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魔王の声&UFO ブログトップ

やっばい、、、 [魔王の声&UFO]

何も聞こえないけど、今日は1日すごく変

そりゃ、そうか、、とも思うけど

何も手につかないし

若干体調もおかしい

意味不明の筋肉痛というか

なんだかどっと疲れてる

すごくむくみも出てるな

筋肉痛というよりも足の痛さがおかしい

石油ストーブつけてても全然あったかくない

体温下がってく系

思考能力もゼロに近い

でも

脳内はシャカシャカ動いてる感じ


地震前にも似てるし

声が聞こえる前にも似ているからどっちともいえない


なんかよくわからない

明日は1日断捨離DAYにしよう


、、、、と、支離滅裂




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アマ族(海人)は女系 [魔王の声&UFO]

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海から来て

山に

山に



それが


実田 実 they know all truth.......




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目印は


いつも山だった


海から来た者たちの目印




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女系になるのも

女が大事なのも

海から少数でやってきた者たちだから


命を生むのは


女しかいない


女王蜂や

女王蟻と

同じだし


雌蜘蛛

そのものだろう。


近親ばかりでは途絶えてしまう


別の血はいつも必要だったろう



血の濃いのはやはり何かとよろしくない



薄めるための混血


Togheter,,,, Strong.



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そりゃ

ちんこ神やら

まんこ神を

お祭りするわな


大事なもの

一族を滅ぼさないためには


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熊本県上益城郡益城町 神武 [魔王の声&UFO]

津森神宮
熊本県上益城郡益城町
https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%B4%A5%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E5%AE%AE/@32.8009952,130.8391819,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x3540eefe94442eff:0xf7daa4ac8aba4dfe?hl=ja


御祭神 神武天皇
本宮は、欽明天皇二年(西暦540年)
神武天皇の神霊神勅により時の国司・藤原法昌により創祀せられました。

往来此の辺りは入り海の津でしたが、
神武帝の霊体出現時よりたちまち森となり、此の地は 「津森」と言われ宮所の名となっています。

当初は、今より南東の丘の上に本宮があり、今も 「影向石(ようごうせき)」と言い史跡となっています。宝治元年(西暦1247年)、時の将軍源の頼嗣が今の所に宮所を遷し社を建立しました。安土桃山時代末期小西行長の兵乱により領内は悉く焼かれ神田社領も没収せられました。現在の社殿は、その後再建されたものです。
楼門には、東西二頭の狛犬が神武天皇をお守りしています。


http://homepage2.nifty.com/tsumori-jingu/page.html



【ネット】田母神氏逮捕にネットでは「ショック」「神武天皇の化身たる閣下を逮捕するとは…」「自業自得」の声 ★2
http://www.2nn.jp/newsplus/1460638188/




九州中南部、瀬戸内は句奴国の配下に入っており、
魏使は瀬戸内を通っていないので倭人伝には記載されていない。
狗奴国の範囲は神武天皇が立ち寄ったとされている地域を中心として徐々に拡大したのである。
http://kamnavi.jp/ym/ymkuna.htm




http://ugaya.jimdo.com/2015/06/25/%E8%8F%8A%E6%B1%A0%E6%B0%8F%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E8%A8%98%E8%BF%B0%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A6%8B/




浮島熊野坐神社
浮島神社の神様は「いざなぎ・いざなみ」
http://www.ukishimajinja.com/




御船高木




666



かしままち
https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C%E4%B8%8A%E7%9B%8A%E5%9F%8E%E9%83%A1%E5%98%89%E5%B3%B6%E7%94%BA/@32.7474761,130.717025,13z/data=!4m2!3m1!1s0x3540f33d355c0445:0x1520aeba25dba159?hl=ja


犬渕(旧大島村)
上島(旧大島村)
上仲間(旧大島村)
下仲間(旧大島村)
鯰(旧大島村)
井寺(旧六嘉村)
上六嘉(旧六嘉村)
北甘木(旧六嘉村)
下六嘉(旧六嘉村)



足手荒神
信仰される地域[編集]

信仰される地域は、秋田県南秋田郡(現・男鹿市)[23][24][25]、福岡県浮羽郡田主丸町(現・久留米市田主丸町)[26]、福岡県三井郡大刀洗町[27]、熊本県、大分県直入郡(現・竹田市)[28][11]大分県大野郡(現・豊後大野市)[1][11]、大分県玖珠郡九重町[29]、大分県日田郡(現・日田市)[30]などである[31]。大分県から海を越えて四国にも及んでいるとの報告もある[11]。また、大分県別府市には、「手足荒神」という同様の信仰があり[11][32][33]、大分方面、速見郡に広がりを見せているという[11]。「手足荒神」は大分市や熊本県玉名市岱明町にも確認されている[34]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E6%89%8B%E8%8D%92%E7%A5%9E

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益城の大山さん [魔王の声&UFO]

益城の大山さんが大変らしい



https://abema.tv/now-on-air/abema-news
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神武の苗字って、もしや、、、、 [魔王の声&UFO]

2016-03-22 14:54:58のブログです。
更新中
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::












神武の苗字って、


もしや、、、、


大@@


なんか、ずっと気になって入ったんだけどね


あのね




天皇家に苗字がない




なんてわけないじゃん


あるんだよね



表に出していないだけでさ

(いくつかはわかってるんだけど、今回言ってるのは”神武”についてね)



調べてみるかな。。。



神武の苗字か

神武の子孫の現在の苗字かもしれない








昨日のブログ、上げられてる

ハリーさんの動画貼っただけのページ

お題が、、、


お題だね。。。


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って、、、、




うわっ!


こりゃこりゃ、、、

私が橿原神宮に行った時のブログを覚えている人はいるだろうか?


本当は行くつもりはなかったんだけど


どうせこんなに近くまで来ているんだから

でっち上げの本拠地を見に行ってこようじゃないかと

向かったわけです。


そして、橿原神宮に着いて、、鳥居をくぐる時に

なんでもいいけどほんとのとこ教えてくださいって言いながら

入っていったんだよね

おかげさまでなんとなくほんとのこと感じられたかなって思って帰ってきたんだけど

今、再度調べ始めたら


その時感じた

”でたらめの本拠地” 

このワードがビンゴだったのを発見


今からそれをほじくってみる




神福にもあって、

えええーーーーーー

やはりなんか関係があるんだねと思ったんだよね

それをあらためて意識して目に入れられたのは2008年だけど。

そこにも光を当てろと、、、


そういうことなのかな~~~~










なんだろ、、、



なんなんだろ、、、、





(((((((((((((  しょうがなかったんだ  )))))))))))))))))))

(((((((((((((  そうするよりほか、なかったんだ   )))))))))))))



