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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!





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シエラレオネ [消えた一族]







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いつ買ったか忘れてしまうほど前に買った

【Book Of Nigro】

夕べやっと見た。





夏が終わりましたからね。。。。。

この夏はなんとジェットスキーにひき殺されそうになりましてん。

あと30cm頭出すのずれてたら、今これを書いてはいない。

ほんとマジ危なかった。

再生リストの2本目

これ海の中で遠くにいるジェットの音が聞こえてる様子が写ってる。

私が轢かれそうになったときは、この動画とは別の時で

ジェットがエンジンをかけないで、もちろん私がいることを知らないで

エンジンをかけないですぐそばまで来ていて

2,3メートル後ろあたりで急にエンジンをかけたから

私がちょうど浮き上がるのと同時にエンジンの音がして

目が出て、え?と思って後ろを振り返ろうとした視界の中にジェットがすごいスピードで来たので

もう一度潜って回避した。という感じ。

一緒に泳いでいた子も気が付いたらジェットが来ていたっていてった

彼女は潜らないので、ぷかぷか浮いていたにもかかわらず、気が付かなかった。

今年は最後の最後に危険な夏になってしまった

まあ良い。それでも私は海底に行く。







カウチポテトシーズン開始。



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シエラレオネについては2009年に調べてたのに、

https://www.google.co.jp/search?source=hp&q=%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8D&oq=sierareone&gs_l=psy-ab.1.0.0i4k1l8.11447.13838.0.18409.12.10.0.0.0.0.263.1707.0j6j3.9.0....0...1.1.64.psy-ab..3.9.1705.0..0j0i131k1j0i10k1.0.FWk7Rfk5k5k


調べはじめだったから調べ方が甘かった。

でもそこに行くときに
必ず”サンヤ”という町を通らなくちゃいけないってことその時に知ったんだけど、
それで満足して終わってしまってたんだけど、



http://michaelalive-jama.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2012-10-01-5
http://michaelalive-jama.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2012-11-23-1


夕べ見た"BOOK OF NIGRO" でぶったまげた。

まずはそれを調べる前から、
私はその土地の布と赤土埃が好きだったんだけど、
調べ始めた時はそれもなかなかむずびつかなかった。
でなにがぶったまげたかというとその土地の風景だ。
真っ白な砂丘や真っ白なビーチ、
そんでちょっと山のような崖の並び。


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砂丘に対してもなんか思い入れがあるので、鳥取砂丘も行ってきた。

あの海が見えた瞬間の細胞のどよめき。

夕べ見た映画の中にも同じようなシーンがあったし、

出アフリカ系のものを見ると、

まあモーセも含めて、必ずそのようなシーンが出てくる。

昨日はやけに来てる日で、今まで見てたはずなのに気が付かなかったこと、、というか

初期に見てサイト人が、読み方を間違っていたので、

私もまったくそこはスルーしてたことを、昨日改めて発見するという。

それはまさに父の生まれたところの地名と

熊本の土蜘蛛の名前が同じじゃないのさ~~~っていうこと。

その流れは私の血のつながらないおじいちゃんの流れ

長崎、熊本

この辺りには同じ名前がたくさんいる

海人族であることは間違いなく、この同じ流れは、富山にも密集していた。

鳥取にもいる。

多分もともと父方のおばあちゃんの家系とは、同族ではあったんだろう

それをわかっていての再婚(?)だったかもしれない

そこに絡んでくるのが、これまた謎の”中村”という名前


昔の人はいろいろと複雑よ。

よくよく調べたら、養子です、養女ですっていうケースはごろごろあるし

死に別れ、生き別れ含めて

父親は違いますとか母親は違いますってすごく多い

うちの場合は両方ともそれがはっきりわかっているから調べられるけど

まずそこをかたくなに隠す人もいるだろうからね~

そしてそんなこんなのそれを調べてて、

県名って後付けだからあまり意識しなくていいなと思ったこと。

で、ホツマに書いてあることを真実という人もいるけど

それを読むのも今の地図にあてはめたらいけないのと、

なぞかけ的な書き方もあるんだろうなってことと、

たくさんの一族の本州始まりの土地ってことで、やはり古い地名は大事だなということ

ある程度自分のDNAの記憶とか細胞が受ける刺激を頼りにルーツを調べて、

ここだなーーっていうのがわかったらナショジオのDNA検査してみたい。


ちょっと中断。
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神仏習合-白山開山1300年 [消えた一族]

白山開山1300年
http://hakusan1300.info/




富士山、立山とならび「日本三名山」の一つに数えられる白山。

古くから人々が仰ぎ見て、祈りをささげてきた“霊峰”に、

越前の僧・泰澄(たいちょう)が初めて登ったのが、養老元年(西暦717年)のことでした。

 9世紀になると、加賀・越前・美濃(現在の石川県・福井県・岐阜県)のそれぞれに

馬場(ばんば)と呼ばれる登拝の拠点ができ、

そこからの登山道が「禅定道(ぜんじょうどう)」として整備されるようになりました。



それから白山は、神と仏が共存する修験の場として栄えます。

加賀馬場の白山本宮(現在の白山比咩神社)、
越前馬場の平泉寺(現・平泉寺白山神社)、
美濃馬場の白山中宮長滝寺(現・長滝白山神社、長瀧寺)

