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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!





日本人はるかな旅 第5集 「そして”日本人”が生まれた」 [転載~]

ええと、基本的に弥生、渡来人がアジア人の

顔、体って言う

基本的、初歩的な洗脳がされてしまっているよね。。。。










これが私がいつも言ってる
”カワチ”の流れだと思う
何波にも分かれて移動し移住している
定住をせず、また移動した人たちもいただろうしね
ルートもいろいろだったろうしね








人工ピラミッド

古墳

洞窟

巨石

石棒




祝 

呪師 

寿司 









石井ゆかりさんの2017空模様~おとめ座 [転載~]

前にも載せたっけ?

なんか去年の暮れに思っていた状況とは違った感じになっていきそう

なのでちょっともう一回載せてみた





ココでの未来がまったく見えなくなった


そんな感じ。。。






2017年 おとめ座の空模様。




ミュージシャンや芸人の方が、街で
「大ファンです!いつもyoutubeで見ています!」
と声をかけられて、
嬉しいけれど、少し複雑な気持ちになる、
という記事を読んだことがあります。
どんな形でも作品や活動に触れてもらえるのは
クリエイターやアーティストにとって
何より嬉しいことではあります。
ですが、音楽CDやライブ映像のパッケージが売れなければ
活動自体を継続していくことが難しくなりますし
なにより
「貴方の仕事に対して、お金を払ったことはありません」
と表明されたようで「複雑」な気持ちになるのは
納得のゆくことです。
まずはどんな形でも知ってもらうことが一番ですが
できれば「その先」までつきあってもらえれば、というのが、
クリエイター、アーティストの切なる願いでしょう。

ただ、その一方で、
自分自身が中高生だった時のことを思い出すと
「youtubeで見ています!」
と言った若い人の気持ちも、よくわかる気がするのです。
若いときは自分で稼いだお金がほとんどなく、
絶対的に「支払える額」が少ないのです。
その上、そもそも世の中の経済がどのような仕組みになっているのか、
あまりよくわかっていません。
もちろん、中にはとても賢かったり、
周囲の大人達によく教えてもらったりして
「仕事をして、対価をもらって皆が生きているし、
音楽活動やライブなどを創り上げるのにも
とてもたくさんの費用がかかる。
それをまかなうのは、お客さんの出すお金である」
ということが見えている人もいるでしょう。
とはいえ、そういう仕組みを理解した上でさらに、
「これはお金を出してまで見たいとは思わないな」
という価値判断により、無料の手段を選ぶ、という人もいます。
それもひとつの見識です。

おそらく、世の中の大きな経済の流れの中では
どんな立場も「間違い」とは言えないだろうと思います。
だれでも、自分のお金をどう使うか、
自分で決定する権利を持っています。
「この使い方が正しく、この使い方は間違い」
などとは、誰にも言えません。
でも、その一方で私たちの生活と経済活動は常に、
他者のそれと結びついています。
ひとりひとりの活動はちいさなものですが
そのちいさな活動が集まって、
大きな大河のような経済の流れが生まれます。
その大きな流れの中に自分もちゃんと、含まれています。
どこか遠くの国で起こった経済危機が
巡り巡って自分のお財布の中に「響いて」いるのを
私たちは意識にのぼらせることはありません。
でも、好きだったお店が経営難でつぶれかけたとき初めて
「そういえば最近ずっと行っていなかったな」
と気づいて後悔する、といったことは、
日常の中でしばしば起こります。

2017年、乙女座の人々は、ごく広い意味で
自分の手の中にある力をどう使い、
他者の手の中にある力とどう関わっていくか
を考えてゆくことになるでしょう。
乙女座の2017年は平たく言えば
「経済活動が活性化し、膨らむタイミング」
なのですが、
ただ単に「金運が良い・金回りが良い」といった
自分の手の中だけを見つめてホクホクできる、
というイメージとは
この時期のリアリティはかなり、ちがっているはずです。
私たちは自分一人の経済活動に責任を持っていると同時に、
自分を取り巻いている経済的な流れと深く結びあっています。
特に収入を得る活動をしていない人や
自分では何も生産していない、という人も
日々、生活の中で消費行動と、それに伴う選択を重ねているだけで
充分以上に「経済活動」を営んでおり、
さらに、世界と繋がっていることになります。
何がほしいと思い、何を要らないと感じるか。
何を選び、何に背を向けるか。
経済力を強化したい人も
普段の消費行動に問題を抱えている人も
2017年は非常に積極的で現実的なアクションを起こすことができますし
それに対する周囲のリアクションも、
変化を後押しするような、際立ったものとなるでしょう。

たとえば、経済的な依存関係から脱却したいと願っていた人は
そのチャンスを掴めるかもしれません。
あるいは、人から援助を受けることで夢を叶えたい
というのぞみを抱いている人も
少々意外な形で、それが叶えられるかもしれません。
実際、私たちが自分の人生の中で
「自分の力だけで立っていられる時期」は
ほんの一瞬です。
若い間はまわりの大人の経済力に頼るしかありませんし
ある年代を超えればまた、下の世代に頼ることになります。
純粋に自分だけの力で生まれてから死ぬまでを全うすることは
誰にもできないことです。
あくまで、そうした過去と未来に跨がる「関係性」のなかにあって、
「今、このような経済基盤の上に生活していきたい」
という理想を実現するためのチャンスが
2017年には随所に転がっているはずです。
ただガマンや遠慮だけに終始する生き方も、
自分の欲望にだけ忠実に生きる生き方も、
どちらも「本当の満足」には
つながらないだろうと思います。
自分の「本当の満足」がどこにあるのか、
それを人と関わりながら探していく旅を
2017年、乙女座の人々は辿っていくのかもしれません。

2015年頃から、貴方の日常生活のあらゆる局面において
「この活動は、誰のためなのか」
ということがずっと、
隠れたテーマとして鳴り続けていたのではないかと思います。
おそらく経済的な活動に関しても
「身近な人のため」「家族のため」「守るべき人のため」
といった意識が強かったはずです。
自分のことは棚に上げても周囲のために尽くすのが当たり前
という心の風景が
貴方を強くした場面もあれば
貴方を少し苦しめていたところもあったのではないかと思います。
2017年も「守るべきもののため」という意識は
まだ続いていくことになりますが
2015年頃の、スタート当初の感覚とは
少し違っているかもしれません。
2015年頃には、
背中にのしかかってくる大岩のようだった「責任」が、
2017年には、言わば
自分の生活をもしっかり支えてくれる「インフラ」のように
ごく自然なものとして
貴方の目に映っているだろうと思うのです。
最初は「大切な人のため」「家族のため」に始めたことが
2年ほど経ってみて「自分のためにもなっている」と
わかり始めます。
2017年の経済活動の盛り上がりは、おそらく
こうした意識変化を土台としているのだろうと思います。

