み谷(ミタニ ミダニ ミタンニ)
谷2つとは山3つを越えるということ

”谷二つも山を3つも越えて輝きわたる神”


輝きわたる神

眩しいのか美しいのか

両方だろう。。。











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私がどう思っているのか。。。。。


味原池跡
天王寺区小橋町にある産湯稲荷神社の北には、かつて味原池という大きな池があった。

『摂津名所図会』には
「味原池、小橋村の西にあり。一名比賣許曾神の御影池という。土人溜池とよぶ。」とある。

『摂津名所図会大成』には、またの名を白鴨御池、味原(みはら)の池ともいう、とある。

花見の名所でもあった味原池は、緑豊かな上町台地の中にあった。
池の向こう岸には、大阪城の天守閣、さらにその奥には北摂の山並みが鳥瞰されている。


産湯稲荷(うぶゆいなり)神社

創建年代は定かではないが、比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)の旧境内地であり、大小橋命(オホオ
バセノミコト)の産湯の井戸の付近にあって産湯稲荷(うぶゆいなり)神社と称せられ比売許曽神社の摂
社であったのを、天正年間に織田信長が石山本願寺を攻めたときの兵火によりことごとく鳥有に帰し、
比売許曽神社は境外摂社であった牛頭天王社を現在の社地に遷し奉ったが、後年当神社の旧知に再び奉
祀せられた。

寛政 8 年出版の摂津名所図絵に、この建物を押絵に記載されているので、寛政以前の建造であること
は明らかである。これらの社殿、社務所は第二次世界大戦の戦災により焼失し、戦後の混乱期の昭和23
年、篤志の寄進によって社殿が建立されたが、大阪市の都市計画により境内隣接地に公園が建設せられ
周辺の様相が一変したのを機会に産湯稲荷神社復興委員会(昭和38 年9 月)が設立し、翌年7 月に新
社殿、社務所が竣工するとともに境内地も整備された。


この産湯稲荷は俗に桃山といわれ、明治 38・39 年の頃までは大阪屈指の大桃林があった。 さらに、この祠の南に真田の抜け穴と伝えられた跡もあった。


産湯稲荷神社の境内には「式内 比賣許曾神社御旅所」の石碑がある。
比賣許曾神社は延喜式にも記載のある由緒ある神社で、
現在は玉造の東、東小橋町にあるが、石山の合戦で焼かれて現在の場所に遷座する以前は、
この地に祀られていたという。

社記によると、当地の開拓神である大小橋命(おほおばせのみこと)は

天児屋根命(あめのこやねのみこと)の十三世の後胤で、

ここ味原郷に誕生、境内の玉井を汲んで産湯に用いたので、この地を「産湯」という。

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隣接していた「味原池」は、

比賣許曾神社の祭神下照比売命(したてるひめのみこと)が

天の磐船に乗って天降られた霊地とされている。

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大阪の鶴橋付近にあった「味原池」は、

天探女が天の磐船に乗って天降られた霊地とされている。
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下照比売命=アメノサグメ=アメノウズメ
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アメノワカヒコの話は創作と謎かけと何かを隠すためのお話

天宇受売命 アメノウズメ(天鈿女・天鈿賣命)

宇受




1.家
2.空間
3.宇宙




うけとる。うけ入れる。うける。
受け止める。受け取る。
聞き入れる。承知する。


”宇宙からの意思を受け取る”



天佐具女は、

隠密な物を探りだす巫女

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なんか神話の解釈するサイトとかでは

アメノサグメがアメノワカヒコをそそのかしてきじを殺させた
そのため、返し矢で死んだという説が多いけど
意味不明だよね


神話の通り受け取れば、アメノワカヒコはすでに心の中にこの国を自分で治めようと思って8年も連絡をしなかったのだから、アメノワカヒコ側からすれば、なんで帰らん!なんで連絡もよこさない!って怒こっている

上の神様の意思って言うのは不吉なものだよな

あわよくば何にも言わないでこのままココで、、、って思っているのに

”なんでかきいてこい!”と雉が使わされたわけで

アメノワカヒコと一緒に天降って来たアメノサグメとしては

”もう、8年も連絡しないで、上は怒ってますよ、ちょっとどうするんですか?やばくないですか?”

って思うよね。

同じストーリーだけど、アメノサグメが出てこない話もあるし

完全に何かを隠すために作られたお話。


まったく存在しなかったわけではない人物たちの話

実際にそこにいた人たちに当てはめて、誰かを隠した。


だれを?