の三馬場を拠点に、日本全国に白山信仰が広がって行きました。

 加賀馬場の白山本宮は、

明治以来、全国約3千社の白山神社の総本宮・白山比咩(しらやまひめ)神社として崇敬を集めています。



明治になると、

時の政府によって出された神仏分離令により、

神と仏、神社と寺院がはっきり分かれることになり、

続く廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の風潮の中で、

白山にあまた祀られていた仏像は、ことごとく廃されることになりました。 

千年以上続いた神仏習合の歴史はこのとき終わりを告げましたが、

白山麓の村人たちは、山から下すことができた数体の仏像を、現在まで静かに守り続けています。

明治以降の白山は、信仰の山としてだけでなく、美しい自然を楽しむことができる山として、

多くの登山者に愛されてきました。 

高山帯を持つ山としては日本最西端に位置するため、生物分布を研究する上でも重要です。

特に、色とりどりの高山植物が咲く「お花畑」の存在は、

白山が“雲上の楽園”とも呼ばれるゆえんとなっています。

このように、深い信仰の歴史を秘め、厳しくも美しい自然の中に私たちを迎えてくれる白山は、

平成29年(2017年)、
泰澄大師の開山から1300年の時を迎えます。








神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、

日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し

一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。

神仏混淆(しんぶつこんこう)ともいう。

明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた。

神々の信仰は本来土着の素朴な信仰であり、共同体の安寧を祈るものであった。

神は特定のウジ(氏)やムラ(村)と結びついており、その信仰は極めて閉鎖的だった。

普遍宗教である仏教の伝来は、このような伝統的な「神」観念に大きな影響を与えた。

仏教が社会に浸透する過程で伝統的な神祇信仰との融和がはかられ、

古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、

東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、

奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった。

日本への仏教の伝来から、神と仏は同じものとして信仰されていた。

その素朴な神仏習合観念は、やがて本地垂迹説として理論化されるようになり、

さらに戦国時代には天道思想による「諸宗はひとつ」とする統一的枠組みが形成されるようになった


仏教の伝来

552年(538年説あり)に仏教が公伝した当初には、

仏は、蕃神(となりのくにのかみ)として日本の神と同質の存在として認識された。

日本で最初に出家して仏を祀ったのは尼(善信尼)と『日本書紀』にはあるが、

これは巫女が日本の神祇を祀ってきたのをそのまま仏にあてはめたものと考えられている。

寺院の焼亡による仏の祟りという考え方も、仏教には祟りという概念は無いため、

神祇信仰をそのまま仏に当てはめたものと理解できる。



神宮寺の建立

宇佐神宮が朝鮮半島の土俗的な仏教の影響の下、6世紀末には既に神宮寺を建立したとされているが、

一般的にはそれより後、日本人が、仏は日本の神とは違う性質を持つと理解するにつれ、

仏のもとに神道の神を迷える衆生の一種と位置づけ、

日本の神々も人間と同じように苦しみから逃れる事を願い、

仏の救済を求め解脱を欲していると認識されるようになったとされている。

これを神身離脱という。

715年(霊亀元年)には越前国気比大神の託宣により神宮寺が建立されるなど、

奈良時代初頭から国家レベルの神社において神宮寺を建立する動きが出始め、

満願禅師らによる鹿島神宮、賀茂神社、伊勢神宮などで境内外を問わず神宮寺が併設された。

奈良時代後半になると、伊勢桑名郡にある現地豪族の氏神である多度大神が、

神の身を捨てて仏道の修行をしたいと託宣するなど、

神宮寺建立の動きは地方の神社にまで広がり、若狭国若狭彦大神や近江国奥津島大神など、

他の諸国の神も8世紀後半から9世紀前半にかけて、仏道に帰依する意思を示すようになった。

また、東寺,薬師寺に見られるように9世紀には神体が菩薩形をとる僧形八幡神も現れた。

こうして苦悩する神を救済するため、神社の傍らに寺が建てられ神宮寺となり、

神前で読経がなされるようになった。

こうした神々の仏道帰依の託宣は、

そのままそれらを祀る有力豪族たちの願望だったと考えられている。

律令制の導入により社会構造が変化し、

豪族らが単なる共同体の首長から私的所有地を持つ領主的な性格を持つようになるに伴い、

共同体による祭祀に支えられた従来の神祇信仰は行き詰まりを見せ、

私的所有に伴う罪を自覚するようになった豪族個人の新たな精神的支柱が求められた。

大乗仏教は、その構造上利他行を通じて罪の救済を得られる教えとなっており、

この点が豪族たちに受け入れられたと思われる。


それに応えるように雑密を身につけた遊行僧が現われ、

神宮寺の建立を勧めたと思われる。まだ密教は体系化されていなかったが、

その呪術的な修行や奇蹟を重視し世俗的な富の蓄積や繁栄を肯定する性格が神祇信仰とも折衷しやすく、

豪族の配下の人々に受け入れられ易かったのだろうと考えられている。

こうして神社が寺院に接近する一方、寺院も神社側への接近を示している。

8世紀後半には、その寺院に関係のある神を寺院の守護神、鎮守とするようになった。

710年(和銅3年)の興福寺における春日大社は最も早い例である。

また、東大寺は大仏建立に協力した宇佐八幡神を勧請して鎮守とした。

これが現在の手向山八幡宮である。

他の古代の有力寺院を見ても、

延暦寺は日吉大社、金剛峯寺は丹生神社、

東寺は伏見稲荷大社などといずれも守護神を持つことになった。

このように仏教と敵対するのではなく、

仏法守護の善神として取り込まれていった土着の神々は護法善神といわれる。

この段階では、神と仏は同一の信仰体系の中にはあるが、

あくまで別の存在として認識され、同一の存在と見るまでには及んでいない。

この段階をのちの神仏習合と特に区別して神仏混淆ということもある。

数多くの神社に神宮寺が、寺院の元に神社が建てられたが、

それは従来の神祇信仰を圧迫するものではなく、

神祇信仰と仏教信仰とが互いに補い合う形となっている。



大乗密教による系列化

これらの神宮寺は雑密系の経典を中心とし、

地域の豪族層の支援を受けて基盤を強化しつつあったが、

一方でこの事態は豪族層の神祇信仰離れを促進し、

神祇信仰の初穂儀礼に由来するとされる租の徴収や

神祇信仰を通じた国家への求心力の低下が懸念されることとなった。

一方で律令制の変質に伴い、

大寺社が所領拡大を図る動きが始まり、地方の神宮寺も対抗上、

大寺院の別院と認識されることを望むようになってきた。

朝廷側も、国家鎮護の大寺院の系列とすることで諸国の神宮寺に対する求心力を維持できることから、

これを推進したが、

神祇信仰と習合しやすい呪術的要素を持ちながら国家護持や普遍性・抽象性を備えた教説として

諸国神宮寺の心を捉えたのが空海の伝えた真言宗であった。


一方でこのような要望を取り入れるべく天台宗においても、円仁や円珍による密教受容が進んだ。

また、奈良時代から発達してきた修験道も、両宗の密教の影響を強く受け、

独自の発達を遂げることとなった。




熊野信仰

本地垂迹説により、普遍性を獲得する契機の先頭に立ったのが、

八幡神や日吉神、熊野神など早くから仏教と深い関係を取り結んでいた神々であった。

とりわけ熊野の神々は、修験道と結びつくと共に、院の帰依を受け、

院政期以降その信仰を全国に広げていった。

熊野は本宮・新宮・那智の三社(熊野三所権現)で構成され、

熊野本宮の本地・阿弥陀如来は、

平安末以降の阿弥陀仏による救済願望に応える神として衆庶の信仰を集め、

一大霊場として繁栄を極めた(蟻の熊野詣)。

この時、浄土信仰を奉じる一遍も参詣し、託宣を受けて時宗開教へ踏み出している。

熊野信仰の隆盛は、古代的な価値観の解体も示しており、

熊野信仰の特質の一つの苦行が霊験を高め、現世的なもの、身体的なものを超えた、

高次元の精神的なものを志向することとなった。

その霊験をテコに「日本第一大霊験所」と称して、比類なき神格の尊貴性を主張し、

伊勢・熊野同体論が登場するなどし、神々が互いの霊験を競い合うようになった。




怨霊信仰

他方で、このような密教の興隆は王権の相対化をもたらし、

藤原氏の勢力拡大に伴う旧来の名族の没落とも相まって、

政争敗死者を担いで王権への不満や反撥を正当化する怨霊信仰が盛んとなった。

この動きは9世紀には御霊会の流行を引き起こしたが、

神祇信仰に従来からあった怨霊祭り上げの風習に加えて、

密教の側からの鎮魂も行われた点に神仏習合の類型を見ることが出来る。

特に菅原道真の怨霊が天神信仰へと発展するに際し、

仏教の論理により天部として位置づけられたことは、

王権に対する祟りの後に祀られて善神(護法善神)となったという考え方が

密教の影響だったと示している

この典型的な例が平将門即位の状況に見られる。

将門の新皇即位は、神仏習合の神であり天皇家の祖神でもある八幡神がその位を授け、

位記(辞令)を菅原道真が書いたとし、

仏教音楽により儀式を行うようにと神祇信仰の巫女が託宣したものであり、

王権相対化の論理を正当化する手段としての仏教の影響が強く表れている。




ケガレ忌避の論理

このように呪術的な信仰を求める大衆に対しての仏教の側からの浸透に対抗し、

神祇信仰の側からも理論武装の動きが出てきた。

神祇信仰においては従来それほど顕著でなかった二極対立の考え方が発達し、

浄とケガレの二極が強調されるようになった。

このため9世紀から10世紀にかけて、従来は祓いで済んでいたケガレ除去の方法が、

陰陽道の影響もあり物忌み中心に変わってきていることが確認されている。


神祇信仰の論理性の強化は、仏教側からの侵食に対抗するとともに、

仏教側と共生することを可能とした。

10世紀末には、浄土思想にもケガレ思想の影響が見られ、

往生要集などには本来の仏教の浄穢思想理解のための手段として、

神祇信仰のケガレを利用した論理が見受けられる



本地垂迹説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9

しかし、浄土思想の普及は、ケガレを忌避する神祇信仰に対し、

ケガレから根本的に離脱する方法を提示できる仏教の優位を示すこととなった。

仏や菩薩を本地であると考え、
その仏や菩薩が救済する衆生に合わせた形態(垂迹)を取ってこの世に現れるという本地垂迹説は、

このような仏教上位の状況下において仏教側から神祇信仰を取り込もうとする動きとも理解できる。

絶対的存在としての仏や菩薩と、その化身である神という形を取ることにより、

神仏の調和の理論的裏づけとしたのである。

また、このような仏教優位の考え方は、ケガレと日常的に接する武士の心を捉え、

以後の八幡神信仰や天神信仰の興隆にもつながることとなった

更に鎌倉時代になると本地垂迹説による両部神道や

山王神道による大祓詞(おおはらえのことば)の密教的解説や、

記紀神話などに登場する神や神社の祭神の密教的説明の試みが活発化し、

「中世日本紀」といわれる現象が見られるようになった。

ただし仏教の天部の神々も元はヒンドゥー教の神であったように、

日本だけでなくインドの地域社会や中国においても、

土着民族の神々を包摂してきた歴史がある。

仏教にはそのような性質が本来あったことが神仏習合を生んだ大きな要因であった。



神本仏迹説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9#.E5.8F.8D.E6.9C.AC.E5.9C.B0.E5.9E.82.E8.BF.B9.E8.AA.AC


鎌倉時代末期から南北朝時代になると、僧侶による神道説に対する反動から、逆に、

神こそが本地であり仏は仮の姿であるとする神本仏迹説を唱える伊勢神道や唯一神道が現れ、

江戸時代には儒学の理論により両派を統合した垂加神道が誕生した。

これらは神祇信仰の主流派の教義となっていき、神道としての教義確立に貢献した。

しかし、神仏習合の考え自体は明治時代の神仏分離まで衰えることなく続いている。

現在、仏教の寺院の墓地における墓石と板塔婆がそれぞれ石と木で作られることを、

神社における磐座と神籬の影響とする説があるように、

近現代においても日本人の精神構造に影響を及ぼしている。



天道思想
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%81%93


戦国時代には、さらに天道思想による「諸宗はひとつ」とする統一的枠組みが形成されるようになった。

種類
•両部神道
•山王神道
•御流神道
•伊勢神道
•吉田神道
•三輪神道
•垂加神道
•雲伝神道



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88

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違法採金者が先住民を殺害 [消えた一族]

http://www.afpbb.com/articles/-/3142288
違法採金者が先住民を殺害


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後から来たもんが先にいた者を殺して、
先にいた者に成りすます。
殺さずとも奴隷にするか、
でも一揆でも起こされたらたまんないから
先にいた者たちは殺してしまうんだろう。
スーチーさんとこみたいにね、、、

そして、
その資源のある村を奪い乗っ取る。
その村に先にいた者たちの名を奪う。
音だけの時代であとから漢字をあてたから
先にいた者たちと
後から来た者たちは、違う漢字になってる。
先にいた者だったら、なぜその漢字にしたかの意味もわかるとか、
なんかしらあるのよ。
それはもう”ロイ”の世界。
資源のある村を探し回る役目の者がいるわけでしょ。
その頂に立つ者とあちこち飛ばされる者。
あちこち飛ばされるものは常に頂の名を名乗るわけ。
そして同じことを繰り返す。
後から来たもんが先にいた者を殺して、
先にいた者に成りすます。
その資源のある村を奪い乗っ取る。
乗っ取り完了したところにはマーキングしとくわけ
仲間に襲われないように。。
同じ仲間だと信用し合えない時は
”印”を見せ合う。
わーーーー。
まるで記紀や空海の話みたい~~~~~~~
みんな何も知らずに、
調べもせずに有難がってるけど。。。。

*::::::::::::::::::*

奴隷的存在とか奴隷的仕事をする一族は、

それはまた別に作っておく。

それが、まあとたとえていうなら

役行者一族の率いる先住民や山の民、土蜘蛛とか。

(役民を管掌した一族であったために「役」の字をもって氏としたという。

律令制下の租税の一種として、”無償労働にかり出された者” のこと。)

空海だって蝦夷の出なのよ。

でも、朝廷側にくっついた裏切り者的存在

”俘囚”と同じ存在。

まあ、、よく言えば

ハングリー精神でどろ沼から抜け出したといえるのかもしれないけれど、、

*::::::::::::::::::*

時代は繰り返す
時代を繰り返してる者たちがいる
時代を繰り返すしか脳のない奴等がいる
実はちょっと”ぱあ”だから、
同じ事を繰り返すことしかしない
または、できない。
または、それが一番だと信じている。
でも、見て。
なんかそういう”ぱあ”なかんじが、
あちこち世界中で白日の下にさらされてますがな。
それに気づけない人は
何度死んで生まれてきても、
”ぱあ”のいいように
”ぱあ”の望む駒のように使われるだけなのね。
今のように。
現代の一般大衆がそうなように。。。。



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Mountains Of Gold

[Ibeyi]
Who were we before?
When we lived 10 thousand lives
I would like to know
All the secrets of our tribes

[Sampha]
Mountains of gold (mountains of gold
Dollars and pounds (dollars and pounds)
Where will we go? (where will we go?)
I guess it's all that we know (I guess it's all that we know)
Arrows and bows (arrows and bows)
Gunshots in the snow (gunshots in the snow)
Where will we go? (where will we go?)
I guess it's all that we know

[Wiki]
Only thing we learned from history class
Nah, we ain't learned from the past
Build it up, burn it down, leave it as ash
Build it up, burn it down, build it up, burn it down
Damn, man, it turns into a reason to laugh
Think about the cats leading the pack
At least half got
Clapped, scrapped, meeting they match
Slow down, no numbers, don't believe in the facts
That I spew when I'm reading these raps
All I know is what I see, see bridges get burned
And then I see lessons get learned after that
On a smaller level out in (.....)
Thinking last time I ditched my chick
Man, it really ain't shit as big as the bridge
But goddamn, man, this cycle is sick
Goddamn, man, this cycle is sick
Goddamn, man, this cycle is sick, ya heard?

