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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!





おなじみ。 [転載~]









この人たち前にもリンクしたけど、再度、なんとなく



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この真ん中のおっさんみたいなかおのおっさん、日本人にもいっぱいいるじゃん

白浜のあたりにもこんなおっさんごろごろいる

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この人たちもマンディンカの血も入っているようなんだけど

たぶん大昔から混血してたんだろうね

黒人が強い人からぞうじゃないのからいろんな見てくれの一族なのよね

砂漠の民だけど、戦いの民で、

同じ一族なのにいろんな見てくれがいるっていうのは、

何らかの理由で余計に狙われるというのかなー

奴隷狩りとかさ、、、

わからないけどね

そういうのもあって男もみんな顔を隠してるんじゃないかなと思うのよね

私が勝手に思うだけよ


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マンディンカの血が

カワチ

なのだと思うのよ

その血の者はあちこち連れて行かれて、一族はばらばらになって

連れて行かれた先に定住する人もいただろうけど

そうたくさんの数じゃなかっただろうし

いろんなほかの血と混血もしただろうから

純粋なマンディンカの血はどんどん薄まってしまったと思う


連れてこられるわけだから、何らかの力仕事とか過酷な労働場所とかに連れてこられて、

一時そこに置かれるわけで

そういう人たちが置かれた場所を”カワチ”としたのかもしれない

川のそばね

川向こうとかさ

その名残が部落だったりするわけでしょうね


”橋のない川”
なんてさ。。。


たくさんの人がそこに残って暮らし続けたってことはないんだろう


いろいろな物語があるんだろうね


って言うのは全部私を呼ぶ何かから受けるものからの想像と妄想のお話だけど



立ち向かったり

逃げたり

で、、、、


マンディンカの地の人の信仰が

モーセとか旧約聖書で、連れて行かれた先でも彼らの信仰は薄れず

連れて行かれた先々でいろいろ形を変えたんだと思う

ブルースだったりブゥードゥーだったり

日本でいったら

八百万

自然の神

風、水、太陽、星、月、山

それとか、のちの白山だったり、、、



*****************************
ガンビアの22の部族の中で、
特にマンディンカ、ウォロフ、フラ、ジョラ、セラフリ族が住む地域に教会が建てられ、
彼らの言語で聖書が翻訳されるように。

2.ジョラ語に訳されたモーセ五書が順調に出版され、
残りの旧約の翻訳の上にも知恵と誠実が与えられるように。
http://www.duranno.com/japan/qt_detail.asp?bbs_cate=1612&bbs_no=478



ガンビア 首都 バンジュール

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

バンジュール?

バンジュー

バンジョー?


バンジョウ。。。。。

坂城とかいて

バンジョウ

でも

坂城は

サカキ


バンジョウ
http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2018-03-30



バンジュール(Banjul)は、
アフリカ大陸でも最も西に位置する国の一つガンビア共和国の首都。旧名バサースト(Bathurst)。

1816年、イギリス人が交易所と奴隷貿易の拠点としてバンジュールの礎を築いた。イギリス植民省の大臣であった第3代バサースト伯爵ヘンリー・バサーストの名前に因んでバサーストと命名された[1]。1843年セントメリーズ島が王領植民地となる。1973年にマンデ族(英語版)に因んで現在の名前に変わった。


マンデ族

Related ethnic groups

Lingani, Bambara, Bissa, Busa, Dan, Dyula, Kpelle, Ligbi, Landogo,

Mandinka, Marka, Mende, Soninke, Susu, Vai, Yalunka, many others

https://en.wikipedia.org/wiki/Mand%C3%A9_peoples


mandingo
kono people








いちお今のところ、一番古い民族として、アフリカのコイサンマンの民族が

一番古い、”祖”的なかんじでいわれているけれど

彼らを見ると、日本人にとっても近いことは一目瞭然よね


アフリカが人類発祥の地=真っ黒いアフリカ人

とか

日本が人類発祥の地=黄色い小さい日本人

っていう

感覚

っていうのかな


この刷り込み、思い込みって言うのかな~


それ、変わらないと、、、って思う



アフリカの土地ではじめて生まれた人間が

黄色っぽい、茶色っポイ

小さい人だったのよ


それが、

気候、土地、時代の流れ、

混血でいろいろな色になっていった

いろんな体格になっていった



または、


あちこちの土地に

同時多発的に生まれ出たのかもしれないよ


しかもはじめはどうしたって近親相姦だもんね

野良猫と同じよね

野生のライオンとかさ

あんなかんじ。

と~ちゃんの子供を産むとか、

じ~ちゃんの子供を産むとか

に~ちゃんの子供を産むとか

ね~ちゃんの子供と子供を産むとか

か~ちゃんと子供を作るとか

ば~ちゃんと子供を作るとか


もうーーーーー

今そんなことしている家族がいるとなったらもうーーー大変なお話でしょ


でもちょっと前に海外で見つかったじゃない

ずっと家族だけで隠れるように暮らしてた近親相姦の家族

https://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%BF%91%E8%A6%AA%E7%9B%B8%E5%A7%A6%E3%80%80%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9&lr=lang_ja&rlz=1I7MORJ_jaJP511&gws_rd=ssl


太古の昔のスタイルよね


そして同じような別の家族があって、

" together strong "

そうやって別の家族同士で結婚をして、血族を大きくしていって

やがて近親相姦ではなくなっていくわけで



私のDNAイブは日本人には5%しかいないって結果になったけど

これイブだけの話でさ

Yapは受け継がないわけでしょ

結局すべての血を含むルーツを探ることはできないのよね、、、


たとえば、私(日本人)は黒人とのあいだに息子をもうけました。

日本人の私(XX)と黒人の父(XY)

息子が受け継ぐのは黒人父の(Y)のみ

だから仮に今むすこっちのDNAを調べても黒人父のしか出ないんでしょ?

このへんよくわかんないな

トータルでぜーーーんぶ出ればいいのにね

父方も母方もぜーーーんぶ

出るはずだけどね、、、


http://kumatube.net/2017/07/18/yap02/    ?

https://blog.goo.ne.jp/tamakouranai281-2/e/422ceac980bc3ce92019c7d7cae6cc99

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バンジョウ [調べなさいアプローチ]

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ご丁寧に


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広島県では

平家の落人の後裔で

愛媛県西条市河之内の大元神社の「坂城さん」と呼称した祠に祖を祀ると伝える。


発音はバンジョウ。





バンジョー


アメリカ合衆国南部およびアパラチア地方で奴隷を強要されていたアフリカ人たちが、アフリカでなじんでいた楽器にならって最初期のバンジョーをつくり、この最初期のバンジョーのいくつかが、
"ゴード・バンジョー(gourd banjo)"と呼ばれるようになった("gourd"は、"ひょうたん"の意)。

バンジョーの祖先に当たる楽器の一つに、エコンティング(英語版)(Akonting)がある。

これは、セネガンビア地方(セネガル・ガンビア地方)のジョラ民族によって演奏されていた、
釘形のリュート系民族楽器である。

"バンジョー"という名前は、通常、
キンブンドゥー語(Kimbundu)の"バンジャー(mbanza)"に由来するとされている。

"bandore"という言葉の方言の発音から"bamjo"という言葉が生まれたとする語源学者たちもいるが、最近の研究によれば、"bandore"は、楽器のネックに使用される"bamboo(竹)の棒"を意味するセネガンビア地方の言葉から派生したものに過ぎないとされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC









愛媛県西条市河之内

https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92799-1314+%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E8%A5%BF%E6%9D%A1%E5%B8%82%E6%B2%B3%E4%B9%8B%E5%86%85/@33.9377963,132.9236912,13z/data=!4m5!3m4!1s0x355026391143938f:0x19caec2c8906527c!8m2!3d33.9361405!4d133.0270756




客神社

佐川

河内神社

才土

=才野かな、、、、



引地

=日置かな、、、、



愛媛県西条市河之内の大元神社の

「坂城さん」と呼称した祠に祖を祀ると伝える。


国常立尊

宮司は”真鍋”

http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=6708



天川

庄内



愛媛県西条市黒谷にも大元神社

黒谷

大黒山



客神社
伊邪那美命(いざなみのみこと)     
菊理姫命(くくりひめのみこと)