あの時、そう感じたんだよね

あのほったらかされたお墓を見て



”誰” の

”何” を


感じたんだろう




今そのキーワードで調べているけど、いろいろわかったこともある

で、新情報インプットで


いつものフリーズ中



もう一度あの周辺くまなく歩いてみたい

あちこち部落だらけだけどね



そしてその一番のワードの町に、わたしタオル落としてきちゃったしね

その日はなぜかタオルをよく落としてね

タオルなんか別にどうでもいいんだけど


”落し物”をしてしまうって、


私はモノがなんであっても、なんかもやもやするんだよね


よりにもよって2008年から気にはなってるワードの場所に。。。



今回急に


はっ



って思ってしまったんだよね。。。



でも、それを探るのは難しいぞ。


その時にね

森の中から出てくる人を数人見かけたんだよね

そこへ入ったら何があるとか書いてないんだけど、道はあるんだよね

私、その時の旅はもう、ものすごい距離を徒歩とキックボードで移動してたから

森の中へ入っていく気もしなければ

あーーーこのワード!!!って思ったけど

そこを散策する気力もなくて

無意識にタオルだけ2枚も落として帰ってきた

でも、その森への道はすごく気になってた。


気になってたよ。



ちゃんと。






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この写真がそれをアピールしている



。。。。。。。。。。





まあ、、しかしね、、実際にこの土地に立ってみて、調べてみると

この神武周りほとんど渡来系ですわよ




”でっち上げの聖地”

って、瞬時にそう感じて

せっかくだからいってみるかと言ってみた場所


神武天皇=でっち上げ

”でっち上げでもなんでもいいから、ほんとのところ感じさせてください”

そういって入ったその土地なんだけど

でっちあげとは関係のない悲しみがたくさん染み付いている土地だなと感じたのよ

なにか、ちょっと違うもんを感じてて



(((((((((((((  しょうがなかったんだ  )))))))))))))))))))

(((((((((((((  そうするよりほか、なかったんだ   )))))))))))))



わたしの受けた感じはね


” 黙ってるしかなかったんだな、、この人は。。。 ”



神武天皇という人の歴史は結局たくさんの人を殺した歴史

それしか残っていないじゃない

東征後いったい何をしてたの?

辛酉の歳(神武天皇元年)の正月、52歳を迎えた磐余彦は橿原宮で践祚(即位)し、
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称した。


137歳は実際はその半分だから68歳でなくなったとする


45歳から東征を始めて52歳で即位
(22歳)          (26歳)

7年間かかった。
(4年間)



52歳で即位して68歳で亡くなったのか

26歳即位して68歳で亡くなったのか



あまりいろいろな歴史がでっちあげにしても残っていないのだから

52歳で即位して68歳で亡くなったんだろう(仮)



16年間 
 
”お前にはもうようはない、ただ黙っていろ”

そんな風に言われた、

でっち上げのヒーロー神武の

なんていうの

モデルでもないよ

傀儡かなーーー




そう考えると

かわいそうだね。


あ、、私基本的に記紀はガン無視してるので、それを基に考えないようにしてます。

飛騨王朝もガン無視

だって神武はそもそも飛騨で生まれてないし、

飛騨で生まれていなければ、飛騨の人間ではないわ

私はここ南紀白浜で生まれていないから、いくら父がこっちの生まれだとしても

私もここの人間ですとはちょっといわないし、いえないわ。

父がココで生まれました。

そういうだけだわ

なので私的には神武と飛騨は無関係

じゃ神武の父とされる 鵜萱葺不合命はどうかと言われたら

こちらも飛騨とは何の関係もないじゃない


そこで生まれていない人間をそこの人間だとして、

何でもかんでも飛騨に結び付けるマンセーさんたちには

ほんとうんざりしてる


”丹”上方様って言ってる時点で、仮にそこに大きな集落があったとしたら

そこはその時点ですでに渡来系氏族が入っているって事です。

丹生川

大丹生池

もちろん渡来系士族がやってくる前から、縄文の民は暮らしていたでしょうけれども

縄文の民は”丹生”は名乗らないと思われる。

地名などには残ってもね。。。。


九州からばっさばっさと人をたくさん殺して橿原までやってきた神武の傀儡

この人はもう生まれもってそれをする運命の下に生まれてきてしまった人だ

本人の意志とは関係なく

”正義の名の元に”

そういわれて、そう信じてやってきたのかもしれないね

この神武は渡来系じゃなかったとしても、動かしてたのは、支配層だ


今と同じ


支配層だ




そりゃ、ほんとのことがわかったって


わかってしまったからこそ


もう、、、黙っているしかないよね、、、、、



そんな人の悲しい呟きが聞こえてしまったのかもしれない





(((((((((((((  しょうがなかったんだ  )))))))))))))))))))


(((((((((((((  そうするよりほか、なかったんだ   )))))))))))))

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奈良時代、天武天皇が戦勝祈願の供え物をするため、
神武天皇のお墓に人を使わしたという記述があるそうです。
その頃には神武天皇の陵墓は誰もが知っていたのでしょうね。

しかし、江戸時代にはすでに判らなくなってしまっていたようです。

生涯をかけて『古事記』を研究した宣長も神武の本当の墓の場所を探して
畝火山周辺の村々をあちこちと訪ね歩いたことが日記に詳しく書かれています。

古事記には「御陵は畝火山の東北の尾の上にあり」と記されています。

江戸時代、神武田と呼ばれる田んぼの中にぽつんとあって、
上に松と桜が植わっているだけの小さな盛り土を見て、どうもここではないようだと書き記しています。

神武天皇陵墓の候補地は本来、三つか四つあったらしいのですが、
二転三転しながら明治の初めに、ようやく現在の場所に決まったそうです。

それでは、宣長はどこが本当の神武の墓だと考えていたのでしょうか? 

それが「洞の丸山」と言われた畝傍山の中腹の小高い盛り土の場所らしいのです。

畝傍山の東北麓に洞村(ほらむら)という集落があって、

その村の人々は神武と一緒に九州からやってきて代々、神武天皇の墓の守戸だった、という言い伝えがあると誰かに聞いたことがあります。

しかしその洞村はいわゆる被差別部落なので、

大正時代に橿原神宮と神武陵を大改修整備するときに半ば強制的に今の地(奈良県橿原市大久保)に移住させられたようです。

村の神社や寺の古文書類もすべて焼き払われたり、火災にあったりして、灰塵に帰したとのこと。

ちなみに洞村の古老の聞き書きでは

「この丸山の地が神武天皇の大宮所だった。この地に昔、白橿の木が七本そびえていて、「かしはら」の名前はそこから付いたと教わった。しかし、その古老の若い頃(幕末頃か?)には最後の一本の巨樹が枯れ木となっており、注連縄が張られていたが、その木も枯れ果てた。