[Ibeyi]
We'll spread the love that we all deserve
Chasing this global pain and disturb
We'll have faith
What comes around, goes around someday

[Sampha]
Mountains of gold (mountains of gold
Dollars and pounds (dollars and pounds)
Where will we go? (where will we go?)
I guess it's all that we know (I guess it's all that we know)
Arrows and bows (arrows and bows)
Gunshots in the snow (gunshots in the snow)
Where will we go? (where will we go?)
I guess it's all that we know












"Deathless"
(feat. Kamasi Washington)


(He said, he said)
(He said, he said)
Do you smoke?
What's your name?
Do you know why I'm here?
(She was, she was)
Innocent
Sweet sixteen
Frozen with fear

Whatever happens, whatever happened (oh hey)
We are deathless
We are deathless
Whatever happens, whatever happened (oh hey)
We are deathless
We are deathless

(He said, he said)
You're not clean
You might deal
All the same with that skin
(She was, she was)
Final looks
With her books
Left for dead in the streets

Whatever happens, whatever happened (oh hey)
We are deathless
We are deathless
Whatever happens, whatever happened (oh hey)
We are deathless
We are deathless

Whatever happens, whatever happened (oh hey)
We are deathless
We are deathless
Whatever happens, whatever happened (oh hey)
We are deathless
We are deathless





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あやつのマーキング。 [消えた一族]





消されたのよ


滅ぼされたことに


したのよ
















ちゃんとあやつ(嫌いな空海)が

マーキングしてあるのよ



特に何にも調べていないときから、


古代史とか知らない頃から、


なぜか”空海””弘法大師””高野山”って言う音を聞くと


”不快感”しか沸いてこなくて、

それがなぜなのかわからなかった。

でも古代史とかいろいろ調べ始めてからは、

よくわからないけど、その不快感はなんか理解できると思うようになって、

実際あちこち行っていろいろ調べ始めると、

やつのマーキングがあるのよ。


で、それからは、

”嫌いだわ”ってはっきり認識するようになった。


でもその理由はまだわからない。

嫌いだわと言う不快感は私の感情じゃないから。

DNAの、

細胞の、

誰かの細胞の記憶。


だから高野山とか行きたいとも思わない。

こないだたまたま偶然連れて行かれて中に少し入ってみたけど、

最初の墓を抜けたところまでが限界。

気持ち悪くなってしまった。

なので、その不快感の理由がわからない限り

絶対に近づきたくない場所

その高野山にべったりな人を知ってるんだけど

なぜかどんどん妖怪みたいに見えるように外見が変貌して行ってるのよね

私にしかそう見えないのかなって思っていたけど

みんなそう思ってるみたい。


で、

前に姫の村に行ったときも、

ある場所にははじめから行く気がしなかったというか、

姫の村に行こうと思って調べたときのあの恐怖感はなんだったのか、、、

怖くて一人じゃ行けない!って思った。

でも一人で行ったわけだけど、

実際に行ってみたら、とてもやさしい雰囲気のする村だった(ほぼ廃村)

姫の滝はその村から行くんだけど、

山だし、道順をよく調べてないんでやめといた。

ざっと記憶してた地図で、こっちの方に降りていったら、

もしかしたらニシキトベさんのほうに行くかなって思って進んでいったら、

思い切り反対に一山超えてしまったんだけど、

その時でさえ、足はまったくそっちに向かわなかった。

あとで地図確認で調べてみたら、

足が向かなかったほうに奴がマーキングしまくっていたのね。

で、たぶんもともとそこに姫が祭られていたはずだけど

それは消してしまっていると思う

その山だってやつのせいで丸裸になるまで削られたんじゃないのかしら

その姿を見ることができるのよ

それは、あまのの下のみだにも同じだった

やつが来たせいで山が丸裸にされた

その私が足が向かなかった方は、やつが修行場を作ろうとした場所だけど

規模が小さいって事で捨てられた場所

だからそうしようとした後はかなりのこっている

そこを捨てて高野山を作ったらしい

あまのもそれとおなじだ

ほじくりまくった山を越えた隣の山頂に社を建てた

はげちらかすだけはげちらかして

自分の名を残すことろは豪華にきれいに作る

その根性がこ汚い

この不快感だと思う。

嫌いだわ、こういう性質の人。


で、私が間違って一山超えて、出たのは古座川の上流で、

そこには私の好きな役行者さんのお地蔵さんが待っててくれたというね。

”行者ナビ”


これも、同じようになぜ大好きなのか私は知らない。

なんでそこにマーキングしたのかは行ってみてわかった。






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丹敷は 

丹生 敷

磯城

磯の者は磯部 

長谷 はせ、はつせ 

だけど、ナガ谷 ナガヤ 


長野もナガヤ。

長谷は 初瀬

これも意味があるのね、、、


長谷や初瀬と言えば、私を強烈に呼んだ

落神さま

後日調べた結果

桜井

あのあたりは磯城一族の土地


落神さんはアジスキタカヒコネなんだけど、もともとは

瀧蔵権現神社
http://www.7kamado.net/takikura.html

瀧蔵神社は長谷寺の奥の院

ココははじめ行くつもりじゃなかった

徒歩旅行にはちょっと無理的距離。

けど、タクシーの運転手さんが行ったらいいよというので

奮発して、タクシーで回ってきたの。

そのときのことも過去ブログに書いてる

そこは完璧隠里だった。


それはまあ省いて。




ひとつの神を祭っているようで実は違う。

”あんたらはそう思ってるだろうけど、

うちらはそれを祭っているとは思ってはいないんだぜ” 



神社に印されてる神の名前より、

その神社がいつできて、誰が最初に祭司で、

その後どうなって誰に続いているか。


それがわかって現地に行けば、

さらにいろいろ見つかるようにちゃんとなにかしらのこしてる。


まだつづく






あれ?”イワナガヒメ” コールが来てるな、、、、、 
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-03-22-1





Oh no, did I get too close oh?
Oh, did I almost see what's really on the inside?
All your insecurities
All the dirty laundry
Never made me blink one time


Unconditional, unconditionally
I will love you unconditionally
There is no fear now
Let go and just be free
I will love you unconditionally


Come just as you are to me
Don't need apologies
Know that you are all worthy
I'll take your bad days with your good
Walk through this storm I would
I'd do it all because I love you, I love you


Unconditional, unconditionally
I will love you unconditionally
There is no fear now
Let go and just be free
I will love you unconditionally


So open up your heart and just let it begin
Open up your heart, and just let it begin
Open up your heart, and just let it begin
Open up your heart
Acceptance is the key to be
To be truly free
Will you do the same for me?


Unconditional, unconditionally
I will love you unconditionally
And there is no fear now
Let go and just be free
'Cause I will love you unconditionally (oh yeah)


I will love you
I will love you
I will love you unconditionally


Written by Henry Russell Walter, Katy Perry, Lukasz Gottwald, Max Martin ? Copyright [コピーライト] Warner/Chappell Music, Inc



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カヤ [消えた一族]

http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2017-09-02
昨日のぶつくさの続きでもある












私の体を作っている細胞のどれかの記憶の中に

強烈に残っている音がいくつかある

そのひとつが


カヤ


電報略号 ”カヤ”


細かくはあまり書きたくない

たくさんの人が調べてるし

みんな何かしら縁を感じて調べているのだろうし

私の場合は調べていくうちに縁以上のものになってしまってきているので

これはこれとはっきり書きたくない

 だけど、ある程度なんとなくまとめて書き残しておかないと

大体、なんかが来ている時にいろいろ見つけたりするので

あとでまるっきり覚えていないことのが多いのだ

まったく初見みたいな衝撃を受けるんだけど

それを改めて検索してみると

何年か前に自分で書いたブログ記事が出てきたりする

入れる情報が多すぎて覚えていないと言うことでもない

なので、

はっきり書きたくないけど

ざっくり残しておきたい


ともかく、

我が家の父方も母方も

同じ姫の一族を祭る家系だったり、そこにとても縁のある家系だったりしている

父方の母親
私のおばあちゃんに当たる血筋と同じ名前の家は

あちこちに点在していて

姫と言う姫に関係しているし

鬼とか魔王とか天狗とか忍者とヤクザとかテキヤとか


空海、高野山はとても嫌い

別に↑これは私が嫌いなんじゃない

嫌いだったことも知らなかったけど

ニシキトベさんに呼ばれたあたりの頃から

空海と高野山は嫌いだわって突然そう感じた

本当に嫌い

ちっ、、、、こいつらたちわりいなああ~~~~

そんな感覚

今実際その現象に似た現象が白浜に起きてたりして

あーーーこんな感じだったんだろうな、、、って疑似体験中



ひとつの信仰、口伝を伝え残すのに

時代時代で

いろいろなことを隠さなくてはいけなかった

そうしてきたために

祭るべき存在がバラバラになってしまった

隠すべき存在はごちゃ混ぜになってひとつにまとめられてしまったり


 
だけど共通するものがあるから

それを探す人はいづれ、みんなひとつ、同じだと気づく


でも

気づいたからってなんなんだい?

気づいたから地球が救われるとか、、、そんなんじゃない


気づいたら

先祖たちの思いを組んで、それを伝え続けて、祭り続ければいいだけの話だ

救世主なんか現れはしないし

いや、厳密にはそうだと思い込む人々はたくさん現れるけど

その中にいるわけではなく

そうやって思い込んでしまった人たちは、

また利用されて、嘘の時代を作るためのキャストにされるだけの話


本当のほんとに気づいた人は

きっと本なんか書いて金儲けなんかできないはずだ

私はそう思う。


どんな本が出てこようが本当のことなんか書いてない

無意識にすん止めされてるようなものはあるかもしれない




だから私は

血の(茅野・チの・カヤの)

ささやきを聞こうと

耳を澄まして

聞こえない音を聞こうとしている




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その声も

その血も

途切れることなく

続いているのだから












「人」+音符「尹」。「尹」は、手で神杖を持った様を表わす象形文字。伊は神の意志を伝える聖職者。治める人の意を表す。


古代エジプトの時代に染められていた藍は、藍はアイでも、インド藍のほうです。西暦前1512年に荒野でかかれたというモーセの出エジプト記の中では、幕屋の垂れ幕や聖なるところに関連した衣を描写する際、青、緋(ひ)、赤紫を挙げていますから、古代よりインド藍で染色がなされていたことが確認されています。











あら~~~~~~~やっぱり。

伊藍嶋=沖永良部
イランジマ=オキノエ(ヱ・ア)ラブ

http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-03-01


kumo

kuma

CHINA

あの布






神武 

ニシキトベ


イザナ”ギ”

イザナ”ミ”




イザナギまたはイザナキ(伊弉諾、伊邪那岐、伊耶那岐)は、

日本神話に登場する男神。
『古事記』では伊邪那岐命、『日本書紀』では、伊弉諾神と表記される。

イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)の兄であり夫。

アマテラスやスサノオ等多くの神の父神であり、神武天皇の7代先祖とされる。



こっから争いは始まってる


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%B8%96%E4%B8%83%E4%BB%A3



青橿城根尊
沫蕩尊・面足尊

http://www.genbu.net/saijin/omodaru.htm



青橿

橿




”越”という名は中央アジアの古代語で”玉-ぎょく”と言う意味の”かし”が転じた語

http://www.moonmadness.jp/itoigawahisui.html





きゃあああ、、、もう今日はギブです


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The world will never know you like I do [消えた一族]

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Speak of the devil
Look who just walked into the room
The guilted and faded
Notion of someone I once knew.

All the perfect moments are wrong
All the precious pieces are gone
Everything that mattered is just
A city of dust
Covering both of us

Did you hide yourself away?
I can't see you anymore
Did you eclipse another day?
I used to wake up to the color of your soul

Did you hide yourself away?
Are you living through the ghost?
Did you finally find a place
Above the shadows so the world will never know?
The world will never know you like I do

So many silent sorrows
You never hear from again
And now that you've lost tomorrow
Is yesterday still a friend?