河之内   河内

大元神社  大本

「坂城さん」 榊



氷見、、、、、、


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氷見

新開

相生

蛭子


小松

松山

諏訪神社


野々市

長谷

大久保

久保




浜道

山道




高山の北麓説 (『西條誌』の説)
村名を氷見といふ訳は總て高山の北にある村里は、夏も雪の氷りたるが見ゆる故に、駿河の富士の北、越中の立山の北などにも、同しく氷見と称ふる村ありと聞く、石鎚山の北にあたれる村少なからずといへ共、當村最も其麓にて、石鎚權現の別當前神寺も當村の内に属し、且村高の大ひなる、近郷に類ひなきのみならず、伊豫一國の村寄せの内にても、其畝高の多く廣き、當村にしくものなし、因て麓の諸村の内、氷見の名を許すべきは、外にはあらじ


橘郷と氷見村


橘新宮神社


神戸郷の中野村(なかのむら)にある伊曽乃神社(いそのじんじゃ)


神野郡…………橘の里……現在の州之内周辺から氷見まで

http://verda.life.coocan.jp/s_history/s_history33.html


橘--->家紋


神野郡

神戸郷  

中野村(なかのむら) 中の村 中村

伊曽乃神社(いそのじんじゃ) 磯野





歴 史 発 掘
西条ぶらり旅
http://verda.life.coocan.jp/s_history/s_historyindex.html

伊曽乃台地のあたりは文字通り磯野(磯の里)であったわけである。

磯野は海岸に因む名であり、
神野は山に因む名であるから、神野と磯野は同じではない、と思う。

神野の中に磯野台地がある。

だから、伊曽乃神社は本来、固有名ではなく、

磯野に存在する神社という意味ではないかと考えている。


:::::::::::::::::::::::::


ビンゴ。


どうやら、愛媛のあたりには

父方の一族どちらもいるようだ


この土地の地名を見ると

人々は名前は変えるけど、土地の名の響きは変えないようだ


この土地には”あなた”を強く感じる。。。。。。


本来は

”旧約聖書の一団”なのかな、、、やはり、、


でも、ま、、、


カワチだけど、、、、





ちょっとUP,,,眠い、、、

でも、、止まらない



松前町
愛媛県伊予郡

https://www.google.com/maps/place/%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E4%BC%8A%E4%BA%88%E9%83%A1%E6%9D%BE%E5%89%8D%E7%94%BA/@33.7891555,132.6944834,13z/data=!3m1!4b1!4m8!1m2!2m1!1z5oSb5aqbIOa1nOacrA!3m4!1s0x354fee6aff30e635:0x5a5daaed8bb83309!8m2!3d33.7874225!4d132.7114105


松前

新川

三島

中村

三谷


愛媛県伊予市上三谷客



今日早い時間ソネット開けなくて、その間に調べてたのも


”松前”












松前藩氏榊氏
https://www.google.com/search?q=%E6%9D%BE%E5%89%8D%E8%97%A9%E6%B0%8F%E6%A6%8A%E6%B0%8F&source=lnms&sa=X&ved=0ahUKEwifg4K5kZPaAhXGspQKHSi6DuQQ_AUICSgA&biw=1280&bih=860&dpr=1







函館市/函館市地域史料アーカイブ
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/0120205100


刊本閲覧


函館市史 亀田市編


[亀田市編]


第二章 大地にいどむ


第二節 蝦夷の戦いと亀田


三 シャクシャインとの戦いと亀田




 寛文九(一六六九)年日高のアイヌ人シャクシャインの蜂起に驚いた松前藩は、東西の和夷の関門に兵を派遣し防備を固め、
蜂起の地へは征伐軍を出動させたが、この時東の関門である亀田へは酒井左兵衛と兵二〇〇名を派遣し防備を固めさせている。
また前述則田安右衛門の『狄蜂起集書』によれば、土地の者たちが協力して防備拠点を構築していることが知られる。
このとき初代榊吉右衛門は亀田代官佐藤彦左衛門を助け、防備に全力を尽し、
戦後福山に招かれ、亀田村において宅地や山林および鞍、茶器、裃を賜っている(榊氏系図)。




亀田市


廃止理由
編入合併
亀田市 → 函館市

現在の自治体
函館市


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E7%94%B0%E5%B8%82
 この後も元禄五(一六九二)年亀田村に水田を試みる者が現われる(二、三年で廃止)など
亀田村は繁栄を続けて来たのであるが、元禄の終わりごろから急激に衰えを見せはじめた。
衰えの原因は、亀田港の水深が浅くなり、はなはだ使用しにくくなったことである。
『福山秘府』(年歴部巻之五)によれば、
元禄十五(一七〇二)年「秋七月二十九日、大雨逆浪、東部亀田村洪水、毁壊民家甚多。」、
元禄十六年「自夏六月四日至十日大雨洪水(中略)是時東部亀田邑亦洪水、衛所及禅寺一宇闕流、破壊家三十戸」とある。




https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92041-0806+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%87%BD%E9%A4%A8%E5%B8%82%E7%BE%8E%E5%8E%9F/@41.8151867,140.7467204,15z/data=!4m5!3m4!1s0x5f9ef6821a18c893:0x5438d12f9ab2a75b!8m2!3d41.8156256!4d140.7578674



亀田

石川

中道

鍛冶

白鳥

赤川

富岡

神山

新川

田家



函館 榊

https://www.google.com/maps/search/%E5%87%BD%E9%A4%A8%E3%80%80%E6%A6%8A/@41.8087542,140.7487223,15z







https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%89%8D%E8%97%A9







伊曽乃神社、伊曾乃神社[1](いそのじんじゃ)は、愛媛県西条市中野にある神社。
式内社(名神大社)。

旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

神紋は「御所車」[2]。

古くは「磯野宮」とも称した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9B%BD%E4%B9%83%E7%A5%9E%E7%A4%BE




磯野


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数年前、ある人が川之内村の庄屋であった上甲家のことを調べに来た時

地元の古老から「かくれキリシタンをお探しか?」と聞かれたらしい

本殿が江戸時代に建てられたものという確証はありませんが・・・(゚ー゚;Aアセアセ

「大法寺」に遺物があるので川之内村にもかくれキリシタンがいたのかも

※大法寺のマリア観音堂は建て替えられました

川之内の南、山を隔てたところにある中津川地区にも数十年前まで

「アワンボウ」という変わった風習があったそうです

正月の13日、長さ50センチぐらいの栗の木の一端を十字に割って神棚に供え

それで部屋の柱、人の頭などを叩いてその年の豊作や無病息災を祈願したそうです

http://blog.livedoor.jp/awatennbou/archives/1505973.html





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大久保さん [調べなさいアプローチ]






大久保町

愛知県田原市


大久保佳代子



大久保神社
愛知県田原市大久保町森下


愛知県田原市大久保町
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%BA_(%E7%94%B0%E5%8E%9F%E5%B8%82)




白浜 (田原市)
白浜(しらはま)は、愛知県田原市の地名

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B5%9C_(%E7%94%B0%E5%8E%9F%E5%B8%82)


東京製鐵株式会社 田原工場
愛知県田原市白浜二号1−3
http://www.tokyosteel.co.jp/factory/tahara_factory.html


https://www.google.com/maps/place/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%A3%BD%E9%90%B5/@34.7014793,137.2482577,18z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xf02f8d1bf97d34f6!8m2!3d34.7011132!4d137.2482148




なんだと、、、、??