しかし、本当のことを話すと村民がこの土地から追い出され、

皆が路頭に迷うので、お頭にかたく口止めされていた」ということです。

とにもかくにも・・・なにしろ2600年以上も昔の話・・・、
今となっては・・・夢まぼろし・・・真偽の確かめようもありませんね。

また、この時期(大正6年~9年)にかけて、洞村だけでなく、
周辺の村も強制移住させられ、山頂にあった、畝傍山口神社も、御陵や橿原神宮を上から見下ろすのは恐れ多いと、山すその現在の地に下ろされています。

www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/coramu1/jinmutennou.html


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生国魂神社(生玉神社)が祀られていた洞村は、かつて英雄の村だった


生国魂神社拝殿

 紀元前585年3月10日、128歳で崩御された

*古事記では神武天皇76年3月11日137歳まで生存、
  日本書紀では127歳まで生存したとある


神武天皇の亡骸は、
翌紀元前584年9月12日、畝傍山の東北麓の「洞(ほら)」に納められ、


後をおって、33人の殉死者が「洞(ほら)」に入った。




「洞村(ほらむら)」とは、
それが縁故で現代まで「洞村(ほらむら)」と継承されつづけてきた極めて由緒正しい地名である。

 神武天皇と殉死者を弔うために、「洞村(ほらむら)」に残った方たちは、

神武天皇九州滞在時からの腹心であり、

さらに東征に随行し苦労辛酸を舐めながら時代を建設されてこられた

実に英雄的なお働きをされてこられた方たちだった。


 こういうご苦労があって、神の代から人の代へ移り変わりが成し遂げられたのだった。

 2000有余年、時の流れの皮肉か、「洞村(ほらむら)」の英雄性は忘れ去られ、
逆に虐げられる試練を経ることになったが、
そういう試練があったからこそ神代の血が保たれることになったことを思うと、
「洞村(ほらむら)」の末裔のこれからの活躍に期待をもつものです。

 これから人類が体験していく人の代から神の代への移行に当たって、

神武天皇のときと同じく「洞村(ほらむら)」の末裔の方が英雄的お働きができるようにただただ祈ります。

 私は、「洞村(ほらむら)」の方たちが長きにわたって守ってこられた生玉神社跡に立てることを望みます。

 
平成20(2008)年8月16日(土曜日)・17日(日曜日)、

神八井耳命を成田家の祖先と知って、橿原を訪ね、八井神社(八幡神社)の参拝をしてきました。
  「月の光」成田 亨(なりたとおる)
(※)『秀真伝(ほつまつたゑ)』(八幡書店、下巻P291)に記述される「洞(ほら)」という名称と現代の地名として伝えられている「洞村(ほらむら)」は明かに関連をもっていると思う。
 「洞村(ほらむら)」は、大正時代に入って間もない頃、国の主導による本格的な神武陵一帯の整備が始まると、その拡張の必要などにともなって、大正6年(1917年)に付近の平野部に移転した。

www.tukinohikari.jp/jinja-nara/ka-ikutama/








もおーーーーまた消えたーー!!

気を取り直して、もう一度書くか、、、



まず再度写真を載せる

この写真は一切何の手も加えていない写真

しかも連続して撮っている

なぜ連続したかと言えば、みるみる太陽の光が変わったから


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神武に付き従った者たちが住んでいた村

本当の神武の墓があった場所と言われる村のあたりの方角からの太陽


ちょっとこまごまUPしますね。








神福山~高天佐太雄~天河~行者道、、、そして鳥取
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-10-19



あの山で感じたことと

橿原で感じたことは


どうもつながる、ひとつの物語のような気がしてきたのだ


あの山にあったあの名前

そして

神武に付き従ったモノたちがのちに暮らした村


神武を演じさせられた者の正体

その人の名前

その当時はその名前ではなかったのだろうけど

のちに、その人の子孫たちが名乗った名前


だから

あの山にその名前があった

だからと言うんじゃなく、、


私はあの山は土蜘蛛一族たちの山だったと思うから

そこにその名前があったのも不思議に思った

そして、橿原へ行ったときに、その名前の地名があるのを見て

んん???????

なぜに、、、と思った


私の目線や気持ちは完璧に土蜘蛛なので

どうしても神武に対してはよい気持ちを抱けない

なのに、なんでココが同じ名前か?

それにものすごく違和感をもってた

橿原へ行ったときも神武稜へ行ったときも

私はわなわなするような怒りを抑えながら行った

なぜなら ”私” は土蜘蛛じゃないから

この気持ちは私のものではなく

”ニシキトベさんのもの”

ニシキトベさんを連れて、いったような感じ。


そして、橿原では

(((((((((((((  しょうがなかったんだ  )))))))))))))))))))

(((((((((((((  そうするよりほか、なかったんだ   )))))))))))))


こう感じて

ニシキトベさんの気持ちは少し落ち着いた
=私のわなわなしている怒りのような気持ちが少し落ち着いた




そして、この数日、そのことをずっと考えていて、
あの山に行って、感じたことを思い出した

それはこれだ




必要だった


どうしても必要だった


われわれを救ってくれる


たった一人の者が、、、


救いの道へと導いてくれる者が


どうしても必要だった


でなければ、

一族、

そしてこの土地の民は

この状況から逃れられない


どこまで逃げて隠れても追ってはやってくる


ことごとく消そうと必死になってやってくる


戦いなど望まない我々を


なぜそこまでして消そうとするのか


だからどうしても必要だった


皆を導くものが


誰でもいいものではない

急を要する事態だ


すぐに皆がその者に付き従わなくてはいけない


そうできるような器の者でなければならない


そんな者がどうしても必要だったのだ。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


そこで

もしや


洞村の大窪の男が選ばれたのではないか、、、、?



大久保です。


大久保とはのちの苗字であって

もとは大きな窪地に住んでた者だろうかと思う



大きな窪地に住んでた者

彼が選ばれてしまった



きっと、、それをすれば、一族みなが救われると言われ

そう信じて

みなそう信じて

その者を立たせたのだろう


差し出されてしまったのかもしれない、、、、



けれども


それは

結局


いいように使われてしまっただけの話だった


だけど一族は信じた


交換条件とかあったのかもね


そうすれば、一族の先のことは保障する


だけども結局、その者がなくなってからは

一族もまた捨て去られた

邪魔にされ、排除された







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全ての苦しむ人を救おうと、

巧みな手だてを用いては、

死んで悟りの境地をあらわしたりしたが、

本当は、死んだりはしていない。

いつも この世に住んでいて、こうして教えを説いている。


私は常にここに住んでいるが、

いろいろな不思議な力でもって、

心が迷ってさかさまに

おかしくなっている人たちに対しては、

そば近くに居ても 姿を見せない。

人々が、

私の身体が滅んだのを見て、

広く私の遺骨を供養し、

あまねく皆が

私のことを恋い慕い

深く信仰する心をおこすためである




Takama-Satao 第六天魔王-2
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-04-17-1
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