  *****************************

[時期について]

1月は人間関係が勢いよく活性化します。
公私ともに人と会う機会が増えるでしょうし、
人から得られるものが多いでしょう。
月の半ば、
大きな夢に向かって進むことを決意する人もいるかもしれません。

2月から3月は、人から「受け取るもの」が多そうです。
さらに4月も、人から「ギフト」を受け取れるタイミングです。
2-3月、4月の出来事は、
ひとつながりの物語であるようです。
また、2月は特に、
密かな悩みが面白い形で解決するかもしれません。
出会いのミラクル」に恵まれるタイミングでもあります。

3月から4月は、遠出する機会が多そうです。
出張や留学、旅行を通して得るものがあるでしょう。
この時期は遠くでかけた先で、
嬉しい「再会」が期待できます。

5月はとても忙しい時期です。
大きめのチャンスが巡ってきますし、
協力してくれる人にも恵まれます。
ちょっと難しそうなことにチャレンジしたり、
リスクを取って勝負に出たりすることになりそうです。

6月は少し肩の力を抜いて、
伸び伸びと動ける時期と言えます。
今目の前にあることが一段落し
もう少し大きな視野でものを考えたくなるでしょう。

7月はキラキラしたチャンスが巡ってくる、
ワクワクするようなタイミングです。
その一方で「一人の時間」がとても大事に思えるかもしれません。
ここで一人で勉強したり、長計を練ったりしたことが
あとで大きな武器となりそうです。

8月は星座を問わず、少々停滞感がある時期ですが
乙女座の人にとっては特に
「ちょっと足をとめて、
普段目を向けないところに目を向ける」
ような時期となるでしょう。
誰かを助けるために力を尽くしたり、
無償の活動に取り組んだりすることになるかもしれません。
あるいは貴方自身が
長い間のひそかな悩みから「解き放たれる」
ようなことも起こるかもしれません。

9月は大きなターニングポイントとなりそうです。
乙女座に星がいくつも集まってきて
新しい選択を促すような節目です。
「自分を変えたい」「現状を変えたい」
という思いを抱いている人には
行動を起こすきっかけをつかみやすいでしょう。

10月は木星が「経済活動」の場所から
「コミュニケーション・学習」の場所へと移動します。
ここから2018年にかけて、
フットワークよく動き、
たくさんの新しいものに触れ、学んで、
価値観を大きく変えていくことができるでしょう。
「新しい時代を捉えるための、新しい目を持つ」
ような時間に入っていきます。
人に何かを教えることで、多くを学ぶ人も多そうです。

11月は経済面で、過去1年ほどの中で作った仕組みを
大いに「試す」機会を得られそうです。
入る方も出る方も振り幅が大きくなりますが
ここまでの経験を活かして、
しっかり乗りこなしていけるでしょう。

12月は、たくさんの人との対話が広がります。
コミュニケーションから素晴らしい刺激やチャンスを受け取れるでしょう。
さらに、2015年頃から続いていた、
「居場所に対する責任」「大黒柱としての任務」が
ここで、一段落します。
ほっと胸をなで下ろすような、
あるいは、大きな達成感を感じるような場面が
年末、貴方の世界に巡ってくるはずです。
これまでの頑張りを認められ、
感謝されたり、褒められたりと
ねぎらわれ、むくわれる人が多いだろうと思います。

[愛について]

2015年頃から、乙女座の人々にとっての「愛」は
常に「生活」と直結していたのではないかと思います。
美しいレストランでの煌びやかなデート、というイメージより
毎日繰り返されていく朝昼晩とお弁当、というイメージが
貴方の愛を展開していく「土俵」となっていただろうと思うのです。
何気ない会話やちいさな思いやりの積み重ねによって育つ
丈夫な地盤のような「愛」を
2015年頃から地道に育て続けて来たならば
その愛という「環境」が完成するのが2017年です。

2017年は、乙女座の人にとって
「愛の扉の前に立つ時期」と定義することもできます。
というのも、少々フライングですが2018年から、
乙女座にとっての「愛の部屋」が一気に
「本領発揮」の状態になるからです。
乙女座の人々は愛情について、
独自の見解と価値観を抱いています。
この世の中は決して安心できる場所ではなく
日々、自分を守るために知恵を絞らなければならない、
油断ならない世界です。
ゆえに、そうした油断ならない世界において
唯一、自分を守ってくれる力として信頼できるかもしれないのが、
「愛」だ、という意識です。
もちろん、人の感情はあやふやで頼りなく、
愛などころころ変わってしまう
という考え方がむしろ一般的ですし、
そういう面はあります。
ですが、損得勘定や社会システムなどのほうが、
愛よりもずっと信頼できるか、というと
決してそうはいきません。
何もかもなくしたときであっても
そこに愛があれば、生きていくことができる。
乙女座の人々にとって、
このことは決してロマンチックな夢物語ではなく
頼みにならない現実をなんとか生き抜くための
シビアなリアリティなのです。

2018年以降、そうした愛のリアリティを
もっとも豊かに力強く生きられる時間が巡ってきます。
この時間は、貴方が最も貴方らしいところを打ち出せる時期ですし
非常に創造的な時間でもあります。
その「手前」に立つ2017年は、
「愛の準備」をする時間帯、と言うこともできるかもしれません。
これは、「この時期に恋愛すべきでない」とか
そういう意味のことではありません。
そうではなく、たとえば
自分が誰かを深く愛する状態になったと仮定して
その自分は、どんなことができるようでありたいか、
どのような考え方を持っていたいか、
どのような生き方をしているべきか、
といったことを理想的な形に持ち上げていける時期
というようなことです。

愛に追い風が吹くのは1月、4月、6月、10月です。
さらに2月は、パートナーシップにおいて
素敵な「脱皮」が起こるかもしれません。
フリーの人も、ミラクルな出会いに恵まれそうです。

  *****************************

「断捨離」「ミニマリスト」などの言葉が
ごく一般的になった昨今です。
「エコ」や「エシカル」「サステイナブル」といった言葉もまた
解説なしに用いられることが普通になりました。
他者や大きな環境と結びついた上での私たちの「ゆたかさ」が
ほんとうはどうあるべきなのか、
多くの人が悩み、それぞれに答えを出そうとしているのだな、
と思います。
モノやお金に振り回される不自由を感じている人もいれば
モノやお金が社会的自由をくれる、という意見もあります。
ある場で「幸せとは何か?」ということが話のテーマとなったとき
「女性誌などでは、
『愛されてお金持ちになること』が幸せ
と書かれていることが多いですね」
と言われました。
たくさんあればあるるほど幸せになれるのが
愛とお金、だと考える向きもあるわけです。