All the bridges we built were burned
Not a single lesson was learned
Everything that mattered is just
A city of dust
Covering both of us

Did you hide yourself away?
I can't see you anymore
Did you eclipse another day?
I used to wake up to the color of your soul

Did you hide yourself away?
Are you living through the ghost?
Did you finally find a place
Above the shadows so the world will never know?
The world will never know you like I do

Like I still do

Did you hide yourself away?
I can't see you anymore
Did you eclipse another day?
I used to wake up to the color of your soul

Did you hide yourself away?
Are you living through the ghost?
Did you finally find a place
Above the shadows so the world will never know?
The world will never know you








無理矢理つじつま合わせでお話を自分に都合よく作り上げたくないと言う思いがあるから、
余計にわからなくなる、
だって不思議なくらいにつじつまがあってしまったりするから、、、
見つかってしまったりするから


書きたくないのは

いろんな人に知られたくないから

もうこれこれ確実に私のルーツなんですよ

その謎解き方法を

教えちゃだめでしょ~~~~って思うのよね


たぶん、過去にも鋭い怪しいブログを書く人とかいて、

その人たちもいろいろ調べていたのに

突然やめて消えちゃったりするじゃない

あれはきっと、自分のルーツに関することを知ったんだろうなと思ったりするのよ

神社の神様レベルの話とか

古事記、日本書紀レベルの話とか

ホツマツタエだ、竹内文書だ

っていう、調べれば必ずたどりつく、

ある意味ちゃんと用意されてるもんじゃなくて

げええええええええええっていうことを知ったんだろうと思う。

限りなく自分に近い話だったりするんだろうなーーーと思う。




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阿部 佐久  閼伽流


阿部の事代 阿麻の佐久 閼伽流。

事代主は次期大国主。

ヌナカワヒメが結婚したのはこの時期大国主である阿部の事代主。

そしてこのヌナカワヒメは

”沼川の姫”って言ってるだけで、個人名というわけではない。

ニウのカワのヒメ



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そろそろ脳が考えるの嫌がってきた




これが洗脳スイッチはいったときの状態なんだろうな~。

だってすでに=、=、=で答えはとうの昔に出しているのに、
まるで新たな発見みたいなものをして、
そうするとまた答えがゼロ近くに戻ってしまうと言うか。
そんな時シャワーを浴びるとすっきりする


そう。

いつも思考停止するとシャワーを浴びてた

考えがいったんすっきりできると言うかな。。。


 



事代主を調べ始めた頃

snootie wildが出てきた

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Nが反対なのよね

Nが

N


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彼にはきっとアジアの血も入っている

snootieのお兄ちゃんとかお姉ちゃんとか

超アジアン顔

にいちゃん
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ねえちゃん
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続きは明日。。。




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飯能の諏訪八幡神社を参拝した際、
境内社の丹生(たんしょう)神社(丹生大明神)にてお参りした。

丹生神社は、
丹党の一族加治助季が中山の領主となった時に鎮座させたもの。

武蔵七党のうち、
丹党は、古くは水銀、銅、砂金、産鉄・製鉄など金属資源に深くかかわりのある集団でした。


爾保都比賣命は国堅大神の子。

国堅大神は『播磨国風土記』に登場する名で、大国主命の別名です。


四季歩のつれづれ様より



これ読んで、ぴんと来る人は同じようなことを調べてる人ですね


この方のサイトによると

”ニュウツヒメはオオクニヌシの娘”

となっていますね。

まあ、間違っているわけではないんですけどね。。。






夕べ暗号時で見つけた場所は

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榊山のふもとに榊神社

ご神体は榊山ということですね。

調べてたけどご祭神がわかるようなサイトが見つからない。

でもご神体は間違いなく、榊山

榊山と言えば胸に榊を携えて、三谷の榊山に阿麻降ったのは

”ニフツヒメ”

酒殿丹生都姫神社には

丹生都姫とタケミナカタが祭られています。

ニウのヒメとタケミナカタです。

上のサイトさんからの引用の中に


”境内社の丹生(たんしょう)神社(丹生大明神)にてお参りした。”


丹生(たんじょう)神社

(丹生大明神) たんじょう

”たんじょう” でもいいのです。


アマ サク (たんじょう)


これで


現在父のお墓のある、榊の暮らす、暮らした土地の氏神様に。。。。



佐久の榊山のある近くには

雨川砂防ダムというのがあって

そのダムのそこに沈められているのは


”山の神”集落

【榊山】
上信越道「佐久南IC」降車、国道141号線に入り
臼田町で県道93号線に入り田口峠を目指します
「雨川砂防ダム」を過ぎて右折すると橋があり
橋を渡るとすぐ左側は林道のゲートです
ゲート付近の道路脇に駐車しました



山の神の一族が暮らした集落はダムのそこに。



海から一番遠い土地

榊山は、日本で海から最も遠くにある地点を象徴する山

この地方は ” 東信 ”

私の父が和歌山>>大阪>>を経て戦後東京に出て起こした会社が

” 東伸 ”


この会社を興したあとに

 ” 東信 ” の ”黒曜石の里”からやってきた香山の母と三谷で出会うとは

呪いか因縁かDNAの引き合う力か。。。



そして二人とも和歌山に役があり、四谷を目指して上京し

同時に三谷へ移動

私が生まれてきたわけです。





そんな三谷の地の

碑文の谷の三谷の弁財天の池で

”88” 才の

阿部 祝 子 さんが

バラバラ遺体で見つかった

強烈すぎるサイン

その池は私が子供の頃から遊んだ池だし

自分もその池のある公園で子育てをした。

そんな場所に


もちろん、その池から実家は歩いて10分もかからない

自転車なら3分もかからないような距離感

ほんとに起こったことなんだろうか。。。。???


ニュースを見たときからそう思ってる。





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消えた一族(228)なぜ阿部アピールなのかと言えばきっと、、、 [消えた一族]














『火怨・北の英雄 アテルイ伝』第01話 -04話
http://jp.pandora.tv/my.upstge/49840428?ref=ts



















炎立つ1話





大伴すず

物部吉次




まとまらないから後回し

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消えた一族(227) [消えた一族]







わからん




わかりたくない





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消えた一族(226) 勧請 [消えた一族]

2017-03-04 03:15:12のブログです
更新中











かん‐じょう〔クワンジヤウ〕【勧▽請】

[名](スル)
1 神仏の来臨や神託を祈り願うこと。また、高僧などを懇請して迎えること。
2 神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること。「熊野権現(くまのごんげん)を勧請する」



神道では離れた土地より分霊を迎え遷座鎮祭すること

すなわち,本祀の社の祭神の分霊を迎えて新たに設けた分祀の社殿にまつること。

もともとは仏教より出た語で

仏に久住して法輪を転じ衆生を擁護することを請う,という意で用いられたが

のちに仏菩薩を他に請じて久住を願うことに転じて用いられるようになった。

日本では神仏習合の発展によって

八幡大菩薩や熊野権現などの垂迹神の神託を請うことを勧請といい

さらに神仏の霊を招いて奉安することをいうようになり

そこに勧請された神を勧請神と呼ぶようになった。




分霊(ぶんれい、わけみたま)とは、

神道の用語で、本社の祭神を他所で祀る際、その神の神霊を分けたものを指す。

分霊を他の神社に移すことを勧請(かんじょう)という。

神道では、神霊は無限に分けることができ、

分霊しても元の神霊に影響はなく、

分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされる。

他の神社より祭神を勧請した神社を

分祠(ぶんし)、分社(ぶんしゃ)、今宮(いまみや)などという。

勧請はその神の根源とされる神社(総本社・総本宮)から行われることが多い。

分霊された神社(系列社)の社名は、勧請された神に因むことが多い。

例えば稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社であり、

ほとんどの稲荷神社は伏見稲荷大社から神霊の勧請を受けている。

勧請は、本来は仏教で仏に教えを請い、いつまでも衆生を救ってくれるよう請願することを指した。

日本では、神仏習合により、神仏の霊を迎えての祈願を指すようになり、後に現在の意味に変化した。

なお、分祀は、神社に複数の祭神が祀られる場合に、

一部の祭神のみを他所に移して祀る分遷の意味[要出典]でも使われる
(例:伊太祁曽神社)。


神札や御守に祭神の加護を加える降神も分霊の1つである。

その逆は昇神で、それらや御神体から祭神の神霊にお帰り頂く事をいい、

昇神によりそれらの物を左義長でお焚き上げが可能となる。

仏教では降神を開眼(かいげん)、昇神を撥遣(はっけん)などという。


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


巫女舞

古代日本において、

祭祀を司る巫女自身の上に神が舞い降りるという神がかりの儀式のために行われた舞がもととなり、

それが様式化して祈祷や奉納の舞となった。


前者(「神がかり系」)においては

古来の神がかりや託宣の儀式の形式に則って回っては回り返すという動作を繰り返しながら舞うことなどでその身を清めてからその身に神を降すという、その古態を残すところもあるが、

