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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!





あなたへ続く”道”(25)なんってこったい 表 その2 [あなたへ続く”道”]





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長和

ながわ

ナガワ

 ナガワ



依田氏
のちに芦田氏に変名

芦田氏(武家)
相木氏(武家)
平尾氏
諏訪氏[1]


中学の同級生に芦田君っていたわ

目がすごく明るい茶色でイケメンでスポーツ万能でモテてたよ



室町中期に、依田から芦田(蘆田)に姓を変更している。
だが、実際にいつ変更したかは諸説ある。

大きく分けると、
大井氏との抗争前に芦田郷(芦田古町)に進出して改姓したとする説と、
大井宗家滅亡後の文明18年(1486年)、
芦田城(長野県立科町茂田井)の滋野系芦田氏を滅ぼし、
当時の依田光徳が改姓したとする説
(この時期は村上氏に属していたとされる[要出典])。

この時期の記録には、

依田姓と芦田姓が共に残されており、

依田氏が従属した当時の大井氏の重臣にも芦田姓がいる。

しかし、上述の滋野系芦田氏と依田氏(芦田氏/蘆田氏)の区別が

非常に困難な状況にあり、時期については確定していない。



市川武治 『もう一人の真田・依田右衛門佐信蕃』


滋野系芦田氏


はい。

実田 実 they know all truth 確定。

だけど今調べたいのはこのことじゃない





長和

ながわ

ナガワ

 ナガワ




長和町(ながわまち)は、長野県の中東部に位置する町

長野県小県郡長和町

特別シンボル 黒耀石

隣接する自治体
上田市、松本市、諏訪市、茅野市
諏訪郡下諏訪町、北佐久郡立科町


和田峠付近は黒曜石の産地として縄文時代より利用されていた。

1192年(鎌倉時代) - この頃、依田氏という地方豪族が一帯を支配していたとされる。

沿革

2005年(平成17年)10月1日 - 長門町・和田村が合併して発足。
町名は両町村の頭文字より命名。

?????




はあああ、、、、、、

さっきちょっと調べてるときに

Raptブログの中の転載記事の中のたった一言の文を見つけてた



”長門という人物かもしれない”

とか、そんな感じの一文

それを転載してる日の記事が、まさに今調べてることともつながるんだけど

あの人ピッキピキのクリスチャンだから

若干、、というかかなり思考が偏りすぎてしまっていて、




困る。


なのでそれはいいとして


長門は引っかかる



長門牧場


雨境峠祭祀遺跡群
長野県北佐久郡立科町芦田
http://www.town.tateshina.nagano.jp/0000000296.html


雨境峠は、蓼科山北麓に位置する標高1,580メートルの峠である。

古代、大和政権は東国支配のため官道の東山道を開いた。

この道は、大和より美濃を通り、神坂(みさか)峠を越え信濃に入り、

諏訪から雨境峠を経て、毛野(けの)・武蔵(むさし)・陸奥に通じ、

大和政権の東国統治の兵や、東(あずま)の壮丁(そうてい)たちが

西国の守りにと往来し、東西を結ぶ交通路として歴史的にも重要な道であった。

この峠には、5~6世紀頃の祭祀遺跡、

鳴石(なるいし)・鍵引石(かぎひきいし)・勾玉原(まがたまはら)などがあり

付近から多数の滑石模造品類
(勾玉・管玉(くだたま)・臼玉(うすだま)・有孔円板・剣形)が発見された。

この模造品は、この峠を通行する旅人が、

峠の神に旅の安全を祈り幣(ぬさ)を捧げたものであろうと想像される。







あばばばばばばばばばばばばばばばばばーーーー




こ、、、これはーーー


鳴石っていうか

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亀ちゃんじゃなーーーい!!!


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suwa11.jpg


飛鳥の亀石を見た時にすごくテンション上がった中学生の頃の私

一人だけ妙なテンションで、意味が分からなかった

今もこの画像を見た時に

その瞬間

中学生の時に亀石を見た時と同じテンションになった



きっと



これを作った

血が、

細胞が


喜んでいるんだろう


わーーーーい!!!
 (∩´∀`)∩ワーイ

コレコレ!!!
 (∩´∀`)∩ワーイ

コレ!
 (∩´∀`)∩ワーイ

オレ作った!
 (∩´∀`)∩ワーイ

ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪
ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪

って。。。






kasatoridousozin.jpg

双体道祖神



臼田宇宙空間観測所


長門牧場


鷹山遺跡群


星くずの里たかやま黒耀石体験ミュージアム




母はこのあたりのことを

大門鷹山という。

長和とは言ったことがないかも

長野県小県郡長和町大門



でも


2005年(平成17年)10月1日 - 長門町・和田村が合併して発足。
町名は両町村の頭文字より命名。

?????


2005年っていうのは

え?って感じた。



長門

和田





鷹山黒耀石原産地遺跡群について
長野県小県郡長和町に所在する鷹山遺跡群(写真)は、地元研究者であった児玉司農武氏により1955年に発見され(児玉1961)、数度にわたる考古学的なメスが1960 年代を中心に遺跡に入れられることにより、黒耀石原産地における旧石器時代人類の活動痕跡の広がりが次第に知られるところとなった。

「鷹山発見」以降、50 年の歳月のなかで、1980 年代には、体系的な分布調査により星糞峠と鷹山川湿地部および鷹山川中流域が黒耀石産出地であり、この産出地をとりまく旧石器時代遺跡の分布が明らかになると同時に、関東平野部における遺跡とは規模の上で大きく異なる黒耀石消費遺跡の内容が発掘調査をとおして明らかになるにつれて、「原産地と消費地」という文脈のもとに、鷹山遺跡群の調査と研究は黒耀石の流通拠点の実態解明をめざし、旧石器時代の原産地遺跡研究の分野に視点と方法を提供することになる。

一方、1990 年代には、星糞峠一帯で縄文時代の黒耀石採掘址群が確認され、黒耀石の鉱脈、採掘址の形状と分布、採掘時期、採掘方法、採掘原石の加工方法、搬出品の復元などの目的的な研究が、現在も継続して積み重ねられている(鷹山遺跡群調査団編1999、2000、2001)。加えて、2001年からは、採掘活動の起源を追求する発掘調査によって、縄文時代に先行する旧石器時代の遺跡が、縄文時代人の採掘活動の痕跡に上書きされていたり、あるいは手つかずのまま地中に埋没していたりしていることが判明した。鷹山の黒耀石産出地における旧石器時代人の活動範囲をさらに拡大して理解する必要が生じ、また採掘活動の起源との関わりについても究明が現在進められている(安蒜他2003、島田他2006)。

鷹山川は標高約1,430 m 付近に源を発し、約2km 強下って合流する大門川の支流である(第1図)。鷹山川の流域では、中流域付近で湿地部が形成されていて、ここから左岸に望む星糞峠から崩落により供給されたと考えられる黒耀石原石が湿地堆積物等に包含されている。鷹山川の源流部から湿地部と星糞峠、および大門川との合流点にいたる流路上には、これまでの調査により、旧石器時代人の活動場所が分布していることが判明している(第1図)。





で、私は、急にお母さんも東京の人なのとか聞かれると

なぜか毎回こう答えてた

”いいえ、”ヒダノタカヤマ” です。”

なぜか

ヒダノタカヤマだとずっと思っていて、

こういうことを調べ初めて

え?

ヒダノタカヤマじゃなかったの?