2017年の乙女座の人々は
自分の両手の中に何を育てていくのか、
それを育てるために、どこからどう水を引いてくるのか、を
とてもクリエイティブに考えていくことになるでしょう。
たくさんの財を手に入れる人もいれば
「断捨離」のように、モノから自由になろうとする人もいるかもしれません。
あるいはもっと別のアプローチで
欲望や所有、獲得、生活サイクルといったテーマに取り組む人もいるでしょう。
取り組み方・出す答えは千差万別だろうと思いますが
おそらくひとつだけ、共通しているところがあるはずです。
それは、あくまで自分自身が
欲望し、獲得し、選択し、楽しみ味わい、消費する、
その絶対的な「主体・主人公」であろうとする、
ということです。

「お金の奴隷」のようになってしまうのも
「主人公」を降りてしまったケースだと思います。
「健康のためなら死んでもいい」というジョークがありますが
私たちは結構簡単に、
そうした「手段と目的の反転」という落とし穴に落ちます。
さらに、経済関係は容易に従属関係を産み出します。
それは一見、つめたい計算で成立しているようでいて
実際は、熱い感情や精神的関係性以外のなにものでもありません。
たとえば、人から経済的支援を受けて屈辱を感じたり、
卑屈な気持ちを持ってしまう人もいれば、
お金をたくさん借りていても堂々としている人もいます。
「お金の貸し借りは友情を壊すからやめておきなさい」
という古くからのアドバイスがある一方で、
とても上手にお金を借りて、
みんなを幸福にできる人も存在します。
2017年の乙女座の人々は
ただ自分の手の中にあるものだけでなく
人の手の中にあるものや、その人の心の内側にも
広く目を向けることになるでしょう。
その広い視野の中で、もっとも適切な
「手に入れる方法・使う方法」を模索することになるでしょう。
2017年が終わりに近づく頃、
乙女座の人々はある種の安堵を感じているかもしれません。
植物を育て、花を咲かせるのが上手な人の多い乙女座ですが
美しい庭を創り上げたとき、
その庭が「なんのためのものか」を
今なら、深く語ることができるでしょう。
そしてさらに、
「ここまでに作り上げた土台の上で、
これから伸び伸びと生活していける」という、その安心感が
貴方の持ち前の創造性を新たに解き放つ出発点ともなるはずです。



http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/bltmblty2017/bltmblty_virgo.html


蝦夷の賊首や嶋津神・国津神 [転載~]

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)はすぐに上総(カミツフサ)から移動して、
陸奥国(ミチノクノクニ=東北地方の東)に入りました。

そのときに大きな鏡を王船に掛けて、海路(ウミツヂ)から葦浦(アシノウラ=千葉県?)を回りました。

玉浦(タマノウラ)の横を通って、蝦夷(エミシ)との境に到着しました。

蝦夷の賊首(アタゴノカミ=首領)、嶋津神(シマツカミ)、国津神(クニツカミ)たちは

竹水門(タケノミナト)に居て、(入港を)防ごうとしました。

しかし遥かに王船を見て、(戦闘の前に)その威勢(イキオイ)に恐れをなして、
心の中で勝てないであろうことを知り、皆、弓矢を捨てて、(天皇を見て)拝んで言いました。

「仰いで、君の容(ミカホ=姿)を煮ると、人倫(ヒト)に優れているとわかりました。
まるで神のよう。姓名(ミナ)を教えて下さい」

王は答えました。

「わたしは、現人神(アラヒトガミ)の子(ミコ)だ」

蝦夷たちは皆、かしこまりました。

そしてすぐに裳(キモノ)を脱いで、波をかき分けて、王船を助けて着岸させました。

面縛(ミズカラユワイ=両手を後ろにして顔を前に向けること=謝罪の動作)をして、

服罪(シタガ)いました。


ヤマトタケルは)その罪を許しました。

その首師(ヒトゴノカミ)を俘(トリコ=俘囚)にして従身(=従者)としました。

http://nihonsinwa.com/page/1148.html




蝦夷の賊首や嶋津神・国津神たちが集結した

「蝦夷の境」

http://japanknowledge.com/articles/blogjournal/interest_chimei/entry.html?entryid=97

血脈と意識の落差 [転載~]


「安倍晋三のDNA」岸家と安倍家、血脈と意識の落差
http://news.kodansha.co.jp/20160314_b01



安倍晋三というよりも〝岸晋三〟とでも呼びたくなるほど、祖父、岸信介の影響が強い安倍晋三総理の政治方針ですが、なぜそうなのかが腑に落ちるノンフィクションの傑作です。

『絶頂の一族』とは岸信介、岸洋子(安倍洋子)、安倍晋三の3代を中心とした血族のことですが、むしろ興味深いのはその〝岸家〟の流れではなく〝安倍家〟の流れです。「安倍晋三は母方の祖父・岸信介の面影は事あるごとに口にしてももう一人の祖父・安倍寛についてはほとんど触れることはない」とのことですが、このもう一人の祖父とはどのような人だったのでしょうか。

安倍寛は「金権腐敗を糾弾し、終始一貫、戦争にも反対を続けた」政治家でした。翼賛選挙と呼ばれた東条内閣時の総選挙でも「東条の戦争遂行に一貫して反対」し軍部ににらまれながらも「無所属・非推薦」で立候補し、当選した反骨の政治家でした。この選挙では警察の干渉が激しく、昼夜の尾行、子息の安倍晋太郎への尋問などの選挙妨害が平然と行われたのです。開戦時(この翼賛選挙時も)の東条内閣で商工大臣だった岸信介とは全く違った道を歩んでいた政治家といえるでしょう。寛は「人に感謝し、〝人に祈る心〟がなくては人間はダメだとよく言っていた」と伝えられていますが、敗戦後の第一回総選挙の準備中に病死してしまいます。

安倍晋太郎は「岸の女婿」としばしば呼ばれていましたが、義父の岸信介よりも安倍寛を政治家として尊敬していたようにうかがえます。

──晋太郎は岸の後継者になるために洋子と結婚したという意識はないのに、洋子は後継と受けとめていた。岸も満足していたという。この微妙な意識の差は大きい。後に息子の晋三が、父の晋太郎や祖父・安倍寛の功績や足跡を語ることがほとんどなく、最初に岸信介ありきで家系を語るのも、この晋太郎と岸家の血脈を巡る意識の落差が影を落としたと言わざるを得ない──(本書より)