現在では優雅な神楽歌にあわせた舞の優美さを重んじた後者(「八乙女系」)がほとんどである。

千早・水干・緋袴・白足袋の装いに身を包んだ巫女が太鼓や笛、銅拍子などの囃子にあわせて

鈴・扇・笹・榊・幣など依り代となる採物を手にした巫女が舞い踊る。

また、関東地方の一部などでは巫女が仮面を嵌める場合もある。

処女が巫女(八乙女)として舞を務める例が多いが、

近年では神職の妻女や老女が舞う場合もある[1]。





巫女舞の原点は、

降神巫(こうしんふ)による神がかりの儀式にあったといわれている。



採物を手にした巫女がまず身を清めるための舞を舞い、

続いて右回り左回りと順逆双方に交互に回りながら舞う。

やがてその旋回運動は激しくなり、

しだいに巫女は一種のトランス状態に突入して神がかり(憑依)、

跳躍するに至って、神託を下すことになる。


舞という言葉はこの旋舞の動きが語源であり、

跳躍を主とする踊りもここから生まれたとされる。

中国の巫覡の舞の基本を示した『八卦舞譜』には「陰陽を以て綱紀と為す」とあり、

舞踏の動作は陰陽を意味する左旋と右盤を必須とすることが記されている。

それは太極図が表現する天地がいまだ別れる以前の陰陽混然の姿を示しているとされる。




『古事記』・『日本書紀』において


天岩屋戸の前で舞ったとされる天鈿女命の故事にその原型が見られ、

その子孫とされた「猨女君」の女性達は

代々神祇官の女官として神楽を奉納したとされている。


平安時代の宮廷で舞われたとされる「猨女」・「御巫」(『貞観儀式』)は

いずれも巫女舞であったと推定されている。


『拾遺集』によれば、920年(延喜20年)に奈良の春日大社で

「八乙女」と呼ばれる巫女達による神楽が舞われたと記録されている。

平安時代末期の藤原明衡の著である『新猿楽記』には、


巫女に必要な4要素として「占い・神遊・寄絃・口寄」が挙げられており、

彼が実際に目撃したという巫女の神遊(神楽)は


まさしく神と舞い遊ぶ仙人のようだったと、記している。


また、少し後の時代に属する『梁塵秘抄』にある

「鈴はさや振る藤太巫女」にも鈴を持ちながら舞い踊る巫女が登場する。




中世以後各地の有力な神社では巫女舞が恒例となった。


当時の巫女舞は旧来の神がかり的要素に加えて

依頼者の現世利益を追求するための祈願を併せて目的としていたとされている。



また、地方では修験者と巫女が結びついて

祈祷や鎮魂を目的とする民間習俗の色彩が濃い巫女舞も行われるようになった。


現在でも、祈祷・祈願自体を神楽、あるいは「神楽を上げる」と称する例があるのも、

このことが基であると考えられる。



中世の巫女舞に関する多くの史料が残されている備前国(岡山県)一宮の吉備津彦神社の例では、


1342年(康永元年/興国3年)作成の『一宮社法』によれば、

12名の巫女からなる「神子座」があり、一宮の行事以外でも村々の招きに応じて神楽を舞い、

逆に村々の巫女が一宮で舞う事があった。

だが、1471年(文明3年)に作成された「総社家社僧中神前御祈念之事等注文」によれば、

巫女にも宮神子から選抜される一神子と一般の宮神子、村方の神子に分類され、

一神子のみが本社で神楽を無言で舞うことが許され(託宣などの禁止)、

宮神子は祈祷のみを許され、

占い・託宣・湯立は脇殿で宮神子以外の者が行うことなどが定められて、

神事に携わるものと託宣などを行うものが分離されるようになった。


ところが、江戸時代後期に勃興した国学の中には、


神霊の憑依などの霊的現象を淫祠邪教として否定的に捉える学説が現れるようになり、

そのような民間習俗と結びつきやすい巫女そのものに対しても否定的な動きが出始めた[2]。

後、明治維新を迎え、

国学的な神道観を基に神社祭祀制度の抜本的な見直しが為されたが、

1873年(明治6年)には

神霊の憑依などによって託宣を得る行為は

教部省によって全面的に禁止された。

これは巫女禁断令と通称される[3]。


禁止措置によって神社に常駐せずに民間祈祷を行っていた巫女は全面的に廃業となったが、

中には神社に留まることによって活動を続ける者もいた。

後、春日大社の富田光美らが、

巫女の神道における重要性を唱えて

巫女舞の存続を訴えると同時に同社ゆかりの「八乙女」による舞を

より洗練させて芸術性を高める事によって巫女及び巫女舞の復興に尽くしたのである。

これが今日見られるような巫女舞になっていくのであるが、

依然として「神がかり」の系統を受け継いだ古い形の巫女舞を残している神社も

僅かながら存在している[4]。

その一方で、


島根県松江市の佐太神社のように
男性神職が女装して姫面を付けて巫女舞を踊る神社も存在している。











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ちょっといろいろ出てきちゃって寄り道してた

関係ないやと、またこっちに戻そうにも


今日は何検索しても八幡ばっかり出てくる。

しかも、

比売大神か女祝、、、、、


ああ。。。最終は 


”阿部の祝のミコ” 

かい、、、、、?

だな。 


88の

阿部の祝の巫女


ちょっとお待ちを


夕べからまたずっと足が痛くてね


墓参りのその夜から次の日のお目覚め時も

そういう時って

こっちとあっちの中間にいるんだろうね

あっちからの干渉に気がつきやすい

気がつくと思ってやってるんだろうね


なので


わざと大きな声で、もう!とかいってみる

そうすると、しなくなる。


足が痛くて集中できませんよ

左足ね。。。



ちょっともう少し集中して調べてからまた。。。



なんでこんなことを調べてるかといったら

左足に激痛がおきるから


お墓参りに行く土地に行くとね

お墓ではなんともない


お墓を出て、ちょっとうろうろしようかなーなんて思うともう左足に激痛が走り出して

うろうろするどころじゃない


さぐめさんの神社では足は痛くない


でもなんとなく思うとこがあって調べてる





比売大神っていろいろいわれてる中のひとつに

八幡のシャーマン(巫女)を祭る時のご祭神名っていうのがあった


こんなことを書いていいのかわからないけど

ほら、、インドのクマリとかいるじゃない


あちこちに、たとえばククリヒメを持ってこようって時に

儀式として

神がかり、神を降ろす巫女がいて

その人に憑くわけでしょ

その巫女さんは、シャーマンはまあそこの専属のシャーマンみたいになるんだろうよね

歩き巫女なんて言葉も目にしたことがあるけど

もっとインドのクマリ的な感じで



まあ、、これを観てみましょうか、、






動物の頭部が並べられた暗い部屋に閉じ込められ、
泣き叫ばないかどうか試される試験もあるらしいよ・・


厳しい審査を通り抜け選ばれたクマリは、両親のもとから離され
神として生きなけれないけない。



クマリ様は


自分で歩いてはいけないよう。




20150613170138310s.jpg







移動するときは、こうやってかつがれながら移動します。





http://ninjah.blog.fc2.com/blog-entry-307.html





ローカル・クマリの一人
クマリ(Kumari、Kumari Devi)は、ネパールに住む生きた女神である。密教女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神である女神タレージュやアルナプルナの生まれ変わりとされており、国内から選ばれた満月生まれの仏教徒の少女が初潮を迎えるまでクマリとして役割を果たす。中には初潮が来ず、50歳を過ぎてもクマリを務めているケースもある。

カトマンドゥのクマリの館に住む国王もひれ伏すロイヤル・クマリが最も有名であり、国の運命を占う予言者でもある。 クマリという場合、概ねロイヤル・クマリを表す(ネパール国内の村や町にも多数存在するクマリはローカル・クマリと呼ばれている)。

2001年7月10日に当時4歳で選ばれたPreeti Shakyaに替わり、2008年10月7日に当時3歳で選ばれたMatina Shakyaが現在のロイヤル・クマリである。

9月に行われるインドラ・ジャートラー(英語版)の大祭ではクマリが主役となり、王がクマリの元を訪ね跪き祝福のティラカ(Tilaka)を受ける。 顔は額から鼻筋にかけて赤い化粧が施されている。



クマリは初潮前の幼い少女から選ばれ、その中から多くの条件が課される。これはチベット仏教の活仏であるダライ・ラマやカルマパらが選定されるプロセスに似ている。 家柄は重要であり、ネワール族の仏教徒の僧侶・金細工師カーストのサキャ(Shakya)の生まれでなければならない。

以下は32もある条件の一部である。
健康である
すべての歯が欠けていない
菩提樹のような身体
牛のような睫毛
獅子のような胸
鹿のような脚
アヒルのように柔らかく透き通った声
黒い髪と目

また、身体的には怪我の跡や不自由な箇所がないことも条件である。 動物の頭部が並べられた暗い部屋に閉じ込められて耐えることも必要とされる。 国や国王との占星術における相性が良く、これらすべての条件をクリアした少女がクマリとなる。


社会から断絶されたクマリの状況は幼児虐待や軟禁状態にあたると人権擁護団体から非難の声もあがっている。2006年にはネパールの最高裁でクマリの伝統が人権侵害にあたるか政府に対し調査を命じた。2008年8月18日、最高裁がクマリの人権について判決を出した。判決は「クマリが,子供の権利条約の保障する子供の権利を否定されるべき根拠は,歴史的文書にも宗教的文書にもない」とし、クマリには教育、行動、食事の自由などが認められるべきであるとした。[4]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%AA




このあたりの、


あれも八幡様だったかな

決められたお稚児さんがやっぱ、お祭り終わるまで自分で歩いちゃ行けない風習が

お祭りで残ってる



ヤツハチの稚児は、毎年2~3才の男児が1名選ばれ、
3年間の本役と、4年目の雇われ役を神の子として務める。

1年目の稚児は月の冠を、
2年目の稚児は日の冠を、
3年目を務める稚児は獅子の冠をつけて舞いを舞う。
4年目の稚児は、1年目の稚児が幼令で奉仕できない時、代役を務めるが、
この4年間は厳しい精進潔斉の日を過すのである。

http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=7025

http://ameblo.jp/shiraranankurunaisa/entry-12095689383.html



クマリ
http://www.afpbb.com/articles/-/3055209
http://yaplog.jp/ar125/archive/5411





巫女信仰
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl#q=%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0&lr=lang_ja&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&start=10&*




アメノサグメ


鳥の声を判断できる巫女



サグメ一族


このクマリじゃないけれど

クマリよりももうちょっとハードそうな

というか、ハードな状況にいた人がいたのかもしれない



私がその土地にまったく関係のない人間だったら

そこにいっただけで左足びっこ引くほど激痛になるってことはないかもしれない

ずーーーーーーっと座ってるのだって大変よ


10分だって正座もできないわ、、、


それだけではなく

うーーーん、、記録など探してみたけど見当たらずだからなんともいえないけど


あんだけ足を痛くさせちゃうんだから

これは


人柱系かなーとか思ったの。



そういう話もその周辺には実際残ってる










○慶長伏見地震、伏見城倒壊-歌舞伎狂言・地震加藤のテーマに(420年前)[改訂]
 1596年9月5日(文禄5年閏7月13日)
 京洛の巷も伏見の港も城も寝静まった子の刻(午前0時ごろ)、京都南部を中心とした畿内と近隣をマグニチュード7.5の大地震が襲った。
 被害は京都の三条から伏見にかけて多く、京都では東寺、天竜寺、大覚寺、二尊院といった大寺院が倒壊、民家の多くが倒潰し死傷者も多く出たという。特に東寺では寺の中枢をなす食堂、講堂、灌頂院、南大門が倒壊するなど大きな被害となった。
 伏見では太閤秀吉の居城、伏見城の天守閣が大破、石垣が崩れた。秀吉は庭に逃れ無事だったが、上﨟(高級女官)73人、仲居下女(下働きの女性)500余人が犠牲になったという。この時、秀吉の怒りに触れ謹慎中だった加藤清正が、手勢を引き連れて真っ先に登城し、城門を固めると同時に救助活動を行ったので、閉門を解かれたというエピソードがあり、後に歌舞伎狂言の「増補桃山譚(地震加藤)」のテーマになった。
 この大破した伏見城の普請は4年前の92年(天正20年)8月から始まったが、この時、その6年前の天正地震で越中から美濃、伊勢にかけて、多くの城が倒壊したのを知っている秀吉は、京都所司代にあてた書簡で“ふしみのふしん(普請)、なまつ(ナマズ)大事にて候まま”と、地震対策を指示していたが、不幸にも予感は当たり多くの犠牲者を出してしまった。
 そのほか畿内では、奈良の唐招提寺で戒壇、僧堂が倒壊、金堂、講堂、東塔などが損壊。法華寺の金堂、海竜王寺、興福寺などが損壊した。また、和泉、河内(現・大阪府)、摂津(現・大阪府、兵庫県)で民家の倒潰が多く、特に堺で600余人が死亡、大坂も倒潰した家多く、兵庫(現・神戸市)では1軒残らず倒潰し火災となったという。全体で1500人余が犠牲になったとされ、中央構造線に連なる有馬-高槻断層による震害と推定されている。
 (出典:宇佐美龍夫著「日本被害地震総覧>4 被害地震各論>082 畿内及び近隣 57頁~58頁」、小倉一德編、力武常次+竹田厚監修「日本の自然災害>第Ⅱ章 記録に見る自然災害の歴史>2.近世の災害 79頁:伏見地震」、伊藤和明著・防災情報新聞連載「災害史は語る No140 慶長年間に相次いだ大地震」、伊藤和明著「地震と噴火の日本史>第5章 大都市直下の大地震>1 京都を襲った大地震 182頁~185頁:秀吉の城が潰れた大地震」。参照:2016年1月の周年災害「天正地震」)