飛騨の高山

大門の鷹山



今マップでつないでみてみたら

この二つのタカヤマの間に


”ながわ”

という地名

さらに拡大してみると、それは


長和ではなく

奈川


だった


長和


ながわ


奈川


ながわ

 ながわ

奴奈川




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はい。また変な暗号を見つけました。



ほんとはここら辺も裏に書きたい気分、、、、、


ちょっといったんUPします、、、、


動揺が、、、


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奈川村

長野県南安曇郡奈川村

岐阜県高山市、木曽への道と安曇への道を結ぶ掛け橋の位置にあり、重要な役目を果たしていた。

子安諏訪神社 松本市奈川

http://www.nagano-jinjacho.jp/page/jinjasyoukai.html


ご祭神がわからないけど

ヌナカワヒメに決まっているのよ


それでいちお色々検索してみて確定でしょう。


っていうか、、検索するまでもないんだけどね、、、

諏訪はヌナカワヒメの地。。。。


koyasu.jpg

ちなみにこれは
子安社(諏訪大社秋宮)

koyasusya.jpg

in-you.jpg


http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/simosya/koyasu.htm


で、もって、、なんだかなーー変な、妙なシンクロ、、、


「子安社」と言えば、

底が抜けたというか底のない

”ヒシャク” が付きものです。


今からUPする写真

昔このブログのどこか似もUPしているんだけど、

今日たまたままた目について、携帯電話に保存しておいた


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やめれ、、、、

今日はほんと具合悪いですって

なんでか毎年大みそかは、一年の総DETOXって感じで

いろんなもんが出てます。

しんどいのです、、、、




あのさ、、


諏訪大社というと

イスラエル、ユダヤ!!!とかのが印象強くされてしまっているから

本来のご祭神が薄ーーーーくされちゃってるよね

ここも大きなブロックだと思いますよ




諏訪の神は

タケミナカタとヌナカワヒメ

そして

オオクニヌシとコトシロヌシ


出雲系の建御名方ってウィキにも書いてあるけど

出雲と諏訪のダブルですからねもともと。

神話頭をいったん全部ゼロまでクリアにしないと

抜け出せないんですよ


で、、じゃあ神話頭に見る

諏訪の土着神モレヤ神

とか

ミシャクジ神
とか

国津神だというなら、ヌナカワの一族になっていくはず




一族に伝わる伝承では古代州羽地方を治めていた国津神・洩矢神の後裔。

洩矢神には洩宅神と多満留姫命の二柱の御子神がおり、
洩宅神は千鹿頭神を生んでその後裔が守矢氏に、

多満留姫命は建御名方神の御子神出早雄命との間に
出早比売命や会津比売命、草奈井比売命、若木比売命、鴨毛神、八縣宿禰を生み、
金刺氏や諏訪氏を輩出した。

ただし、守矢家系譜に守矢四代目を建御名方神の孫児玉彦命としているため、
血縁は既に途絶えているとの見方もある。



洩 矢 神社

長野 県 岡谷 市

はい、オカヤ


(2) 現在の社名「藤島神社」について
 荒神塚古墳には古くから諏訪明神を祭神とする藤島神社が祀られ、
建御名方命(諏訪明神)の入諏伝説が語り継がれてきた。(中略) 

ただ、両者が天竜川を挟んで争ったかどうかは不明な点がある。(後略)

 
区誌ですから、相方の洩矢神社『由緒略記』に比べ、冷静かつ客観的に書いています。

その好評価は別として、天皇陵のように古墳に神社があれば、
被葬者を祀っていると考えることができます。

しかし、この古墳を建御名方命(藤島明神)の墓とすることはできませんから、

やはり、対岸にある洩矢神社との絡めで成立した新しい話(神社)であることは間違いありません。

http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/fujisima.htm

https://www.google.com/maps/place/%E5%B7%9D%E5%B2%B8%E5%A4%A9%E7%AB%9C%E6%B2%B3%E7%95%94%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%98%8E%E7%A5%9E%E5%85%A5%E8%AB%8F%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%9C%B0/@36.0531026,138.0344102,21z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x6da6a669d0b38dbc!2z5rSp55-i56We56S-!8m2!3d36.0509043!4d138.0361959!3m4!1s0x601cfe2eebaead8d:0x14b9e9b79eeec95!8m2!3d36.0531552!4d138.0343039


さも、諏訪が出雲に乗っ取られたというような流れを作りたい何者かがいたのよ

出雲も追われて諏訪まで落ち延びてきたタケミナカタという存在を作るためにね


タケミナカタは、ただ単に母の故郷にやってきただけ、、、というよりも

そもそも出雲にはいっていなかったかもしれないしね


国譲りの神話のところで出てくるわけだけど

記紀を書いた人は隠したいんだか隠したくないんだかわからないよね

隠したければ、一切余計なことを書かなきゃいいだけなのに

馬鹿なのかな?

それともやはり昔に人は祟りを恐れて、完全に消すことを恐れたのかな


子孫が途絶えたわけではないから消すに消せないというのもあるのか


んーーーーーでも

記紀も神社のご祭神も

なーーーんも関係なく

書いてある通りだと思ってる人が、いまだに山ほどいるか。。。






あれ~~~~

またなんか気持ち悪い子が出てきてるな




蛇のようね


ま、いいや



ミシャグジ





移動先: 案内、 検索



ミシャグジは日本の神。

柳田國男はこれを塞の神(サイノカミ)とし、

もとは大和民族に対する先住民の信仰であるとする[1]。

伝承は多岐に及び、石神(シャクジ、サクジ)という他に

ミシャグチ、オシャモジ、シャクチ、サクチ、サグチ、サクジン、
オサクジン、オシャグチ、オミシャグチ、サゴジンなど、
多様な音転呼称がある[2]。

ミシャクジ[3]、ミシャグヂ、ミシャグジン[4]、シャゴジ、オシャゴジ(御石神)

、オシャグジ[5]、サグジ[6]とも。また御社宮司、御左口など多くの漢字があてられる[7][注 1]。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%82%B8


柳田國男はミシャグジ=塞の神(サイノカミ)=境界の神であり、

すなわち、大和民族と先住民がそれぞれの居住地に立てた一種の標識であると考察している[1]。


石神(シャクジ)と石神(いしがみ)を同一視する辞書は複数ある[8]が、

『日本民俗大辞典〈上〉あ〜そ』は「石神(いしがみ)とは異なる」としている[2]。

諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか

白蛇の姿をしているともいわれており、

建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある[10]。




諏訪地方に於いては太古の昔からのミシャグジ信仰に

後から来た建御名方神が習合、同一視されるに到ったともいわれるが、

元々諏訪地方の土着神だったミシャグジ神が

記紀神話に取り入れられて建御名方神になったという説もある





考古学的成果としては、洩矢神の後裔である守矢家が守ってきた

「七本の峰のたたえ」は

ミシャグジが降りる木とされ、この内の一本(守矢家屋敷の近くの尾根先端にある一本)が
発掘調査されており、尾根は「狐塚」と呼ばれ、当初は古墳という説があったが、
発見されたのは縄文時代の墓としての土坑であり、認定された[12]。

この神を祀っていた神社では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。

また1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、

任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供として殺されるという

「一年神主」の伝承も残る


神長官守矢史料館の裏に御頭御社宮司総社がある。

これは古くから諏訪の地で洩矢神がミシャグジを祀ってきたからである。

また、諏訪大社上社周辺には多くの御社宮司社があるが、

祭神のほとんどが建御名方などになっている。


ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており、

当初は主に石や樹木を依代とする神であったとされる。


地域によっては時代を経るにつれて狩猟の神、

そして蛇の姿をしている神という性質を持つようになったと言われている。

その信仰形態や神性は多様で、地域によって差異があり、

その土地の神や他の神の神性が習合されている場合がある。

信仰の分布域と重なる縄文時代の遺跡から
ミシャグジ神の御神体となっている物や依代とされている物と同じ物が出土している事や、

マタギをはじめとする山人達から信仰されていたことから
この信仰が縄文時代から存在していたと考えられている




なんのかんのごちゃごちゃこねくり回してごまかしてみても

言っても古代の信仰は

石 岩 山

木 樹木 山



塞の神
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E3%81%AE%E7%A5%9E




塞の神は”道”の神

猿田彦でもあり

第六天魔王でもある



なんのかんのいってのちんこ神

https://www.google.com/search?q=%E5%A1%9E%E3%81%AE%E7%A5%9E&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj8k4XcsrTYAhUIwbwKHfMmDKMQ_AUICygC&biw=1280&bih=860



ちんこかめおとか


めおとなら

オモダルアヤカシコネ



結局のところ

第六天魔王



【淡路島】
dostoev.exblog.jp/17513992/


伊弉諾と伊弉弥が結婚し、初めて産んだのは淡路島であった。
その淡路島は昔から琵琶湖の形がそっくりであると昔から云われている。

しかも似たような位置に"多賀"という地があり、
琵琶湖には多賀大社が鎮座し、淡路島には伊弉諾神宮が鎮座している。
これを偶然と捉えて良いものだろうか。

淡路島の「淡路」とは「阿波の国への路」ではないかという説がある。

確かに目の前は、阿波の国である。

その阿波の国の一宮は大麻比古神社で祭神はサルタヒコを祀っている。

御存知、サルタヒコは岐の神、塞ノ神としても信仰されている。

この大麻比古神社の「大麻」だが、

調べると漢代には「麻」では無く「魔」の文字が使用されている事から

「大麻」は本来「大魔」ではなかったのか?