とはいっても晋太郎が岸の実力を認めていたことはいうまでもありません。岸の秘書官になったのが政界への第一歩となったのですから。

〝安倍〟の姓ではありませんが、この本に興味深い人物が描かれています。晋太郎の異父弟、晋三の叔父にあたる西村正男(みずほホールディングス元会長)です。晋太郎の生後まもなく母親は安倍寛と離婚し、西村家へ嫁いで生まれたのが西村正男です。彼もまた安倍寛と同様に非戦、平和を主張していました。そして、小泉総理の靖国神社参拝を擁護した安倍晋三官房長官に対して「晋三はあの侵略戦争がわかっていない。晋三は靖国神社参拝へのアジア諸国の反発に対し『心の問題だ』と言うが、犠牲者が三百万人だろうが、一人だろうが、侵略は侵略だ。歴史的事実を踏まえてけじめをつけなくてはいけない」と激しく批判していたのです。「晋三は昭和史を知らなすぎる。歴史から学んでいない。政治家の言葉は重いものだということをもっと知るべきだ」とも。西村は死の直前の東京新聞のインタビューでもこの考えを変えることはありませんでした。それを〝遺言〟のように残していったのです。

西村は晋太郎にはとって、たったひとりの弟であり同志であり、数少ない心の許せる人間だったのでしょう。この本では、西村の章に続いて晋太郎のもうひとつの〝心の許せる〟世界を追っています。その世界で晋太郎がどのような素顔を見せていたのかは謎につつまれていますが……。

この〝安倍〟の流れは『絶頂の一族』の裏面史となっていますが、では〝正史〟はどうなっているのかというと、岸信介の政治信条・手法をなぞり繰り返しているようにしか見えません。安倍洋子がこんな言葉を語っています。「政策は祖父似、性格は父似」と。けれど第二次安倍内閣発足後は〝性格も祖父似〟になってきているように思えるのですが。

60年安保時のような重要法案の強行採決、憲法改正への執念等、岸信介がのりうつっているかのような行動が安倍総理には見られます。岸信介が旧満洲国の行政官僚として辣腕をふるっていたことはよく知られていますが、現政権の行政権力の肥大化もそれにどこか通じるところがあるように思えます。

日本国憲法について岸信介はこう語っていました。「私が戦後の政界に復帰したのは日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要かということを痛感しておったためなんです」と。日本国憲法が成立した時、岸は獄中にいました。日本国憲法の成立過程に立ち会っていない「岸にとって新憲法は戦勝国アメリカから押しつけられたものという認識」でしかありませんでした。

アメリカ軍から獄中で苛酷な待遇を強いられていた岸にアメリカはどう映っていたのでしょうか。獄中で「大東亜戦争を以て日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。之れ事実を故意に歪曲するものなり」と記していた岸はなぜ釈放されたのでしょうか。興味深い記述が引かれています。

──米国とソ連が仲良くしているころは、いつクビをはねられるかと心配していたが、米ソの間の仲が悪くなってからは、そんなことを心配する必要もなくなった──(『昭和の妖怪 岸信介』より引用)

リアルな政治感覚ともいえますし、国家利益のためなら手段を選ぶべきではないというマキャベリスト政治家の面目躍如たるものがあります。また、アメリカへの対抗心もうかがうことができます。それはアメリカの占領行政批判や一連の60年安保をめぐる動きでも感じ取れることができます。

ここでふとこんなことを想像してしまいます。旧満洲国という〝傀儡(かいらい)国家(植民地、占領地)〟で岸信介たち指導者層が行った植民地行政と同型のものをアメリカの占領行政に見ていたのではないかと。日本が宗主国であった旧満洲国、アメリカが宗主国であった戦後日本、岸の目にはどちらも独立国家とは考えられていなかったのではないかとも。

岸信介の亡霊に縛られているのが今の安倍政権に思えます。そこに浮かび上がってくるのがこの本の本来の主人公である安倍洋子の存在です。彼女が手放さない〝岸家〟のこだわりが「およそ現実の世界や社会とは無縁の、「脱占領」という岸の遺した怨念が亡霊のように現れている」(薬師寺克行、本書解説より)という事態を日本にもたらしているのです。けれどこれこそが未完成な国家・日本のあかしのように思えるのですが。

「おじいちゃんを褒(ほ)めれば、お母さんが喜ぶ」という一文がこの本の中に記されています。ファザコン、マザコンというように事柄を矮小化するつもりはありません。けれど、そのようなことも含めて、家業と化した政治家たちが日本の政治・言論空間を歪ませてきているようにも思えます。その時〝家庭内野党(安倍昭恵)〟の存在もまた大きな意味を持ってくるのかもしれません。安倍昭恵総理夫人の章のインタビューもとても興味深く読めると思います。安倍総理の根幹を知ることができる好著です。

阿部比羅夫 [転載~]


炎立つ 全部見た~

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阿部になったり、阿倍になったり

大きく分ければ同じと言っていいんだろうけど。。。。。




 阿部比羅夫と明治の華族令
://plaza.rakuten.co.jp/qiriya/diary/201407260000/


 飛鳥時代のはじめ、度重なる蝦夷の攻勢に、ヤマトは悩まされていました。

そこでヤマトは、大化3(647)年に渟足柵(ぬたりのき)を高志国(こしのくに・越国)に設置し、翌大化4年には。

磐舟柵を作りました。


渟足柵は現在の新潟市東区沼垂辺りにあったと考えられており、磐舟柵は渟足柵の北の新潟県村上市岩船辺りにあったと考えられています。


 この2つの柵は、ヤマトが2段構えで蝦夷に備えるための防御線にしたのだと思いますが、それにしてもこの2つの柵は100キロ近くも離れていたのです。北からこの磐舟柵に至るのには、海沿いの道と山からの道がありました。


磐舟柵は、その2つの道の結節点にあったのです。海沿いの道は今でこそ国の名勝および天然記念物に指定され、日本百景にも選定された海岸景勝地として人々に愛されていますが、その昔は岩壁が続き、『笹川流れ』と言われた交通の難所でした。



 西暦658年、阿部比羅夫(この地の豪族であったとも)が斉明天皇の命により、船180艘を連ねて日本海岸を北上して遠征し、雄物川の河口(秋田市新屋町)のアギタ浦(秋田市)に着いたとき、降伏してきたアギタ蝦夷の首長の恩荷(男鹿)に小乙上という官位を与えて渟代(能代)・津軽二郡の郡領に定め、有馬浜(場所不祥)で渡島(北海道)の蝦夷を饗応し、樺太を本拠とする粛慎(しゅくしん)を平らげたとされています。