サグメの神社は父の母の家系がとても関係深く

美濃からの移住者って言うのがおばあちゃんの家系なのかは不明だけど

この神社を建て直したりとかいしている。

頭屋(とうや)とは、
神社や講において行われる祭礼や神事などの行事の執行に関して
中心的な役割を果たす人もしくは家。
当屋・祷屋・当家などの表記が行われる場合もある。


古代から「頭」・「頭人」などと呼ばれる祭祀の主宰者があり、
宮座の仕組が確立された14世紀頃より頭人もしくは頭人自身が所属する家のことを頭屋と称して、
家単位で行事に関する職務・責任(頭役)を負うことが行われるようになった。

ただし、神事に対する宗教的・経済的な負担の大きさから後には1年交替などの交替制が取られ、
また専門の神職を設置して祭祀に関する行為を行わせて、
頭屋は世話人的な立場に立って
行事に必要な施設や神酒・神饌・神供などの物資の調達・確保の部分を担うようになった。

頭役は家順・くじ・名簿順などによって決められた。

頭役の交替の際には頭渡し・頭受けと呼ばれる厳格な儀式が行われ、
その任務の遂行のために厳しい潔斎を行って清浄性を保ち
門前に依代であるおはけを飾るなど様々な決まりごとがあった。



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部族の枠を超えて継がれる伝統



世界中を回って新しい生薬を探し回る生薬ハンターや民俗学者の話によると、

シャーマンも高齢化が進み、

若い世代のシャーマンは減っているようです。

その山麓シッキムにレプチャ族が暮らしています。

レプチャ族は顔も言語も風習も日本人との共通点が非常に多く、
自然界の八百万の神を信じる精神性の高い民族です。


そのレプチャ族最後の精神的指導者でありシャーマンであったサムダップ・タソが
最近亡くなり、

古来から受け継がれてきた部族伝統儀式と相伝がついに途絶えてしまいました。


タソの後を引き継ぐシャーマンがいなかったのです。

シャーマンは、
普通の職業のように誰もが引き継げるわけではなく、

高い精神性と天性の資質が必要です。



タソの死は、
レプチャ族だけでなく、
人類の遺産の喪失でもありました。



複数のシャーマンたちは、
部族の人口減少に危機感を抱き、
シャーマンの役割を継承していくには、
部族を超えて、
地球部族の中から新しいシャーマンたちを育てる必要がある
ことを実感していると語っています。






この話で、思い出すのが、
メキシコのシャーマンであるマリア・サビーナ。


彼女は、
部族の枠を超えて
自らの困難と引き換えに
次世代に大切な儀式を伝える活動に専念し、
静かに消えていったシャーマンの一人です。



今日は、マリア・サビーナ(1894年-1985年11月23日)のお話しです。




1950年代に
アメリカの幻覚性キノコ研究者R・ゴードン・ワッソンとフランスのキノコ分類学者ロジェ・エイムは、
メキシコのキノコの実地調査をおこないました。

その時に
先住民の村で体験したシャーマン儀式の記録が
1957年のアメリカのLIFE誌に発表されました。

lifecoverLIFE誌

儀式には
「ロス・ニーニョ・サントス(小さな聖者たち)」
と呼ばれる聖なるキノコで作られた薬草処方箋が用いられました。

この儀式に使われたキノコは、
「テオナナカトル」とも言われ、

モモエギタケ科のモモエギタケ属、シビレタケ属、オキナタケ科のキコガサタケ属、ヒトヨタケ科のワライタケ属などのキノコを混ぜたものであることがわかりました。

これらキノコの混合薬からは
幻覚作用の強いシロシビンとシロシンが含有されています。

シロシビン2シロシビン



次の写真は、約1700年ほど前の遺跡から出土されたものです。
キノコの像に神が彫られています。

この地域一帯の各部族にとって、
キノコは神と対話する聖なる植物なのです。

白人がこの地に侵入してから、
数百年間はキノコの儀式は禁止されていましたが、
途絶えることなく、
伝統は密かに守り続けられていました。


シロシビンは、

摂取後は速やかに加水分解されてシロシンとなり、
腎臓・肝臓・脳・血液に分布します。
agaricuscamのシロシンシロシン

摂取量にもよりますが、
摂取後にまず悪寒や吐気、眩暈、酩酊感、しびれなどが始まり、
その後
視覚異常が現れ始め、

さらに進むと、
幻覚、幻聴、精神錯乱、混迷状態などが顕著に現れて
時間や空間の認識さえ困難となります。



ベニテングタケやテングタケに代表されるイボテン酸は、
最終的に意識が消失していく傾向にあるのに対し、

シロシビンでは
LSD様の過覚醒が発現します。

41619_abstract_trippy_psychedelic

アメリカでは、
強迫性障害や心的外傷後ストレス障害(PTSD)といった神経性の病に対するシロシビン処方の治療臨床試験が行われています。

群発性頭痛に一定の効果を得たという報告もされています。

話は戻って

コロンブスのはるか以前からずっと続いてきた「聖なるキノコ」の儀式を
1955年、はじめて"白人"の部外者ゴードン・ワッソンに授けたシャーマンは、

メキシコのマサテカ族の女性シャーマンである

マリア・サビーナです。

本名ドニャ・マリア。

地元では尊敬の念をこめてサビナ(賢女)を入れて
マリア・サビナと呼ばれていました。


マリアは、
幼少期に父親を亡くし、
幼い頃から畑仕事をして暮らしていましたが、
とても貧しく、
食べるものが無いこともよくありました。

6歳になって、
初めて聖なるキノコの集会「ベラダ」に参加しましたが、
それも食べるものがなく、
飢えをしのぐためにキノコを食べに参加したのが最初の体験でした。

その後
思春期から40歳代で二番目の夫が亡くなるまでは、
キノコの儀式にはほとんど参加出来ませんでした。

キノコの儀式に参加する前の一定準備期間は、
性行為が禁止されているからです。



マリアが再び儀式に参加した時に、
キノコの力によって
病に伏している姉の横にいる死神と会話をして、
死神から姉の病気の治療法を教えてもらい、
(死神が来るのは、死ぬ時ではなく、死から蘇る役割を持っている時です)

さらに
高次元の霊的存在から
キノコの知恵と言葉を理解する力を授けてもらった
と言います。



その力によってマリアの名声は拡がっていき、
遠くの村からもマリアの儀式に参加しにやってくるようになりました。
こうして、
マリアは日常を霊的活動に費やしました。


ある時
マリアは聖なるキノコによるビジョンで、
キノコの儀式のことを調べに誰かが彼女の元を訪ねてくることを知りました。

そして、
そのビジョンの中で彼女は、
キノコの儀式を授けるように指示されました。

それからまもなくして
ゴードンたちがマリアの元へやってきたのです。

マリアは、役場に出向き、
部会者に部族の儀式を公開する許可を求めました。

役場で、許可を得たマリアは、
ゴードンたちを儀式に招き入れたのです。


マリアから聖なるキノコを与えられたゴードンは、

色とりどりの幾何学模様や宮殿、
飾り立てた馬車を神話に出てくるような動物が引く光景
などを次々と見て、

さらに幽体離脱して外の山を見下ろして、

はるか彼方の山道をすすむラクダのキャラバンまで見ることが出来た
と記述しています。


その時の体験は、
彼の魂を根幹から揺さぶるほどの
深遠で壮麗、聖なるものであったと記録しています。

sabinaevaLIFE誌

この「聖なるキノコ」の儀式を執り行うマリアの歌声をゴードンが録音したものは
CD化されて、

彼女の死後、
シロシビンを発見した化学者アルバート・ホフマンの100歳の誕生日を記念して
2006年に再び発売されています。


心や身体に病のある人の前でマリアが歌うと、
霊が現れて、
病気の治療法などを伝えてくれたり、
キリストの霊が現れることもあったといいます。



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マリアは、

シロシビンを含むキノコの儀式について次のように述べています。


「私たちの世界には、
それを越えた次元の世界があり、
それは遠くもあり身近でもある、目に見えない世界です。

そこは神のいる世界で、
亡くなった人たちや聖人、精霊たちが住んでいます。


その世界には、時間は無く、現在も過去も未来もあり、
あらゆることが既に在り、
あらゆる知恵と知識があります。

すべてのものが一つのものとして存在します。


その世界には、独自の言葉を持っており、
私はその世界の言葉を伝える役割があります。


私は、聖なるキノコの力によって、その世界へと導かれます。


私が尋ねたことを、彼らは答えてくれます。

この旅から戻ると、私は見聞きしたことを伝えます。」



sabinameditaLIFE誌


また、
聖なるキノコ「ロス・ニーニョ・サントス」については、こうも述べています。


「ロス・ニーニョ・サントス(小さな聖者たち)は、治療する力を持っています。

熱を下げて、風邪を治し、痛みから解放します。
体から邪悪な霊気を取り出し、病気を取り除きます。」







マリアのその後


ライフ誌では、エバ・メンデスという仮名での記事にしたにも関わらず、
写真が多数掲載されたため、
すぐに本名がしられてしまいました。


マリアの存在、
そして
テオナナカトルの幻覚作用が世界に知られたことで、
多くの欧米人たちがこの地に殺到しました。


ジョン・レノン、ミック・ジャガー、ボブ・ディランなど有名人も次々とマリアのもとを訪れています。
マリアのドキュメンタリーも作られました。



マリアは、
彼女のもとを訪れた外国人を受け入れ、

シャーマンの聖なるキノコの儀式を公開しました。

しかしながら、


この聖なる儀式に敬意を払わない興味本位の人々までも訪れるようになり、
部族の人々を怒らせてしまいました。


そして

マリアの家と店は焼かれ、
マリアは村のはずれに追放されてしまいます。


マリアは
息子が殺される前に、その死と殺す相手、凶器であるナイフもすべて見通しました。


彼女は、
「ビジョンの中で、すでに事は成就されてしまった、息子に忠告しても無駄であろう」
と語っていました。

そして
息子オレリオは殺されました。




長い歴史の中で部族内だけで執り行われてきた聖なる儀式を
外部に漏らした行為が原因と言われています。

マリアは、
外の世界に知らせる時期だとのビジョンに忠実に従いました。

その結果は、マリアにとってはつらいものとなりました。




マリアはその後も、
86歳の頃に三度目の結婚をして
1985年に91歳でこの世を去るまで、
聖なるキノコの儀式を次世代に伝える活動を行い、
キノコを用いた聖なる儀式を通した精霊との交流を実践し続けました。





すべての植物には、聖なる力が宿っており、
私たちは、植物の力を決して誤用してはなりません。

植物に敬意を払い、
正しい理性の元で崇高な目的を持って利用すれば、
力を与えてくれます。

マリアは、
部族を垣根を超えて、
それを
私たちに教えてくれた貴重なシャーマンの一人です。

shindenforest.blog.jp/archives/69294565.html



うーーーん。
なんともいえないね

私はこういう経験はあまりしたくないかな↑
しらふでもある程度は見れるでしょ

その世界と繋がったり垣間見る必要があるのかって話





















Sexy Sadie, what have you done?
You made a fool of everyone
You made a fool of everyone
Sexy Sadie, oh, what have you done?