目の裏の神様を。。。。





(天若彦=アジスキタカヒコネ)=饒速日(天照国照彦天火明櫛玉饒速日命 あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)=第六天魔王(=高木神)



高木神(高皇産霊神)

アマテラスの御子神・アメノオシホミミがタカミムスビの娘タクハタチヂヒメと結婚して生まれたのが
天孫ニニギであるので、タカミムスビは天孫ニニギの外祖父に相当する。

アマツクニタマの子であるアメノワカヒコが、天孫降臨に先立って降ったが復命せず、
問責の使者・雉(きぎし)の鳴女(なきめ)を射殺した。
そのためタカミムスビにその矢を射返されて死んだという

しかし、『古事記』では即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で夢に登場し、
さらにアマテラスより優位に立って天孫降臨を司令している伝も存在することから、

この神が本来の皇祖神だとする説もある。


天御中主神・神皇産霊神・高皇産霊神の造化三神

天空神アン・風神エンリル・水神エンキはシュメール三至高神


別名の通り、本来は”高木”が神格化されたものを指したと考えられている。


この造化三神のうち、神皇産霊神・高皇産霊神は、
その活動が皇室・朝廷に直接的に大いに関係していると考えられたため、
神祇官八神として八神殿で祀られた。(ウィキより)
神祇官とは祭祀を司る官のこと。


高木神という場合に関しては、これがいわゆる
 ”現人神”というやつではないでしょうかと私は思っている


現人神(あらひとがみ)は、
「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉。
現御神、現神、明神とも言う(読みは全て「あきつみかみ」)。
荒人神とも書く。

もとい、、

時の有力者とその一族というかな。。。
やけに長生きになってるのはそのせい。

個人をさして言ってるんではなく一族で見てる

秋津って言うのもそういえば最近見かけるな、、、



味原池と真田
実田 実 they know all truth

眞田丸をもとめて
http://sanadamaru.syuriken.jp/s-motomete.html

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ローカル・クマリの一人


クマリ(Kumari、Kumari Devi)はネパールに住む生きた女神である。

密教女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神である女神タレジュやアルナプルナの生まれ変わりとされており、国内から選ばれた満月生まれの仏教徒の少女が初潮を迎えるまでクマリとして役割を果たす。中には初潮が来ず、50歳を過ぎてもクマリを務めているケースもある。

カトマンドゥのクマリの館に住む国王もひれ伏すロイヤル・クマリが最も有名であり、国の運命を占う予言者でもある。 クマリという場合、概ねロイヤル・クマリを表す。(ネパール国内の村や町にも多数存在するクマリはローカル・クマリと呼ばれている。)

2001年7月10日に当時4歳で選ばれたPreeti Shakyaに替わり、2008年10月7日に当時3歳で選ばれたMatina Shakyaが現在のロイヤル・クマリである。

9月に行われるインドラ・ジャトラの大祭ではクマリが主役となり、ネパール国王がクマリの元を訪ね跪き祝福のティカを受ける。

顔は額から鼻筋にかけて赤い化粧が施されている。






ココまでかな、、今書き出せるのは

ちょっとおなかがすごく痛すぎるので休憩、、、


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ダブルミーニング的な。。。。
どちらのことともいえる。。


I was walking dead
Stuck inside my head
I couldn't get out
Turned the lights down
The voices inside were so loud
Needed a jump start
Catatonia
I couldn't feel
I wished that I could disappear
The voices inside were so real

But you stood by my side
Night after night
Night after night

You loved me back to life
Life...
From the coma
The wait is over
You loved me back to life
Life...
From the coma
We're lovers again tonight

You woke me up
One touch and I felt alive
You loved me back to life
Back to life, thought I'd die
The voices inside were so quiet

But you stood by my side
Night after night
Night after night

You loved me back to life
Life...
From the coma
The wait is over
You loved me back to life
Life...
From the coma
We're lovers again tonight

Strong hands
Thick skin
And an open heart
You saw through the pain
Saw through the mask
You never gave up on me

You loved me back to life
Life...
From the coma
The wait is over
You loved me back to life
Life...
From the coma
We're lovers again tonight









雨が上がった隙にちょっと買い物に出た。帰ってきて3時間くらいしたかな、、、

いきなりおなかがねじれる激痛。

これからバイトいくのに、、、

ちょっとおさまったけど胃がむかむかする

なんか入ったかな、、、


でもまあ、私すぐに出せるので。大丈夫だけど。。。

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悪魔崇拝とか言ってる人は何も見えてないなと思う

ハリウッド=イルミナティの一括りしか見えてない人も何もわかってないなと思う

日本単一民族説も、巡り巡って単一じゃないって認められない人ってどうなんだろうかと思う

そしてまた、そういった”人種”にこだわるって、私は違うと思うんだよね


地球人でいいじゃない

そういうとこにこだわるから争うんでしょ

奪い合って殺しあうんでしょ


もとい


その**人の誇りを悪用されて奪い合わされ、殺し合いさせられる

そのうちその悪のチェーンは切れないものになってしまう。

憎しみあい続け、うらみあい続け、、、


それぞれの民族人種が、それぞれ別のところで別々に発生したわけじゃないんだよ

どこがはじめだろうと関係ないじゃん

もとはひとつなんだよ


そのはじめの人類にこだわる意味がわからない

人類のはじめが日本だったらなんだってんだい?

根本的に私はそういう人とは違うからまったく理解でない

そこにこだわる意味がわからない

またそうだとしたとしても、価値がわからない

なんだってんだい?



ここおもしろい

http://www5.tok2.com/home2/okunouso/0210.htm
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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!



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