さらに659年、阿倍比羅夫は蝦夷を討ち、一つの場所に飽田・渟代の蝦夷241人とその虜31人、津軽郡の蝦夷112人とその虜4人、胆振鉏(いぶりさえ・北海道勇払郡域)の蝦夷20人を集めて饗応し禄を与えています。


その上、後方羊蹄(しべりし)に郡領を置き、粛慎と戦って帰り、虜49人を献じています。


ところでこの後方羊蹄があまりにも難読であったため、昭和44年に地元の倶知安町が羊蹄山への変更を求め、後方羊蹄山(しべりしさん)から現在の羊蹄山となったといういきさつがあります。


ここで言われる後方羊蹄が、いまの羊蹄山の周辺かどうかは明確ではありません。


 660年、阿倍比羅夫は、大河のほとりで粛慎に攻められていた渡島の蝦夷に助けを求められ、粛慎を幣賄弁島(粛慎の本拠地である樺太または奥尻島か?)まで追って彼らと戦い、これを破っています。

 なお粛慎とは、本来中国の文献上で満州東部に住むツングース系民族(樺太中部以北のはウィルタ)を指すのですが、阿倍比羅夫に討たれた粛慎とは異なるとみられ『日本書紀』がどのような意味でこの語を使用しているのかは不明とされています。


蝦夷以外のオホーツク文化人とも推測され、樺太中部以北に住むニヴフを粛慎の末裔とする説もあります。

 663年、ヤマトは唐・新羅軍に攻略された百済の救援のため朝鮮に軍を進めました。しかし白村江でのヤマト・百済連合軍は唐・新羅連合軍との戦いで大敗し、百済は滅亡し、ヤマトは朝鮮半島進出を断念したと言われています。


阿倍比羅夫は、この新羅征討将軍となって朝鮮に渡ったとされていますが、事実かどうかは不明です。しかし阿倍比羅夫は、その後、唐・新羅からの報復攻撃を恐れたヤマトに、九州防衛の大宰府師に任命されています。

 この阿倍比羅夫の祖先は、8代孝元天皇の皇子の大彦命(おおひこのみこと)とされ、その十四代目の子孫が阿倍比羅夫と『姓氏家系大辞典』にありますが、その生年は分かりません。


 さて三春秋田氏の祖とされる安東氏は、安倍貞任の末裔と伝承される北方の名門であり、日本海交易と蝦夷沙汰を担った一族として蝦夷管領を名乗り、南北朝時代には内外に「日の本将軍」を号するほどの勢力を持っていました。


天正18(1590)年、豊臣秀吉の奥州仕置後、安東実季は秋田城介を号して秋田氏を名乗りました。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いの後、実季は常陸の佐竹氏と入れ替わり、常陸宍戸(茨城県笠間市)5万石に移されました。


そして寛永7(1630)年、幕府の忌み嫌うところとなり、突如伊勢国朝熊(三重県伊勢市朝熊町)へ蟄居を命じられたのです。嫡男の俊季との不和説などがありますが、詳細は不明です。この秋田俊季は常陸宍戸藩主となり、のち陸奥三春藩主となります。

 秋田俊季は、慶長19(1614)年からの大坂の陣において、幕府軍の一員として出陣しています。その後も幕府による普請手伝い、将軍徳川家光の上洛随行など、幕府に忠勤を尽くしていました。

しかし、父実季とは次第に不仲になり、寛永7(1630)年に父の実季が失脚すると、幕命により秋田氏の家督を継承したのです。

 正保2(1645)年、俊季は陸奥三春に5万5千石で移封されたのですが、慶安2(1649)年1月3日、勤番中の大坂城で、父に先立って病死してしまいます。

その後を、長男の盛季が継いだのです。盛季は、陸奥三春藩の第2代藩主となります。

 この親子の不仲の原因ですが、実季が、秋田家の祖をナガスネヒコの兄の安日王であると主張したのに対し、子の俊季は阿部比羅夫と同じく大彦命であると主張したことにあったらしいのです。

しかし俊季が先に亡くなったため、結果として、孫の盛季は祖父の実季の意見を取り、安日王を祖とする説を、次世代以降に伝えていったと考えられています。

 一挙に明治2(1869)年の話に移ります。版(領地・版図)籍(領民・戸籍)奉還と同日に出された行政官布達(公卿諸侯ノ称ヲ廃シ華族ト改ム)により、旧藩主は華族となることが定められました。


当初は華族に等級はありませんでしたが、本人一代限りの華族である「終身華族」と、子孫も華族となる「永代華族」の二つが存在していました。そして明治4(1871)年には皇族華族取扱規則が定められ、華族は四民の上に立ち、その模範となるよう求められました。


 宮内省は華族令を実施するため旧藩主たちにその出自を明確にするよう求め、旧藩主たちはその先祖を天皇家や源平藤橘(げんぺいとうきつ)などの諸姓に繋ぎ、権威付けをして提出しましたが、三春藩秋田映季(あきすえ)ただ一人が先住民・長脛彦の後裔をもって報告したのです。


この系図を提出された宮内省の側とすれば、安日王・長脛彦は神話の中であったとは言っても日本史上最初の皇室への抵抗者であり、その後の阿倍貞任・宗任や平泉の藤原氏に至っても中央権力に抵抗した側の首領、つまりは逆族・朝敵であるということになってしまうことに困却しました。


「いやしくも皇族の藩屏たる華族の先祖が、逆賊・朝敵である安日王の子孫では困る」


 この秋田氏の系図の取り扱いに苦慮した宮内省が調べてみると、先に秋田俊季が幕府に提出していた系図に、秋田氏の遠祖が第八代の孝元天皇にはじまりそのあとは四道将軍の一人の大彦命に続いているということが記載されていたことが分かりました。


となれば、阿部比羅夫と同じ祖先になります。これであれば問題はありません。宮内省はこの系図への差し替えを求めました。しかしこの申し出を、秋田家はなかなか受け入れなかったと言います。

「恐れながら、当家は神武天皇の御東征以前の旧家ということをもって家門の誇りといたしております。
天孫降臨以前の系図を正しく伝えておりますのは、はばかりながら出雲国造家と当家のみでこざいます」


 こう答えて系図の改訂を拒否したことを、大正期の歴史学者で『えみし』研究学者でもあった喜田貞吉氏が紹介しています。この出雲国造家とは、大国主命に国譲りの交渉を受けたとされる天穂日命(アメノホヒノミコト)の末裔とされる家です。