大山

高木

羽根

山田


外山

石神


出口

中村

丸山

城山


野田


佐藤遺跡・黒河遺跡

滝頭山
https://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=19246


愛知県遺跡walker

http://www.isekiwalker.com/pref/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C/169



大久保遺跡
http://www.isekiwalker.com/iseki/250651/


大久保古墳
http://www.isekiwalker.com/iseki/54374/

大久保だけでざっと16か所






愛知県 白鳥町

豊川市白鳥町

https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92442-0848+%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E5%B8%82%E7%99%BD%E9%B3%A5%E7%94%BA/@34.8287256,137.3445402,15z/data=!4m5!3m4!1s0x6004c933d12224e9:0x760930da39d3ca9b!8m2!3d34.832729!4d137.3356504


久保町
愛知県豊川市久保町


愛知県豊川市白鳥町川田



愛知県豊川市国府町中道


青馬



http://escapejama.blog.so-net.ne.jp/2018-03-29




高松に行ったといったときもどっちかっていうと

吉備、田殿丹生~白鳥からスタートして

讃岐白鳥と丹生

最終鳴門、大麻比古神社で榊





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あなたへ続く道”(82)白砂青松=白浜 [あなたへ続く”道”]












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いっぺんに。。。。。


っていうか、、、やばい

っていうか

やだ。。。


ぼうとくめいと被ってきちゃってる、、、、



以下の転載をまとめていっちゃうと



それこそが ”カワチ” なんですよ。。。。


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それこそが

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白砂青松=白浜

青木=おうぎ

保久良神社

カタカムナ



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青亀(あうき)→おおぎ(青木)に音便変化したものだったのですね。

保久良神社のご神体が青亀に漂着した伝説は、
かなりの海亀が産卵しにきていたことを意味すると思います。
さぞ美しい砂浜だったのでしょう。
https://hanshin-now.com/blog/page.php?idx=10008654&post_idx_sel=10017338



碑文の谷、三谷の池は亀の池

そこに88の阿部

祝(はふり)


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【セレンディピティ】というブログに
『白鳥族 カタカムナ』と題しての記事がありました。
https://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/diary/200909210000/

検証はできていませんが、カタカムナの想定のルーツが記載されています。

カタカムナ人は、チュルク族(高令)で、バイカル湖付近のオロッコ族であった記載があります。

Y遺伝子系統でいえば、パプロタイプのN系の民族?であると考えられると思われる記載がありますが、一方では、思想的には、南方系スンダランドの系統でもありえると思います。
考察を続けます。

 また、アシア族とはどういう民族か?も確認してみます。
-----------------------------転送 
以前、【カタカムナ】について書きました。
 上古代の日本の地に【アシア族】という高度の文明をもつ種族がいました。チュルク(高令)の王を【アシナ】といいましたから、この人々かもしれません。
 彼らは、素粒子の存在を既に知っていました。 【素粒子論】は、昨年ノーベル賞受賞したばかりの分野です。物質を究極に細分化したものを【素粒子】といいます。
 【気】【波動】【魂】【オーラ】といったら分かり易いでしょうか。
 古代、アシア族の考えでは素粒子は、天の気で生命の源と考えられていました。
 天の気は、左と右に渦を巻きながら頭から体内に入ってきます。
 古代人が、それを土器の模様にしたのが縄文土器かと思われます。
 左渦と右渦を土器に入れると、まず土器そのものが劣化しにくくなり土器の中に入った食べ物は美味しくなり腐りにくくなります。
 体の異常は、気の過不足が原因で起こります。
 気の流れが滞った場所(ツボ)、その入るべき場所から素粒子が入ってこないために病気になるのだそうです。体で、最も気が入りやすい場所は、左右の鎖骨外端下のくぼみにある中府穴と首の後ろの大椎穴の3ヶ所です。どれも昔から着物に紋を入れる位置なのです。
 氣は丸が大好きです。丸型には、強い氣のエネルギーが集まってきます。
 イギリスのストーンヘンジのように石をサークル状に並べると、強力なエネルギーを集めることができるそうです。ちなみに両手を丸くしたとき、手で作った丸の中は、温かさを感じます。
 熱をもつのは空中の気が集まるからです。神社で拍手を打つのも気が集まるからです。
 現代科学は、目に見える物質世界しか信じてきませんでしたが、カタカムナ人は、目に見える物質(身体)と目に見えない【生気体】という(魂、オーラ、気)の二重構造で宇宙の万物ができていることを知っていました。
 これは日本人の祖先、アシア人が直観で宇宙の構造やしくみを捉えたものです。

カタは、我々の見ている宇宙が世界の全てではなくそれは片方であるの意味。
カムは、象(カタチ)が無く目には見えない潜象世界の意味。
ナは、旦那のナと同様、代表する存在【主】の意味。

【カタカナム文献】の内容は
【宇宙の成り立ち】 【宇宙 の特徴】 【物質や生命の発生の仕方】
【生命の本質】から【農業や製鉄技法】 【病気の 治療法】
【人間の考え方】 【商人道の心構え】までを表していました。
大自然、大宇宙の息吹を友としていた超古代人にとって、その直観力は、現代人の想像も及ばないほど研ぎ澄まされており、宇宙の深淵、宇宙の背後に隠されている何ものをも射抜くほどの力を持っていたようです。

【カタカナム】は山窩族長の平十字(ひらとじ)が伝承したものです。
古文書というと一般には歴史書ですが、【カタカナム文書】は、歴史書ではなく科学書です。

チュルク族(高令)は、遙か昔には、バイカル湖付近にいて、その時はオロッコ族といいましたが白鳥の磁場センサーを追って日本に渡来し、鉱脈を掘り当てていた人々だったようです。

そして後のトルコ族のことで、鉄の車輪を作った製鉄部族族でした。
オロッコが高令になり【白鳥】をトーテムとし、匈奴の冒頓部のなかにありましたが
高句麗や扶余に混じって朝鮮半島や日本列島に渡来し、天の王朝の物部氏新羅の蘇我氏、安曇水軍と対馬の阿比留一族、安部水軍、秋田水軍など及びメキシコのアステカ人など互いにつながっていたと考えられる伏しがあります。

アストランが白鷺または白亜の地を意味すること、セレベス島南部のマカッサル族とブギ族は、彼らの王族には【タクの木の樹液と同じような】白い血が流れていると信じています。【カタカムナノウタヒ】には初めに【カタカムナヒビキマノスベシアトウアンウツシマツルカタカムナウタヒ】とあって【アシアトウアン】という者が筆者したといいます。

また、この書を伝えた平十字は【カタカムナ神を祀る一族の王アシアトウアンと天皇家の祖先が戦い、アシアトウアンは敗けて九州で死んだ】と語ったといいます。
このアシアトウアンという王名もしくは王朝名は、後に芦屋道満の名になって有名な差別伝承となったものですが、天皇家と戦って敗れたという先王朝は金官加羅の王朝です。だから【カタカムナ】を信ずれば、【アシアトウアン】は先王朝が、またはそれ以前の先住民族の王朝ということになります。

 先王朝というのは、神武、綏靖、安寧、懿徳という王朝と対立した孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化という王朝であって、このうち考安天皇が安日彦、王弟の長足彦が長スネ彦で、安部貞任らはその子孫でした。このことを認めると、1062年に滅びた安部一族は【アシアトウアン】王朝の末裔ということになります。【天の王朝】の「アシアトウアン」こそ、アステカ族の故地アストランではなかったか。古代メキシコ人のアステカ人が日本列島から出発した安部水軍だったとすればマヤ文明は彼らのもので、この部族には二系あり、その一つはホルヘ・キン(金)など新羅姓を思わせるものが多く、二系の部族とは倭人系阿曇水軍と新羅系阿部水軍であったかもしれません。
--------------------------------終了





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”大久保”の”地”は答えた

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保久良
大久保




::::::::::::::::::


写真の順番が、、、、、
あとでなおしますだ、、、


ちょっといったんUP


芦屋 
保久良

https://www.google.com/maps/place/%E4%BF%9D%E4%B9%85%E8%89%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@34.7271683,135.30223,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xdbe8858b83f86beb!8m2!3d34.7355624!4d135.2780257


青森にはハプログループN
https://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/8b23db8b59f0496f05efee4044980f21/1/19



ハプログループN

ハプログループNは日本人全体では1-6%ほど[16][17][18][19]と低頻度であるが、
青森県ではN1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)が7.7%(26人中2人)観察された例がある[20]。
遼河文明の遺跡人骨からもN1(N1(xN-M128,N-P43,N-M46/N-Tat)を高頻度に含む)が
60%以上の高頻度で見つかっており[14] [15]、
かつ三内丸山遺跡と遼河文明の関連性が指摘されている[21]ことから、
遼河人の一部は日本列島にまで進出していた可能性も考えられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97N_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)




>Y染色体ハプログループ    
    「NO」系統・・・34.600±4.700 年前にハプログループK2から誕生。

           ハプログループN、Oの祖先にあたり、かつこれらを含む。

    ハプログループNOのうちハプロググループOにもグループN1にも
    属さないNO*またはN*が日本の徳島で5.7%、福岡で3.8%観察されて

    いる。また漢民族や少数民族、マレー人、モンゴル人、エベンキ、

    朝鮮民族などでもごく低頻度ながら観察される。

    ※これは非常に驚きの内容です。OとNに枝分かれする前の祖先が
     徳島と福岡など存在することを意味します。つまり、大陸から日本に
     渡来したのではなく、寧ろ一部のON*、N*タイプの日本人の方が
     アジア人の祖先かもしれないわけです。しかも3~4万年もの昔に。

https://ameblo.jp/vipassanar/entry-12177945229.html




アシイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%A4











西河内八幡神社
兵庫県佐用町西河内88−5

https://www.google.com/maps/place/%E8%A5%BF%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.0430558,134.34243,16z/data=!4m8!1m2!2m1!1z5L2Q55So44CA5rGf5bed!3m4!1s0x3555ab74da67077d:0xda8268d816799970!8m2!3d35.0380005!4d134.3419173