阿波の語源の一つに「暴れる(あばれる)」意を含むというものがある。

仙台に青麻神社があり、

そこには"第六天魔王"が祀られている。

全国の第六天を祀っていた神社が後に荒神を祀るようになっている事から、

恐らく阿波は「暴れる」の意味を含む大魔が祀られていた可能性は否定できないのかもしれない。

大麻比古神社に祀られる大麻比古を祀ると共に、

猿田彦が祀られたという事から、

猿田彦は大麻(大魔)比古を抑える意を込めて祀られたのでは無かったのか?


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あら。。。。


ところで沖縄では死者の黄色い世界を「青(おう)」と言うのだそうだ。

青海、淡海、近江…

そして黄泉も「おうみ」と読む可能性は、確かにある。

「古事記」において

「その伊邪那美の神の命を号けて、黄泉津大神といふ。」とある。

これを「よもつおおかみ」とは読むのだが、

もしも黄泉が「おうみ」と読むのなら

伊邪那美は「黄泉津大神(おうみつおおかみ)」となる。



青海


その1のページにあるヌナカワヒメの写真の一枚は 

青海ラベンダービーチにあるヌナカワヒメの写真だ







鹿児島県大島郡

























父親は米国人だが事情により全く名前も知らない。母親はうちなーんちゅ(おきなわ人)

http://fijabyron.com/profile/index2.html



韓国語みたいだよね、、、、、

台湾の人もこんな感じ?



琉球語(りゅうきゅうご、琉:島言葉・しまくとぅば[1])もしくは琉球方言(りゅうきゅうほうげん)とは、日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる言語である。日本本土の日本語と系統を同じくするものの、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いがあるため、日本語とは別の言語と見なす立場と、日本語内部の一方言と見なす立場とがある(#言語か方言か参照)。また琉球語内部でも地域差が著しいため、諸言語の集合として琉球諸語(りゅうきゅうしょご)あるいは琉球語派(りゅうきゅうごは)と見なす立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、言語説と方言説の両論を考慮して、琉球語(琉球方言)と併記する。

独立言語として見た場合、日本語と系統が同じ唯一の言語と見なされ、日本語と琉球語を合わせて日本語族あるいは日琉語族と呼ばれる。一方、日本語の一方言とする立場からは、「琉球方言」または「南島方言」(なんとうほうげん)と呼ばれ、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大きく分類できる、とする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E8%AA%9E



琉球語(琉球方言)の代表として沖縄方言の首里方言から例示するならば、
雨(あめ)→アミ(ʔami)
舟(ふね)→フニ
雲(くも)→クム
灰(はい)→フェー
前(まえ)→メー
青い(あおい・終止形)→オーサン(ʔoːsan)
買う(かう・終止形)→コーユン

などの対応関係をなす[10]。

北琉球方言ではo→u、e→i(あるいはï)の狭母音化に伴い、元々のイ段・ウ段の子音は、[kʔumu](雲)、[kʔimu](肝)のように無気喉頭化音に変化した[11]。ただし与論島や沖縄中南部ではその後、喉頭化音による区別を失った。

子音では、多くの地域で、日本語のハ行が琉球語(琉球方言)ではpまたはɸ(F)になっている。日本本土では、ハ行は奈良時代以前にp、平安時代から室町時代まではɸで、琉球語(琉球方言)で古い発音を残している。pを残しているのは奄美大島佐仁・喜界島北部・与論島・沖縄本島北部の名護周辺部・伊江島・津堅島・久高島・宮古方言(一部除く)・八重山方言で、沖縄中南部や与那国島はほとんどhになっている[12]。

南琉球方言では、bata(腸)のように、日本語・北琉球方言のw(ワ行)にbが対応している。また、dama(山)のように、日本語のヤ行子音がdになっている例が、与那国方言にある。与那国方言ではsagi(酒)のように、語中子音の濁音化が見られる。喜界島と与那国島には鼻濁音ŋがある。

主に沖永良部与論沖縄北部諸方言で、haːmi(亀)のように、日本語のカ・ケ・コの子音kがhに変化している。一方でキは、チヌー(昨日)のように、喜界島南部・沖永良部島和泊・伊江島・伊是名島・沖縄本島中南部・伊良部島などではʧi(チ)になっている。宮古方言・八重山方言では日本語のクがfuまたはɸuとなりフと同音になる。

また、母音aに挟まれたw音は脱落する(例:「泡盛」→「アームイ」)。

オキナワを、これらの法則に沿って音韻変化させるとウチナーとなる。

全体の特徴[編集]

全体として、琉球語(琉球方言)には本土方言(本土日本語)と比較して以下のような音声特徴がみられる[13][14][15][16][17]。
1.[di],[du],[ti],[tu] がある。例)[pitu]人,[ti:da]太陽
2.エ→イ、オ→ウと狭母音化する。すなわち本土方言のeがiに、oがuに統合する。例)[ʔami]雨  [kumu]雲 [kumi]米
3.[ei]音(母音連続)を「エー」でなく「エイ」という。
4.語頭に[p]音が存在する。例)[pana] 花 [puʃi]橋
5.声門破裂音[ʔ]を頻用し、音素/ʔ/が確立している。

これらの特徴のいくつかは、九州方言、高知方言、紀伊半島南部、静岡県井川方言、山梨県奈良田方言、北部伊豆諸島方言、八丈方言など、本土方言西南地域でもきかれる。












アイヌ






[Tsugaru language] 津軽方言/津軽弁/津軽語で喋ってみた [Tohoku dialect of Japanese]





[Old Japanese language] 古代日本語/上代日本語で喋ってみた [奈良擬古文]





[万葉語] 上代日本語 発話例 Rakugo in Old Japanese language [京阪式アクセント]





百人一首 当時の発音で朗読 Old Japanese and Early Middle Japanese in Ogura Hyakunin Isshu





東歌 古代の発音で朗読 Eastern Old Japanese language in Azumauta




沖縄のサダル様信仰
サダルは「先導する」






消えた一族(206) 実は全然消えてなかった一族
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2017-02-08-1

消えた一族(207) 実は全然消えてなかった一族 Part2
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2017-02-09-1


今日はここまで


あけましておめでとうございます

ただいま1月1日1:08

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あなたへ続く”道”(24)なんてこったい 表 [あなたへ続く”道”]

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あなたへ続く”道”(24)なんてこったい 表 、、、と題しまして

あなたへ続く”道”(23)なんてこったい 裏、、、が下書き保存中


まじでなんてこったいというか、

まあ、昨日のもろもろからやっとひちつ大きなブロックが外れて

見つけましたよ、、、


見つけましたよじゃないんですよ

そもそも

もともと

はじめから


そう書いてあるじゃないの、、、、

でも、それが自分のルーツに関係なければ書きやすいんだろうけど

もろに父方、母方がそうだったので

書くに書けない


もともと、父方の名前からルーツを探り始めたんだけど

ちょっとすると、すぐに母の方の田舎が絡んできてしまって

でもそちらもそちらでこゆいので、いつもそっちには触れずに

なんとか父方方面からまず調べようとしてたんだけど

どーーーしてもダメで

ある時期から、なんとなく絡めて調べ始めたころに


ん、、、、、、っていうか


311でその存在を知って

311からしばらくしてから


その土地の石を手に入れて

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DNAストーンネックレスを作ったりして

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311後に紀の国へ越してきて

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お店のお土産として宝貝のネックレスを作ったりして 

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で、今ほんの10分くらい前に

また脳内M9クラスの揺れに見舞われて











そうね、、、たしかに



ヒスイの後に黒曜石

いや、、黒曜石だって縄文からそこにはあったけども

新潟のヒスイの痕跡がパタッと消えてしまった時期があるという






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うちの母の父親もなかなか、DNAの誘いのままに動いている人だな、、、


そういう私の父も母も

ミダニの地で出会うわけだけど



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父なんかまんま大国主みたいに何人も女を作った人で


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先妻さんは父にそっくりな親友との間に子供を作って

その子も父が育てたり

私と弟を入れて7人の子供。

くはは、、ここなんか

アメノワカヒコとアヂスキタカヒコネみたいじゃんね

ほんとに父と親友はうりふたつだったみたいで
生まれた子供を見てもしばらくは全く、、、言われるまで気付かなくて
でも、まあ、、日数的におかしい話だなと、、、
その親友のその後の話は知らないけれど