私には


記紀とはまったく違った物語が


見えてしょうがない。。。


その子孫はのちに大久保と名乗るようになった



そしてねーーーー


この


大久保は


これまたいろんなとこに絡みまくってくるワード


遠まわしに、これまた自分に帰ってくる、、、、

まだ全部調べきってないからわからないけど。。。



そして私がこのようにブログを書くきっかけの一番初めのワードも


実は


大久保


そうです。。。。




大久保 松恵





だからあの山のこの名前を見たときに

あーーーーなんか、、アーーー、、やっぱね、、、って思った。



江戸時代の大名家のひとつ大久保家は
中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)道兼流がある。

ほか桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)、

丹党など様々な流派が全国に分布している。


丹党
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%B8%B9%E5%85%9A&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl


神奴氏/大丹生氏/丹党 
紀国造家より分出した神奴君は丹生都比売及び高野大明神の祝家となる。
大丹生直丹生麿の後裔相見峰信は武蔵七党の丹党祖となる。 
子の峰時は秩父郡石田牧別当となり子孫はこれを継承する。  
丹党出自の大名家は大田原、大関、青木、中山、黒田の5家がある。

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02131.htm

【中村氏】【小島氏】【竹淵氏】【塩屋氏】【古郡氏】【古羽氏】【大河原氏】
【黒谷氏】【岡田氏】【小鹿野氏】【坂田氏】【大窪氏】【栗毛氏】



鹿児島県の大久保家: 明治維新の三傑のひとりの大久保利通の家。
大久保家は藤原氏の末裔を称すが不詳。
大久保利通の子孫に、元首相の麻生太郎がいる。


http://bushoojapan.com/tomorrow/2014/05/13/19955

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

神武天皇を祀る大久保神社
http://www.narayado.info/nara/ookubo-shrine.html

かつての大窪村の氏神として祀られた大久保神社。
境内の石灯籠には、天和2年(1682)五月の銘が入ったものも見られます。

平安時代には「方塞がり(かたふたがり)」の方角は忌み嫌われました。


生国魂神社(生玉神社)が祀られていた洞村は、かつて英雄の村だった
http://www.tukinohikari.jp/jinja-nara/ka-ikutama/




ここで記紀の神武は九州からやってきたんじゃないっていうちょっとした疑問が出るかと思うけど


土蜘蛛の故郷は?

土蜘蛛の血が濃いのも九州なんでしょ

言ってみれば土蜘蛛の故郷

だけど、これまで私九州は手をつけずにいたので

今それを説明付けるのは難しいのだけど

地名を探せばすぐわかると思うんだけど




景行天皇が滅ぼした「土蜘蛛族」とは、ウガヤ王朝の本体だった ...

とか

「土蜘蛛」と呼ばれた人々の多く、特に指導者クラスの人は、「大和」側の人々に殺されています。そんなことが、私達の住んでいた、後に「九州」と呼ばれる島だけでなく、後に「日本」と呼ばれるこの国中で起こっていたのです。


とか


九州 土蜘蛛でぐぐって見るだけでも

さまざまな結果が出ます。


こちら古代土蜘蛛一覧
と言ってもすべてでてるわけじゃないので、調べたい人は自分で調べるように。

http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/tsuchigumo_ancient_list.html




歌舞伎の「土蜘」


我を知らずや其の昔、

葛城山に年経りし、

土蜘の精魂なり。

此の日の本に天照らす、

伊勢の神風吹かざらば、

我が眷族の蜘蛛群がり、

六十余州へ巣を張りて、

疾くに魔界となさんもの。




古代土蜘蛛の総本山は葛城山であった。

神武東征譚との絡みで最終的に帰順させられるが、

それ以前の元王朝系と云う位置づけは変わらない。

能-歌舞伎は、この辺りを伝承している。


次のように見えをきる。


汝知らずや、我れ昔、

葛城山に年を経し、

土蜘の精魂なり。

なお君が代に障りをなさんと、

頼光に近づき奉れば、

却って命を絶たんとや



:::::::::::::::::::::::::::::::::::::

蝦夷の話を参考にしよう


蝦夷俘囚

蝦夷だけど、勝てないと朝廷についた者もいる

その人たちだって寝返ったものばかりではない

なんとか一族を守ろうと帰順した者だっていただろうし

蝦夷と朝廷の間に立って、なんとかことをうまくと考えた人だっていただろう


私が葛城と橿原で感じたのも

そのような立ち居地の役回りだったのかもしれない

それが神武だったのかもしれない


同族が行けば、すんなり帰順するだろうし、

戦いにならなければ、一族の命を無駄に失うこともない

それを裏切りととられれば戦いになっただろうし

理解されれば、おとなしく従っただろうし

あまりにも距離や世代が遠すぎて、同族だと認めない一族もいたかしれない



日向 宮崎あたりにはこんな説もあるらしい


”近畿から追い出されて落ち延びた先がそこだったとかの説もあります”



http://www.shinwanofurusato.com/route_05.php






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UFO Polizeibeamter filmt Raumschiffe im Januar 2016 [魔王の声&UFO]







そろそろいろいろな疲れが出てきてしまった

なにか書く気力がないので

ゆーえふおーでもどうぞ的な
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え?わたしのもなのか、、、、UFO (2) [魔王の声&UFO]

さえもんのすけ、、、、、

あいわかった。









実田 実 they know all truth

真田姓を名乗りながらも海野一族であることに真田氏が"こだわった"理由は、

上野国に点在していた海野一族をまとめて、

武田氏のもとで領土を確保したいと言う意図があったため。

真田昌幸が上田城を築城した真田や海野などから住民を移住させたが、

これと同時に海野近くの海善寺や八幡社も上田城から鬼門に当たる方角に移築した。

海善寺と八幡社は海野氏館(現東御市本海野白鳥台)でも

鬼門の方角に立てられていた可能性が高く、真田氏はこういった慣習も海野氏の手法を踏襲した。

小県地域の古墳は、7世紀頃になると次第に小さくなり、

小古墳が集まった「群集墳(ぐんしゅうふん)」が多くなってきます。

群集墳が増えるということは、

小県郡にも古墳を築くことが可能なある程度の力を持った一族が増加してきたことを指します。

ヒッタイト人

……国東半島重藤に製鉄基地を築いた。

末裔は蘇我氏、上田氏、真田氏、青山氏? 

http://dy712.tripod.com/shrinestaff/links.htm

http://michaelalive-jama.blog.so-net.ne.jp/2013-02-11-1
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-04-20