うううううううう、、、、

そこ電車で通ってるね。。。


その前の旅で、益田岩船に行って、帰宅後調べてたら
この巨石と対になる石の宝殿のことを知って

石の宝殿の生き方を調べてる中で、榊があることを知って

石の宝殿へ行って、榊へ行って、その足でいきなり鳥取へ行こうと思い立ち

相生から電車に飛び乗ったのだ~



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これが”榊さん”

地元の人は地図にある神社名を知らず

ここのことを

”榊さん”

と、呼んでいた。




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相生
普通ならこれ、”あいおい” と読むよね

わたし横浜にいたこともあるから、この文字は私の中では”あいおい”なんだけどね

この土地では

相生と書いて

”おお”

”O"

大嶋城の城主となった海老名氏が相模国(現在の神奈川県海老名市)出自であることから、

浦名として呼ばれていた「おお」に

相模生まれの漢字を宛てたのが「相生」の由来であるという説が有力である。

1913年1月1日に周辺の村に先駆けて相生町となる。

以前は「相生(おお)村」と呼ばれていた。

(当時の表記では「あう」)現在でも相生市相生の集落の一帯を、通称「おお」と呼ぶ。

このため、「O」という地名であるとして

ギネスブックに「世界最短の地名」の一つとして掲載されていたことがある

(現在の邦訳版にはない)[1]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E7%94%9F%E5%B8%82

::::::::::::::::::::::::::

大の村でもあったんでしょう。。。。



おお

あう

おう




はじめに出てきた ”青木” あおき

これも同じ

あお は あう で おう

青海なんかそうね

あおみ おおみ

あおみ,青海:あおう,青海

::::::::::::::::::::::::::

播磨国(はりまのくに)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%92%AD%E7%A3%A8%E5%9B%BD




::::::::::::::::::::::::::::::::::::
↓ここも無理矢理引っ張られたわ~

姫の村と姫の山を越えて、

私的にはニシキトベさんの村の方に降りて行ってるつもりが、まったく真逆の方に下山してしまい

集落に出てきたのはいいけど

自分がどこにいるのかもわからなくて、参った参ったな時で

やっと場所がわかるとそれは、古座川の上流の村だったのよね。。。

そこから古座川の下流にある駅を目指して何時間歩いたかわからない

その途中にあったのが

この河内島だけど

その頃は”河内”がまだ自分の中に来ていなかった時だから

しかも足が抜けそうに痛くて、早く電車に乗って帰りたかった

しかし、今、、


こんなことならよく見ておけばよかった、、、、

河内でしたか、、、、



河内



 古座川を度々訪れた作家、司馬遼太郎氏は、

河内島(河内神社)について次のように書かれています。


 崖っぷちに玉垣がつくられていて、参拝所めかしく仕つらえられている。

沖縄で言えば拝所(ウガンジョ)である。

沖縄では神社(御岳(うたき))は古神道どおり社殿をもたない。

この熊野の河内神社もそうであった。

  崖っぷちの槙の樹のあいだから川をのぞいてみると、なるほど川が岐(わか)れて、形態として河内を為している。瀞(とろ)の青みはまことに碧潭というにふさわしく、その青い流れに洗われて河中に一個の岩礁が盛りあがっている。
 
その岩礁が、どうやら神の憑代(よりしろ)になっているらしい。
古代シャーマニズムが、古代形態のまま息づいているというのは、
日本でもめずらしいといえるのではないか。

 文献によると、憑代であるこの岩礁の神の名は、スサノオノミコトであるという。
韓神(からがみ)である。韓神だからこの地域に朝鮮から渡来したひとびとが住んでいたというのではなく、この祭神は平安期の流行神(はやりがみ)だったからに相違ない。

 本来、神に名などはなかった。 河の中の奇礁だから神が宿るにちがいないという古代の形而上的意識がこの岩礁を神聖視するにいたったに相違なく、この岩礁はこの宇宙に一つきりしかないから名などつける必要がなかったのである。

(司馬遼太郎『熊野・古座街道、種子島みちほか 街道をゆく (8)』朝日文芸文庫、96頁より引用)

http://www.mikumano.net/meguri/seishoto.html


ぎゃああああ

https://www.google.com/maps/place/%E6%B2%B3%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%B3%B6%EF%BC%89/@33.5362526,135.8103183,3a,75y,90t/data=!3m8!1e2!3m6!1sAF1QipM-xE5MMqaAFMHrFNse2kcVEn9XfB8TGIBtjdui!2e10!3e12!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipM-xE5MMqaAFMHrFNse2kcVEn9XfB8TGIBtjdui%3Dw392-h294-k-no!7i2592!8i1944!4m13!1m7!3m6!1s0x60064815d0c34b5b:0x25f41afa415143b0!2z5ZKM5q2M5bGx55yM5p2x54mf5amB6YOh5Y-k5bqn5bed55S6!3b1!8m2!3d33.5318395!4d135.8148018!3m4!1s0x60063b9fa19ef62f:0xf1dfdb8c9edc1f75!8m2!3d33.5362527!4d135.8103181


「河内さま」「河内神社」

「河内明神」

古座川では

カワチ ではなく コウチ



古座は「神座」が転じたものともいわれる

真実性はともかく、徐福上陸の地に擬せられるほど、古くから古座は熊野の要衝として認識されたものと思われる。

 経済的発展に伴って文化面でも古座には特筆すべきものが多く、江戸期の紀州随一の文化人、玉川玄龍(武内養浩)も泉州から古座に移住し、有名な『熊野巡覧記』をはじめ多くの重要な著述をあらわした、その姓玉川は、古座川の透き通るような美しさに感嘆し、名付けたものという。

 また、河内祭等で演じられる獅子舞は、紀南各地に「古座獅子」として伝わる獅子舞のルーツであり、江戸末期の『紀伊続風土記』に「日置浦より新宮迄の間にこの祭りに次ぐ祭りなし」とまで称された河内祭には、その高い文化と、かつての繁栄の証が凝縮されている。


 一方、河内様の精は蛇で、九龍島に住む鯛と恋仲になったが、離ればなれに過ごしていたのを年に一度、御舟に乗って鯛が河内様に会えるようにとりはからったのが、この祭の起源をする民間伝承もある。
 また、漁民は漁場や帰港時の目印とする「当て山」を持っており、河内様の境内を構成する宮山という背後の山がそうであったという。

 このように河内祭では九龍島~河内様~宮山という、古座川を貫く聖なる空間が形成されているのである。

http://www.kushimoto.jp/kozajisi/sub05.html


うわ~~~

白浜のタイちゃんが私になつくのも、、、、、(>_<)うそうそ



ここでもう一度


相生

アイオイ Aioi


アシイ(Asii)、あるいは、アシアニ(Asiani)、アシオイ(Asioi、ギリシャ語: Ασιοι)とは、

古代の遊牧民。

ローマ人、ギリシャ人によって、
約紀元前140年頃のグレコ・バクトリア王国崩壊を招いたと記録される。
しばしば、スキタイに分類される。




青亀(おうぎ)の背に乗った椎根津彦命(シイネツヒコノミコト)

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かめに乗った人特集だな、、、


こないだの秘密の場所も。。。

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青亀(おうぎ)



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こっちは籠神社のヒイネツヒコ


共通テーマ:blog

あなたへ続く道”(81) Syakawa~Shagawa [あなたへ続く”道”]