そんな父にミダニで出会ったのが19歳も年の離れた信濃の母

いわゆる不倫だったものだから、
母も母子家庭になるかもしれなかったけど
先妻と宗教の問題で別れたので、一緒になることができた
父は宗教嫌い
、、、それがある特定のものなのか全般なのかは今はもうわからなくなってしまった
こういうこと調べ始める前は宗教全般が嫌いと思ってたけど

父が何気に残しているキーワードとかは

ルーツ探りには抜群の物だけど

そのために印象付けて残したのか

すべてがただの偶然で父にはそんな気はないのかも

すべてが今はもうわからない

ただ、やっぱり、

大正生まれの父、戦後

いろいろな時代背景とか、父の行動とか見れば、

なにも知らずに動いていたとは思えない


みんなみんな


DNAという


”寄生虫”に


動かされているのだろうか、、、、、



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ってことで、

引き続き








母の父が開拓した土地について、ちょっと調べてみようと思う。。。。

ちなみに母方のジーちゃんは

和歌山と長野を開拓している




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このルーツの最終はもちろん




実田 実 they know all truth

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ここに行きつくことはわかってる。。。。


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Deathless [転載~]





今調べてることは相当ブロックがかかってるんだろうね

みんな知らないし

みんな調べきれない

もっと有名でもいいはずなのに

ひっそりとしていて


調べれば調べるほどいろいろ出てくるけど

睡魔と頭痛と戦いながら

もう限界

脳みそパーーーーンしそう



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follow the rabbit ってか














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夢の中で組み立ててくるわ


もう頭が割れそう








わたしが書くブログにシンクロするような曲やPVが出てくる不思議。


不思議

不思議を装ってる

シンクロを装ってる

というか


そのエネルギーが渦巻いているんだろう


それが

”あなた”のエネルギーなんだろう


夢で逢いましょう










Uhhh, yeah
Mmm, mm, mm

[Verse 1]
I wanna run away with you
Just take me to places I've never known
When no one else seems to be getting through
Only you can tell wants going on

[Pre-Chorus]
When I hear you name
Put a smile up on my face
It don't matter the time or the place
You make it all better now
I can love you forever now
When I hear the sound
When I'm feeling down
Ain't nobody else gotta be around
For you to make it better now
Let me get myself together now

[Chorus]
Let me sing my song
Don't wanna be alone
I know that when I listen
I find what I've been missing
Right here in my heart
Let me sing my song
I know this is my home
All that I've been wishing
I found what I've been missing
Right here from the start
So let me sing my song

[Verse 2]
Everything that you've told me
I thank you every day for
All the things you wanted me to be
Is every thing I've prayed for
When the weight of the world is on my shoulders
You would take the away the pain
Through the storm the sun still shines
With you by my side I'm not afraid

[Pre-Chorus]
When I hear you name
Put a smile up on my face
It don't matter the time or the place
You make it all better now
I can love you forever now
When I hear the sound
When I'm feeling down
Ain't nobody else gotta be around
For you to make it better now
Let me get myself together now

[Chorus]
Let me sing my song
Don't wanna be alone
I know that when I listen
I find what I've been missing
Right here in my heart
Let me sing my song
I know this is my home
All that I've been wishing
Found what I've been missing
You were right here from the start
So let me sing my song

[Verse 3]
All my doubts and fears
All my cries and tears
They all just disapear
When ever you, were near
You are still right here
You are still, oh right here
Right here
Right here
Right here
Still right here
Right here
Right here, right here, right here
Right here, right here
Right here, here
Right here, here, here, here
Right here
Right here









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聖徳太子 (テレビドラマ) [転載~]









(。´・ω・)ん
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大友宗麟〜心の王国を求めて [転載~]




大友宗麟〜心の王国を求めて




https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E7%BE%A9%E9%8E%AE




豊後国(ぶんごのくに)


7世紀末に、豊国(とよのくに、とよくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのしり」と読んだ。

『豊後国風土記』は、全国で5つだけのほぼ完全な形で残る風土記の1つである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%BE%8C%E5%9B%BD


江戸時代
忍藩阿部家
阿部忠秋、初代藩主
阿部正武、3代藩主
阿部正喬、4代藩主
阿部正允、5代藩主
阿部正識、7代藩主
阿部正由、8代藩主


息抜き



(。´・ω・)ん

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あなたへ続く”道”(22)どうしようか、、、私が思うあなたの物語 [あなたへ続く”道”]






Come to your river
I will come to your river
I will come to your river
Come to your river
(Wash my soul)
I will come to your river
(Wash my soul)
I will come to your river
Wash my soul again


Carry away my dead leaves
Let me baptize my soul with the help of your waters
Sink my pains and complains
Let the river take them, river drown them
My ego and my blame
Let me baptize my soul with the help of your waters
Those all means are so ashamed
Let the river take them, river drown them


Come to your river
I will come to your river
I will come to your river
Come to your river
(Wash my soul)
I will come to your river
(Wash my soul)
I will come to your river
Wash my soul again


Carry away my old leaves
Let me baptize my soul with the help of your waters
Sink my pains and complains
Let the river take them, river drown them
My ego and my blame
Let me baptize my soul with the help of your waters
Those all means so ashamed
Let the river take them, river drown them


Come to your river
I will come to your river
I will come to your river
Come to your river
(Wash my soul)
I will come to your river
(Wash my soul)
I will come to your river
Wash my soul again


オシュンって言ってるな


女神オシュン


オシュン=オショグボの聖なる木立

ナイジェリア・オシュン州 (Ọṣun) の州都オショグボ (Oṣogbo) にある、

ヨルバ人にとって宗教的な意味を持つ原生林。

1965年にナイジェリアの史跡になった。

後に範囲が拡大され、現在では75haが保護区域に指定され、

2005年にはユネスコの世界遺産に登録された。

オシュン州はオシュン川沿いの地域だが、

この川の名前は元々豊穣の女神オシュンに由来している。

ヨルバ人の神話では、

オシュン川はこの女神が姿を変えたものだとされる。

この川沿いの原生林には女神オシュンが棲むとされ、

そこに社を建てて祀ることで、人々は恵みを受け取れると信じられていた。

こうした女神オシュンへの信仰は一度衰退に向かい、他の地域では見られなくなっていった。

しかし、オショグボの林では、

オーストリア人の女性芸術家ズザンネ・ヴェンガー (Suzanne Wenger) や

彼女に協力した地元の芸術家たちによって、20世紀半ば以降再興された。

現存する40基の社のうち15基は多かれ少なかれヴェンガーの手が加えられたものである。

この林では、毎年夏に祭りが開催されている。

世界遺産への登録に当たっては、

オシュン川流域で豊かな動物層・植物相を育んでいるこの木立ちと、

一体化している数々の社などが、

ヨルバ人の持っていた伝統的な世界観を良く示す文化的景観を形成している点や

類似の祭祀場が他ではほとんど見られなくなっている点などが評価された。

http://www.northpointe-estates.com/03/post_85.html


https://www.google.com/search?q=%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B3&gws_rd=ssl



オシュンもbaptizしてくれるんだ、、、、


ちょっとこの記事保留









えええーーーーと、、ちょっと

えええええええええええええええええええええええ!!!!!!!ってサイトを見つけてしまい

脳内でM9くらいの揺れが起こっています、、、

実はこの記事の前に一つ下書きのままにしてある記事があります。

考えてみればそれに関することはすべて下書きのままになっているわけだ

他にもいくつもそんな記事があります。

何か見つけるたびに脳内でM9クラスの揺れ

脳内ですよ

わたしの脳みそがガタガタと揺れ

大魔神が出てくる感じ




こわーーーーい








でも、見つけたそのサイトだって、まだまだ日本国内での正体


でも

少しづつ、

一つずつ

嘘の着ぐるみをはいでいかないとね、、、






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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%AD%94%E7%A5%9E