日本語、英語まぜこぜのこの言葉を
お昼寝おきぬけの意識のあるときに大きな声で言われたの

その少し前までインディアンの夢見の技法にトライしていた時期もあって

夢を見たらメモする癖が少しついてた

その時は

むすこっちにメモ取ってもらったけど

あとから聞いたらビックりしたけど大笑いしちゃったって言ってた


突然

『ベイビー!!メモメモ!メモして~~~~』

『じつた じつ ゼイノーオールトゥルース』

『じつは木の実の実』

そういったかと思うとまたスースー寝てたから。。。


夢のような感じに文字もちゃんと浮かんでた

そして魔王のような声





っていうか、、なにこれ













村境や道路の分岐点などに立てられる道祖神は、サルタヒコとアメノウズメであるともされる。

第六天にいるのは

第六代の神は


これみんなイコールなんだよね。




ちょっと寄り道ばかり、、、、


実田は

実は

真田であり

滋野であり

海野である。


サネダ

狭長田



http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-04-20


閻魔大王の

yama

hama

jama


saruta

サルタ

サダ

サダル



滋野も海野も真田も実田も

私にゃー関係ないって思っていたのに

母の実家が小県郡でもろびんごだったことを

実田 実 they know all truthって言われたあとに調べて知った。

そして今NHKの真田丸

私が調べていることと同じことに、

真田丸で真田が引っかかった人が調べて

同じ物を調べることになるのか否か


でも時代は今、サナダであって

実田になればミダ

ミダまで来ると

ミタンニまでいけちゃうのよね

ミタンニまで飛ばすために

監督は三谷幸喜

ミタニ

ミダニ

ミダニ midani

サンヤ

山家

サンカ


ココ↓言いたくないけど

大阪の榊のおじさんはテキヤ衆の総元締めだそう

今この家がどうなっているのかもわからない

来週墓参りに行ったときに聞けたら聞いてみようか。。。


腹違いのねーさんたちはこの人たちのことも覚えてる

小さい頃しばらく墓のある土地に住んでいたっていってた

なんか誰にでもこう思うんだけど

聞いちゃいけない気がしてしょうがないんだよね。。



ま、とにかく


私は歴史を調べてるわけでもなく

日月神示を調べてるわけでもなく

ただ単に自分のルーツを調べているだけなんですけどね

こうしてなんだか知らないけど、きわどいとこばかりに行き着いてしまうわけです。

奥州平泉の藤原氏

奥州平泉の藤原氏は、他の藤原氏とちょっと違う。

東北のあちらこちらにもわが一族と同じ名が点在している

それは大体が熊野と白山のそばにいる


真田や実田や繁野や海野、信濃、小県郡は以下を参考にどんぞ。

この正倉院の御物の中に
「信濃国小県郡(ちいさがたぐん)海野(うんの)郷(ごう)戸主(へぬし)爪工部(はたくみべ)君調(きみみつぎ)」と

墨で書いた麻織物の布の一片が発見されている。

これには年号がないが推定すると天平年間(729~41)頃の貢物であろう。

 このころ小県郡に海野郷という集落があって、

爪工部という人々が、高貴な人が使う「紫の衣笠」を造れる高度な技術者集団がいて、

かなり地位の高い姓を賜っていた人々が、この地に住んでいたことが立証される資料である。

どうして、このような職業・身分の人たちが、

こんな僻地に、しかも都から遠い地に定住してたのだろうか。
http://musha.mobi/index.php?%E6%B5%B7%E9%87%8E%E6%B0%8F



この真田の地上田のそばにも
わが一族の、、、、って言うか、もうこの段階で


おいおい、、、、

混ざったんじゃん

同族じゃん


と、気づかされたわけです。

父方も母方も


実田も????




今日の(1)で書いた

宮古市浄土ヶ浜が串本に似ていると言う件


まず浄土ヶ浜

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ココから串本

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橋杭岩の神話

昔弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行った。
弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、
ニワトリの鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた。
弘法大師は諦めて作りかけでその場を去った。
そのため橋の杭のみが残ったという。


浜 

ニワトリ

磯鶏

浄土ヶ浜の向かいに熊野町

川を挟んだ向こうに

磯鶏があり、実田がある。


熊野町と磯鶏の間に藤原町

これはきっと奥州平泉の藤原だろう

そうなると

弁慶と義経のストーリーも絡んできちゃうの

弁慶は和歌山県田辺市の人

闘鶏神社なんてのもあるのよ。



それから

岩手=岩出

いわて=いわで


鶏が先か卵が先かの話になるけどね。


で、この橋杭岩の先が紀伊大島

潮岬、大島へ向かう町の中はとっても沖縄の家作りと似ている町並みが続く

太陽信仰のあとが残る町

神武が現れたっていわれがあるけど、あれは絶対トベさんたちの太陽信仰のあと。

とべさんの森の裏手には出口さん

で、この潮岬には出雲もある
和歌山県東牟婁郡串本町出雲

で、そこには玉置さん。

出雲崎には
朝貴神社
もともとはスサノオを祭っていた模様。
複雑な感じ。
http://yaplog.jp/muro-kumano/archive/402


朝貴神社
宮司はサカナリ 坂成さん
http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=8081



朝貴

朝来







吉田 兼倶(よしだ かねとも)は、室町時代中期から戦国時代にかけての神道家。
本姓は卜部氏。
吉田神道(唯一神道)の事実上の創始者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%85%BC%E5%80%B6

ト部氏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9C%E9%83%A8%E6%B0%8F


ト部ー(ウラベ)だけど トベでもいいじゃん。

トベ
朝貴神社の様子を見ると、

私にはあきらかにニシキトベさんの地。


サカナリ 坂成さん

坂成
坂城

この可能性もあるな。。。。。。。


だって。。。。。。。


またココで休憩。。。







香久山の土

カオリナイトだって


あははははは。。。。

私の運命ちょっと間違えば

香山 香でしたのよ。。。




ただいま戻りました。



暇つぶし仕事から戻りちょいと気になるワードがあったので検索

あ。。。やっぱり。。。って感じで



それが本当の出来事、真実だから、結局必ずいつも相応とこに行っちゃうのか、

はたまた

そういうご縁の下に生まれたから、そういうとこにいっちゃったり、そういう啓示があるのか

私はできれば、後者とは思いたくない


なんということでしょうか。。。。

それに気づく人は私一人ではないだろうけど


やっぱりそこはなん頭の縁がないと、気がつかないゾーンなのかなとか

ま、そう入ってもそれも私一人ではなく

いつか誰かが気づくことなんだろう


それを私が今ここにダイレクトに書けば

おおお!!!????と思った人は、そこへ殺到してしまうかもしれないね

とはいっても

それがまだなんなのかわからないので、書くjことはないと思うけど

だからああいう地名なのかな?とか思ったりした。。。

もう少しこの線で掘り下げてみようと思う。。。



で、なんで今こうして書いているかと言うと


音的に


あじゃじゃじゃじゃじゃじゃ

ほんとに本当だ、、、

jituta jitu thery know all truth


もう何度もそう思ってるけど

まだまだ頂上についていなかった

雲海から顔を出せたから

やったーーーって思ったけど


まだまだその上がありました。。。。


まだたどり着けそうにもありません


それとも

あの日、夢の中で

私は雲の上に置き去りにされた。



きっと、あの場所まで戻らないといけないんだろう


あの場所が

あの神様がいた場所










はははははは~~~~


って、



こんなことに神経を集中させちゃうと、



そこらのおかしなスピ系の人になっちゃうんだってば。





はあ、、、こまった、こまった

でも、そうしないと、ちょっともう突き止められない気がする





あっ、、、、キタ。





うわ、なんで。。。。。






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キタ!変!瓜二つ!
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2016-01-07