ええええーーーーーと

なんかキテマス、、、、、


すんごいきてます、、、


何かわからない







"洩矢"神社 旧"駒沢"村


しゃがわ

カワチ



なんと、、、

実際に行った時のあの具合が悪くなった場所、

あそこも全く無関係の土地ではなかったのを今知ったよ、、、

ひょっとしたら、あの河内神社とも関係があるのかもしれないな、、、

ひぃぃぃぃぃ
マーーージカ、、


新川


諏訪 川岸


わたしの中にある”オカヤ”の音は母方のじいちゃんからの記憶かもしれないのを今知った


というか、母よ

わたしの母が川岸で生まれてる

岡谷で生まれたなんて聞いたことがないよ

諏訪の川岸村生まれ

これはのちの岡谷市

まじまじと岡谷市をチェックしたことがなかったけど

"洩矢"神社 旧"駒沢"村


守屋 駒沢

にしたら、

父と母が出会った街であり、私が生まれ育った土地。

合併はいけないね

古代からの文字で見れる歴史が消される




ああああああ”あ”っ、、、、、、、、、

そうかーーここだったのね、、

https://moriyajinja.amebaownd.com/pages/738284/page_201611220627


なんじゃなんじゃなんじゃいぃぃぃぃいl



タケミナカタは諏訪に攻め入ったわけじゃない証拠ともいえる場所

って、いうのをいつだったか記事にしている


https://www.google.com/maps/place/%E5%B7%9D%E5%B2%B8%E5%A4%A9%E7%AB%9C%E6%B2%B3%E7%95%94%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E6%98%8E%E7%A5%9E%E5%85%A5%E8%AB%8F%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%9C%B0/@36.0531868,138.0342211,20z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x14b9e9b79eeec95!2z5bed5bK45aSp56uc5rKz55WU6KuP6Kiq5piO56We5YWl6KuP5Lyd6Kqs44Gu5Zyw!8m2!3d36.053155!4d138.0343039!3m4!1s0x0:0x14b9e9b79eeec95!8m2!3d36.053155!4d138.0343039?hl=ja


https://blogs.yahoo.co.jp/kazuki133/55234756.html



うううううううううう、、、、、、


なんだあああ、、、なんなんだああああ









洩矢神の娘の多満留姫は建御名方命の第二子・出早雄命に嫁ぎ、息子の守屋神は茅野市宮川高部に住み神長官を代々世襲し、それぞれの子孫が大祝・諏訪家、神長官・守矢家として諏訪地方を共同で治めてきた。




この洩矢神と建御名方命の戦場となったのが現在の岡谷市川岸地区で、洩矢神社は洩矢神の本陣跡だと言われ、一方、建御名方命が陣を構えたのは天竜川を挟んで向かい、現在の県道14号線(岡谷街道)沿い、中央印刷の建物の横に鎮座している藤島神社がその跡と言われている。(荒神塚古墳)


中世・近世においては建御名方神の末裔とされる諏訪氏が諏訪大社上社の大祝を務めたのに対し、洩矢神の末裔とされる守矢氏は筆頭神官である神長を務めた。


諏訪の土着神である「洩矢神」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A9%E7%9F%A2%E7%A5%9E





ヌナカワ一族のタケミナカタ




母方のジーちゃん



っていうか、、母方父方両方の何かが来ていて、

久しぶりに眉間が膨らんできた




ちょっと、、、いったんUP



ジーちゃんが生まれたところは

丸子町(まるこまち)は、
長野県中東部の小県郡に存在した町で、
2006年3月6日に隣接する上田市、真田町、武石村と合併し、新しい上田市となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%AD%90%E7%94%BA




真田

滋野



いや、、ちょっと、ギブです


どこに着地して掘り下げればいいかわかんなかったけど、

わかった、、、かも




しゃがわ


うちのジーちゃんは養子に行って名前が変わったけど

生まれた姓は ”西川”


【名字】西川

【読み】にしかわ,にしがわ,さいかわ,さいがわ



しゃがわ

さいがわ


これ


”=” なのかな、、、、


ほれ、、、、


ビンゴっぽいな、、、


現在の長野県である信濃国水内郡西川発祥の族は清和源氏村上氏族。

語源は、居住地から見て西にある川、都や主なる構築物などの西にある川という意味。

それより地名が起こり、姓氏も多い。

家紋は釘抜、梅鉢、雁金など。

滋賀県、奈良県、和歌山県など近畿地方に多くみられる。


現滋賀県である近江蒲生郡鏡山村西川が起源(ルーツ)である、藤原姓の有名氏族。
ほかに清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、
中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)秀郷流などにもみられる。


しゃがわ



庄川 と書いてそう読んでる

昔の旧地名の文字は

社川


ここは父方との縁がある、上に書いた、河内神社がある具合が悪くなったとこ


で、

西川っていうのも、こっち来てから結構出てきてて

母方の方はあまり調べてないし、意識の中にもあまりないんだけど

気持ちわっるいおっさんがいるんだよね、、、

それがその名前

わたし、なぜかすごく大っ嫌いなの

名前を知るよりも先に、うわってなって

嫌いだわーーーーって思ったの

思ったというより感じたのね

あまりそんなことないんだけど

なぜかわからないけど、今も変わらず嫌い



「さいか」とも読むみたい

 普通は「にしかわ」読みだが新潟県では「さいかわ」と読むことがある。

関連姓氏: 仁志川、西側、佐井川、斎川、宰川。


佐井川、斎川

佐井、斎


【新川の開削と西川との立体交差】

 西川流域の西蒲原一帯は鎧潟・田潟・大潟(通称三潟)を始めとする数多くの潟や沼・窪地であり、新川は早通川と呼ばれ、この潟を通じて新潟市西区新通地内で西川に合流し、信濃川に注いでいました。 


https://ameblo.jp/fineroad-k/entry-12185941915.html



ああああ、、、だめだ、、また睡魔に襲われ始めた

体が眠っていってしまう

むずむずする


やっぱギブです、、、


続きは明日だ、、、








出早雄命(いずはやおのみこと)は、州羽地方の民間伝承(諏訪信仰)の神。


複数の資料や神社の社伝に見える建御名方神の二十二柱の御子神の第八子。また、諏訪史料叢書第一巻では第二子、洩矢神社社伝では第三子、他第一子とするものもある。

名称は出速雄命、伊豆速雄命とも書く。

農耕神ともされる。



建御名方神の二十二柱の御子神


大国主大神の六柱の御子神の一柱建御名方神が八坂刀売神を娶って生まれた神で、

洩矢神の娘神多満留姫を娶り、

出早比売命、会津比売命、草奈井比売命、若木比売命、八縣宿禰、鴨毛神など

多くの御子神をもうける。

諏訪史料叢書では子に片倉辺命、孫に恵奈武耳命と続き、後に諏訪氏になるとされているが、
この二柱の神は別の資料には二十二柱の御子神の中に列せられている。

また、資料によっては神皇産霊神の8世孫八坂刀売神と建御名方神の間に生まれた二柱の御子神
「出早雄命」と「伊豆速雄命」を別の神としている。
この系譜において、出早雄命は早出氏を、伊豆速雄命は諏訪氏をそれぞれ輩出している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E6%97%A9%E9%9B%84%E5%91%BD





諏訪周辺の民間伝承によるとタケミナカタは八坂刀売神を娶り、最大で二十三柱の御子神を儲けたとされている。これは資料によって十三柱、十五柱、十九柱とその数が定まらないため。 守矢文書や諏訪史料叢書の諏訪氏系図、諏訪神社略縁起、各地神社の伝承によって違いはあるが、最大で御子神は次の通りである。
建御名方彦神別命
出早雄命 洩矢神の娘多満留比売を娶る。
意岐萩命
須波若彦命
守達神  美津多麻比売命を儲ける。
片倉辺神 守矢家四代目児玉彦命を儲ける。
池生神  矢島氏の祖となる
蓼科神
大県神
内県神
外県神
八杵命  小出氏の祖となる
高杜神
妻科比売命
妻岐萩命
恵奈武耳命 諏訪氏の祖となる。
都麻耶美豆比売命
奥津石建神
多都若比売神
垂比売神
意富角神
大橡神
別水彦神

守矢氏系図によると、児玉彦命と美津多麻比売命の間に守矢家五代目八櫛神を儲け、
守矢家六代目美射津彦神、守矢家七代目大嶋辺神と続く。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%82%BF

なんじゃこりゃあああああ、、、

ちょっとまてよ、、、、


タケミナカタと諏訪方面はあまりほじくってないのよね、、



タケミナカタは神氏(じんし)の祖神ともされ、
神氏の後裔である諏訪氏はじめ他田氏や保科氏など諏訪神党の氏神としても信仰された。

なお『延喜式』神名帳ではタケミナカタとの関連が推測される神社として、
信濃国水内郡に「健御名方富命彦神別神社」の記載があるほか、
阿波国名方郡に「多祁御奈刀禰神社」の記載がある
(後者は単に「雄々しく港を守る神」の意味か[15])。