ちょっと今日の衝撃はデカすぎたので、また気絶する

見つけたサイトはまだリンクしないけど

あらかた同じような流れで調べてて、同じようなことを書いている

何が違うかと言ったら

その人は自信満々に書いているスピ系の人

わたしは自分の調べたことをそういう人いのように断定して書くことはできない

言ったもん勝ちみたいなこともしたくないし

これってそれが本当がどうかもわからない世界の話でしょ

それを断定して自信をもって書いてしまうことは

どうもできないし、したくない

そう思うのは

自分の名前がそのあたりに関連してしまっているからだろう

自分の名前だけじゃなくて、親せきとかもな、、、




ひぃぃぃぃぃ


神としての正式な名前は
阿羅羯磨(あらかつま)と設定されている

大魔神・阿羅羯磨(あらかつま)はスサノオをモデルに・・?

https://www.google.com/search?q=%E9%98%BF%E7%BE%85%E7%BE%AF%E7%A3%A8&gws_rd=ssl

http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_121.html

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あなたへ続く”道”(21)no.6 [あなたへ続く”道”]







ずっと


ずっと


さがしていた


”道”






教えて今すぐ答えを

何が答えなのかわからない











縄文から続くポリネシア系古モンゴロイド由来の信仰

南方系古モンゴロイドが縄文人であり、

この人々は大半はミクロネシア・ポリネシア、インドネシアからの


黒潮渡海族である。









淤母陀琉神 オモダルノカミ 神世七代の一柱。 第六代の男神。 阿夜訶志古泥神と対。

第6代なので、仏教の第六天魔王の垂迹(仏が神として権現)と考えられていた。
日本書紀では、面足尊 (オモダルノミコト)。

阿夜訶志古泥神 アヤカシコネノカミ 神世七代の一柱。 第6代の女神。 淤母陀琉神と対。
日本書紀では、惶根尊 (カシコネノミコト)。




大六天神社自体は

神仏習合の時代に

第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたとのこと。

しかし、明治の神仏分離の際に

多くの第六天神社が、

神世七代における第六代である

面足命(オモダルノミコト)と惶根命(アヤカシコネノミコト)に祭神を変更した



なので、現在

面足命(オモダルノミコト)と惶根命(アヤカシコネノミコト)が

ご祭神の神社はもともとは

”第六天魔王”を祭っていたということで

その土地のエネルギーは

第六天魔王のもの。



”仏教で言う6番目の天界、「他化自在天」の事”ってところで

強制終了、落ち着かせちゃってるけど


わたしは違うと思っている





第六天魔王は仏教の敵。


仏道修行を妨げている魔のこと



仏道であれ、なんであれ

わたしは宗教全部いらないと思ってる

スピリチュアルなんかも消えてなくなってしまえばいいって思ってる

そういったものすべてがない状態を想像すると


そこに残るのは

自然


エネルギー


自然崇拝という形でしょ


風の神

雨の神

雷の神


って、みんな鬼みたいじゃない


自然のエネルギーを人に例えたら

どうしたって、

荒れ狂ってる

怒り狂ってる

破壊力

その反面

あたたかな陽だまりだったり

目を閉じて感じたくなる優しい風だったり

夏の香りだったり

どちらも神といえるわけでしょ


もう人間の力ではどうにもできない、どうすることもできない領域



なんだかわからないものを拝むより

そういった自然のエネルギーに目を向けないと。。




魔王天神社は、

神仏混淆の神社で、

この魔王天という仏教の世界観を表す天部の文字をつけた神社の名称になっている。

また、ここは古い神社形態を残しており、

本殿を持たず、裏の魔王の山がご神体となっている。


有名なところでは

奈良県にある三輪山がこの形態であり

大神神社(おおみわじんじゃ)の神奈備(かんなび 神体山)として崇敬されている。

山そのものが御神体のため、大神神社は本殿を持たない。……

中世の記録では三輪山には第六天魔王童子がお仕えするとされている。
<三輪社平等寺資料>。

この三輪山も山体を神とする自然崇拝を根本とする古代信仰の延長上にあるものとされており、

神殿を持っていないことが特徴である。

なお、富士山信仰に係わる神社では富士宮市の山宮浅間神社があるが、

この神社は富士山をご神体としている。


村の人は「魔王天」イコール「第六天」から「大六天」「ダイロクテン」の派生から

オダイローサマと親しみを込めて呼び、

剣の神は風を、切り分けることが出来ると考え、

台風シーズンには作物を風の害から守ってくれる風の神様として信仰が厚かった。

境内には、当時、罹患すると高熱を出し死に至るとされた恐ろしい病 

疱瘡(ほうそう 天然痘)神の小祠が祀られ、

村人を流行病(はやりやまい)の恐怖から村を見下ろす高台から守護していた。 

本殿が無く拝殿のみの神社形態であるが、


拝殿の後ろには、おびただしい宝剣が御幣の代わりに祀られている。

大きい三叉戟(さんさげき)が3本祀られている。

また、魔王という恐ろしい名の神であること、

経津主神という剣を神格化した武神であることから、

先の大戦には、弾よけの神、武運長久の神として近郷近在から信仰をあつめた。

しかし庶民にとっては、表向きは武運長久を祈り、

本音のところは兵役逃れの神として崇められたのであろう。

古代史の研究家によると

大六天・魔王天の神社はかなりの数あったといわれているが、

廃仏毀釈の折り、魔王天のような天部の名のついた仏教的神社は廃止された。

神社名は改名を余儀なくされ、
天神社(祭神 菅原道真 すがわらのみちざね)に改変されたという。

しかし、本村の魔王社は、

村人が魔王さまの名前を変えることなど「とんでもなく」恐れ多いとしてか、

中央からはずれた鄙の神社であったため目こぼしがあったのか、

そのために現代までこの神社名で残ってきたと想像される。

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http://www.vill.narusawa.yamanashi.jp/forms/info/info_print.aspx?info_id=15628





三叉槍(さんさそう)、三叉戟(さんさげき)は、3つの穂を有する槍、戟。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8F%89%E6%A7%8D


武器としてのほか、漁業にも使用された。

ギリシア神話、及びローマ神話の海の神であるポセイドンやネプトゥヌス、

インド神話におけるシヴァの武器とされる。



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バルバドスの国旗


バルバドスといえば











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地母神~アメノマンナカミナカヌシ 
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2016-07-03



はいはい。
今日はこのページのアクセスが多いので、私の意見を

http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2015-02-06


名草の地のなかひらさんは


”神武軍は海岸沿いに南下し、

紀南の地 で同族とも知らず丹敷戸畔を誅したのである。 ”


と書いているんだけど


”神武”って人がいたと前提で書いていることでしょ



わたしは

のちの天皇家の祖となる神武って人はいなかった


けど、

実際に平定して回った人物は

その人物の出は熊襲や土蜘蛛と言われる先住民の出で

これはニシキトベなどと同族

蝦夷征討と同じように
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9D%A6%E5%A4%B7%E5%BE%81%E8%A8%8E


同族をもって征討


裏切り、寝返り

だけともいえない

そうしなければすべてが滅ぼされる

とか

そういう汚い手を使う、、っていうか、今も同じでしょ


ずーーーーーーーーーーーーっと、同じ手を使ってるんだね

記紀とか神話がいったんすべて無にしないと何も見えてこない


なかひらさんの本の内容はあくまでも記紀神話ベース


チョイと、今日も眠くてしょうがないDAY
ちょっとだけぬくぬく気絶してこよう、、、





よく寝たけど、暖房付けたままだったからのどが痛い、、

てきめんだな、、、



途中脇道それて寝てしまったので、無理矢理本日のお題に戻す


要はこういうことですね。。。


わたしが言いたいことは。。。




キリストになろうとした魔王信長 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)

自ら仏敵、第六天魔王と称した織田信長は、
なぜキリシタンの存在を容認したのか!?
なぜ安土城は天守閣ではなく、天主閣なのか!?
なぜ本能寺で大規模な茶会を開いたのか!?
なぜ本能寺の変は起こったのか!?
なぜ自決した信長の遺体は消えたのか!?

すべての謎を解く鍵は、

知られざる

「ノブナガ・キリスト教」

にあった!!