Sexy Sadie, you broke the rules
You laid it down for all to see
You laid it down for all to see
Sexy Sadie, oh, you broke the rules

One sunny day the world was waiting for the lover
She came along to turn on everyone
Sexy Sadie, the greatest of them all

Sexy Sadie, how did you know?
The world was waiting just for you
The world was waiting just for you
Sexy Sadie, oh, how did you know?

Sexy Sadie, you'll get yours yet
However big you think you are
However big you think you are
Sexy Sadie, oh, you'll get yours yet

We gave her everything we owned just to sit at her table
Just a smile would lighten everything
Sexy Sadie, she's the latest and the greatest of them all

She made a fool of everyone
Sexy Sadie

However big you think you are
Sexy Sadie







何が言いたいんだかさっぱりわかんないようなごちゃごちゃ感

でもわかる人はわかってくれるだろうなーと思う。



宗教の世界

精神世界なんてものは

実際に自分で入っていってみないとわかんないもので

でも、そんなものの本当の姿は

ちょっと瞑想してますぐらいの人にもわからず

山伏修行とか行きだしたって、すべてを教えてくれるはずもなく

どんどん先先に、奥に奥に

進んでいかないときっと何もわからない世界で

わかったときにはもう普通の人には戻れないような世界で

わかったことをぺらぺらと何にもしらない人に話してはならない世界で


知りたかったら進んでいきゃーいいけど



私はここら辺でもう十分

私の想像は書かないでおくことにする

でもそれじゃ足の痛いのが取れない気がするけど


次の墓参りの時には

いつも足痛くなり始める場所にお線香お供えするよ。

ココってとこがいまいちつかめてないけど


この話とかを住職さんにしてみてもいいかもしれないけど、

聞いてみてもいいかもしれないけど


それはやめておきましょ。



あのねーーーー



今日は久しぶりに


腐った魚の焼けたにおいがする

焼けた魚の腐ったのっていうのかどっちなのか


前にも何度かこのにおいが突然してきたことがあった


自分の部屋の中の空間から

こっちに来てははじめて。


いやーーーーー

はじめて検索してみた

やっぱそうなんだ。。。

https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%85%90%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%AD%9A%E3%81%AE%E7%84%BC%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84+%E9%9C%8A&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl




それとか、

部屋中が湯気だらけで煙ってるようになったときもあった


検索したことはなかったよ、、、、













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消えた一族(225)長阿比古存事代主荷の後商として居る。(仕切りなおし) [消えた一族]










長阿比古存事代主荷の後商として居る。(仕切りなおし)


長阿比古存事代主

事代主後商長阿比古


事代主(大国主ー阿部のコトシロヌシ)

長阿比古(ナガスネヒコ・アビヒコ)

蝦夷(東北・北海道はごく一部-アイヌはまた別)



信濃

列島全域(土蜘蛛、熊襲、隼人etc いわゆる朝敵)


いわゆる朝敵といわれ、鬼や蜘蛛や熊や、エタやヒニンにされたものが

先住縄文人=日本人



これを大きく分けて2期目としようか



1期目は

南方から琉球、沖縄へやってきた海(神)人族

神話的に言ったらこれがイザナギイザナミよりも前の古代王朝の人々

イザナギイザナミにこの日本を譲った
そしてアマテラスにその権利が移っていく

そのどの時にも”第六天魔王”は現れて
仏教は近づけるなと言うわけだ


第六天魔王はその古代王朝の長

魔王とかサタンとか、悪魔崇拝とかじゃなく


古代王朝の流れの一族

神話的に、神武が始めての”天皇”だとしたら

この時代にも、この古代王朝の地は婚姻と言う形で継がれていく


それは神話的に行ったらコノハナサクヤヒメのお話。


美しい姫と醜い姫

両方もらってくれたら、美しく咲き誇る花が永遠と続くように

天皇家も続くはずだったけど

美しい姫しかとらなかったので

命短く桜の花のようにはかなく散る天皇家になってしまった


この時に出てくるオオヤマツミノカミが、古代王朝の流れの一族

南方から沖永良部を経由して九州へ、そして列島に広がったんろう


神話の言う”国津神”はみな古代王朝の流れを汲む一族

出雲も熊襲も隼人も土蜘蛛も蝦夷も。


いろんなお姫様がいるけど

私が今まで=として書いてきたのは何も同一人物と言うことではなく

同一の一族が祭っていたお姫様

祭っていたお姫様って言うのが意味不明だったけど

このお姫様はみな、巫女なんだろうね

女版 事代主

神の代弁者

神話の中で、天探女が悪者扱いされてるのも

アマテラス一族を裏切って、オオクニヌシとともに彼の国を自分が治めようと
思っていたアメノワカヒコのところにアマテラス一族からの使者がやってきたわけでしょ

どういうつもりなのか問いただしにきたわけで

神話ではサグメがワカヒコをそそのかして、だまして雉を撃ち殺させたなんて書いてるけど

ワカヒコはオオクニヌシの娘を嫁にもらって国津神の国で幸せに暮らしていたし、
これからも暮らして行こうと思ってたんだから
サグメがそそのかしたりだましたりしていないわけ

返し矢は
もしワカヒコが天津を裏切って国津に着くなら、ワカヒコを射抜けといって
矢を投げ返してるんだから
キジが売れようが打たれまいが関係のない話なわけ
そもそもワカヒコは帰る気なんかなかったんだから

いちおワカヒコは天津のものだから
サグメを悪者にしたんだろう

サグメの立ち居地がいまいちよくわかんないけど

巫女一族って言うのがまた別にあるんだとすれば
”炎立つ”の中に出てきてた物部の吉次一族みたいな存在なんだね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%8E%E7%AB%8B%E3%81%A4_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)



さて、そのサグメを祭って移動したのが
うちの父方のお母さんの家系なのですよ。


昨日のお墓参りに行って、

あーやっぱりか、、って思ったのは


毎回バスを降りてしばらくするとすぐに左足がものすごく痛くなるの

こっちに引っ越してきてお墓参りにいくようになってから気がついたんだけどね

家からバスで30分かからないところ

家からバス停まで歩いて7分くらい

バスに乗ったら座るでしょ

で、バスを降りて数十秒のコンビニに行く頃にはもう足が痛み出してる

で、お墓まではそこから3分くらい

お墓に着くと足がいたいのは気になってない

草むしりをして回りを掃いて、お水をかけて、お花を上げて線香炊いて手を合わせて

周辺片付けて、さあ、帰ろう!

で、またさっきのコンビニのあたりにつく頃

時間をみると大体次のバスがくるまで1時間半~2時間くらいの

中途半端な時間が余るのね

なのでいつも、お墓参りの後には氏神様のところによるわけ

じゃ、さぐめさんのところにいきますかって歩き始めると、神社につく頃にはもう

特に左足の足首、かかとヒザ、足の付け根が痛くなってるのよ

ほんの15分くらい歩いただけで

私にとってこれは非常におかしなことなの

私は歩けば何時間でも歩いていられる人なのよ

この下の地図の赤い点線が全部徒歩移動
キックボードなし

時間にしたら5時間、もっと歩いてるかも

私のたびはいつもこんな感じだから
だからいつも一人で行くんだよ。

大体いやでしょ、こんなに歩くの。


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前回の墓参りのときも墓参り終わってコンビに来る頃にはもう激痛だったから

今回はキックボード持参だよ

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さぐめさんから徒歩15分位の距離のところにある河内さんにもいってみようと思っていたからね

キックボード少し乗ったけど

あまりにも静かなところで人っ子一人歩いてないし

悪いけど気持ち悪くなってきてしまって

静かに歩いた

そこらへんの人に出会いたくないなと思って

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いってみたけど結局祭神もわからず

ただ川の内側にあった


川と山の間ね

反対側が道路と人家

水神さんであることは間違いないね

帰ってきてから再度調べても、はじめに調べた以上の事はわかんなかった


そこから戻る頃にはもうすごく気持ち悪くて

左足も激痛で

やっぱこれはおかしいわって思って

その時感じたもんでいろいろ調べて書いたのが

昨日の機織淵の記事


人柱の伝説はひとつあるんだけど

人柱とも違う気がして

でもそれはまだちょっとよくわかんない

でもでも、あの体の異常は異常で

もう帰ろうってバス停に行ってひょっとした瞬間に、
それまで激痛で足が抜けそうだったのがしゅっとなくなるの


それはありえない

それもいつもそうなの


もうーーーー痛い!!!だめだ、、もう帰るぞ!ってなると取れるの


私昨日はね、さぐめさんの場所があるところ的には人柱かなって思ったんだけど

川の氾濫洪水のための人柱かなって思ったんだけど

ちょっともうちょっと違う感じなのかも

でもそれは私にはわかんないし、

きっと調べるのもちょっと大変そう

もっと呪術的な

密教とか山伏のなんとかとか、もうーちょっと一般人にはわからない世界のもんかも



このブログかその前の頃からかな

わたし

この一族を


” 物部のサグメ ”

、、、とでもいいましょうかって書いたことがあるけど


ビンゴだったみたいだね、、、



ヌナカワヒメをお祭りしているところにもいる我が家の名前

ニュウツヒメをお祭りしているところにもある我が家の名前

そして

サグメとともに美濃からやってきた私の父のお母さん


この地図を見てもらって
https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E5%B8%82/@37.0492956,137.9132462,15z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff64455a24e1d77:0xb78ccca35fe01e51!8m2!3d37.0390282!4d137.8626522?hl=ja



梶屋敷

金山<< 金山彦 吉次一族と同じ金山、
でもココでは主に、鉄、水銀だったと思う、金も出たか調べたことはナイ

西谷<<ニシタニ サイダニ サイダニは斎谷 祭谷 神の谷 神谷は”ミダニ” = ”三谷”


そしてココには 四ツ屋もあるのよね

父と母が出会うきっかけとなる、両家のつてがある四谷

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


ニュウツヒメ神社のあるところにも”三谷”


そしてさぐめさんのいるところには

才野 サイノ サイヤ 斎野 祭野 神の野 神野は”ミヤ”  =”三谷”


うちの父の語呂合わせ好きには呆れてたけど
こんなところで、役に立ってるのよ。。。




私にはおばあちゃんなんだけど、会ったことがないのだよ

私が生まれる前にはなくなってしまってるからね

父が19歳くらいの頃には両親ともになくなってる

父からおじいちゃんおばあちゃんの話を聞いたこともないのだよ


さて、このおばあちゃんの家の本家が

”中村”

だと思うんだよね。


中村

ナカムラ

ナカのムラ

確かに墓の同じエリアには

中 と言う地名があるよ

中村だよ。


血の繋がらないおじいちゃんは大阪難波からやってきてるんだけど

親戚関係でもなんでもないと思うんだけど

この墓周辺の地域には

なぜか血の繋がらないおじいさんと同じ名前が点在しているの

その中の一軒は裏山に八坂さんをお祭りしてる。

これと同じパターンは田辺にもあり


そうだよねーーーー、、、あの変墓はないよね

神社ってお線香たかないよね

寺はあるから風向きだったのかなーーー

それにしてものすごい線香の香りがして

その香りのする方面に歩いて行って

同じ名前の家を見つけ

線香の匂いがするから、もしや裏に八坂さんがあったりしてってその時は思ったんだけど

神社は線香たかないじゃん

で、とにかくその家の裏に当たるところへ歩いてみたらビンゴで八坂さんがあったの


それと同じような感覚で、

同じく田辺で


鳥居さんと言う家を見つけて

鳥居さんか、じゃなんかこの辺にもあるのか?