:::::::::::::::::::::::::::::::



もどって、、、


ここから


「さいか」とも読むみたい

 普通は「にしかわ」読みだが新潟県では「さいかわ」と読むことがある。

関連姓氏: 仁志川、西側、佐井川、斎川、宰川。


佐井川、斎川

佐井、斎



佐井、斎


さい、さい







ぎゃあああああああああ


佐井は斎に通じる。斎とは巫女のことである。



ってことは


社川>庄川

西川





みんなイコール


巫女の川

ってことになりえる





それから


さい

佐井



佐井

狭井

賽の神

幸ノ神

塞ノ神


ぜんぶ


”さい”







”さい” っていうのは

”さかい”

”つじ”

境目

あっちとこっち

あの世とこの世

https://www.google.com/maps/search/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E5%B8%82%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%AD%97%E7%8B%AD%E4%BA%95/@34.5285477,135.852665,17z





やっぱ、、、行かなくちゃダメか


ここが先か。。。。


まあそうだろうね。。。。



ここもな。。。


宗像神社(むなかたじんじゃ)は、
奈良県桜井市外山(とび)の鳥見山(とみやま)山麓にある神社である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%A1%9C%E4%BA%95%E5%B8%82)

桜井茶臼山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3










桜井茶臼山古墳(手前)と三輪山


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ここらへ行く前に墓参りと、そしてシャガワにももう一度行ってみるか

あの気持ちの悪さが何か


しかし母方と父方がこんな風な形でからんでいるとはな~


”西川”はおじいちゃんが生まれた家の名前

”しゃがわ”に十代の頃父は住んでいた可能性がある



”社川”をほじってみる



福島県東白川郡社川村大字逆川
https://www.google.com/maps/search/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E6%9D%B1%E7%99%BD%E5%B7%9D%E9%83%A1%E7%A4%BE%E5%B7%9D%E6%9D%91%E5%A4%A7%E5%AD%97%E9%80%86%E5%B7%9D/@37.0565301,140.3632328,15z





今、現代

”佐川”

これが出てきてるのも、、、


佐川もしゃがわか?




ビンゴっぽいね



【名字】佐川

【読み】さがわ,さかわ


語源は、逆流する川、狭い川、砂川からきている。

地名としては、北海道、神奈川、新潟、滋賀、奈良、島根、高知などに存在する。



現高知県である土佐国高岡郡佐川村が起源(ルーツ)である、惟宗氏がある。
ほか村上天皇の皇子具平親王の子師房にはじまる源氏(村上源氏)、
宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏(宇多源氏)などにもみられる。


佐川という名字は福島県に一番多く、次いで隣の茨城県に集中している。

# 福島県と茨城県の県境付近に多い。

# 土佐の佐川氏は土佐国高岡郡佐川(高知県高岡郡佐川町)をルーツとする。

# 福島県の佐川家

# 佐川急便の創業者の佐川清は新潟県の出身。



日本は、苗字の由来に興味を持つ人が多い、と改名アドバイザーの宮村太一さんは言う。

同じく改名アドバイザーの村宮太一さんによれば、

今の苗字は、明治45年以降に成立したものであり、
明治時代初期や江戸時代後期からは、さらに時代を遡ることができないそうである。


さらに、宮村太一さんによると、

寛永時代の頃は最も多い苗字は佐川だったそうです。

そうすると、佐川は全員佐川かと言うと、それも違うということです。

すなわち、都から逃れた佐川の連れが、有武市に身を隠してたために、
地主が「佐川」と「藤枝の藤」を統合して藤川としたのである。

「藤森」「賀茂」「佐伯」もそうである。

これはあくまで佐川氏の連れであって、そのほかの現在の苗字とは全く共通点がないのである。

苗字を変える改名というのは身を隠すいい方法だったに違いない。

梶原だって途絶えているし、佐川・藤森という苗字はほとんどない。
水川だって聞いたことがない。

 
今現在の、藤や宮や佐や川がつく苗字は

寛永時代~大正初期に地主集団の大将が地元の地名や土地柄から名づけた苗字であり、

寛永時代以降は決して名付けられることのない、大変、稀少価値が高い苗字なのである。




Syakawa~Shagawa

https://books.google.co.jp/books?id=8DohDAAAQBAJ&pg=PA1133&lpg=PA1133&dq=%E8%88%8E%E5%B7%9D&source=bl&ots=HiwVgv2U0l&sig=Yv6kN84_c-tjUI3gGhKfVxyansU&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwi-yPfJg43aAhXCnZQKHdwSAj84ChDoAQgtMAE#v=onepage&q=%E8%88%8E%E5%B7%9D&f=false


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あなたへ続く道”(80)マタカオス [あなたへ続く”道”]



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はあああああ。。。。。。


どしてなの


どしてなの









折口信夫生誕の地碑
https://www.google.com/maps/place/%E6%8A%98%E5%8F%A3%E4%BF%A1%E5%A4%AB%E7%94%9F%E8%AA%95%E3%81%AE%E5%9C%B0%E7%A2%91/@34.65934,135.4925783,17z/data=!3m1!4b1!4m13!1m7!3m6!1s0x6000e7720e31b8c7:0xefc6c7b742d2e185!2z44CSNTU2LTAwMTYg5aSn6Ziq5bqc5aSn6Ziq5biC5rWq6YCf5Yy65YWD55S677yT5LiB55uu77yT4oiS77yXIOa_seacrOODk-ODqw!3b1!8m2!3d34.6604322!4d135.4963783!3m4!1s0x6000e7722c412051:0xdefe6a6345470b8f!8m2!3d34.65934!4d135.494767



難波八阪神社 http://nambayasaka.jp/



大阪府大阪市浪速区元町


敷津


大国町



1925年(大正14年) - 南区(現在の中央区南部)から分区によって誕生。
1943年(昭和18年) - 南区・西区・天王寺区との間で区の境界を調整し、現在の区域となる。

1925年(大正14年)に南区から分区によって誕生した。旧西成郡(難波村・今宮村・木津村・西浜町)の地域を中心にしている。区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」(難波津の歌)からとられた[3]。1943年(昭和18年)、湊町・日本橋筋の一部が南区から、日東地区が天王寺区から、幸町が西区からそれぞれ編入され、また難波東部の河原町地区の一部を南区へ分離して現在の区域となった。

近世には、大坂城下へ野菜などを供給する「畑場八ヶ村」の一画を占めた。難波村は藍、今宮村は蕪・瓢箪、木津村は瓜・大根・菠薐草などが名産であった。これらの野菜類は天満青物市場まで持ってゆく決まりであったが、旧淀川以北の天満は城下南郊に位置する畑場八か村から遠く不便であった。農民達は道頓堀川付近に市を建てたり自前で売ろうとして、天満商人と対立した。その後、1809年(文化6年)に13品目限定で難波木津市場が開設されるに至った。

明治時代以後は1885年(明治18年)に阪堺鉄道(後の南海鉄道)の難波駅が、1889年(明治22年)には大阪鉄道(後の関西鉄道、現在の西日本旅客鉄道)の湊町駅(現在のJR難波駅)が開業し、奈良県や和歌山県の木材や農産物などが集まった。木津には大きな市場(現在の木津地方卸売市場)ができ、日本橋以南の堺筋は松坂屋ほか商店、古物商や古本屋が軒を並べる繁華街となった。また1903年(明治36年)の第5回内国勧業博覧会以後は新世界がレジャーセンターになるなど遊興地としても栄えた。一方、市街地の拡大に伴い、大正時代には堺筋の裏側に長町スラムが広がっていたため、当時の大阪市は画期的な鉄筋アパート[4]を建設するなどこの地域の社会改善、住宅改良に力を入れた。スラムは西成区釜ヶ崎に移転し、現在のあいりん地区となった。



難波 元町 新川
https://www.google.com/search?q=%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E3%80%80%E5%85%83%E7%94%BA%E3%80%80%E6%96%B0%E5%B7%9D&gws_rd=ssl


https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92556-0011+%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E6%B5%AA%E9%80%9F%E5%8C%BA%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E4%B8%AD%EF%BC%92%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%91%EF%BC%90/@34.6611553,135.4992728,18z/data=!4m5!3m4!1s0x6000e7694e253e07:0x7bcb4d4ff0b228c7!8m2!3d34.6614469!4d135.5019549