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この映画のラストとそのレビュー

本当に支配していたのは、、、、って言うラスト。

キターーーーーーーーーーー!!!って叫んじゃったもんね


ヒルズのママンの下を通って通勤してた時期もある。。。


それよりも


やはりあの日の夢だ。



私が両性具有的な人に過敏反応するのは、

私の好みじゃない

でも

”異常”に気になってしまう”

ほんとうに”異常”に。


それは、目の裏の神様かと思うからなんだろう

”目の裏の神様”

目を閉じた内側のまぶたに見える神様

第3の目に映る神様

この人が両性具有なのだ。


で、私がいろいろ調べるきっかけになった富士山に行くその日の朝の夢に出てきた神様が

真っ白でまぶしくやわらかく光り輝いているきれいな女の人のようだけど

どこかに男性的なものを感じる長い髪の人

その人を夢に見たときも

”同じ感覚”だった。。。。。。


異常に気になって、気になって彼からもう目が離せなくなる

他にもたくさんスーツ姿の男の人ばかりが目に入ったけど、とにかくたくさん人がいるのに、
みんな気がついていないのか?

たくさんの人で時々見失いそうになるけど

見失わないように一生懸命目で追っていると

突然、ぐるぐるぐるぐると、目の前が回りだし

雲を抜けて、ふっと雲の上に降ろされた

するとそこにその人がいて



”やっと人間に気づいてもらえたか。

これでようやく下界へ降りれる。”


そういって、私を雲の上に残したまま

龍のようにぐるぐると回りながらその人は下へ降りていってしまった


、、、、と。

こんな夢を見たんだ。




その後その神様のイメージを探した


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その後に映画カストラートを見て衝撃を受けた


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雲の中から表れる白塗りのきれいな男性


映画の中の美しいカストラート


声もすばらしくものすごく感動したけど、映画のその声は合成の声だと知って

次はその声を探し始めた



カストラートで検索して探した

すぐに出てきたのはマイケルだった


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白塗りできれいな女性のような男性

これには男としてSEXをするというイメージが入っちゃいけない


映画のカストラートではするけど、彼は切ってしまっている人だから実際にはできないのよ


そういう物悲しさと言うか、そういうものが漂っていないといけない


女性のように美しいけど、女性ではない


でもその男性には母性がなくてはいけない


そんなイメージ


hydeでもいいけど、ちょっとちっさいな、、、(>_<)


でも、目の裏の神様は

真っ黄色の日本人ではない

真っ白の白人でもない

真っ黒の黒人でもないの


すべてなの。



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この下の動画見て

はっ!としたら

同じことわかってる証拠。

受け取り方はさまざまだと思うけどね。。。




















今日ずっと調べてたことと

ココ最近私が旅したところ

その者の地だった。

他にも行きそびれてるとこももちろんあるし、まったく行けてない地方もあるけど


ちょっと今から気絶
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え?わたしのもなのか、、、、UFO (1) [魔王の声&UFO]

2016-01-21 19:18:09のブログです。



8:00頃からのUFOの話ね。




ココを更新しないといけないけど、過去ログのどこにそのこと書いたか忘れちゃったーーー

富士山の見た場所の写真も貼ったんだけどなーーーーー

また同じの書くのもめんどくさいよーーー



ふひひひっひ

検索で見つけられた


便利



今よりも私がもっとスピリチュアル系だった頃(>_<)

そうはいってもいわゆるスピリチュアル系とはだいぶ離れた位置にいたけど

それでも自分の仲で、当時は今よりももっと神秘体験してたなと思うの

でもそれも今思うのは

初歩的神秘体験って言うかな

その後どんどん意味不明になるんだけど

最近は目立ったもんはないけど

勘は

勘というか、



というか


ま、とりあえずUFOブログは↓


http://jama-everyday.blog.so-net.ne.jp/2011-03-26-1

http://jama-everyday.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/m/article?name=2012-01-03-3

http://jama-everyday.blog.so-net.ne.jp/2012-01-31

http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-05-10

http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-12-09-2

http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/archive/20151209


たのむよぅ~富士山!!女子供の富士登山
http://jamafuji.fc2web.com/index.html#

2004 思いやりの日
http://jamafuji.fc2web.com/fuji2004.html



これと同じのも見たよ
富士山で。





でも、サーチライトだと思ったんだよね

デモでも、、、よくよく考えたら

富士山御殿場口7合目の真正面にそのくらいの高さ、近さの反対側の山とかないんだよね

友達と真夜中12時頃山頂向けての登山を開始した、
あの富士山で見たあのでっかいライト、、、
あの、あの、、、あれは、、、
これか?

もしそうなら、おいらたち

軽くスルーしすぎて、

拍子抜けしただろうね(>_<)


ヘッドライトむこうに向けてぱちぱちしただけだもんね

ごめんね、UFO... 。



:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
更新部分













どうすればもっとよくキャッチできるかもわかってるけど、
それやっちゃうと生活が成り立たなくなるからな
しかもキャッチしたとしてもどうすることもできないし、
しかも、私はどうにかしようなんて思わないからな
でも、私にやってくる、それの正体とかは知りたいとは思う。
せっかく知らせてくれた、
たぶんでっかいことを解いてみたいとは思うけど、
解くまでもない言葉を知らせてくれたけど、
それを知らせたと言うことは、
そっからまだ解くことがあるんだろうからな



4つかな。



富士山に行くと決めてからの、
その日の朝に見た神様の夢
その夢で言われた言葉


翌年もまた同じ理由で富士山行き
そこでであったUFO


同じ年に富士山リベンジでまた登りに行った
その真夜中に出会ったUFO


魔王の声
魔王かどうかはわからないけど、
たぶん導きの道のかみさまの声=?
この声からは2つの大きなワードを聞かされた 



これ以降は私がそういうのを少し遠ざけているので

同じ者かどうかわからないけど
昔から出る同じ人がいる
それがこっちに移住しても出たので
私は怖さで怒こって壁を思い切りこぶしで叩いて脅してしまった

それからは今のスタイルがメイン

ブログ書くのもそれに任せて書いている

だから、勝手に送信されるよりも

自分で漂うものの中から選びたい

選んでいるうちに

これだーーー!

とか

キターーーー!!

とか


だからブログの中でも

キターーーって言ってるの多いと思う。

キターーーーってなるまでは、
思考能力も何もかもすべて停止してしまってる感じで
ブログなんて書く気もしない


なので、

書くときも

旅先を選ぶときも


キターーーー!!にたよっている


ここの所めぐったところ思い返してみてもすごく面白い

なぜ、あそこに行こうとも思わなかったんだろう?