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ノブナガ・キリスト教


https://www.google.com/search?q=%E3%80%8C%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E3%80%8D&gws_rd=ssl



本はオーダーした。

中身はどういう展開かわかんないけど


わたしが言いたいのもこれ的な。


スサノオの御霊

スサノオの御霊を持つ者

スサノオの系統


石を拝めといったわけでしょ。




 「(信長は)全身に燃え上がったこの悪魔的傲慢さから、(略)自らが単に地上の死すべき人間としてではなく、あたかも神的生命を有し、不滅の主であるかのように万人に礼拝されることを希望した」

信長とは18回も謁見したポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの『日本史』のなかの一節である。



信長は「絶対神」になろうとしたというのである。


 フロイスによると、安土城内にある摠見(そうけん)寺という寺に、

「ボンサン(盆山)」と呼ばれる石を置き、

それを信長の「御神体」とさだめた。

5月の誕生日には万人を集めて、御神体を崇拝させる祭典を開いた。


 貧者は富み、子なきは子を授かり、80歳の長寿を得るという御利益もあった、とされた。
当日は「信じられないほどの数」の参拝客があった、と続く。
このくだりは信長に仕えた太田牛一の『信長公記(しんちょうこうき)』など、
日本側の史料にはない。
フロイスの「過大表記」とみる説が多い。

 だが天正9年正月、京都での馬揃えのさい、はなやかな出で立ちで登場した信長について、
太田は「住吉明神の御影向(ようごう)も、かくや」と書いた。
馬揃えは、天皇や公卿らを前にした観兵式のようなものである。

 作家、遠藤周作は太田の記述をもとに、小説『反逆』のなかで、

信長は神のマネをしたのではなく、

 「神になる姿をこの絢爛たる姿で示したのである」

 と記し、クリスチャンらしく、フロイス説に同調した書き方をしている。(後略)

(産経新聞、2015.03.25

://ironna.jp/theme/318



織田 信定(おだ のぶさだ)は、戦国時代初期の武将。
尾張国の織田大和守家(清洲織田氏)に仕える清洲三奉行の1つである織田弾正忠家の当主。
勝幡城城主。信定は信貞とも書く。
織田信秀の父であり、
織田信長の祖父。

越前国織田庄劔神社の祠官の系譜を引き、

越前や尾張の守護大名斯波氏の被官織田氏の支流の出身。

本姓はこの頃には藤原氏(越前織田氏は忌部氏を称す)を称していたが、

後に信長が平姓に改めた。



越前国織田庄劔神社
https://www.tsurugi-jinja.jp/

福井県丹生郡越前町織田にある神社である。

別名織田明神(おたみょうじん)。

気比神宮に次ぐ越前国二宮とされる。

越前国の式内社、敦賀郡「劔神社」の論社とされる[1]。


今日ね、、福井の米にするか但馬の米にするかまよったのよね

”たんば”

丹波もちょっと話題じゃない
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010847836.shtml


たんばの件も絡んでくるわよ



剣神社つづき

素盞嗚尊を主祭神とし、気比大神・忍熊王を配祀する。

社伝によれば、御神体となっている剣は

垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命が作らせた神剣で、

神功皇后摂政の時代に仲哀天皇皇子の忍熊王が譲り受け、

忍熊王が高志国(越国)の賊徒討伐にあたり無事平定した。

のち、伊部郷座ヶ岳に祀られていた素盞嗚尊の神霊を

伊部臣が現在地に勧請し、この神剣を御霊代とし祀ったことに始まると伝えられる。

忍熊王はその後もこの地を開拓したことから、

開拓の祖神として父である仲哀天皇(気比大神)とともに配祀されたと伝える。

中世以降、この地の歴代の領主、斯波氏、朝倉氏、織田氏の崇敬を受け保護された。


特に織田信長は当社の神官の子孫とされ[2]、織田家の氏神とされた[3]。

柴田勝家の書状にも「殿様、御氏神、粗相仕るべからず」とある。

尾張織田家はもともと越前織田荘出身で姓とし、

主君の斯波氏の尾張守護任官で就いて尾張へ移ったので、

数代前の越前守護斯波義将の被官の織田信昌、将広、

父子も明徳4年(1393年)6月7日に

「修理再興し、今後も課役を免除し、子々孫々修理を怠らない」と誓約しており、

当社は織田氏と深い関係がある[4]。

江戸時代には福井藩・大野藩両藩からの崇敬を受け、

幕末には伏見宮家の祈願所ともされた。

昭和3年に国幣小社に列格した。

第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。


福井県丹生郡越前町織田

https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92916-0215+%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C%E4%B8%B9%E7%94%9F%E9%83%A1%E8%B6%8A%E5%89%8D%E7%94%BA%E7%B9%94%E7%94%B0/@35.9556529,136.0605214,14z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff8b3f6d5aa1707:0xa7e4d1ac4fc653e6!8m2!3d35.9583414!4d136.0559366



地図を見ると

スサノオ、、、、、というよりも、、、


白山ですぜ。

そして丹生

ま、そのまえに

越前ですからね。。。。


越 前

ってことで、ここでも”あなた”のエネルギーを







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感じざるを得ません by あばれる君



いったんUP






『日本書紀』によれば、新羅征討(三韓征伐)中に仲哀天皇が崩御し、

神功皇后は筑紫で誉田別尊(ほむたわけのみこと、応神天皇)を出産する。

それを聞いた麛坂皇子と忍熊皇子は、

次の皇位が幼い皇子に決まることを恐れ、共謀して筑紫から凱旋する皇后軍を迎撃しようとした。

皇子らは仲哀天皇の御陵造営のためと偽って、

播磨赤石(現在の兵庫県明石市[2])に陣地を構築し、

倉見別(犬上君の祖)と五十狭茅宿禰(いさちのすくね、伊佐比宿禰とも)を将軍として

東国兵を起こさせた。

ところが菟餓野(とがの、比定地未詳)で反乱の成否を占う狩を行った際に、

麛坂皇子が猪に襲われて薨去したため、

不吉な前兆に恐れをなした忍熊王は住吉に後退した。

一方、神功皇后は海路(瀬戸内海)の要所に天照大神・住吉大神を鎮祭し、紀伊に上陸した。

皇子軍は更に退いて菟道(うじ:宇治)に陣立てし、

武内宿禰と武振熊(和珥臣の祖)を将軍とする皇后軍に挑んだが、

武内宿禰の策略によって弓・刀を失い、逃走した果てに

逢坂(現・滋賀県大津市の逢坂)にて敗れた

(『古事記』では戦闘場面で武内宿禰は登場せず、全て武振熊の功績とする)。

逃げ場を失った皇子は、五十狭茅宿禰とともに瀬田川に投身した。

その遺体は数日後に菟道河から発見されたという。



福井県丹生郡越前町の劔神社(式内社論社、伝越前国二宮)では、

忍熊皇子が「劔御子神」の神名で同地開拓の祖として祀られている。

劔神社に関しては宝亀2年(771年)という全国でも早い段階で神階奉叙の記事が見えるが、


これは祟る性質を持つ「敗者の霊」として

祭神の忍熊皇子が重要視されたためとする説がある。

また、劔神社では早い時期に神宮寺も設置されており(8世紀初頭と推定)、

やはり仏道の面から忍熊皇子の霊を慰撫する必要があったとも考えられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E7%86%8A%E7%9A%87%E5%AD%90



一般には、上記の内乱伝承は

神功皇后・応神天皇の集団と麛坂王・忍熊王の集団との政治的な対立抗争といわれる。

これに対して、

4世紀後半のヤマト王権中枢である佐紀(奈良県北部:佐紀古墳群)の正統な後継者が

麛坂王・忍熊王であったと見て、

実際に反乱を起こしたのは神功皇后・応神天皇の側(元は山城南部の佐紀政権支持勢力か[5])で、

勝利後に応神勢力によって佐紀から河内(大阪府東南部:古市古墳群・百舌鳥古墳群)に

中枢が移されたとする説がある[6]。

また忍熊皇子らが播磨赤石(明石)に御陵造営と偽って陣地を構築したという伝承は、

五色塚古墳(兵庫県神戸市)に基づくと見られる[7]。

この五色塚古墳は佐紀陵山古墳(奈良県奈良市)の相似形で佐紀政権とのつながりを示す大型古墳であるが、一帯での古墳築造は5世紀代に停止する。

4世紀代勢力の衰退は同じく佐紀陵山古墳相似形の

網野銚子山古墳(京都府京丹後市)を含む丹後地方でも見られることから、

ヤマト王権の中枢が佐紀から河内に移動する4世紀末において、

在地首長層の盛衰をも引き起こす内乱が生じていた可能性が考古学的にも示唆されている



近くにもう一つあるね
剱神社

https://www.google.com/maps/place/%E5%89%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.9412957,136.0444106,16z/data=!4m8!1m2!2m1!1z5pyd5pel5bGx5Y-k5aKz576k!3m4!1s0x5ff8b3a738e0d74f:0xa41e3a8c5cf1421b!8m2!3d35.9412957!4d136.048788