難波(なんば)は、大阪府大阪市中央区・浪速区の地域名称。または、中央区の町名。本項では概ね同区域にかつて所在した大阪府西成郡難波村(なんばむら)についても述べる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2


難波大社 (なにわのおおやしろ) -
天王寺区生玉町 - 初代天皇である神武天皇が即位前に創建した神社。







アンガマ
angama

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新川



Africa
Festival International des Masques










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2,3にも出てくる東栄 花祭
http://www.hanamatsuri.jp/





だーーい部前に記事にもしてる。。。



あれ、

”榊鬼”







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宙船 [調べなさいアプローチ]





中島

長瀬

ながせ


泊瀬

初瀬

長谷
(はつせ)
(ながせ)

なか

なが


naka

naga




中島

織田家などを輩出した現愛知県である尾張の神魂命子孫、現京都南部である山城の鴨県主子孫。

諏訪神党、
清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、村上天皇の皇子具平親王の子師房にはじまる源氏(村上源氏)、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)もみられる。

現兵庫県である播麿国佐用郡中島発祥の族は赤松氏族。

語源は、「島」は一定の区画地帯を表す。


中村、水中の中の島の意味もある。

家紋は筌、九曜巴、団扇など。

西日本では「なかしま」東日本では「なかじま」の読みが多い。


ひぃ>>中村、水中の中の島の意味もある。




# 中島は中村に通じる。

# 尾張国中島郡海部をルーツとする中島海部直は伴造家で神魂尊の後裔。

https://name-power.net/fn/%E4%B8%AD%E5%B3%B6.html

https://folklore2017.com/502.htm




長瀬

長瀬連、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、
村上天皇の皇子具平親王の子師房にはじまる源氏(村上源氏)、
中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)隆家流、秀郷流などにもみられる。

現石川県である加賀藩、園部藩にみられる。

「長」は長くのびている地形、器物、生物などの意味。
「瀬」は流水が浅く流れているところを表す。



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■ 長瀬(ながせ)

【2013/08/20:新載】

# 634位

# 全国に約32300人

# 岐阜県の飛騨地方北部に多くみられる。

# 主なルーツ地

・ 信濃国小県郡長瀬(長野県上田市)をルーツとする。

・ 美濃国可児郡長瀬郷(岐阜県多治見市)をルーツとし、清和源氏の土岐氏の支流。

# 古代豪族に長瀬氏があり、高麗からの渡来人と言われる。

# 信濃の長瀬氏は信濃国小県郡長瀬(長野県上田市)をルーツとする。

# 美濃の長瀬氏は美濃国可児郡長瀬郷(岐阜県多治見市)をルーツとし清和源氏の土岐氏の支流。

# 長野県の長瀬家


中島みゆき
出身地  北海道 札幌市

祖父は帯広市議会議長なども務めた中島武市、
父・眞一郎は北海道帝国大学医学部出身の産婦人科医で中島産婦人科院長。

中島 武市(なかじま ぶいち、1897年1月30日 - 1978年7月16日)は、日本の実業家・政治家。岐阜県本巣郡土貴野村(現在:本巣市)出身。岐阜市立岐阜商業学校(現在の岐阜県立岐阜商業高等学校の前身)卒業。シンガーソングライターの中島みゆきは孫(武市の長男の第一子)。


実父は大垣藩士の家系の士族であったが早世し、母の再婚先の商家中島家で育てられた。母の兄は松方財政の推進者で大蔵次官を務めた男爵・郷純造。純造の次男が日商会頭の郷誠之助。武市と誠之助は従兄弟同士にあたる。「拓聖 依田勉三傳」に中島武市の伝記も収録されている。

1914年に岐阜商業を卒業した後、大阪の呉服問屋に丁稚奉公に出る。その後名古屋の株屋を経て北海道に渡り、旭川で書店に勤める。その後帯広に移り、1920年に「古着商中島商店」を開くが、間もなく屋号を「みつわ屋」と改める。1921年頃に結婚。1924年には長男・真一郎(中島みゆきの父)が生まれる。

1936年に帯広商工会の副会頭になり、1939年には帯広市実業連合会長・十勝商工会連合会頭に就任。1942年には帯広市議会議員に当選した。1943年9月には帯広商工会議所会頭(〜1950年11月)となり(1943年10月〜1946年9月までは北海道商工経済会帯広支部長)、戦後の1947年の第1回参議院議員通常選挙で北海道から日本自由党公認で立候補したが落選。1954年には帯広ロータリークラブ会長も務めている。

1955年8月には帯広市長選挙に出馬するが落選。1959年には帯広市議会議員に返り咲き、1963年から帯広市議会議長。1965年には全国市議会議長会常任理事、翌1966年には同代表監事に就任した。

帯広市にある中島公園は、武市が帯広開拓の嚆矢であった依田勉三の功績を後世に遺す目的で銅像を寄贈した篤志を称えて、帯広市長が武市の名を公園名にしたものである。現在、武市の胸像が西本願寺帯広別院に建立されている。また同様の銅像が本巣市早野の土貴野神社脇にある、戦没者鎮魂の碑のある広場にも建立されている。



http://episode.kingendaikeizu.net/45.htm



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え、、そんな人いたの? [転載~]


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ポケモン最新作でサカキ含む歴代の悪役ボス達が集結し「レインボーロケット団」を結成!

http://ge-soku.com/archives/4828746.html


むすこっちが小さい頃一緒によく見てた気がするんだけど

全く気付いていなかったよ





さかき

ポケットモンスターシリーズの登場人物である。

「ロケット団」という悪の組織のボスでありカントー地方のジムリーダーでもある。

ゲーム「ポケットモンスター」シリーズの「赤・緑・青・ピカチュウ」バージョン、そしてそのリメイク版である「ファイアレッド・リーフグリーン」に登場した悪の組織「ロケット団」のボス。
加えて、「ウルトラサン・ウルトラムーン」に新登場する「レインボーロケット団」のボス。
また、同作品上に登場する「トキワシティジム」のジムリーダーでもある。海外名は「Giovanni」。

歴代「悪の組織のボス」の中でも、思想的な目的を持たない「現実的な悪の首領」というスタンスで描かれる。
外見はオールバック風の髪型にマフィア風のスーツを着用。じめんタイプのポケモンを愛用している。




「ポケットモンスター赤・緑・青・ピカチュウ」および「FRLG」

本編ではゲームコーナー地下の秘密基地に侵入した主人公と初対面。「悪事を働き、大儲けするロケット団」と組織の恐ろしさを語った後にポケモンバトルを挑むが、敗北。このときサカキは敗北を潔く認め、主人公がポケモンを思いやっていることに気づいている。そして再び戦闘を望む事を示唆しながらアジトを去って行った。その後、シルフカンパニーと提携するため本社を占拠し、社長と取引を進めるが、またしても主人公が乱入。大人の会話に口を挟むなと言うが、聞き入れるはずもなく再戦し、敗北する。この件によりロケット団は壊滅状態になる。また、マスターボールの一般販売を中止する原因にもなった。
その後はジムリーダーとして正々堂々、真っ向から主人公に勝負を挑むも、敗退。
敗退後はロケット団解散を正式に宣言。己の無力さに対する責任を取る形でジムリーダーを辞任。
自身を鍛えなおすために人里離れた土地で修行するといって消えた。(そのためトキワシティジムは、グリーンの就任まで長らくジムリーダー不在という状況だった)

悪の組織のボスであるにもかかわらず、本質的には高潔な武人肌の持ち主であり、ジムリーダーとしてきちんとバッジを渡し、技マシン「じしん(じわれ)」までくれるなど、ジムリーダーとしての仕事にも彼なりに愛着を持っていた事が伺える。

他のジムリーダー達との交流があったのかは不明だが、彼が辞任したのは万が一、ロケット団のボスであった時の罪が明るみになってしまった場合、他のジムリーダー達があらぬ疑いをかけられないようにする為でもあったのかもしれない…。

後の作品にて、同じく悪の組織に与するリーグ関係者が現れるが、根っからの悪人であるその人物とは比べてはいけないだろう。



「金・銀」および「HGSS」

幹部アポロ(金・銀では名前設定無し)を中心として解散後の残党たちが再結集し、ロケット団を再建するため行方不明のサカキを呼び戻そうとラジオ塔を占拠するなど暗躍するも、主人公たちの活躍によりその野望は潰える。