しかしこれに対し秋田家では「拒否したと言う事実はない」と抗議し、喜田氏も取り消すという騒動が起こっています。もっとも秋田家は宮内省の意向を拒否はしなかったとは言うものの『安日王の子孫』であることも否定していません。そして秋田家は子爵となったのです。

秋田一族の結束は強く、同族となる北海道・松前藩家老職の下国氏は参勤交代などで江戸に行く際にはほぼ例外なく三春の秋田家を訪れ、三春藩主への挨拶を欠かさなかったといわれます。

 なお現在、秋田氏は宮内庁にある披講会に属し、宮中の歌会始で歌を整理し講師に渡す読師、読み上げる講師、講師の読み上げた後合唱する講師など、代々この役を務めておられます。歌会始は、TVでも放映されますので、もしかしたら昔の三春の殿様の声かも知れないと思って聞かれるのも、興味深いことかも知れません。

炎立つ [転載~]


2017-02-23 12:19:12  更新しました。




はじめてみたかと思ってたけど

これだーーーいぶ前に見てる、、、

3部から観て、その後一部、2部ってみたのかな、、

3部は義経の話、

それをブログにはっつけてるの観てて思い出した


でも、そのときは歴史も何にもほとんど知らなかったから

受け止め方がぜんぜん違うや










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2017-02-22 18:59:36のブログです。




きゃあああああああああああ

これすごいかも。。。。







567

サラの占い


アラハバキ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%90%E3%82%AD

(((((( けっして表に出ないのが我らが一族の掟じゃ 
遠い昔我らが祖先は調停に弓引くものとして都を追われ、この地に逃れてきた 50:30))))))))


物部氏と安倍氏の連携

 高橋克彦氏「東北蝦夷の魂」によると・・・
物部氏が一番得意としたのは鉱山の開発と馬の飼育であった。
もともとニギハヤヒノミコトを奉ずる出雲の民は、鉱山技術者の集団であった。
金山、銅山、鉄山の場所には、物部系の技術者が派遣され、そこで集落を形成していった。
伝説では、それらは全て金売吉次が開発したとされている。

 義経記によると、鞍馬寺へあずけられた牛若丸が、
奥州藤原氏を頼って平泉に下るのを助けたのが金売吉次である。
彼は、奥州で産出される金を京で商うことを生業にしていた。

「゛炎立つ゛を書いていた時、金売吉次は物部の一族だという仮説を立てたら、
NHKが資料を探してくれた。
安倍宗任に従って九州に流された人物の末裔が今もいて、
その家系図に金売吉次のルーツは物部氏だと記してあったのだ。」

 蝦夷の在地豪族・安倍氏は、物部氏と手を組むことによって、
黄金や鉄を採取する手段を得て、奥六郡を手中にした財力を築いたと推理している。 


https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E9%87%91%E5%A3%B2%E5%90%89%E6%AC%A1&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl




*ナガスネヒコ、アビヒコの子孫


やっば、、、


ふるべゆらゆら

キターーーー



祈祷指導 物部協子
全国婦人神職協議会 物部協子会長

吉次
奥州の実力者の一人。先祖代々金山を守ってきたが、その正体には謎も多い。
金はもちろん馬やアザラシの毛皮など都にはない奥州の特産物を売って、莫大な富を得ていた。
しかし、自身は政治の表舞台に立たずひたすら陸奥の安泰を願い、
娘婿である安倍頼良を物心両面で支えた。

吉次の娘、頼時の側室、乙那の姉で、結有の母。東北古来の神、アラハバキの神をつかさどる巫女でもある。厨川の柵で安倍一族が窮地に立たされると、人柱となり自害する。




続きは


https://www.youtube.com/channel/UCYetUsB0f8lXo1-kbwQsIaQ/videos?view=0&flow=grid&sort=da





『炎立つ』(ほむらたつ)は、
1993年7月4日から1994年3月13日まで放送された第32作目のNHK大河ドラマ。
三部構成。
平安時代前期の朝廷と奥羽(東北地方)の関わりから、
鎌倉時代に奥州合戦で奥州藤原氏が滅亡するまでを描く。


奥州藤原氏の開祖とも言える藤原経清の生涯を描いた第一部、初代・藤原清衡が奥州の覇者となるまでを描く第二部、奥州藤原氏滅亡へと到る第3代・藤原秀衡と第4代・藤原泰衡の時代を描く第三部の3つのパートで構成されている(第2代・藤原基衡の時代を含む1125年から1169年にかけては割愛されている)。

原作小説を先行公開してそれをベースにドラマ脚本化することとなり、
高橋克彦が小説『炎立つ』を執筆し、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%85%8B%E5%BD%A6

中島丈博がドラマ脚本を担当した。また、プロデューサーは『琉球の風』のプロデュースをした音成正人が、前作に引き続き担当していた。しかし、高橋の原作小説の執筆が予定よりも遅れ、中島の脚本内容が小説に先行して展開されていたことから、第二部中盤以降はNHK側の主導でストーリーが構成され、それ以前のストーリーに比較して物語の展開や登場人物(及びその性格描写)などに原作小説との大きな相違が随所に見られた。第一部・第二部では「原作・高橋克彦」と表記されていたクレジットが、第三部では「高橋克彦・作「炎立つ」より」となっている。また、第一部・第二部では高橋のクレジットが最初だったが、第三部は中島のクレジットが冒頭に来ている。

このことを巡り、高橋と製作者側の間で軋轢があったとも伝えられ、月刊誌「ドラマ」(映人社)に当時、脚本を担当した中島が自らその顛末を掲載したこともある他、2010年2月に刊行された中島の著書「シナリオ無頼―祭りは終わらない」(中公新書)の中でも原作者、主演俳優、プロデューサーとの間で悶着があったことに触れている。

このドラマのために建てられたオープンセットは、撮影終了後も「えさし藤原の郷」となり、テーマパーク兼撮影所として多くのドラマや映画の撮影に利用されている。




https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%8E%E7%AB%8B%E3%81%A4_(NHK%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)