って思って反対側の曲がり角の先を見たら

大本教田辺分社があったの


なんで鳥居さんに反応したかと言うと

実家の私道の入り口にあるお家が鳥居さんなの


ただそんだけなんだけど

今思い出すと

大昔あそこに小さな神社があったのかもしれない

そんな気もしないでもない


だからなんか私ピンクがかった朱色の店にしたのかもしれない


古地図を調べてみよう


うちの父が戦後東京に出てきて不動産屋になって

いつもいつも古地図を眺めてた理由もそういうことかもしれない


ちょっといたっんUPします。


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藤原三代とは、

藤原清衡、基衡、秀衡の三代であり、

実は、大和朝廷の東北侵略に対して戦った、

先住日本人・縄文人(蝦夷)の酋長・アテルイ、

そして、その子孫の、

阿部氏の親族なのである。

つまり、京都朝廷・弥生人の藤原氏とは全く違う。



http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/texta35.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4




「阿弖流爲」「阿弖利爲」



「阿弖 流爲」 「阿弖 利爲」



阿弖


弖>>>>>>「テ」と訓みテニヲハのテの義とす

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slow_1_good_2_byeさん

2014/3/2402:58:10
.

紀伊国阿氐河荘民の訴状の全文


阿テ河ノ上村百姓ラツゝシテ言上
ヲンサイモクノコト(御材木を納めることが遅れていることにつきましては)、アルイワ チトウ ノキヤウシヤウ、アルイワチカフトマウシ、カクノコトクノ人フヲ、チトウノカタエせメツカワレ候ヘハ、ヲ(テ)マヒマ候ワス候。ソノゝコリ、ワツカニモレノコリテ候人フヲ、サイモクノヤマイタシエ、イテタテ候エハ、テウマウ(逃亡)ノアト(跡)ノムキマケ(麦蒔)ト候テ、ヲイモトシ(追戻)候イヌ。ヲレラ(俺ら)カコノムキマカヌモノナラハ、メコトモ(妻子供)ヲヲイコメ(追込)、ミミヲキリ、ハナヲソキ、カミヲキリテ、アマニナシテ、ナワ・ホタシヲウチテ、サエナマント候ウテ、せメせンカウセラレ候アイタ、ヲンサイモクイヨイヨ、ヲソナワリ候イヌ。ソノウエ百姓ノサイケイチウ、チトウトノエコホチトリ候イヌ。



領主に納めるべき材木のことについて、地頭が様々な仕事を私たち農民にさせようとするので、材木を切り出しに行く時間がありません。私たちが、村に残ったわずかな人手で材木を切り出しに行こうとすると、地頭は『逃亡した百姓の畑に麦を蒔け。さもなければ、おまえらの妻や子どもたちを捕らえて牢に入れ、耳を切り、鼻を削ぎ、髪を切って尼のようにし、縄で縛って拷問するぞ』と脅すので、材木の納入はますます遅れてしまいます。





阿氐河荘 あてがわのしょう


紀伊国有田(ありだ)川の上流に位置する山間の荘園(しょうえん)(和歌山県有田郡有田川町)。阿弖川荘、阿瀬川荘とも書く。10世紀末には石垣上荘(いしがきかみのしょう)ともいわれた。中納言(ちゅうなごん)平惟仲(これなか)が1001年(長保3)に京都の白川寺喜多院(寂楽寺(じゃくらくじ))にこの荘園を寄進した。12世紀なかば以降、領有をめぐって寂楽寺と高野山(こうやさん)が争っている。1210年(承元4)御家人湯浅氏が地頭職(じとうしき)に補任され、以後、寂楽寺(本家職は円満院)、高野山、湯浅氏の三つどもえの争いが展開する。1275年(建治1)の有名なかたかな書きの百姓申状は、寂楽寺と地頭との争いのなかで、『貞永(じょうえい)式目』の注釈書『唯浄裏書(ゆいじょううらがき)』の作者で寂楽寺雑掌(ざっしょう)斎藤唯浄が書かせたものである。阿河荘は上、下からなり、12世紀には田地計100余町である。1304年(嘉元2)円満院は領主権を高野山に譲ったが、湯浅氏と高野山の争いはなお続いた。[仲村 研]
『仲村研編『紀伊国阿河荘史料 1、2』(1976、1978・吉川弘文館)』
[参照項目] | 百姓申状


湯浅一族のなかでは,保田,石垣,阿氐河氏などに分化した宗光の系統が有力で,惣領家に匹敵する勢力を有していた時期もある。なお〈ミミヲキリ,ハナヲソギ,カミヲキリテアマニナシテ……〉と百姓を威嚇した阿氐河荘上村の地頭は,宗光の孫の宗親である。文覚,行慈のもとで出家し,高山寺の開山となった明恵(みようえ)も母が宗重の娘で,幼少より湯浅一族に養育され,しばしば在田郡に下向し,郡内の各地で修行した。…




阿氐河氏


湯浅宗親(ゆあさ むねちか、生没年未詳)は、鎌倉時代後期の武士・御家人。

紀伊国阿氐河荘[1]の地頭となった人物で、

日本中世史研究において著名な『紀伊国阿弖河荘百姓訴状』上で

訴えられた当時の地頭その人である。

祖父の宗光、父の宗氏についても本項で触れる。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%B5%85%E5%AE%97%E8%A6%AA



紀伊国 阿氐 河上荘



阿氐

阿氏




アテルイ

アテ ルイ

アテ

ate

ape

abe



keep searching



縄文人・阿部氏の棟梁
であった、阿部貞任の子孫は青森に逃げていた。
彼らは「安東(あんどう)氏」と名乗り、そこでまた、じゅうさんこ
見事な交易国家を築くのである。
 津軽半島に、十三湖(じゅうさんこ)というのがある。
そこは当時、まだ海と繋がっていて、その入り口に
港湾都市を築いたのである。名前を「十三湊(とさみなと)」
という。今となっては、伝説の港町である。
 さかんに船が出入りして、ずいぶん広範囲に貿易を
行なったらしい。ところが、台風と洪水で消失してしまった。
今でもかすかな遺構はあるが、確かな記録はほとんどない。
 現在、その十三湖は東北最大のしじみの産地である。
そこで取れるしじみは並みの大きさではない。
アサリくらいある。仙台のスーパーで、それを初めて
見た時、ビックリして、10分くらい眺めていた。

十三湊を失った縄文人・安東氏は、南北に別れる。
南へ土地を変えた安東氏は「秋田氏」と名乗る。
北の一派は北海道へ渡る。北海道にはアイヌがいた。
しばらくは、アイヌと協調して暮らしていたが、ある時、
アイヌとの間に戦争が起きる。「コシャマインの乱」である。
アイヌが負け、北・安東氏は江戸幕府から認められて、
「松前氏」となった。北海道・松前藩の誕生である。ねぶた

一方の秋田氏も江戸幕府の配下となり
大名として認められたが、すぐに千葉県に移封された。
 秋田氏は、大名として江戸時代を生き抜き、
明治維新により、子爵として貴族になった。
 ただ、おもしろいのは、江戸時代の大名は、
ほとんどが、先祖を天皇家の末裔として無理矢理、
家系を捏造するのが当たり前だったにかかわらず、
この秋田氏だけは、かたくなに、国津神のナガスネヒコ
を先祖としている。つまり、大和朝廷の天皇家に
敵対した縄文人(蝦夷)の血統であり、近くは
阿部貞任の子孫であると称しているのである。
そういう大名を貴族にしてもいいもんか、と
明治政府でも意見が出たが、まあ見逃しておけ
ということになったらしい。

日本の歴史は、弥生文化と、大和朝廷ばかりで
語られがちであり、ゆえに東北にはたいした歴史はない
と見られがちだが、どっこい、
先住民族・縄文人の歴史が色濃いのである。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/index.html


蝦夷とアイヌは別物

北海道=蝦夷

、、、ではない。

http://heartland.geocities.jp/sekakumo/ronbun200702_02



北海道と呼ばれるようになったのは1869(明治2)年のことであり、それ以前は長らく「蝦夷地」と呼ばれていた。蝦夷地に和人が住みはじめたのは13世紀頃といわれており、鎌倉幕府によってこの地に流されてきた人々が住み着いたのが最初だといわれている。室町時代に入ると、渡島半島の南端に「館(たて)」と呼ばれる和人の砦がいくつか建設されており、15世紀になると1457年に起きたコシャマインの戦いのように、和人と先住民族であるアイヌの人びととの間で戦乱も起きている(1)。コシャマインの戦いは当初、アイヌ軍側が一方的に有利であったが、当時蠣崎(かきざき)氏の食客であった武田信広がこの戦いを制したことで、蠣崎氏は蝦夷地の和人勢力の中で抜きん出た立場となった。武田信広はこののち蠣崎氏に養子に入り、のちの松前氏の祖となっている。そして16世紀後半に入ると、蠣崎慶広は豊臣秀吉に接近しアイヌの人びととの交易権を独占するお墨付きを得た。慶広は1599(慶長4)年には徳川家康に接近して松前氏に姓を改め、ここに事実上松前藩が成立し幕藩大名の一員となっている(2)。

松前藩成立後も、長い間蝦夷地で和人が居住していたのは「松前地」または「和人地」と呼ばれる松前を中心とする道南のごく狭い地域のみであった。その他の大部分の地域は、「西蝦夷地」と「東蝦夷地」に分けられ(図2)、いずれもアイヌの人びとの住む大地であり、和人の居住は禁じられていた。

http://heartland.geocities.jp/sekakumo/ronbun200702_02





榊は語りかけてるー先住ナグサ・ニシキ(=ニウツヒメ)
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-02-14



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