誘われてんのに、なぜ行こうとしなかったんだろう?ってとこが

同じ共通点のある場所だったりしてる

呼ばれた

とか

呼ばれない

とかあるけど

呼ばれてたかもしれないのに、なんで、無視しちゃったんだろうとか


それ自体が答えかもしれないしね





ちなみに魔王のお知らせの


実田 実 they know all truth

これは311前に言われたことなんだよね。。。

今思えば、、、

実田

これをこのまま検索すると

すぐに出てくるのは


実田

岩手県宮古市実田2丁目1−1

これは
実田仮設住宅の住所


そう。。。

311のときにものすごい被害が出た宮古市なのだ。




宮古(みやこ)市
由来
(1) 閉伊地方の経済・文化の中心地の意味で「都」から
(2) ミヤコ(都)物の輸入港
(3) ミヤ(宮)コ(処)で、神社があるところ
(4) 「港」からの転化
(5) ミヤ(野原)コ(土地)
(6) 「宮木(ミヤコ)」の意味で、神社や仏堂をつくる材木
(7) 「宮子」で神社の氏子
(8) 「深山処(ミヤマコ)」の略で山中の在所のこと


磯鶏

熊野神社

熊野町

山田

河南

白山

月山

愛宕

築地

浄土ヶ浜


白浜


で、この辺にはなんといっても

榊も多いのだ。



同族の地ってことだったんです。

ちょっとこれはばらばらに書いてはいても

このようには書くことは今までは、なかったんだけど

そういうとこまで書かないと、ブログが書けないとこまで調べてきてしまったんだわね。。。

自分にこの血が流れていることをはっきりと知ったわけだし

まあね、、

榊のおじさんって言うのは、見るからに魔王みたいな風貌の人だったんだけどね

この宮古市の向かいにある白浜ももちろん津波でぐちゃぐちゃです。

その白浜にあるのが白山神社

これもまに


シラハマ=シラヤマと書いたことがあるけど

ちょっとずつ書いていきますだよ。




浄土ヶ浜はまるで串本みたい。

にしきの土地だ。

ココもちなみでぐちゃぐちゃですが

熊野神社は無事だったのかな?

これ熊野町の様子
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92027-0008+%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E5%B8%82%E7%86%8A%E9%87%8E%E7%94%BA/@39.648733,141.967317,3a,75y,324h,90t/data=!3m8!1e2!3m6!1s-ihjhoJX5_OM%2FTdHvXF00l4I%2FAAAAAAAACSM%2F5qso8xCAudI!2e4!3e12!6s%2F%2Flh6.googleusercontent.com%2F-ihjhoJX5_OM%2FTdHvXF00l4I%2FAAAAAAAACSM%2F5qso8xCAudI%2Fs203-k-no%2F!7i900!8i596!4m2!3m1!1s0x5f85cb3f7f19bc85:0x09f2ddf719cf02c7!6m1!1e1?hl=ja


実田にも熊野山神社

ココは熊野山神社の手前の港はやられたみたいだけど、

町は今見ると無事だったようだ





他にも被害が大きかったところ

陸前高田


高田



この東北地方がいかに熊野勢だったかわかると思うんですよ

それも熊野もいくつかに別れていると思うんで

大きく分けようと無理に分ければ3つだろうかと思ってるんだけど

そのうちのひとつの流れが全国に散らばってると言うかな

土蜘蛛と呼ばれた一族なのかなと思うんだけど

榊はまたちょっと違ってて、
でも共通の”なにか”があって熊野のこの流れに割とくっついていることが多い

長野にもいて、そっちも実田に絡んでいたりする

それはなにかと言えば


シラハマ=シラヤマ

なんだと思うんだけど

ここで、今の段階で白山信仰と言ってしまうと、

それもまた少し違う流れだと思うので

まだ言わないんだけど

ま、そういうことでくっついているんだと思うんだ



熊野三党榎本の寺に

出口、玉置、榊、濱本、平坂

揃いも揃ってと言う感じ。

寺の裏側には美濃の移住者が奉ずるほにゃららの神社


そこへ母方の香山、父方の本家(?)中村

おなかいっぱいです。




東北のウシトラノコンジン



振り出しに戻るようでなんだかなーなんだけど

有能なデカも現場に戻るから(>_<)

あっしも再びまたココで振り出しに戻ってもいいかもしれないと思ったので


こちらをどんぞ↓

なんたら王朝~とか

原日本人~~~とか

それってほんと視界が狭いと言うかな
狭ーーーい視界では、到底理解できないことなんだけど

どうしたって説明がつかない壁にぶち当たるのよ

なんたら王朝とか単一民族とか、そういう狭いとこで見てても

そのうち八方塞のどでかい壁に自分がぐるりと囲まれていることに気がつくのよ

あれ???!!!!

あれれれれ???????

抜け出せなくなるわけ

そういう時はもうて天を見上げて出口を探すしかないわ

とりあえずその壁を越えて、外に出なくちゃ  

私の場合はだいぶショートカットさせてもらったつもりではいる

自分が持ってる4つの名前と父が教えてくれたこと、伝えてくれたこと

そのおかげで、変な視点を持つことができたからだと思うし

なによりも、自分の氏神様のおかげかもしれない


ま、、ちょっともう更新する時間が今ないので

こちらでも読んどいてくださいまし。







「九鬼文献」が語るウシトラノコンジンと鬼門八神

『九鬼文献』歴史篇の謎

 

『九鬼文献』とは、本丹波国綾部藩主・九鬼旧子爵家に伝わった歴史・神道・武道関係文 書の総称である。『二宮尊徳翁夜話』には、綾部の九鬼侯から所蔵の神道書十巻を見せら れたという話が出ている。もっとも尊徳はそれに興味をそそられず、「無きも損なきなり 」と断じており、そのくわしい内容は不明である。現在、『九鬼文献』として知られてい るものには昭和十六年、太古史研究家の三浦一郎が時の当主・九鬼隆治からの史料提供を 受けて著した『九鬼文書の研究』(八幡書店より復刻あり)と、武道家・高松澄水が昭和 十年頃、筆写した『天津蹈鞴秘文遍』全三六巻(未公開)がある。
 さて、『九鬼文書の研究』には、歴史篇として、太元輝道神祖なる始源神に始まる長大 な神統譜が掲載されている。その中には、スサノオの姉と、スサノオの娘という二人のア マテラスを挙げ、天皇家は後者から発したとする系譜や、ウガヤフキアエズ王朝七十三第 の存在が記されている。さらにその系譜によると、日本の神々の子孫は遠く海外まで広が っており、たとえばノア、モーゼ、イエスはスサノオの、釈迦はツキヨミの血をそれぞれ ひいているという。この歴史篇は主に「天地言文」なる古文書を典拠にしたというが、実 は「天地言文」が本来、九鬼家に伝わっていたものかどうかは疑わしい。
 昭和二八年、三浦は『九鬼文書の研究』出版にまつわるトラブルの一端を著書『ユダヤ 問題と裏返して見た日本歴史』(八幡書店より復刻)で明かした。それによると、三浦は 「天地言文」の写本を見た時、「遺憾ながら極最近に書換えたものである」ことに気付い た。そこで原本を提出を求めたが、隆治は原本は書写後、焼き捨てたという。その内に九 鬼家の書生だった藤原某が持っているはずだということが判明した。そこから先の経緯に ついて三浦は明言しようとしない。ただ、『九鬼文書の研究』で公表した史料は、正しく は「大中臣文書」というべきだったと奥歯に物のはさまったような言い方で真相を暗示し ている。おそらく「天地言文」は九鬼家に本来伝わっていたものではなく、九鬼家に出入 りしていた神道家・藤原俊秀が持ち込んだものなのだろう。九鬼家は藤原氏を称していた から、隆治は同族のよしみで問題あるまいと考え、それを三浦に提供した。