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やっぱ、祟り神系のなんかキャッチしてた系


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「光は天地にあまねき行きわたる」とは

「エミシの国の女神」の菊池氏によると、

海照神と同じで天照の原型である姿。三輪山の神であるとされる。

もと三輪山の大神(おおみわ)神社のご祭神は、

「倭大物主櫛甕玉命(ニギタマ)」といい、大物主神である。
元々、ニギハヤヒは天照だったのが神武の天孫により大和に寝返ったことになる。

「和魂(にぎみたま)」とは
大和に帰順、服属した神の比喩で、大物主と事代主のことであり、帰順した酋長。

「荒魂(あらたま)」とは
大和に帰順しなかった人々を差す。
つまり、大和に抵抗した神は荒魂といわれ、アラハバキ神とよばれるようになった。

瀬織津姫も伊勢では荒魂神とされている。

アラハバキ神は、国ゆずりの神で大国主の別名、大己貴(オオナムチ)の荒魂とされる。

大国主と大物主は別。

日本海へ逃れた人々は
大和に対抗した国津神で大物主神やその霊魂を代々受け継いできた人たちでした。

鳥海山の山姥は、瀬織津姫や原始信仰に基づいた伝承です。

荒魂は後に仏法により征伐されてしまう。

でも、良かれと思ってやったことではあったが・・・。

鳥海山に降りた二ギハヤヒは、まだ大和に帰順する前だった国津神を残しているような気がする。
もし、先に鳥海山に二ギハヤヒが上陸したならば、
後にナガスネヒコや物部氏がそこへ戻ったのも、出雲族がいたからだろう。




理解できた。 [転載~]





You know me, you know man, you know me

Every time we try to forget who I am

I'll be right there to remind you again

You know me (pow! pow!), you know me


'Cause you know me, they know me

You ain't know me, yet you know me


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この転載させて、もらうブログさんはかなーーり前に知って読んではいたんだけど

神話関連いろいろ知らない時だったから読んでてもまったく意味がわかってなくて

そうだーーーって思い出して、リンク探してきたので

こちらに転載させていただきました。




ここの所揺れてるとこはみんな、阿部が絡んでる

阿部アピールっていうんですか?

安倍じゃなくてね。。。

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宮地嶽神社は、古来、阿部家が神職を司ったと聞き及びます。

高良玉垂命とは異なった母方である孝元天皇の長子(大彦)の家系である阿部氏が、元はアヘ、アエ、饗(能登半島加賀屋の姉妹店あえの風は有名)の意味を持つ、大王の食事から資金まで一切を取り仕切る兵站、財務部門の長であったのではないかと思い至ります。

四道将軍として九州王朝から東北に派遣され地盤を築いた

高良玉垂命=第9代開化天皇の義理の兄の
<<< 大彦命(阿部氏の祖)は、後の安倍貞任をもって終りますが、>>>>>

一部は安東氏として十三湊で繁栄します。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

また、

貞任の弟である安倍宗任は

大和朝廷に帰順し太宰府に送られたとされますが、

後には許され、松浦党の一派を形成したとも言われます。

正しく、

近畿大和朝廷占領下にあって

マッカーサー宜しく送り込まれた阿部家>>安倍家(貞任弟ー>現安倍晋三もその流れを汲む)とは、

一方に於いては九州王朝の中心的戦闘集団であったと考えられる安曇族に送り込まれた

庇護者という複雑な側面を持った同族の総督だったのです。


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阿部と安倍は違う


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久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
http://ameblo.jp/hiborogi-blog/entry-12111811580.html


宮地嶽神社は、今なお、九州でも二番目に多い参拝客が訪れる神社として知られています。

 一方、神社に何かを求めて訪れる若い人が増えている事も確かです。

2011年10月22日「筑紫舞」


し かし、多くの神社を巡る若者が増えているとしても、正月の三社詣や真剣にお願いするとなると、やはり、自分達の父祖の代から培われた一族の記憶の様なもの が働き、亡くなったおばあちゃんが自分の安産を願って何度も通った神社とか、南方に出征する前におじいちゃんとおばあちゃんと二人で武運長久を願って参詣 に訪れた神社といったものに自然とその足は向かうものです。

 一般の人が神社への足が遠のいたと言われて久しいのですが、逆に、社会の変化が速過ぎ、将来が全く見通せなくなればなるほどその傾向も強まり、やはり、父祖の代から崇拝し願ってきた神社へと頼ろうとするとも言えるでしょう。

 宮地嶽神社について以前から思っていたことを述べたいと思います。

私 は、佐賀県の西方にある小都市に住んでいたのですが、子供のころから「宮地嶽神社」というお守りの存在が不思議でなりませんでした。バスに乗っても、タク シーに乗っても、トラックに乗っても、何故か「地獄」(もちろん違うのですが)と書かれた神社の御札が運転席に置かれているのが不思議でした。

身近にその神社の存在が実感できなかった事から、何か特殊なしくみが背後に存在しているのではないかとさえ考えていたものでした。

 勿論、時代と共に、崇められ信じられる神社や寺は変わり移ろい行くものですが、一時的な流行り廃りといったものとは別に、ある種、氏族(民族)の記憶といったものに関わる基層となった信仰心というものは容易に動かすことが出来ないような気がしています。

  それは、国家の威信と民族の存亡を掛けて闘われた古代の戦いに関わるものであり、勝利者である新たな権力者に屈服し従いはしていても、それは、所詮、面従 腹背でしかなく、民衆はそれを事あるごとに何らかの形で子孫に伝え、「あの神さんは自分達の神さんじゃなか…」「あの神さんは羽振りの良かけどうちらの神 さんはこっちじゃけんこそっとお賽銭ば増やしとかんば申し訳なか…」といった伝承が永い時の流れの中では効いてくるように思えるのです。

 なぜならば、神社への参詣とは、完全に「ヤラセ」なしで行われる全員参加型「住民投票」であるからです。

 古代に於いて、民族の存亡に関わるほどの大敗北にも関わらず、その戦の先頭に立ち、雄々しく闘い散っていった先祖の霊を鎮めるべくその役目を負わされた神社がこの宮地嶽神社だったのではないかと考えるのです。

 言うまでもなく、その戦いとは一連の半島を巡る何派にも亘る戦争であり、その延長上に行われた最後の死闘が「白江戦」=「白村江の闘い」だったのです。

 一方、蒙古襲来と言われる、文永の役、弘安の役は明らかな祖国防衛戦争でした。

 その時代の迎撃のための参謀本部は愛宕神社から太宰府辺りであったと推定されているのでしょう。

一方、秀吉による文禄・慶長の役は、既に半島への足掛かりも手掛かりもない全くの外地への侵略戦争でした。ただ、その戦いは先行する蒙古襲来への報復戦争という側面も否定できません。

何故ならば、モンゴル兵は将官クラスとして一握りの指揮者が居ただけであり、江南軍は始めから戦意が乏しく、実態としては、大半朝鮮半島の軍隊が主敵だったからです。

 ここで、「白江戦」を考えると、そもそも列島の人々とは、紀元前後に中国大陸や半島から国を追われ、国を失い、土地を奪われ、命からがら追われ続けてこの列島へと辿り着いた人々だったからです。

 いわば、当時の半島は、決して、居留地や租借地(倭館)といったものではなく、現に同族が住む先祖の墓が残された古地であり、祖国回復戦争の色彩を帯びたものだったのです。