近くにはホレ、やつのマーキングが。。。。

平等 越前町 丹生郡 福井県 916-0224
https://www.google.com/maps/place/%E5%BC%98%E6%B3%95%E5%A4%A7%E5%B8%AB%E3%81%AE%E6%B0%B4/@35.9423214,136.0520568,3a,75y,120.34h,85.82t/data=!3m6!1e1!3m4!1sYO3zQZuJsgwhrFa0gzSu3g!2e0!7i13312!8i6656!4m8!1m2!2m1!1z5pyd5pel5bGx5Y-k5aKz576k!3m4!1s0x5ff8b3a7152d285b:0xe5c973785f94faa0!8m2!3d35.9422077!4d136.0522038


弘法大師の水



糸生(いとう)温泉

泰澄の杜



忍熊王の夢枕に立たれる素盞嗚大神
image.jpg

これは略縁起内にみえる、神劔奉授の一場面が描かれてた絵画である。

この時素盞嗚大神様は忍熊王の夢枕に立ち

『皇子努力せよ われ今汝に霊劔を授くべし、之を斎き奉らば賊徒は直に平定すべし。

我は素盞嗚尊なり』と告げ劔を授けたと伝わる。





なるほど

忍熊王もスサノオの御霊を持った者、、、という位置づけですね。

img-logo.png



木瓜では、朝倉義景(三つ盛木瓜)、滝川一益(丸に竪木瓜)、但馬氏、堀田氏などが用いていた。五瓜では有馬氏、大村氏、織田氏、六瓜では相良氏、小野寺氏の例がある。

また

八坂神社が五瓜を神紋としているのをはじめとして、

全国の祇園神社の多くが木瓜紋を神紋としている。


キュウリは木瓜とも書き、
輪切りにしたときの切り口が木瓜紋に似るという事から、

京都や博多をはじめとして、

祇園祭の期間中にキュウリを食べないことを慣習としている地域も多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E7%93%9C%E7%B4%8B





ウリふたつ。。。。。




っていうか、、

福井には我が家の名もごっそりあったりする

拉致された人の中にもさ、、、、




大昔から

try to be make one world

だけどいつだって世界が一つになんかなったことはないね

そりゃそうさ

一つになったら困る奴らがいるんだものね


ちなみにムハンマドと聖徳太子が同じくらいの時代の人




唯一神アラーの教えを受けたマホメットは、

その教義を広めて行くが、同時に支配階級から迫害される。

だがやがて彼は、信徒たちの力を得て、メッカの制圧に成功する……。

マホメットの半生を描いた歴史スペクタクル。




















、、、、、、、


ほんとに

人の口から現された

”神”なんて存在は

一つの幸せももたらさない

一番消えてしまえばいいものだ

この人の口から表された神のせいで人は殺しあう

信じるのは自由だけど

他に強要してはいけない



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なぬ?2 [転載~]

阿部正外

阿部 正外(あべ まさと/まさとう)は、江戸時代末期(幕末)の旗本、譜代大名、老中。

陸奥白河藩主。忠秋系阿部家(豊後守家)15代。

初め旗本だったが、後に本家を継いで大名となり、幕府の要職を歴任した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E6%AD%A3%E5%A4%96

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E6%AD%A3%E8%94%B5



http://www.geocities.jp/keizujp2011/abe.html


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阿部忠正を祖とする。


阿部忠正
 阿部正宣 阿部忠正の子
  阿部正勝 あべまさかつ 阿部正宣の子 鳩ヶ谷藩1万石の大名 生没年:天文10年(1541年) - 慶長5年4月7日(1600年5月19日)
   阿部正次 あべまさつぐ 阿部正勝の長男 大多喜藩藩主 小田原藩藩主 岩槻藩初代藩主 生没年:永禄12年(1569年) - 正保4年11月14日(1647年12月10日) 没歳:79歳
   阿部忠吉 阿部正勝の次男
    阿部忠秋 あべただあき 阿部忠吉の次男 母:大須賀康高の娘 壬生藩藩主 忍藩初代藩主 生没年:慶長7年7月19日(1602年9月4日) - 延宝3年5月3日(1675年6月25日)
    阿部政澄 あべまさずみ 阿部正次の長男 母:佐原義成の娘 生没年:文禄元年(1593年) - 寛永5年8月4日(1628年9月1日)
     阿部正能 あべまさよし 阿部政澄の長男 母:本浄院(古屋) 阿部忠秋の養子 大多喜藩初代藩主 忍藩2代藩主 生没年:寛永4年(1627年) - 貞享2年4月13日(1685年5月15日)
      阿部正武 あべまさたけ 阿部正能の長男 母:牧野信成の娘 忍藩3代藩主 生没年:慶安2年6月15日(1649年7月24日) - 宝永元年9月17日(1704年10月15日) 没歳:56歳
      阿部正房 阿部正能の子
       阿部正興 阿部正房の子
        阿部正儔 阿部正興の子
         阿部正元 阿部正儔の子
          阿部正朗 阿部正元の養子
           阿部正良 阿部正朗の子
            阿部正蔵 阿部正良の子
             阿部正定 あべまささだ 阿部正蔵の長男 阿部正備の養子 白河藩5代藩主 生没年:文政6年10月26日(1823年11月28日) - 嘉永元年10月20日(1848年11月15日) 没歳:26歳
              阿部正耆 あべまさひさ 阿部正粹の次男 阿部正定の養子 白河藩6代藩主 生没年:文政10年10月24日(1827年12月12日) - 元治元年3月2日(1864年4月7日) 没歳:38歳
               阿部正功 あべまさこと 阿部正耆の次男 棚倉藩2代藩主 生没年:安政7年1月23日(1860年2月14日) - 大正14年(1925年9月11日) 没歳:66歳
             阿部正外 あべまさと 阿部正蔵の三男 白河藩7代藩主 生没年:文政11年1月1日(1828年2月15日) - 明治20年(1887年)4月20日 没歳:60歳
              阿部正静 あべまさきよ 阿部正外の長男 白河藩8代藩主 棚倉藩初代藩主 生没年:嘉永2年11月28日(1850年1月11日) - 明治11年(1878年)1月23日 没歳:30歳

    阿部重次 あべしげつぐ 阿部正次の次男 母:佐原義成の娘 三浦重成の養子 岩槻藩2代藩主 生没年:慶長3年(1598年) - 慶安4年4月20日(1651年6月8日)
     阿部定高 あべさだたか 阿部重次の長男 母:正寿院 岩槻藩3代藩主 生没年:寛政12年(1635年) - 万治2年1月23日(1659年3月16日) 没歳:25歳
      阿部正邦 あべまさくに 阿部定高の次男 岩槻藩5代藩主 宮津藩藩主 宇都宮藩藩主 備後福山藩初代藩主 生没年:万治元年4月19日(1658年5月21日) - 正徳5年1月27日(1715年3月2日)
       阿部正福 あべまさよし 阿部正邦の四男 備後福山藩2代藩主 生没年:元禄13年6月6日(1700年7月21日) - 明和6年10月10日(1769年11月7日)
        阿部正右 あべまさすけ 阿部正福の次男 母:鳥居忠英の娘 備後福山藩3代藩主 生没年:享保9年11月29日(1725年1月13日) - 明和6年7月12日(1769年8月13日) 没歳:46歳
         阿部正固 あべまさかた 阿部正右の次男 生没年:寛保2年(1742年) - 明和4年(1767年)
         阿部正倫 あべまさとも 阿部正右の三男 備後福山藩4代藩主 生没年:延享2年2月9日(1745年3月21日) - 文化2年8月21日(1805年9月13日) 没歳:61歳
          阿部正精 あべまさきよ 阿部正倫の三男 備後福山藩5代藩主 生没年:安永3年12月24日(1775年1月25日) - 文政9年6月20日(1826年7月24日) 没歳:53歳
          土岐頼潤 ときよりみつ 阿部正倫の五男 土岐頼布の養子 沼田藩8代藩主 生没年:天明8年5月28日(1788年7月1日) - 文政9年9月22日(1826年10月23日) 没歳:39歳
           阿部正粹 あべまさただ 阿部正精の長男 母:土屋篤直の娘 生没年:寛政7年9月4日(1795年10月16日) - 天保7年1月29日(1836年3月16日)
           阿部正寧 あべまさやす 阿部正精の三男 備後福山藩6代藩主 生没年:文化6年10月24日(1809年12月1日) - 明治3年7月1日(1870年7月28日) 没歳:62歳
            阿部正弘 あべまさひろ 阿部正精の五男 母:高野貝美子 阿部正寧の養子 備後福山藩7代藩主 生没年:文政2年10月16日(1819年12月3日) - 安政4年6月17日(1857年8月6日)
             阿部正教 あべまさのり 阿部正寧の長男 阿部正弘の養子 備後福山藩8代藩主 生没年:1840年1月21日(天保10年12月17日) - 1861年7月4日(文久元年5月27日) 没歳:23歳
              阿部正方 あべまさかた 阿部正寧の三男 阿部正教の養子 備後福山藩9代藩主 生没年:嘉永元年8月21日(1848年9月18日) - 慶応3年11月22日(1867年12月17日) 没歳:20歳
               阿部正桓 あべまさたけ 浅野懋昭の三男 阿部正方の養子 備後福山藩10代藩主 生没年:嘉永4年12月29日(1852年1月20日) - 大正3年(1914年8月19日) 没歳:64歳