 

 



信濃に逃れた大中臣氏

 

『九鬼文書の研究』所引の「大中臣系図」には、用明天皇二年、物部守屋に加担した大中 臣牟知麿という人物が守屋滅亡と共に信濃国諏訪郷に落ちのびたという記事がある。とこ ろが同書所引の「九鬼家歴代系図」は、大中臣家との係累を主張しながらも、牟知麿なる 人物についての記述がどこにもない。そして「天地言文」では、用明天皇の御代、厩戸皇 子と蘇我馬子の神祇殿放火により、神代からの「天地言文」原本が失われたとして、さら に次のような記録を残しているのである。「天地言文記録ノ写本ハ守屋ノ一族、大中臣ノ 一族、春日ノ一族、越前武内ノ一族各保存ス」
 この内、守屋の一族とは、『物部文献』を伝えたという秋田の物部家、武内ノ一族とは 『竹内文献』で名高い竹内巨麿の家だろう。春日ノ一族とは、昭和初期の神道家・春日興 恩の家と思われる。「大中臣系図」と「天地言文」を併せて読めば、「天地言文」の写本 の一つは信州の大中臣氏に伝わったということになる。そして、関係者の証言によると、 藤原俊秀はまさに長野県出身だったというのである(吾郷清彦『九鬼神伝全書』)。
 以上から考えて、『九鬼文献』の歴史篇といわれるものは、もともと九鬼家に伝わった ものではない可能性が高い。では、『九鬼文献』本来の核心はどこに求められるべきなの だろうか。ここで注目されるのが謎の神「宇志採羅根真大神」である。

 

 



「宇志採羅根真大神」

 

『九鬼文献』の「鬼門祝詞」は宇志採羅根真大神という神の御神徳を讃えるものである。 「そもそも宇志採羅根真大神と申し奉るは、すなわち造化三神、天神七代、地神五代、陰 陽の神の総称にて、日月星辰、三千世界、山川草木、人類禽獣を始めとし、森羅万象の万 物をして宇宙の真理より創造大成せらるる大神の御事なり。
曰く、天之御中主大神。曰く、高御産霊大神。曰く、神御産霊大神。曰く、伊弉諾大神。 曰く、伊弉冊大神。曰く、天照大御神。曰く、月夜見大神。曰く、建速素盞嗚大神。を奉 斎主神とし、総じて宇志採羅根真大神と崇め給ふ。
 ここに全世界、地球をして東西に分ち、その東半球の北東の国、万国の丑寅の国は,わ が大日本豊葦原瑞穂国とす。すなわち全世界をして創造大成するの任にあたる所以なり。 宇志採羅は、宇宙真理の根元なり。(以下略)」
 丑寅(艮)は陰陽道では鬼門といわれ、祟り神の金神が潜む方位とされる。ところが『 九鬼文献』はその忌まれる神・艮の金神こそ万物の創造神であるという。この神が「天地 言文」の始源神・太元輝道神祖と関連付けられていないのも、その所伝が本来の九鬼家の ものであったことを暗示する。森克明は宇志採羅根真大神が、延享二年(一七四五)、綾 部本宮山に創建された九鬼魂神社の祭神だったのではないかとする。
 ちなみに九鬼魂神社はかつて九鬼霊石といわれる丸石を神宝としており、鞍馬山の奥ノ 院に降った隕石と伝えていたが、今、その霊石は兵庫県高砂市の高御位神社の神体となっ ている。なお、「天地言文」は高御位神社に主祭神の天御中主大神の他、天照座大神・月 夜見尊・素盞嗚尊・大国主尊・豊受姫命・埴山姫命・岩裂命・根裂命の「鬼門八神」が祀 られたとするが、これは各方位の守護神であり、宇志採羅根真大神とは別である。

 

 



大本との関係

 

 さて、艮の金神を最高神にいただくということで、まず連想されるのは日本新宗教界の 宗家ともいうべき大本であろう。大本発祥の地・綾部は九鬼家の旧領であった。大本開祖 ・出口ナオのお筆先にも「あやべ九鬼大隅守の因縁が判りて来たらどえらいことになる」 と告げるものがある。九鬼家の関係者からは、ナオは九鬼家の屋敷にあった本興稲荷の信 者であり、そこで得た啓示から大本を開いたというする説も出されているが、その確かな 裏付けはない。九鬼家と大本の確実な接触は、ナオの死後、大正八年九月に九鬼隆治が旧 領主として綾部に帰った際、教主・出口王仁三郎に招かれたことを以て蒿矢とする。
 だが、両者の関係はたちまち決裂した。江戸時代、九鬼家の藩邸で鬼門除けの札を配っ ていたことは『江戸名所図絵』などにもある。隆治からすれば、九鬼家こそ大本が興る遥 か前から鬼門の神を祭っていた家系だという自負があったのだろう。隆治は大正十年、皇 道宣揚会という教団を設立し、反大本運動を展開していく。九鬼家側の主張では、世界救 世教の岡田茂吉、生長の家の谷口雅春、神道天行居の友清歓真、合気道の植芝盛平など大 本を出て、それぞれ一派を開いた人物の多くが隆治の下で学んだとされる。
『九鬼文書の研究』出版も、目的の一つに第二次弾圧で教勢を失った大本に代わろうとい う目論見があった。だが、当時の体制は『九鬼文献』を大本や『竹内文献』の亜流とみな した。三浦はたちまちジャーナリズムの袋叩きにあい、『九鬼文書の研究』も千部印刷し たうちの九百部以上が没収焼却され、長らく幻の本となっていたのである。
 陰陽道を信じた古の王朝人にとって、鬼門への畏怖は具体的なものだった。それは東北 の地に跋扈する縄文人の末裔・蝦夷のイメージと重なっていたのである。艮の金神とは、 王朝人を震撼させた縄文の神だったのだろうか。『九鬼文献』は、この恐ろしい鬼門の神 が、実は創造大成の神だったことを教えてくれるのである。  

2000  原田 実

 

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