この自らの同族の救出に向かう一連の半島作戦の先頭に立ったものこそ神功皇后であり、その臣下とされる二人の子だったのです。

そもそも、子は応神天皇だけと教えられているのですが、実は、仲哀天皇死後に一緒になられた方がおられるのです。

実はそれこそが、高良大社の祭神である高良玉垂命その人なのです。

事実、高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」は「古事記」「日本書紀」と全く相容れない内容を持っており、「高良玉垂の命は神功皇后と夫婦なり」と書いているのです。

そして、我々神社考古学研究班の全てはその高良玉垂命とは第9代開化天皇であるという事まで知っているのですが、「記」「紀」を金科玉条の如く扱われる方は、依然、多いもので、「それは全くのデタラメだ!」と言われたい方は声高に叫ばれておられれば良いだけの話です。

地元に居ながら古代の真実に迫ることができる機会を自ら捨てておられるだけの事だと考えます。

正しくその隠された真実に封印をしておくために千数百年掛けて行われて来たのが高良大社の神宮皇后隠しであり(古くは開化天皇隠し)、宮地嶽神社の高良玉垂命隠しだったのです。

だからこそ、宮地嶽神社の最深部に置かれた古墳から多くの大王級の国宝が出土したのであり、謎の九州王朝宮廷舞と言われる「筑紫舞」が戦前まで秘かに傀儡子によって舞い続けられたのであり、その「筑紫舞」という名称も多くの先人たちの努力により「続日本紀」に書き留められてきたのです。


筑紫舞が舞われてきた宮地嶽古墳玄室


最後に、宮地嶽神社は、古来、阿部家が神職を司ったと聞き及びます。

高良玉垂命とは異なった母方である孝元天皇の長子(大彦)の家系である阿部氏が、元はアヘ、アエ、饗(能登半島加賀屋の姉妹店あえの風は有名)の意味を持つ、大王の食事から資金まで一切を取り仕切る兵站、財務部門の長であったのではないかと思い至ります。

四道将軍として九州王朝から東北に派遣され地盤を築いた高良玉垂命=第9代開化天皇の義理の兄の大彦命(阿部氏の祖)は、後の安倍貞任をもって終りますが、一部は安東氏として十三湊で繁栄します。

また、貞任の弟である安倍宗任は大和朝廷に帰順し太宰府に送られたとされますが、後には許され、松浦党の一派を形成したとも言われます。

正しく、近畿大和朝廷占領下にあってマッカーサー宜しく送り込まれた阿部家(現安倍晋三もその流れを汲む)とは、一方に於いては九州王朝の中心的戦闘集団であったと考えられる安曇族に送り込まれた庇護者という複雑な側面を持った同族の総督だったのです。


大彦命(おおひこのみこと/おおびこのみこと、生没年不詳 )は、記紀 等に伝わる古代日本 の皇族 。

『日本書紀 』では「大彦命」、『古事記 』では「大毘古命」と表記される。また稲荷山古墳出土鉄剣 に見える「意富比垝」に比定する説がある。

第8代孝元天皇 の第1皇子 で、第11代垂仁天皇 の外祖父 である。また、阿倍臣(阿倍氏) を始めとする諸氏族の祖。四道将軍 の1人で、北陸 に派遣されたという。

ウィキペディア(通説の系譜によるとしても九州王朝の四道将軍大彦命の痕跡は消せない)による


このように、阿部氏が近畿大和朝廷によって送り込まれた宗像~津屋崎~志賀~呼子(湊、田島)から遠く有明海沿岸の一帯まで、遡ること数百年の間、働き手であった多くの若者を戦闘により外地で失った敗戦国家として立ち直る途上にあったのです。

恐 らく、新生国家(新参国家)の大和朝廷と言えども、この地の経営には細心の注意と資源、人材の投入を怠らなかったはずであり(肥後にかけても道君主名は有 名)、そのような土地柄であったからこそ、ただのカモフラージュとしても帰順した安倍氏が送り込まれたのであろうと思われるのです。

それを温情と考えるか巧妙な策略だったと考えるかは、方々の立場により異なるでしょうが、近畿大和政権の前身であったと考えられる対外戦争サボタージュ派や唐、新羅内通派(これについては古田武彦氏の同調者であった中小路駿逸教 授の分析がある)から出世した新生権力に対して、敗戦後の民衆がどのような気持ちを持っていたかは言わずもがなであり、志賀から博多、そして津屋崎の一帯 の民衆は等しく犠牲となり死んでいった夫や息子を思い、また、この宮地嶽神社に対して尊崇の念抱き参拝を惜しまなかったのだろうと思うものです。

それこそが、現在、なお辺鄙としか言い様のない地(宮地嶽線の復活を…)に鎮座する宮地嶽神社に参拝客が絶えない理由であり、その思いは遠く古代に根ざしていたのです。

民は負けたとしても共に戦ったものを崇め、決して勝ったとしても裏切者を崇めようとはしないものです
(仮にそれが誤った戦いであり嵌められた戦いであったとしてもです)。

恐 らく、宮地嶽神社に象徴される失われた祭神と、太宰府天満宮の前身と考えられる菅原道真侯の祖神(これまた隠された祭神=博多の櫛田神社の大幡主=埴安 彦=地録様…)の一族は、共に戦ったが故に、なお、崇められ続けているのです。民は自ら崇めるものを意識することなく伝え知っているのです。

そして、十三湊を拠点に最後まで抵抗した津軽の安東氏に、「高良玉垂宮神秘書」17pに「アントンイソラト申ハ…」と書かれた=安曇磯羅が投影できるとするのは許されざる思考の暴走になるでしょうか?




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なんか、特に特別な話じゃないけど [転載~]

全然ものめずらしい話じゃないわよ

なにいってんの?いまさら?

米国NASA在住だって?????

その割にはレベルの低い話だわ

こんな話、私なんかの回りでも2000年から確実に語られてる話で

その当時でも、もっともっと知ってる人はいたよ





かぐや姫のおっさんも相変わらずだわね













なんか全部物の本で読めるお話だわね、、、、、

つまんない話

しかも

イルミティだって





下の動画の途中でマウンテンビューとか言ってるところがあるのよね

におうな、、、なんか。

適当なところで話をまとめたいのかしら?









アサッ

カタカナの苦手っぷりもうけるわ



そして見終った感想としても


信じて欲しいストーリーをうまいことまとめさせられてる感じ


そう



まとめられてるだけ






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https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E4%BD%9C%E6%88%A6&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl





まあ、、、


盲が盲の手を引かないで



誰が引いてくれようか。。。。。。









2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!