サカキ自身は結局現れず行方不明という形だったのだが、下記のHGSSイベントでは組織を束ねるボスとしての自分の甘さを認め、組織の再興に向けて修行に旅立つ三年前の姿を見ることができる。組織、そして人は協力し合うことでより強い力を生み出すという哲学を説き、悪の首領でありながらも正義のように仲間を信じる、純粋な資質を感じさせる。

そして、かつての部下たちが自分たちの力でコガネシティを制圧し、ラジオ塔を通してロケット団の再興と首領の帰還を呼びかけ、その嘆願に応じて再び姿を現そうとするも、タイムスリップしてきた主人公に阻止され、サカキとロケット団の三年間に及ぶ努力は泡と消えたという結末を迎えている。

それから数年後、ポケモンワールドトーナメントでは一転して改心し、さらなる修行を重ね、元カントージムリーダーの一人としてトーナメントに参戦した。



「息子がいる」

「FRLG」でストーリーに関わってくる研究員が、サカキには「あかいいろのかみ」をした息子がいると口走る。
「あかいかみのしょうねん」はそこまで多くはないものの、「今までのシリーズに出てきたトレーナー」とは限らず、当時は誰が息子なのかは判明していなかった。
しかし、映画「幻影の覇者 ゾロアーク」でもらえるセレビィを連れているとHGSS内で見ることが出来るイベントで遂に「金銀(HGSS)のライバル」が息子であると明言され、長年の疑問に終止符が打たれた。


R団



ちなみに、それまではライバルの他に「ワタル」がサカキの息子ではないかとささやかれていた他、ポケットモンスターシリーズ全体で公式に親が誰であると証明されていない(=サカキの息子の可能性があった)「髪の色が赤い男性キャラ」は以下の通りである。
アニポケ…ヒロシ
金銀…ワタル
RSE…マツブサ、カゲツ
DPt…オーバ
HGSS…ロケットだんしたっぱ ♂(どちらかといえばピンクかもしれない)
などがいるが、一部年齢的に無理があるキャラクターもいる。



ウルトラサン・ウルトラムーン

2017年11月17日発売のポケモンUSUMの紹介PVにロケット団の再興を果たし、過去作に登場した歴代悪の組織のボスたちを(シナリオ内で現役活動中のグズマ・ルザミーネは除く)束ね、レインボーロケット団を立ち上げた彼の姿があった。
切り札はまさかのミュウツーであり、さらにメガシンカも行う。
かつての組織より遥かに強大な組織を興して復活し、サカキは全ボスの中で最も強大な存在となった。身に着けているバッジは形こそ旧ロケット団のものと同じ形状だが、組織名が示す通りに虹色になっている。

殿堂入り後のエピソードRRで突如エーテルパラダイスに現れエーテル財団代表のルザミーネの屋敷を占拠する。全ての世界を支配しUB軍団を作ることを目論み財団の科学力に目をつけ、UBの力でルザミーネに催眠をかけ自分の忠実な部下にしようとした。
他の5人のボスを破ったトレーナーが子供であることに驚きつつも、主人公の実力を称えその力を自分の下で使ってみないかと問いかける(このとき「はい」を選ぶと「冗談を言えるか」と言われる)。

主人公に敗れると潔く負けを認め、部下共々屋敷から姿を消した。そしてエピローグでは「次はどの世界で悪だくみをしようか」という、勘弁してほしい前向きな発現と共に別世界へと渡って行った。

歴代ボスと違い唯一専用BGMがなかったが今回で初めて専用BGMが用意された。

https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B5%E3%82%AB%E3%82%AD







ツバキ科サカキ属の樹木で、常緑性の小高木。
つやを持った厚みのある葉で、小さな白い花を咲かす。
日本では古くから神聖な木とされ、神道の神事で葉が用いられる。

榊を産しない北海道や北東北地方などの寒冷地では、
神事においてオンコ(イチイ)が同じように用いられる。



漢字の「榊」は日本独自の漢字「国字」である。
英語でも「sakaki」や「Cleyera japonica」と表記する。

https://dic.pixiv.net/a/%E6%A6%8A

榊さん 『あずまんが大王』
榊太郎 『テニスの王子様』
榊千鶴 『マブラヴ』
榊大地 『金色のコルダ3』
榊清太郎 『機動警察パトレイバー』
榊むつみ 『あんさんぶるガールズ!』
榊遊矢 『遊戯王ARC-V』
戌井榊 『あっちこっち』
サカキ 『ポケットモンスター』
榊(.hack//G.U.)『.hack//G.U.』



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こんなのあったんだ [転載~]





大国主と事代主のお話

、、、って、


ちがうか

(*‘∀‘)


でも、、、

今現代もこういう風にやくざ物が、なんか、こう、面白すてきちっくに作られて

一般大衆はそれを面白がってみてるわけでしょ

記紀も。。。。


古代のエンターティメントだったんだろうね













ほら



おもしろいじゃん








宙船


海人の歌だね














23:00、、、、、、

全部見ちゃったじゃんよ


榊、榊、連発で、、、、、、










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あなたへ続く道”(78)アジ屋敷と梶屋敷 [あなたへ続く”道”]







アジ屋敷と梶屋敷



アジ屋敷は梶屋敷



アジ

カジ

アヂ



按司屋敷(あじやしき)














榊 翔太 
北海道清水町


北海道上川郡清水町
町長 阿部一男





榊の顔だわ~~~~

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吉田鋼機と榊産業が来年1月に合併-配送効率化で経営強化

2015年08月21日 19時00分
https://e-kensin.net/news/8726.html


 鉄鋼2次製品卸業者の吉田鋼機(本社・札幌)と榊産業(同)が2016年1月1日付で合併する。

新社名は「株式会社神鉄(しんてつ)」。

合併によって、売上高が10億円規模となる道内最大級の特約店が誕生する。
道央圏の需要が縮小を続ける中、配送システムの効率化なども進め、生き残りを図る。

吉田鋼機は1929年に創業。08年に片山鉄建(本社・大阪)の100%子会社になっている。
売上高は約4億円。

榊産業は、吉田鋼機の社員だった登志夫社長が93年に設立した会社で売上高は5億円ほど。
両社ともカラー鋼板を中心に取り扱う。

 鉄鋼2次製品業界では、メーカーや商社の統合が進む一方で、特約店は再編が遅れ、
個別に事業展開しているのが現状。

両社が事業エリアとする道央地域では、需要減少と競争激化が顕著となり

「事業継続のためには売上げ規模の拡大が必須」
(吉田鋼機社長を兼務する阿部智康片山鉄建札幌営業所長)と判断した。

 榊社長も「需要の減少が続き、長期的に見ると厳しい状況。生き残りに危機感があった」と言い、両社の思惑が一致したことから、13年から経営統合への準備を開始。吉田鋼機の決算時期に合わせ、16年1月の合併を決めた。

 存続会社は吉田鋼機。代表取締役社長には榊氏が就く。代表取締役は2人体制で片山鉄建の片山隆之社長も代表権を持つ。阿部所長と榊伸一郎榊産業専務は取締役にそれぞれ就任する。資本金は5000万円で出資比率は片山鉄建が4000万円で80%、榊社長が1000万円で20%。

 合併後の拠点は、吉田鋼機の所在地である札幌市西区発寒14条13丁目の片山鉄建鉄鋼センター内に構える。榊産業が白石区米里に置く配送ヤードも継続して利用する。

 合併の狙いには配送システムの効率化もある。
利用できるトラックの台数を増やすとともに、
「東西の両拠点で出荷先に応じて配送を分担することで、少しでも早く商品を提供したい」と
榊社長は話す。

こうした経営努力による効果も見込み、合併後初年度の売り上げ目標は10億円とした。
販売数量では2000㌧前後だ。

 函館、帯広、釧路の特約店を傘下に収める片山鉄建グループの道内での売上高は60億円程度。
中核となる道央の拠点強化で、さらなる売り上げアップを目指す。




あらああああ、、、この子も榊の顔してるわ。。。









瀬戸内海 - 本州山陽地方と四国地方の間にある海域 瀬戸内地方 - 上記海域の沿岸一帯
瀬戸内市 - 岡山県にある市
瀬戸内運輸 - 愛媛県今治市のバス事業者。

瀬戸内 (奄美群島) - 奄美群島の奄美大島・加計呂麻島間の内海 ⇒ 大島海峡 瀬戸内町 - 鹿児島県大島郡(上記の沿岸)にある町








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2016年までの観た!読んだ!お勧めの映画や本でーす!