     阿部正春 あべまさはる 阿部重次の次男 母:久松松平定勝の娘 大多喜新田藩藩主 岩槻藩4代藩主 大多喜藩2代藩主 刈谷藩初代藩主 生没年:寛永14年(1637年) - 正徳6年6月8日(1716年7月26日) 没歳:80歳
      阿部正長 阿部正春の子
       阿部正親 阿部正長の子
        阿部正保 阿部正親の子
         阿部正簡 あべまさひろ 阿部正保の長男 阿部正実の養子 佐貫藩5代藩主 生没年:明和9年5月4日(1772年6月4日) - 文政8年2月29日(1825年4月17日) 没歳:54歳
          阿部正暠 あべまさあきら 阿部正簡の三男 佐貫藩6代藩主 生没年:文化3年3月9日(1806年4月27日) - 嘉永6年5月10日(1853年6月16日) 没歳:48歳
           阿部正身 あべまさちか 亀井茲尚の四男 阿部正暠の養子 佐貫藩7代藩主 生没年:文政元年11月23日(1818年12月20日) - 慶応4年7月11日(1868年8月28日) 没歳:51歳
            阿部正恒 あべまさつね 阿部正身の長男 佐貫藩8代藩主 生没年:天保10年9月29日(1839年11月4日) - 明治32年(1899年10月11日) 没歳:61歳

      阿部正鎮 あべまさたね 阿部正春の六男 母:深達院 刈谷藩2代藩主 佐貫藩初代藩主 生没年:元禄12年11月18日(1700年1月7日) - 宝暦元年11月4日(1751年12月21日) 没歳:53歳
       阿部正興 あべまさおき 阿部正福の四男 阿部正鎮の養子 佐貫藩2代藩主 生没年:享保18年(1733年) - 宝暦14年3月11日(1764年4月11日) 没歳:32歳
       阿部正賀 あべまさよし 阿部正鎮の三男 阿部正興の養子 佐貫藩3代藩主 生没年:延享3年4月24日(1746年6月12日) - 安永9年10月24日(1780年11月20日) 没歳:35歳

       阿部正喬 あべまさたか 阿部正武の長男 母:井伊直縄の娘 忍藩4代藩主 生没年:寛文12年4月28日(1672年5月25日) - 寛延3年7月26日(1750年8月27日) 没歳:79歳
        阿部正秋 あべまさあき 阿部正喬の長男 母:井伊直該の娘 生没年:元禄13年(1700年) - 享保14年7月3日(1729年7月28日)
        阿部正直 あべまさなお 阿部正喬の三男 母:井伊直該の娘 生没年:元禄15年(1702年) - 享保18年6月30日(1733年8月9日)
        阿部正敏 あべまさとし 阿部正喬の五男 阿部正允の養子 忍藩6代藩主 生没年:享保15年(1730年) - 天明7年4月19日(1787年6月4日) 没歳:58歳
         阿部正識 あべまさつね 阿部正敏の長男 忍藩7代藩主 生没年:明和元年11月28日(1764年12月20日) - 享和3年2月7日(1803年3月29日) 没歳:40歳
          阿部正由 あべまさよし 徳川宗将の十一男 母:清信院 阿部正識の養子 忍藩8代藩主 生没年:宝暦12年11月22日(1763年1月5日) - 文化5年10月11日(1808年11月28日) 没歳:47歳
           阿部正権 あべまさのり 阿部正由の次男 忍藩9代藩主 白河藩初代藩主 生没年:文化3年1月9日(1806年2月26日) - 文政6年10月6日(1823年11月8日)
            阿部正篤 あべまさあつ 松平頼興の子 阿部正権の養子 白河藩2代藩主 生没年:享和元年9月3日(1801年10月10日) - 天保14年3月17日(1843年4月16日) 没歳:43歳
             阿部正瞭 あべまさあきら 松平信明の九男 阿部正篤の養子 白河藩3代藩主 生没年:文化10年8月20日(1813年9月14日) - 天保9年5月12日(1838年7月3日) 没歳:26歳
              阿部正備 あべまさかた 大村純昌の五男 阿部正瞭の養子 白河藩4代藩主 生没年:文政6年6月20日(1823年7月27日) - 明治7年(1874年)4月11日 没歳:52歳

       阿部正晴 阿部正武の三男
        阿部正允 あべまさちか 阿部正晴の長男 母:遠山友春の娘 阿部正喬の養子 忍藩5代藩主 生没年:享保元年(1716年) - 安永9年11月24日(1780年12月19日) 没歳:64歳
         阿部正陳 あべまさのぶ 阿部正允の次男 阿部正敏の養子 生没年:寛延元年(1748年) - 天明元年6月6日(1781年7月26日)
         阿部正実 あべまさざね 阿部正允の四男 阿部正賀の養子 佐貫藩4代藩主 生没年:宝暦14年2月8日(1764年3月10日) - 天保2年12月8日(1832年1月10日) 没歳:68歳

https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E9%98%BF%E9%83%A8%E6%B0%8F




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なぬ? [転載~]





《颤抖吧,阿部!》
(英语:Let's Shake it

https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%A2%A4%E6%8A%96%E5%90%A7%EF%BC%8C%E9%98%BF%E9%83%A8+




SF時代劇っていうのかな?

主人公は宇宙人で、阿部という18歳の少女、

職業は朵星初級戦士です。

UFO

宇宙平和の為に働く彼女ですが、規則違反をした為に「星河号」という

宇宙船の船長である朵喵喵に捉えられてしまいます。

他の囚人と一緒に護送される途中に謎の集団に襲われ、

星河号が唐の時代の中国大陸に墜落。

弱っていた阿部は、地球の生命体と融合しようとしていたところ、

何者かに狙われ落命した少女、唐青叶と出くわして彼女の体と融合しました。



唐青叶の兄、唐青風は唐将軍の長男で、唐青叶の異母兄。


阿部と融合してしまって、奇行を繰り返す妹を保護しますが・・・。



という出だして、完全にコメディ。

美人師兄こと鄭業成君は男性主人公の唐青風を演じてます。

常に冷静で武術に長け、敵にも一目置かれる人物なんですが、

妹のこととなると目の色が変わる、という。(笑)



阿部=唐青叶役は安悦溪ちゃん、どっかで見たことあると思ったら、

ドラマ「三生三世十里桃花」の少辛です。

観てませんが「旋風少女2」で百草役を演じてたそうです。

彼女を見てると、なんとなく高畑充希ちゃんを連想します。



ドラマのマスコット的なのが朵喵喵が猫に融合した「朵喵大人」。

なんか、「夏目友人帳」のニャンコ先生みたいです。

阿部と朵喵大人のやり取りが可愛くて、思わずクスッと笑ってしまう。








宇宙人 阿部





寝かせろ。






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あなたへ続く”道”(20) あなたを隠すための [あなたへ続く”道”]


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Half on a baby
All I need is your body next to me
Singing ooh, na, na, na, na, na, na, na
Give me your body, your body, na, na, na, na






あなたを隠すための


大彦であり


大国主であり


オモダルアヤカシコネであり


第六天魔王であり




じゃ、

その










あなたとは、、、、、、









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